巫行102 鳥達
暫くすると、ミクマリの元にアズサが帰って来た。
「あら、アズサ。村を見て回らなくても良いの?」
「うん。村の巫行は、うちがさいこ焼かんで平気な感じやにー。お喋りだけして来たわー」
アズサの故郷の村。ここには彼女が産まれてからの思い出の、酸いも甘いもが詰まっている。
両親が健在で幸せだった幼き頃。ミサキに見いだされ本部で成巫過程を経ながらも、ちょこちょこ里帰りをし、両親に甘えた雛鳥時代。
それから、不幸を聞いて舞い戻り、村民達の慰めを受けた若鳥の頃。
両親の死。アズサはその話を耳に入れるのが遅れ、知った時には既に殯葬も済み、魂は黄泉へ去っていた後だった。
その頃の彼女は、川神を祀る村で滓扱いを受けていた。
両親の死因は病だと言っていた。二人揃って身罷ったのであれば、感冒や流行り病が原因だろう。
だが、霧の里育ちの巫覡の手に余る案件ではなかった筈だ。ここには巫女が居ないのか、それともしくじったのか。
擁する巫覡の数からして、不在は考え辛い。若しも、薬学を得手とするアズサがここへ配属されていれば……。
ミクマリは遠目で村を眺めた。丁度、小屋の一つからアズサと同じ衣装をした年増の女が出て来た。
小屋の主は巫女へ頭を下げ、巫女もまた丁寧にそれに応じた。巫女はこちらに気付くと一旦足を止めたが、顔を伏せると早足で何処かへと去って行った。
「ねえ、アズサ」
ミクマリは何かを訊ねようとした。
「こーっと。ふたりに会って欲しい人がおるんやけど……」
遮る様に言うアズサ。ミクマリは続きを言うのを止め、何処かへと案内しようとする童女の手を握ってやった。
案内されたのは、ここの巫女や村長の住まいではなく、村外れにある墓所だった。
区画分けされ、巨石を組み合わせた目印が並ぶ。アズサが言うには、その石の下に人の納まる大型の土器製の棺が埋まっており、その中へ遺体が納められるとの事だ。
御使いの流派で習った話では、土器に入れる様になったのは余所の土地からの影響で、その発祥は死後に黄泉國から蟲が遺体を回収しに来るのを不気味に思い、それを防ぎたかった為に土器へ入れたのだという事。
だが、黄泉からの蟲は何処に居ようとも必ず現れ、骨を残して、時には骨も含めて全てを持ち帰ってしまう。それは、土器に遺体が封じられていても同じなのだとか。
ミクマリとゲキの里では、棺の類は用いらずに土葬をしていた。黄泉の蟲が取りに来る前でも腐敗は起こるし、覡國に住む鳥や蟲が手出しをする。
同じくれてやるなら、大地の精霊にやる方が良いだろうと、遺体は産まれたままの姿で直接、大地に抱かせるのだ。
目印の石や木簡等も立てない。皆揃って近くに埋められる。個別に祀られるのは守護者の御霊のみだ。
「このへりこに、お父やんとお母やんが眠っとー。魂は居らんけどなー」
案内されたのは墓所の端。他と見分けのつかない同じ様な墓石群。
姉妹は揃って墓石に向かい、手を組み合わせた。
魂の存在を直に感じられる巫女にとっては、墓はあまり意味のないものかも知れない。
先の惨事のあった村でも同じ様に祈りを捧げたが、そこでも魂は祓い清められ、不在だった。それでもミクマリは、何も無い場所に向かって大真面目に祈りを上げる事に抵抗は無かった。
ふと、自身の頭に差してある翡翠の霊簪を撫でた。それからもう一度手を組み、心の中でアズサの両親へ感謝と誓いを述べた。
同じく霊魂であるゲキも、文句ひとつ言わず彼女達と並んで揺らめいていた。
墓参りが済むと、アズサは早々に次の目的地への移動を提案した。
本人からの提案であった為、保護者達は何も言わずに了承した。
アズサは村民に挨拶をされた時のみ、彼女らしく返事を返したが、自分からは特に誰かへ絡みには行かなかった。
一度だけ足を止め、とある一件の小屋を長く眺めていた。そこには古ぼけた小屋に対して若い家族が暮らしていたが、アズサを見ても特に反応は返されなかった。
アズサは故郷の村を通過した。
村を出てからも振り返る事はなく、姉の掌を求める事もなく、唯、新しい家族と同じ歩調で、去った。
