巫行104 神器
残るは悪虐なる豺狼の王を討つのみ。
ミクマリは術師として類稀無い力を身に着けている。人の持つ気である霊気を超えて、神の持つ気、神気をも纏い始めている。
それでも、術力や武力に長ける天津神には及ばぬ力であり、またサイロウは雨や雷を司る様な天津神を剋した事実がある。
西の地の大亀裂も彼の術に依り作られたものであったし、嘗て人間であった頃の師も、当時の彼に敗北し命を落としている。
ミクマリは直接にサイロウの姿を見た事も、気を感じた事も無かったが、以上の点から勝ちは薄いと考えている。
だがこれ以上、無闇に修行を重ねると、人としての領分を超えてしまい、心根が覡國から遠ざかる危険性がある。
切り札の御神胎ノ術も無くは無いが、心身の負担や、サイロウとの対決時に都合良く強力な神が降ろせるかどうかといった問題もある。
仲間を募るにしても、最低でも彼の部下よりも強いホタルに匹敵する術師を複数連れなければ話には為らないだろう。仮にそれで勝ちを上げる事が出来たとしても、ミクマリには自身の友人の命を危険に晒す事は出来ない。
実際の処の八方塞がり。ミクマリはゲキと共に頭を抱えていた。
そこへ、ミサキが一つの助言を授けた。
「神器を探してみてはいかがでしょうか?」
神器。神が製作したり、神の気が込められている神秘の道具。神の力を借りる事が出来たり、人の道具の効力を大きく上回る力を発揮する事が出来る。
神器は世界各地に散らばっており、今もまた何処かで生まれたり、或いは失われたりしている。
それは神をも斬り裂く剣であったり、死んだ者の魂を覡國に引き戻す力を持つ珠であったり、陰険な呪いの様な効能を発揮する釣り針であったりする。
先に御使いの目を借り、黄泉國を覗き見た鏡もまた、神器である。
それらの力を借りれば、自身の霊気を直接伸ばす事無く、サイロウに打ち克つ事が出来るやも知れない。
屡々、神器は伝説や伝承に語られており、その多くは実在するかも不明瞭ではあるが、ミクマリもまた幾つかの神器を手にして来ている。
彼女の纏う神の霧の衣は、決して穢れる事が無く、厳しい環境や強力な攻撃から持ち主を護る貴重な品だ。
胎に施された御神胎ノ術で神和げば、宿した神の力の残滓を宿す勾玉を得る事も出来る。発動する力は不明だが、現在も言葉の神の勾玉が手元にあった。
「剣とかが良いでしょうか?」
ミクマリは素振りをして見せる。
『護りは心強い衣があるから、欲しいのは武器だな』
「今の内に剣術の練習とかしておこうかしら?」
『サイロウは武術にも長ける男だ。やっておいて損は無いと思うが、老練な武芸者を相手に、にわか仕込みは却って毒やも知れぬ』
「でしょうか。でも、サイロウは長い間、術や神器を探して各地を行脚しているのでしょう? 彼が見つけてない品を発見するのは難しいんじゃないかしら……?」
唸るミクマリ。
「サイロウも、悪迄も人間です。見落としもあるでしょうし、全ての地を周っている訳ではありません。過ぎた後に神器が現れる可能性だってあります」
ミサキが言った。
『その通りだな。為らば神器を求めて、当てもない旅に戻るとするか。術を求め、神器を求め。何だかやっている事がサイロウに似てしまったな』
「当てならば、無くはありません。御使いの御子の一羽は、時折、サイロウの動向を追っています。彼は古くは南方、近年ではに西方に足を踏み入れて活動をしていました。今現在は、北側の地に自ら赴き、暴れ回っているそうです」
『そう言えば言っておったな。とすれば、当たるのは東の地という事になるが』
「東には何があるんですか?」
『海だな。海に当たれば北上する外ない』
「サイロウの居場所に近く為ってしまいますね」
「ここから遠く北東の地には、神器を祀る村があるそうです」
ミサキが言った。
『ほう、珍しいな』
「神様は祀ってらっしゃらないのかしら?」
