第18章 防衛戦
次の朝の食事は久しぶりの魚だった。グレイベルクでも川魚や池に住む魚などが食卓に上らないわけではなかったが、やはり海の魚は大きくて食べ応えがあるし、何といっても油が乗って美味しい。今朝の魚は燻製にした後マリネにしてるのか、塩味と酸味がとても良いバランスで香ばしさにマッチしている。バターをたっぷり塗ったパンに乗せてかぶりつく。この国のマナーではパンに肉や魚を乗せて食べる場合には手掴みで構わない。手づかみで食べた後に指先を洗うためのフィンガーボウルがメインディッシュの横に用意されていて薄めた果実水が入っていることからもそれを想定して提供されていることが判る。
食事が終わり、食後の香茶のさわやかな香りを堪能していると外が騒がしくなってきた。どうやら敵の攻撃が開始されたようだ。内壁の上の良く見える場所とやらに案内してもらうとすでに大きく前を開けたテントが設営してあり、近衛騎士たちが忙しそうに観戦の準備をしていた。テントの中央にある一番豪華な椅子に座ると何枚かの書類をフレデリカが目の前のテーブルに置く。どうやら急ぎ決済しなければならないものがあるようだ。一枚目をみると昨日話していた領事館開設のための許諾を求めるもののようだ。ノルドハーゲンの官僚たちは優秀なようで許諾さえ降りればすぐに動き始めるつもりらしい。それをはじめとした急ぎの書類にサインしているとゾフィアとニコラが食事を終えて内壁の上に上がってきた。
「ご機嫌麗しゅう、辺境伯様」
「良い朝ね。一緒に観戦いたします?」
「宜しければ。」
ノルドハーゲンの城が街並みから一段高いところに建っている関係で街と城を隔てる内壁の上に立つと街とそれを取り囲む城壁を上から見下ろすことができた。城壁の向こうには敵の軍勢が陣を引いており、工場兵器の準備をしているのが見て取れた。しかしその数はノルドハーゲンの城壁を破るには少なすぎるように感じられた。
「どうにも薄いわねぇ。」
エリザベートのつぶやきを聞いてメイドの一人が慌てて香茶を取り換えようとする。エリザベートは軽く手を挙げてその動きを制する。
「お茶の事ではないわ。敵の陣容が、ね。落とすつもりあるのかしら?落とされるつもりはないけれど。」
勘違いに気付いたメイドは一礼してすっと下がっていく。
「それにしては敵兵の戦意は高そうですね。」
エリザベートの誰に向けたわけでもない呟きにフレデリカが答える。
「判るの?」
エリザベートはびっくりしてフレデリカに問うた。
「兵の挙げる声の大きさや高さである程度判ります。戦意の高低は戦の趨勢に影響しますので兵を率いる者にとってそれを聞く耳を持つことは大事です。」
「それにしても変ね。厚さも濃さも足りていないのに。ほかに何かあるとでもいうのでしょうか?フレデリカは声から何か判るかしら?」
「この距離とあの人数では声の内容までは。」
「ユーグ、貴方なら判るかしら?」
「はい。あの小さき者たちは口々に『神器のために!』と叫んでいます。」
「え?神器?ますます判らなくなったわ。やはり一人捕まえて聞き出してみないと駄目そうね。」
「敵は城壁に雲梯を掛けて乗り込むつもりですね。父上達が掛けられるのを邪魔しています。あ、左翼にわざと一つだけ残してありますね。罠だと悟られずにうまく引き込むことができそうです。そこから上がってきた敵兵を捕まえるつもりのようですね。あ、ベルナルド様が捕まえましたね。雲梯と後の兵は用済みですか、父上も案外えげつないですね。落ちていった先がここからは見えないのが残念です。」
フレデリカの解説を聞きながら城壁で行われている戦闘を眺める。雲梯と一緒に落とされた兵がどうなったかなんて私は見たくはないけれど。