次に足を向けたのは、霧の里の中央にある村。御使いに関わる神事の多くを担う拠点で、巫女頭の御先が住まい、また多くの巫覡を育成する為の“鳥小屋”の置かれる場所でもある。
峰々に囲まれ、全般的に平和な霧の里ではあるが、ここでは戦士や巫覡に依る警備が厳重である。
ミクマリが初めて訪れた時には、とある事情で厳戒態勢に為ったし、今もまた陽が沈み始めており、早めの松明の火が村の周りを徘徊している。
その火の持ち主は目敏く部外者達を見つけて、槍を担いで近付いて来た。
とは言え、彼は旅の一行の事を良く覚えていたらしく、警戒ではなく、歓迎からの声掛けであった。
今回の旅の目的は、黄泉國に居る妹巫女達に自身の言葉を届ける事。御使いに頼めるか、或いは伝言を届ける手段は存在するか。それを調べる事だ。
復讐への決断の一歩手前であり、ミクマリは嫌応にも気が塞いでしまっていた。
「皆、元気にしてはるかなー」
今回もアズサには相談へ立ち会ってもらう事になっている。地蜘蛛衆の時と同様、音術に依る話の真偽を判断して貰う為だ。
嘘の視破りもまた、探りを入れ真実を見抜く為には便利な術ではあるが、詰問や不審からの険悪を容易く呼び起こすものである為、本来は輩へ向けるべきものではない。
『素直に話してくれればいいがな』
守護霊も不安気だ。
しかし、一行はお預けを喰らった。
アズサが朝は神事や巫行で忙しいが、日没後の時間帯なら、鳥小屋で見習いを教えている筈だと本部へ訪ねたのだが、ミサキは不在。その代わりに詰めていた者が出迎えた。
「はいはい。あたしが、神の御使い様の御使い様であるミサキ様の御使いであるナツメ様だよー」
物憂げな表情。気怠い声。結い上げられた黒髪に、頬には嘴の入れ墨。衣はアズサと同じであるが、耳飾りは両耳とも確りとぶら下がっている。
「残念ながら、御客人の御目当てであろう里長のミサキ様は、所用により別の村に出立中。日を改めて……」
らしくない口上を述べながら現れた少女は、ミクマリ一行を見ると固まった。
それからナツメは、ミクマリの顔を見て何かを言おうとしたが、やや下に視線を向けると、ぱっと火が点いた様に頬を染め、挨拶も口上も放ってアズサへと抱き着いた。
「アズサ、久し振り! 元気にしてた? 心配してたんだよ!」
少女は童女を我が物にせんばかりに抱きすくめ、短髪を掻きまわした。
「ナ、ナツメ、いびこしいわー」
呻くアズサ。
「おっと、ごめん。それにしても、見違えたなあ……」
ナツメはまるで花を愛でる様にアズサを見ている。アズサはアズサで少しばかり頬を染めて、入れ墨を掻いた。喧嘩の絶えなかった二人はもう昔だ。
「見違えた言うても、髪も短いままやし、衣が襤褸っちく為っただけさー」
「そうじゃないよ。あんたの腕前は、あたしが一番良く覚えてるんだ。あたしも修行のやり直しをしてる心算だったけど、まさかこんな短い間に追い抜かれちゃうなんてね」
ナツメの表情が少し翳る。だがそれは、優しい微笑みと上手く混ざった表情であった。
「ナツメも、霊気が大分強なったなー」
「でしょ? 一応、若手では一番って言われる様にはなったよ」
「ほんまー?」
「ほんまほんま。ミサキの娘だから、その位はねー」
「じゃー、後で霊気の見せ合いっこしよなー」
「いいよ。……っと、失礼しました。ミクマリ様、鬼神様」
愉し気な娘の表情一転、邪気なさを消して向き直る。
「本日は、どう言った御用件でしょうか? 大変申し訳ないのですが、おかあ……頭首は所用で外しておりまして」
「ふふっ。ちょっとミサキ様に御助力を願いたい事があって」
ミクマリは思わず笑ってしまった。気質や霊気の方は大人びて来た様だが、まだまだ子供が見え隠れしている。
『所用か。部外の者が会えぬ用事か?』
「いえ。ええっと……貴方達なら平気かと。ダイコン姉様達の村に滞在しております。以前、お世話に為った凶鳥の一件での森で、森神様を祀る為の祠の完成が近くって。関連する巫行の指導の為に出張っていらっしゃるのです」
