巫行010 包丁
「ゲキ様、御待たせ致しました」
紅白の衣装を身に纏った娘が半壊した屋敷から現れる。
『締まりが良くなったな。丈も丁度良いのではないか?』
「はい、袖が随分と余っていますが」
ミクマリは口の大きな袖を指先で掴み言った。
『大袖の生地が余分なのは意図的な意匠だ。舞の際に見栄えが良いし、霊気を込めて敵を打つのにも使われる』
「成程。大家の流派となると衣装一つにも細密な心配りがあるものなのですね」
感心しながら身体を捻ったり覗き込んだりして自身を観察する。
「……処でゲキ様。“締まりが良くなった”とはどう云った意味でしょうか。様に成ってると判断しても宜しいのでしょうか?」
新しい衣装を身に纏った娘は僅かに頬を染めている。
『元が見窄らしかったという意味だ。汚らしい人間への当たりは強くなるのは何処の世でも共通だろう』
唯一の道連れの素っ気無い返答。ミクマリは密かに頬を膨らませた。
「私達の流派には特に衣装はありませんでしたよね?」
妹巫女も翡翠の霊簪を髪に差した以外は、他の者と変わらぬ服装をしていた。
『そうだな。守護霊の流派では祖霊の代に依って好みも流行りも代わるものだしな。俺も明確に定めはしなかった。そもそも、規則や規定に拘り過ぎると形骸化し、本来の教えから遠ざかるものだ。我々は山への感謝と、敬うに値する祖先への礼を真意としている。それさえ守られて居れば、必ず山も守護霊も相応の応えを返してくれる。それで充分だ』
「それはそうですけど、成るべくなら目を楽しませる方が宜しくありませんか? 祖先だってお歓びに為られるかと思いますが」
『お前が珍しい着物を着たいだけだろうが。単に悦ばせたいだけなら、男霊には番登を広げて、女霊には男莖を振って見せれば良いわ』
嘲り捨てる様に言う守護霊。
「またそんな端無い事を仰って! ゲキ様は肉体が無いから、裸を見ても何とも思わないと仰ったではないですか!」
ぶらぶらした影を想像し、頬染め叫ぶ娘。
『生存して居た頃の癖や好みは霊魂に成っても残るものだ。故に、俺はお前に欲情しないと言ったのだ。それに神は例外だ。人の裸が好きなのだ』
「本当に失礼な!」
ミクマリは守護霊の尊大な弁解に金切り声を上げた。
『俺は里の守護神。お前は巫女だぞ。礼を尽くすべきはそっちだろう』
鼻で笑う様に響く霊声。
「もう! 生前からその様な態度を取られていらっしゃったのなら、周りの方は嘸かし御苦労為さったでしょうね! さあ、さっさと山を下りますよ!」
無礼を浴びた娘は空に向かって捲し立て、地面を踏み鳴らしながら歩き始める。
ゲキは楽し気に娘の上を旋回して漂った。
さて、ミクマリは気分を損ねて黙した振りをして、下山の最中はずっと川幅の広まった地点を探っていた。その内に泉を見つけたがり、口を開くとゲキにその在処を見付けられないかと訊ねた。
『何故、泉なのだ? 泉は霊場ではあるが、水や霊気の流れが滞り、穢れが溜まり易いのだぞ。水を口にするにも術や熱で清めねば腹を下し易いし、同じ理由から水浴みにも不向きだ』
「別に飲む訳ではありません」
『為らば、蛭や蛙などの虫でも探すのか? 蛇ならその辺りを這っているのを見たが。俺は蠱術や虫を使役する呪術は門外漢だぞ。ああ云う術は邪流の手であり、巫女よりも単なる呪術師が好むものだ。それに、害を為す呪いばかりだ。お前の流儀とは対極だろうに』
「良いから、全身の映る様な穏やかな水面を見つけたら教えて下さい」
『あればな。霊が溜まり易いから気を張り巡らせれば容易く見つかるものだ。だが、全く感じんな』
