第19章 神器
ノルドハーゲン攻城戦は夜の間に決着への道筋がつけられていた。昨日のうちにグリューストとベルナルドが神託の内容を明記した高札を複数用意し、夜が明ける前に西大門の前何か所かに設置したのだ。
夜が明けて攻撃を開始しようとし昨日まではなかった高札を見たザリーナ兵は当然そこに何が掛かれているか調べた。罠か何かではないかと恐る恐る近寄り、単なる高札だと判るとそこに描かれた文を読み取り、あるいは高札ごと持ち去って文字が判る者に読ませた。貴族でもないかぎり識字率は決して高くはないとはいえ、中には文字が読める兵もいる。命令書をやり取りする小隊長以上ならほぼ確実に文字が読めるはずだし、一般兵の中にも学がある者もいるだろう。その内容を理解した部隊から始まった動揺はそれが広まるにつれ西門前に陣を張った軍全体に広がった。神託の内容を正しく伝えられていなかったという悲しみ、自分たちが守りたいと思っていた神器が『災厄の種』であるはずがないという信頼を踏みにじられた怒り、この戦が藪蛇となって自分たちの宝である神器が『災厄の種』と認定されてしまうという恐怖、これらがないまぜとなった憤怒は軍の指揮官へと向かった。朝の軍議を開くために集まっていた将軍と中隊長以上の士官は小隊長達に先導された兵達に取り巻かれ、初めて事情を知った。士官達も事情を聴くと将軍に詰め寄った。
「これは一体どういう事ですかな?スモデス殿?」
将軍は訳が判らないといった顔で横にいた顔色の悪い初老の男に詰め寄った。将軍は兵達に説明した。ルヴァン公爵の外交官と称するこの人物がザリーナの領主に神託があったと伝えたところから始まる。グレイバルト辺境伯は神器を破壊する者であり神器の恩恵を受けている者は皆立ち上がってグレイバルトに攻め入るべきである、と。そして神器の恩恵を受けている多くの地から数多の兵がグレイバルトに向っているが、ザリーナはその中ではグレイバルトに近く、先陣を切ることができる。そうすザリーナは勇敢な兵の地として称賛を浴びることができると。ルヴァンには神器がないため兵を出すことはないが協力は惜しまないと。ザリーナ方伯はその甘言に乗った。実際にザリーナ兵がルヴァン領を通過する際、スモデスが一声かけただけで咎められることはなかった。兵站の調達にもルヴァンの商人たちは快く応じた。だからこそ信じたのだが、今その男は何も言わずスモデスに向う。
「何も言う気はない、という事ですか。こやつを縛れ。儂の首一つで許してもらえればよいが。」
将軍は兵達にスモデスを縛って引きずったまま門前に立った。門の上に将軍らしき格上の人物が出てきたことを確認して将軍は大声を張り上げる。
「我はザリーナ方伯麾下で兵を束ねるグンドルフ・アルタールである。この度は我が領が謀られて貴領に兵を向けてしまったこと、誠に申し訳ない。我らを謀ったこの男と我が白髪頭を詫びとして差し出すので兵達の帰還をお許し願いたい。」
グンドルフは此処まで言うと自分の首を刎ねるべく腰に佩いた大剣を横にするとそこへ頭を振り下ろそうとする。
「待って!」
エリザベートが城壁の上から叫んだが遅かった。グンドルフは自らの体を大地に投げ出すように倒れ、その首からは大量の血が地面を赤黒く染め上げていった。
城門が開かれ、騎士たちに守られたエリザベートがすでに冷たくなったグンドルフの前に建つ。
「私、エリザベート・イングレアス・フォン・グレイバルトが告げる。グンドルフ・アルタールの流した血を持ってこの降伏を受け入れ、ザリーナの兵を謀ったとされるこの者を除く他の者の罪を問わぬものとする。グンドルフの遺体を含めてザリーナへの帰還を許可する。」
一拍置いてザリーナ兵から謝罪の言葉と寛容に対する感謝の言葉が発せられる。多くの言葉が重なったそれは聞くものに意味を伝える事は適わなかった。用が済んだとばかりに門の中へ入ろうとしている少女の後ろ姿に縛られていたはずの一人の男が立ち上がり、それに向って駆け出す。エリザベートの横に控えていたメイド服の少女と女性騎士がそれを阻止すべく間に入り込む。
「どけぇ」
男の声に女性騎士が盾を構えるが盾ごと吹き飛ばされる。女性騎士は信じられない現象に目を見開きながらも空中で体制を立て直し、かなり離れたところに着地する。