「まあ。あの森神様の祠が出来るのね」
ミクマリは火事に見舞われた森に居た兎を思い出す。長く人間が手を付けなくなっていた森で育った大きな白兎だ。通常は人が祀る事で精霊は神に成るのだが、森が御使いの暮らした霊場だったという影響があった所為か、あの兎は既に神気を持っており、森の凶事を不安がって彼女にこっそりと声を掛けていたのだった。
『あれは見事な大根であった』
ゲキが何か言った。
「明日の日の出と共に完成を祝う儀式があるので、戻られるのは直会が終わってからの、更に翌日になりますね。お疲れ具合や後始末次第では面会は“ささって”になってしまうかも知れません」
申し訳なさそうに言うナツメ。
「どうしましょう」
ミクマリはゲキを仰ぎ見た。
『今から会いに行くと深夜に為るな』
「急ぎの御用件ですか?」
『ううむ。急ぎと言えば急ぎだが、良く分からぬ。そうでなくて、多分こいつはその儀式に居合わせたいのだろう』
ゲキがミクマリの頭上でくるりと回転した。
「正解です」
苦笑するミクマリ。
火事の際に怪我を見てやった事が思い出される。森や動物達は元気でやっているだろうか。
「では、今から案内しましょう。人の拓いた路には大して危険はありませんし、私が火を灯して先導します」
ナツメが言った。
『そうか、それは有難い。部外者だけでは礼儀が通らぬからな』
「え……部外者? あ、そっか。……では、仕度をしてまいりますので、お待ち頂けますか?」
ナツメはそう言いながら、ちらとアズサの方を見た。
支度を整え、一行は長の娘に連れられて村を出る。
以前、この顔ぶれでこの道を歩いた時は、若い二人は喧嘩をしっ放しであった。
今は来た道は行く道となり、二人の間に流れるのは短き空白の期間を埋める、朗らかな談笑。
ミクマリはその様子に頬を緩ませながら、二人の変化と成長に就いての感想を、師とこっそりと交換し合った。
「そっかあ。日誘ノ音ってそんなに便利なんだね」
ナツメが感心する。アズサは自身の体験と編み出した術の話をしていた。だが、童女は強かである様で、嘘を見抜く術に関しては口にしていなかった。
「そやにー。うちもこんなに色々使えるとは思わんかったなー。ここにおった時はねっから滓な術やと思っとったわー」
「昔、酷い事言っちゃって御免ね」
「いいさー。だんない、だんない。ナツメの結ノ炎はどうなん? 霊気はぎょーさん増えたみたいやけど」
余裕振ったアズサの表情。彼女は稀代の火術師ホタルの腕前を見ている。ナツメが少々腕前を上げた技を見せた処で、このふてこい表情は消えないだろう。
「実は、火は余り扱えなくなっちゃったの」
ナツメがぽつり。
「なっ!? ほんまなん!?」
声を上げるアズサ。
『そう言えば、態々松明を使っておるな。火にはお前の霊気が籠っておる様だが……』
「はい。これは確かに私の火です。でも……」
ナツメは語った。嘗ては自身の火力を鼻に掛けており、事実、ダイコン達と組んだ時には姉妹巫女の中でも一番の火力を見せていた。
だが、無闇な火の扱いに依って火事を引き起こしてしまい、それは別件として母からも、森の神からも直接の叱りを受けたそうだ。
罪滅ぼしに森の整備に足を運んでみると、改めて自身の愚かな行いを識る処となり、それ以降、大火力の術を編む事がどうしても出来なくなったそうだ。
「それでも、霊気の鍛錬は続けているのね」
心の傷に折れぬ娘へ言葉を掛けるミクマリ。
『ううむ、少々残念だな。お前は中々の才があったというのに』
こちらは余り気配りが出来ていない。
「へへ……でも実は、その時からちょっと変わった事が出来るようになりまして」
そう言ってナツメは立ち止まり、松明の火をこちらに向けて来た。
「分かりますか?」
何の変哲もない炎。ナツメと同質の霊気を孕み燃えている。
『……これは、驚いたな。初めて見た』
驚嘆の声を上げたのは嘗ての熟練の男覡。
「なっとなー?」