「そうですか……」
ミクマリは消沈して肩を落とす。
――陽の出てる内に衣を着た自分の姿を見ておきたかったなあ。
『ミクマリよ。泉は見つからなんだが、生きた霊気の気配が近いぞ。村だ』
「良かった。今日こそは確りとした屋根の下で眠りたいです」
『それはどうだろうな。お前、山頂の村を出立してからどの程度の時が過ぎたと思ってるのだ』
疑問を投げかけるゲキ。
「まだお日様は天辺にも来てませんよ? 早い到着で良かったです」
ミクマリは竹の水筒で喉を潤しながら機嫌良く答えた。
『マヌケめ。村と村との距離が近過ぎると言っておるのだ。この距離なら互いの村は普段から交易のあった間柄だと容易に想像が付く。それだのにあの村の霊魂達は放置されていたのだぞ。外敵の襲来に依り泯ぼされたのであれば、付近の村が察知せぬ筈は……』
――気配。行く手の木立の草叢が音を立てる。
「巫女め! おんしゃの所為だ!」
叫びと共に飛び出して来たのは散々髪振り乱し、鬼気迫る表情を張り付かせた若い女。
その手には石包丁。
『糞! 泉探しに気を取られて雑魚に気付かなんだわ!』
守護霊は急速に霊気を高め、女の方に流れて行った。
しかしミクマリはそれよりも早く、手にしていた水筒を振り中身を舞わせ、霊気の籠った水で飛び掛かる女を鞭打った。
翻筋斗打って倒れる女。
『おお!』ゲキはミクマリの咄嗟の判断に感嘆の声を漏らした。
「口惜しや、責めて子等の数だけぬがってやりたかったが叶わぬか……。殺せ! 殺せえ!」
女は倒れたまま喚き散らした。
「いかが為さったのですか? 落ち着いて下さい。恐らく、人違いかと思います」
ミクマリは未だ石包丁を掴んだままの女に駆け寄り、剰え抱き起こした。
『見事な反撃かと思えばこのマヌケ娘は!』
女達の頭上を嘆き彷徨うゲキ。
「見違えるものか。その緋の袴は“王の御使い”の印だろう。それでなくとも、女一人で山をしゃくる奴なんぞ碌なもんでないわ!」
再び暴れる女。しかし、水術を乗せたミクマリの腕力には及ばず容易く制圧される。
「夜黒ノ気に中てられてしまったのかしら。一度気を失わさせて……」
ミクマリは片手で女を抑えながら、空いた手を舐め唾で濡らし、手心を加えた霊気で女の額を打った。
加減をしたのは、何時ぞや盗人を穿った時の様な失態を繰り返すまいと考えての事である。
見事女は気力を失い地に伏した。
『自分を殺めんとした気狂いにまでも加減をするとは! 全くお前の甘さには……』
「この方には事情がある様です。ゲキ様が村に抱いた不審事に繋がる情報が得られるかも知れませんよ」
正論で説教を押し退けるミクマリ。口煩い守護霊は沈黙した。
「遅かった!! 巫女様が!!」
現場へ飛び込んでくる別の声。
「……ああ、無事か!? 巫女様、“クワ”が何か失礼を致しましたか!?」
「クワ?」
ミクマリが声をした方を見ると、石斧や鍬を担いだ男共が顔を引き攣らせて駆けて来た。
「この鍬ではありません。“クワ”とはたった今巫女様に無礼を働いた、この卑しい女の名で御座います。王の代弁者で在らせられる社の巫女様に無礼を働いた事は、村総出で謝罪致しますのでどうか御容赦を。この女は今直ぐにでも腹を捌いて首を切り落として御覧に入れます故!」
男共はミクマリの膝の上に居た女の髪を掴み引き離した。
「待って! 待って下さい! この方と同じで貴方達もきっと誤解を為さっています! だから、彼女に乱暴をしないで!」
ミクマリは膝立ち、両手を振り振り男達を宥めた。
「へ、誤解? この女を赦せって……」