それからしばらくの間塀の上の兵士たちと登ってくる敵の死兵達との一進一退を眺めていた。ときおり投石器の放り投げる岩石が塀の上に直撃するが厚さが違うのか塀を壊すことはできず屋上の石畳を少し壊すだけで終わる。直撃を避難した兵たちがさっと集まって間隙を突こうとした敵兵と投石器の玉を塀の下へ追い落としていく。準備に時間がかかる大型投石器はまだ稼働していないようだ。城壁の屋上の少し奥まったところに設置された攻城弩が高さの利を生かして準備を進めているはずの大型投石器に狙いをつけては放たれている。頑丈な大型投石器がそう簡単に壊れはしないだろうが、準備を遅らせる事はできるのだろう。
「つれてきましたぞ。」
ベルナルドが捕虜にしたまだ若い敵兵を引きずって内壁の上までやってきた。引きずられているときにあちらこちらにぶつけでもしたのか敵兵は大声を上げて痛みを訴え、扱いを批難している。
「静かにしろ。閣下の御前だぞ。」
「痛いって。それになんだ、女子供の前に連れてきてどうしようってんだ。」
「お前はおとなしく問いに答えればいい。閣下、何から聞き出しますか?」
敵兵は両手両足を縛られてなお暴れて抜け出そうと試みているが、ベルナルドに押さえつけられる。
「そうねぇ、あなた方はなぜ灰色森を攻めようとしているの?『神器』のためなの?」
ベルナルドの言葉に繋げて私が問いを発した事で私がただの子供ではないと判ったのだろう。驚愕を露にして私を見た。辺境伯本人であると理解したかどうかまでは判らないが、上位の騎士であることが一目でわかるベルナルドよりも上位の存在であることまでは理解したのだろう。
「黙ってちゃ判らん。きりきり吐け。」
「いってぇ。言う、言うからやめてくれ。神託だ。神託があったんだ。」
びっくりしただけで何も言わなかった男を縛ったロープをベルナルドが締め付ける。
「神託?灰色森を攻めろって?」
「『神器』だ。灰色森は『神器』を壊すって。俺の街は神器のおかげで繁栄している。それを壊されないために灰色森を倒すしかないって。」
「どうも神託が正しく伝わっていないようですね。」
『神託』と『神器』の言葉に一緒に観戦していたゾフィアが割り込んできた。その言葉には苛立ちに近い怒りが感じられた。
「でしゃばるような真似をして申し訳ございません。しかし『神託』を曲解したり歪めて伝える事は神様と巫女伯様を貶める行為であり、巫女の一人として許すことはできません。お許しいただければこの兵が『神託』についてどこまで知っているのか聞きたい所です。」
明らかにアヴァタリアから来た巫女であると一目でわかる服装を纏ったゾフィアからの問いに男は一瞬怯んだようだった。
「勿論許します。神託についてさらに何か知っているのであれば話しなさい。」
「そ、それで全部だ。神託の詳しい中身までは。」
「ゾフィアさん、神託について教えていただけます?」
「それではお聞かせしましょう。辺境伯と『神器』に関する神託とはこのようなものです。『数多の神器がこの世を成り立たせるため現れその力を振るった。殆どはこの世界成り立ちて力尽き崩れ去り消え去った。それでもなお少なからぬ神器がこの世に残り力を振るい続けている。中にその力ねじ曲がり災厄の種と堕する物があるだろう。灰色森の主に伝えよ。かの者だけがそれを壊せるだろう。』つまりあなたの街では『災厄の種』たる堕神器を守るためにそれを壊しうる灰色森に戦を仕掛けた、ということですね。」
ゾフィアの言葉の途中から捕虜の顔は蒼褪め、ぶるぶると震えている。
「へ~、そんな神託があったんだ。」
「あら驚かれないのですね。なんでもエリザベート様がアヴァタリアを発たれてまもなくあったそうですわ。すぐにお伝えする文を送ったと聞いていますが。」
「そっちが吃驚だね、もっと最近の話かと思ってた。文は復興のごたごたで届かなかったのかな?この冬に神器1個壊したけどその後出たものかと思っちゃった。」
「え、神器を壊した?」
「壊れかけて変な動きをしてたからね。魔物を活性化させてたしまさに『災厄の種』になってたかな。」
「さすがです。御見それ致しました。すでに神託は全うされていたのですね。」
「偶然よ。」
「詳細をお伺いしても?」
神託が伝えられる前に実現していたことに感激するゾフィアの横からニコラが興味深げに聞いてくる。