アズサが首を傾げる。ミクマリにもそれは只の火に見えた。強いて言うならば、籠っている霊気が相当清いものという事位か。
『お前達には分からんか。おい、ミクマリ。お前ちょっと、この火に顔を突っ込んでみろ』
「何でですか!?」
声を上げるミクマリ。
『では、アズサで良い』
「ちょっとちょっと! ゲキ様、許しませんよ。水術で怪我は治っても、焼けた髪は戻せないんですよ!」
ミクマリがアズサを抱き隠す。
『おい、ナツメ。やれ』
ゲキが命じ、ナツメは少しだけ躊躇した後、過去に見せた意地悪そうな表情と共に、松明の炎を客人の顔へともろに接近させた。
炎に沈む娘の顔と髪。
「きゃー! ……って熱くない?」
炎の中で目を丸くするミクマリ。
松明が離されると、その炎は髪を焦がす事も無く離れた。
「ほんまやー。ちんちんやないなー?」
松明の火に指先を突っ込むアズサ。
「あたし、最初は自分の火力が凄く弱く為っちゃっただけだと思ってたんだけど……」
ナツメは道端の小枝を拾い上げるとそれに術で着火した。それを姉妹へと差し出す。
「これは触らないで下さいね」
ミクマリが枝に指を近付けると、触れる前に指を離したくなる程の熱を感じた。
「熱い。普通の火ね」
「そうなんです。あたしの結ノ炎は、“自分で選んだものだけを焼く”事が出来るんです」
そう言って枝を振り、着いた火を消すナツメ。
『話には聞いた事がある。神聖な気を元手に炎上の対象を選定し、魔に憑りつかれた者を無傷で祓う事の出来る焔だと。実物を見るのは初めてだ』
「ゲキ様も出来ないんですか?」
ミクマリが首を傾げる。
『こればっかりは、生来の才としか言い様がない。俺の気が性悪で、お前の気が甘ったるいのと同じ様に、ナツメの素の霊気は神聖さを持つという事だ。訓練で得られるものではない』
「はー。またいな火何ぞ、凄いなー」
アズサが感嘆の声を上げる。
「鬼神様の仰る通りで、お母さんも結ノ炎は得手だけど、これは絶対に出来ないんだって」
「旅先でとても強い火術師と立ち会った事があるけど、彼女も出来なかったわ」
ホタルも使えれば隣の山の神も安心だろうが、彼女の性根が神聖という事は……まあ、無いだろう。
「あたしも、自分の霊気が特別に清らかなんて言われても、ぴんと来ないんですけどね」
肩を竦めるナツメ。初めて顔を合わせた時は性悪に属するような人柄だった筈だ。
「火力は大した事が無くなっちゃったけど、神聖な気を高めれば高める程便利が良くなるから、霊気と霊性の磨きは怠ってないんです。だから、御祓いの力は里で屈指になっちゃった」
『それだけ稀有で有用な力があるのならば、ミサキも鼻が高いだろう。お前はミサキの後継ぎに成れるのではないのか?』
ゲキが訊ねると、ナツメは少し頬を染めて頭を掻いた。
「うーん。実はその逆だったりします。お母さんは絶対にミサキの座は継がせないって」
「何でなんー?」
アズサが首を傾げる。
「アズサ、忘れちゃったの? ミサキ様は高天と黄泉を駆ける御使い様に仕える身なんだよ。その使徒に選ばれると恩寵を授かって、夜黒ノ気も操る事が出来るようになる」
『夜黒を操る技は、その聖火の術には毒だな。御使いの流派は得手を伸ばす方針だとも云うしな』
「だから、絶対後は継がせないって」
――それだけかしら?
「でも、お母さ……ミサキ様から今後は行脚に付いてくるようと言い付けられてね。最近は一緒に村々を周って清めの仕事もしてるし、霊感の無い人でも祓が出来る様に聖火を配ったり、魔除けの篝火を仕掛けたりしてるよ」
語るナツメの顔は幸せそうだ。
『水分ならぬ、火分の巫女だな』
「お母さん、皆に自慢して回るからちょっと恥ずかしかったり」
――ほら、やっぱり。
ミクマリは娘との付き合いに悩んでいた母親の顔を思い浮かべ、頬を緩ませた。
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ささって……明日、明後日、明々後日が一般的だが、とある地方では明日、明後日、ささって、しあさって……となる。