顔を見合わせる男達。
「ええと、その。恐らく、貴方達は私のこの袴を見て判断為さっているのでしょう? こ、この袴はその……借り物でして。私は、社の巫女様方とは別の流派の巫女なのです。だから、先に起こったと思われる悶着とは関わり合いが無いかと」
ミクマリは罪悪感に身を縮ませて言う。
「……と、兎に角! 彼女を運んで休ませましょう? 差し支えなければ貴方達の村へ!」
「ううむ、巫女様がそう仰るのなら。おい、お前は足を持て。そっちのお前は村へ駆けて“イズミ様”に御報告せよ」
男達は素早く役割を分け始めた。ミクマリは胸を撫で下ろす。
「では、参りましょうか巫女様。……あの、御願いですから背中から術を浴びせる様な事は為さらないで下さいね」
先頭の男が恐々振り返り言った。
「しません。私の事は恐れなくとも結構ですから」
ミクマリは苦笑いと共に言った。
『俺はお前が恐いわ。身体が在ったら何度、心の臓が止まる思いをしたか分からん!』
ゲキは怒気を込めた言葉を投げた。
「そのお怒りになってる御使いを差し向けるのも勘弁して下さいね」
身震いする男達。
『ほう、巫覡でも無いのに俺の声が聞こえるか』
「は、村が霊場の傍にある所為でしょうか、この村の者は霊感の強い者が多いもので」
言い訳をする様に、男達は歩を早める。
『一つ訂正しておこう。俺は神だ。御使いはこっち』
巫女の頭の天辺に下りる守護神。巫女は手で追っ払った。
それから二人は彼らに着いて村へと向かった。
村は山から続く森を背にし、茶色の田畝と緑の平原を見下ろす位置に佇んでいた。
農耕が隆盛を極めている様で、広い土地に灌漑が縦横に結ばれている。
小屋は木造で柱を使って不自然に床を高くしている。中でも一際足の長い蔵では農夫が作物の出し入れを行っていた。
村民達は巫女を連れた一行に気が付くと作業の手を止め、拝む様な動作をした。それから、彼女の頭上も盗み見た様だった。
『取って付けた様な拝みだな』
ゲキが不愉快そうに言った。
「村民達の様子が変です」
これまでに歓迎されなかった村の多くは、追い出すか捕まえる方向で無礼であった。
ここでは女共が取り急いで子供を小屋の中へ隠すのが目立つ。
「村の神殿へ御案内致します」
男衆の先頭が言った。他の者は担いだ女を連れて何処かへ去った。
「神殿ですって」
ミクマリは白衣の襟を整え、袴の帯の歪みを確かめた。
「神殿とは申し上げても、この様な寒村のものですので、本式のものには程遠く。私共の巫女“イズミ”様の仕事場と言うだけで御座います」
作物庫の次に背が高い高床式の家屋へと案内されるミクマリ。階段は古めかしい音を立てた。
案内の男は入り口の脇で直立し、「どうぞお入り下さい」と促した。
ミクマリが中へ踏み込むと、胡坐を掻いた老婆が一人。丈の長い模様入りの麻の衣を纏っている。
彼女は客の姿を見留めると、黄ばんだ白目を月の様にして口から泡を吹き、外へ飛び出して行った。
「ええ?」
首を傾げるミクマリ。
屋外では階段が慌ただしく鳴り、老婆のものと思われる罵声が聞こえた。それに対して謝る声は入り口に立った男のものだろう。
それから暫くして、老婆は小屋へと戻って来た。
彼女は飛び出して行った時とは違い、ミクマリのものと瓜二つの衣装……大袖の白い衣と緋色の袴を身に着けていた。
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番登……女性器。
男莖……男性器。
散々髪……結われず手入れもされていない、ぐしゃぐしゃの長い髪。