「ちょっとした要件で魔の峰へ出かけたのだけれど、ゴブリンの集団が住み着いた洞窟があってね。」
ニコラの求めに応じてこの冬にあった出来事を隠すべきところはうまくぼかして伝えた。
「というわけで今そこには3つの神器があるのだけれど一種の聖域となっているわ。」
「なるほど、それは一度現物を拝見させていただきたいですね。」
「しかしなんでそんな神器2個がそこにあったのでしょう。」
「さぁ?私には想像もつかないわ。」
「創世の神器がもう何個かあったのではないでしょうか。それらの神器に必要な力を供給し、余った力を消し去っていたと考えられます。そしてその2つ以外の神器はすべて仕事を終えて消え去ったと。」
「なるほど。それなら神託とも合致しますね。調査するのであればご一緒したいですわ。」
ニコラは知的好奇心を隠さず、許可が下りればすぐにでも調査に行きそうな顔をしている。ゾフィアも新たな神器の存在に興味をそそられているのは間違いない。神託がなければ隠すことも可能だったかもしれないが、信託の存在が明らかになった今、隠しておくことはあまり好ましくはないだろう。いずれかのタイミングで調査の許可を出す必要があると思われた。
「それよりもまず、この戦をかたずけてしまわないと。まだ肝心なことを聞いていませんし。そもそもあなたたちはどこの兵なの?宣戦布告もなかったし、旗印もないし。このまま野盗扱いで殲滅してもいいのだけれど。」
私は捕虜を睨んでさらに質問を飛ばす。とは言え、私が凄んでも大して怖くはないだろうが。
「あ、はい。俺らはザリーナの街の兵隊です。」
しおらしくなった敵兵はおとなしく答えた。今の会話の流れでエリザベートが辺境伯その人であり、『災厄の種』となった堕した神器を破壊することができる存在であると完全に理解してしまったのだろう。
「ザリーナ…ルヴァンの南西にある方伯領でしたか。」
「よくルヴァン公が兵の通過を許しましたね。攻城兵器を持っての外征なのに。」
「裏で糸を引いている『公爵』とはルヴァン公なのかしら?証拠もなしに決めつけは良くないわね。戦が一段落したらルヴァン公とザリーナ方伯に釈明を求める必要がありそうね。ベルナルド、文案は任せるわ。」
「御意。リチャードに言っておきます。」
「神託の内容を明記した高札か何かが必要ね。神託の内容を知れば戦意は消滅するわよね。」
「ですなぁ。グリューストと一緒にすぐ準備しましょう。」
「神託を曲げて伝えた者は巫女伯が罪に問うと書き加えておいてもらえます。」
「お許しがいただけるのであれば願ってもないですな。」
ゾフィアの協力もあって今後の方針は立った。あとはその効果が出るまで防衛戦に徹底すればいい。
「最後に一つだけ、良いかしら?あなたの街の神器って持ち運べるような物なの?」
「いえ、祝福の噴水といって枯れない水源であり、その水を使った畑は豊作になるとされています。動かすことはできません。」
「ありがとう。聞きたいことは聞けたわ。それじゃあベルナルド、後はよろしくね。」
「御意。」
ベルナルドが再度捕虜を連れて前線に向かう。捕虜は来たときは打って変わっておとなしくすごすごと引っ張られていった。抵抗して引きずられるよりも怪我はしないだろうからそのほうがいい。彼を開放して話を通させることも考えたが、1日くらい待ってから解放する方が良いかもしれない。そこはベルナルドが判断するだろう。
「お姫様、最後の質問、あれはどういう意図があったのですか?」
ベルナルドと捕虜が見えなくなった頃フレデリカが聞いてきた。
「うーん、微かになんだけれど、敵陣に神器の存在を感じるのよね。もう一つの『災厄の種』でなければいいのだけれど。」
「怖い事言わないでください。」
「はいはい。」
「風が吹いてきましたね。お体に障るといけませんので、中へお入りください。」
フレデリカに案内されて城内へ入っていく。そのせいで攻城弩が敵の大型投石器の台座に命中し、それが崩れ落ちるのを見逃してしまった。