しかし次に驚愕に目を見開く羽目になったのは突進する男の方だった。女性騎士を吹き飛ばした突進が女性騎士よりも非力に見えるメイド服の少女に止められたからだ。主によって竜の力を解放された少女にとって神器の力を借りているとは人間の力で吹き飛ばされるなどありえないが、それを見た目で判断できるはずもない。
「それがあなたの持つ神器の力なの?」
突進をメイド服の少女に止められた男が地面に膝をつくと再び向きなおった少女辺境伯が哀れなものを見る目で男を見る。
「まだ『災厄の種』というには健全な力を持っているわね。どうやって手に入れたかは知らないけれど、貴方のような人物が持っていたら本当に『災厄の種』になってしまうわね。そうなる前に壊してしまうべきかしら?それとも私が受け取って管理すべきでしょうか?」
エリザベートが小首を傾げて考え始めると今度はメイド服の少女の目が見開かれる。男が前に出ようとする力が強くなり、竜の力を出しているユーグを押し込み始めている。踏ん張ったユーグの足の後ろに土の山が築かれ、ずりずりとエリザベートに向って進んでいく。
「あら、さすがに神器って所かしら。」
「この、俺が、俺が、灰色森を、一部とはいえ神槍に認められた、俺が!」
男の必死な声にエリザベートはドキッとする。第一キャラクターアレクサンダーの象徴でもあった神槍、それは英雄の消失でアレクサンダーと共に消えてしまったのではなかったのか。エリザベートは男が手に持つ短い棒のようなものに意識を向ける。銀色の棒の周りに金で象眼された蔦模様にはたしかに見覚えがある。第二キャラクターベリグレンが作り出した神槍の持ち手のところにあった滑り止めの役割も兼ねていると思われる模様に間違いない。模様の両端は斜めに切り取ったように途切れている。あの切れ方にも見覚えがあった。あれは神槍を所有物欄に収めたときに表示されるアイコンの表示範囲だ。
UUOでは装備品とは別に所有物の欄があり、前者はイクイップメント、後者はインベントリと呼ばれていた。インベントリには多くの物が保存できる分、そこに入れられたものは小さなアイコンで表示されていた。お店で売っている一般品の槍の場合、槍全体が縮小されてアイコンになっており爪楊枝か何かにしか見えない。それに対して魔法付きの一品物の槍の場合には穂先部分がアイコンとなっており、独特の穂先の形状で見分けられるようになっていた。しかし神槍の場合にはその持ち手の装飾がアイコンになっていて、知らないものが見れば短杖か棒杖に見える代物であった。ということはあれは先代辺境伯が持っていた神槍で間違いなく、インベントリに収まった状態、つまり非装備状態なのだろう。エリザベートは動揺を隠し、男に向き合った。
「何か勘違いをしているようね。本来の持ち主に運ぶ役割を与えられただけなのに。神槍グングナール、正当なる継承者の下においで。」
エリザベートが手を差し伸べ他の誰も知らないはずのその名前を呼ぶと短杖状になった神槍は握りしめていたはずの男の手からすっぽ抜け、空を飛んでエリザベートの手に収まった。突進の力を与えていた聖槍を失って男は竜の力を持った少女に跳ね飛ばされて吹っ飛び、地面に叩きつけられた。エリザベートは体内にあった聖なる力が手に持った神槍に吸い込まれていくのを感じた。聖なる力が枯渇する前に聖魔変換を使って魔なる力や純粋な力から聖なる力を補充する。間もなく聖なる力が吸い込まれるのは収まった。
「それと、一部じゃなくてきちんとそろっているわね。グングナール、私の聖なる力には満足した?では我を正当なる継承者と認めむならその真なる姿現せ。」
エリザベートはそう言いながら所有物欄に置かれた神槍を装備欄へ移動する操作を思い描いた。装備欄に置かれた神槍はアイコンで表現された部分だけではなくその全体の姿を現す。持ち主に重さを感じさせない効果でもあったのか、軽めの槍ですら持ち上げられなかったエリザベートでも軽々と持つことができる。アレキサンダーが装備していた時よりも持ち手は少し長くなっていて石突を地面に建てたときに手の高さの場所に滑り止めの装飾がくるようになっており、杖のように持って体を支えることもできそうだ。持ち手の滑り止めのすぐ上からある長い白銀の穂先部分はアレキサンダーが装備した時よりも心持ち短めで、全体の長さは身長の倍くらいだろうか。