「さあ、どうでしょう。ただ、そこには世にも珍しい宝剣があると聞いております。当然、神に等しい御神体ですから、持ち出すのは難しいとは思います。ですが、神器を祀るだけあって、他の神器に就いて詳しい情報があるかも知れません。近辺はサイロウも恐らく未踏の地ですし、現地で話を聞くだけでも何かの足しになるかと」
『ふむ、御神体を奪う様な真似は出来んから、宝剣は当てには為らんが……。無為に一度回った地や、サイロウの後を追う様な真似はせず、取り敢えずはその地に足を向けてみるとするか?』
「そうしましょう。知らない地でまた、里作りの勉強も出来そうですし」
「サイロウを剋された暁には、必ず御礼を致します。私共の里の恥である以上、私達も手を貸すのが筋だとは思うのですが……」
申し訳なさそうな貌を見せるミサキ。
『ミサキよ、気にするな。俺達は長い旅の内に随分と神々に弄ばれたのだ、今更、神の御使いの思惑通りであろうが大した話ではない。お前もまた御先の任を負った身だ。自身の役目に集中するが良い』
「ありがとう御座います」
ミサキが頭を下げる。
「それに私達は、既にこの里からは、とても良いものを貰ってますから」
ミクマリは妹を見やった。アズサは出立前の仕度として、薬草や巫具の検めを行っている。
因みに頭をつき合わせるナツメは、自身の火術にてじっくりと炙った肉や魚の保存食を支度してくれた。
『あやつが居らんかったら、俺達は道を踏み外していたかも知れぬ。志半ばで果てていたかも知れぬ』
翡翠の霊魂が穏やかに揺らめく。
「そうですか。あの子を旅立たせたのは御使い様の命でもあったのですが、お役に立てているのならば、師としても誇りに思います。……私から見ても、あの子は見違えました、本当に」
ミサキが優し気な眼差しを向ける。
『今更返せと言われても返してやらんぞ』
意地悪く響く霊声。
「ふふ。では、返せとは言わない代わりに、後で少し、二人切りで話をさせて貰っても宜しいでしょうか? 別に、今生の別れと言う訳ではありませんが、私の所為であの子に辛い思いをさせた事等を、謝っておきたいのです」
『おう、構わぬぞ。謝罪は大事だからな』
それから、アズサとミサキは席を外して何やら会話をし、一行は愈々霧の里を発つ事と為った。
ナツメは酷く名残惜しそうにし、瞳潤ませ……と言うか泣きじゃくって、自身の耳飾りの片方とアズサの耳飾りの交換をした。
アズサも親友を優しく抱き止め、「また会おうなー」と返した。
「アズサ。御二人の事を頼みますよ」
「はい、ミサキ様。では、またいつかお会いしましょう」
丁寧に下げられる童女の頭。上げられた貌には僅かな悄然さを孕む。嘗ての弟子を再び見送るミサキの顔も、矢張り寂し気であった。
遠ざかる本部の村。北東を目指すに良い抜け道を教えて貰い、一行は再び山を目指す。
「見て、あれって御使い様じゃないかしら?」
ミクマリは覚えのある気配を察知し、頭上を指差す。
晴れた空に巨大な黒鳥。それは確かに三本の足を持った烏であった。一羽だけではない、小柄な同族も七羽揃い、まるで太陽を囲む様に、円を描きながら旋回をしている。
「ほんまや……」
『見送りか? 一家揃ってとは豪勢だな』
「アズサが立派に成って戻って来たから、お祝いしているんじゃないかしら」
ミクマリは微笑み、アズサを見下ろす。
「せやろか……」
御使いを見上げる彼女の表情は厳しいものであった。
「どうしたの? 何か心配事?」
ミクマリが訊ねる。
「え? ちょっとお日さんがあばばいんやにー」
眩しそうに目を細める童女。
「目が痛くなっちゃうからあんまり見ない方が良いわね、行きましょう」
一行は再び旅路に戻る。暴虐なる王を討つ為に、神器を求めて。
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あばばい……眩しい。