「私に合わせて形を変えてくれたのね。さすが神槍グングナール。」
男は神槍を奪われ、地面に叩きつけられ、自分が選ばれたと思っていたプライドもズタズタにされてしまった。呼吸が苦しくなり喉からゼヒュー・ゼヒューと変な音が出る。
その哀れな姿を見たエリザベートから憐みのこもった声が掛けられる。
「あなたにはいろいろと聞きたいこともあるのだけれど聖槍に生命力を奪われてもう長くはないようね。一刻も難しいかしら。最後の慈悲よ。この戦の責任を取って神槍の贄となりなさい。」
エリザベートは私こんなに酷薄だったかしら?と思っていたが、今その男にかけるべき言葉がそれしか浮かばなかった。エリザベートが神槍の穂先をスモデスに向けると一瞬槍が伸び、スモデスの胸を貫いた。槍はすぐに元の長さに戻り、スモデスの胸に空いた穴から鮮血が噴出して大地を染めた。一部はエリザベートの着ていた薄緑のドレスを深紅に染める。エリザベートが神槍を所持品欄に移動するように考えると神槍は虚空に消えた。緊張の糸が切れたのか、エリザベートには今まで気にしていなかった血の匂いがとても生臭く感じられ気持ちが悪くなった。吐き気を我慢しながら後ろを向いて門へ向かって歩き出した。
「あとかたずけは任せるわ。」
「御意」
首を垂れる男たちを放っておいてエリザベートは門へ入っていく。フレデリカとユーグが急いでエリザベートの後をついてくる。
「気持ち悪い。フレデリカ、私を急いで城へ運んで頂戴。」
フレデリカはふらりと倒れそうになるエリザベートを抱き上げると城に向って駆けた。できるだけ揺らさないようにしたつもりであったが抱き上げられて走られると結構揺れる。城に着いたとたん戻してしまったのは血の匂いに咽たからなのか、それともフレデリカに運ばれて酔ったのか。
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エリザベートは問題ないと言い張ったが、念のため今日一日はベッドで療養することとなった。
「ザリーナ兵は無事帰ったのね。」
「はい。攻城兵器などは賠償品として自由にしてくれと置いていきましたが、それ以外は皆帰ったようです。賠償などいらぬと伝えてはあったのですが持ち帰るのも大変だからと。いずれにしろザリーナ方伯から後で謝罪使が来るでしょう。」
「あまり大損させてもザリーナが傾くだけでどこにも益はないでしょうから優しくしてあげないとね。」
エリザベートはベッドの上に上半身を起こした状態で座ってフレデリカの報告を聞いていた。ザリーナは騙されたのが悪いとはいえ既に有能な将軍一人と多数の攻城兵器、初日の攻城戦での死者と多くの物を失っている。怪我人の治療などまだまだ金はかかる。大金の賠償金を払うと言ってきてもお断りすべきだろう。辺境伯領としては権威の象徴たる神槍の継承というだけで十分な利益が上がっているともいえる。必要なら攻城兵器の返還も考えてもよいかもしれない。
「スモデスという男は没落貴族の嫡男とのことでしたが、爵位も係累も不明。どこで神槍を手に入れたのか、なぜルヴァン公爵の使者を騙ったのかもいまだ不明です。」
「そう。」
「ルヴァン公爵からは公式に関与の否定がありました。ザリーナ兵に関してはルヴァン―ノルドハーゲン間の街道横にて演習兼務の土木工事を行う予定で届け出があり、グレイバルトの許可済みと連絡があったので通したと言っていますが真偽不明です。ノルドハーゲンでもグレイベルクでもそのような連絡はなかったし、許可してもいないそうですが。」
「ルヴァンについてはいまさら確認のしようがないわね。」
「はい。事を荒立てる必要はないでしょう。」
「それでいいわ。じゃあ私は少し寝るわ。夕食になったら起こしてちょうだい。」
城に入ってすぐに着替えたのにまだ生臭い血の匂いと酸っぱい胃液の匂いが抜けていない気がする。手を見るとすでにきれいに拭かれているのにまだ血で汚れている気がしてしまう。しかし母は言った。「上に立つ者には責務があり、それを果たさなければならない。」と。領と民を守るため、そしてそれを果たそうとしている自分を守るためならば心を鬼にしなければならない。エリザベートは自分に何ができるか、何をすべきか考えながら横になり、疲れた体と心を癒すことにした。




