第16章 - ドラゴン
軍馬車はハーゼシュタットからマイネスホルンへ向けて街道をゆっくりと進んでいく、近衛のうち騎兵5騎が軍馬車を先導し、軍馬車の後ろに歩兵20名を乗せた兵馬車2両が続く。軍馬車と兵馬車の御者と軍馬車に同乗したフレデリカと副官2名とを合わせて50名の近衛兵が従っている。兵を満載していることが明らかな兵馬車を襲撃する馬鹿な山賊などいるはずもなく、そのものものしさを野生の勘で感じ取るのか魔物や獣が近づいてくることもなかった。西の空が茜色に染まるころ、一行はマイネスホルンに到着した。城門にはベルナルドに付き従ってノルドハーゲンへ向かっているはずの子爵に変わり、その妻女と御母堂が一行を待ち受けていた。
「長旅お疲れでしたでしょう。粗末な館ではございますが、おくつろぎください。」
「出迎え忝い。誠に申し訳ないが、一夜の宿をお借りしよう。」
儀礼的な挨拶の応酬の後、子爵婦人に誘われてエリザベートは子爵邸へと向かう。それにフレデリカと数人の近衛兵が付き従う。残った近衛兵達は城壁の外でキャンプの設営を始める。あらかじめ役割分担は決めてあったのであろう、数人は火を起こして料理の準備を始める。
「しかし、隊長達は良いよなぁ。良い食事にふかふかのベッド。羨ましいよなぁ。」
「そこ、口を動かしていないで手を動かす!」
「ふぁあい。判りましたぁ。」
「あんたねぇ、隊長いないから良いとしても、いたらぶっ飛ばされるわよ。」
「奇麗な顔して、容赦ないもんねぇ、隊長。」
「よっぽど立哨がやりたいようね。」
「いえ、自分は食事係でいいであります。」
「幹部になれば一緒に連れてってもらえるわよぉ。」
「『何時でもかかっておいでなさい、一太刀でも当てることができたら取り立ててあげるわ!』」
「わぁお、そっくりぃ。」
「無理無理、私たちの腕じゃ当たりっこないって。」
「ジェニーが挑んでみたみたいよ、物陰に隠れて待ち伏せして。」
「どうなったの。」
「『発想は悪くないけれど、もっと殺気を消さないといけません。潜伏場所の選択も誤りです。』とか言われて逆襲されて、全身打撲で二日間寝込んだってさ。」
「あのタフなジェニーでそれなら私なら一週間は寝込むなぁ。きっと。」
「ま、あんたは料理上手いからそっちで頑張りな。」
「あたいたちは初めから近衛に配属されたけど、騎士団のほうの食事はひどいらしいからなぁ。」
「その分、マナー講習とかあるけれどね。」
「要人直衛想定でひらひらしたドレスで戦う訓練とか、うちだけよね、さすがに。」
「あれでトップとれればおいしい食事つきの華やかなパーティに連れて行ってくれるってさ。」
「そりゃ隊長とか、マルグリットみたいな貴族の家柄出身の人だけっしょ。」
「ま、あたいやあんたじゃ付け焼き刃つけてもたかが知れてるもんねぇ。」
「そうそう、っと、味付け、これでいいかな。」
「ん、んまい。よくあの食材でこんだけの味にするもんだねぇ。」
「これくらい普通でしょ。」
「はいはい、そういう事にしてあげるわ。」
近衛兵団が新設されてから女性の騎士志願者・兵士志願者は最初に近衛兵団に配属されるようになっており、それを理由に志願者が増えた結果現在ではそこから騎士団へ転属するものも増えている。近衛兵団の訓練内容が過酷であるため転属して楽になったが食事だけは近衛兵団が懐かしいという者がいるくらいその普段の食事内容には差がある。それは騎士団では貴族階級の騎士と平民階級の兵士に厳格な差別があり、さらに予算の関連もあって兵士の食事は味よりも量を重視したものになっていることに起因する。それに対して近衛兵団では騎士も兵士も同じ扱いであり、貴族階級と平民階級が肩を並べている。さらに女性であることに起因する食事量に対する要求の低さ、想定する任務からくる食事マナーや所作振舞に関する訓練の有無、さらにエリザベートに同行する可能性の高さから高質な食材の優先的確保を認められていることもある。さらに数名のシェフ並みの料理能力を持ったものの存在により、その差異は決定的なものとなっていた。
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一夜明けてエリザベート達は子爵婦人に見送られながらマイネスホルンを後にした。ここからの山道は基本歩きである。フレデリカはエリザベートの体調を心配し輿を用意して近衛兵の中から屈強な物を選んで運ぶことを提案したが、エリザベートが「大丈夫よ、『回廊』に行くときも大丈夫だったでしょう?」と却下した。最上位者のエリザベートが徒歩で行くのだから部下であるフレデリカ以下もと歩である。エリザベートが手ぶらで、部下たちはテントや食料などそれなりの重量を運ばざるを得ないにしても。
「これから、竜の領域に入る。飛竜や小竜、地中竜など知恵なき亜竜は刺激しない限り襲ってはこないはずであるが、知らずにそのテリトリーに入った場合など襲われた場合には訓練通り排除すること。竜人か竜の使者、もしくは竜本人が来た場合には私かエリザベート様が交渉するので手出しは不要。すぐに知らせなさい。」
フレデリカが2回目の休憩地点で配下を整列させて通知する。さすがに鍛え上げられた兵士達はまだ休憩不要という風情であり、休憩はあくまでエリザベートの体調を慮って多めに取るようにしている。
「休憩終了、隊列フォーメーションA、行軍開始!」
フレデリカの掛け声の下、防御力が高そうな肉弾系の兵士を戦闘と最後尾に配し、中央にエリザベートに寄り添う形でフレデリカを配し、そのまわりに手数の多そうな高速戦闘系の兵士を集めた隊列でゆっくりと坂道を登っていく。フレデリカが時々先頭の者に方向を指示するくらいで無駄な話し声もない。静かさに耐えられなくなったエリザベートがフレデリカに配置の解説を求める声が足音の中に混じる。フレデリカがゆっくりと、ぽつり、ぽつり、と解説を入れる。そのタイミングはエリザベートが興味を逸らしそうになることを許さず、その気力が萎えることの無いようそれでいて自分や周りの行動を邪魔しないような配慮が見て取れた。
「右前方、飛竜と思われる影、数1距離500接近中。」
先頭集団にいた目の良い兵士が警告を発する。
「ちょっと場所が悪いわねぇ。」
エリザベートがそう言ったのは左側は高い壁となっており、右側は崖となって落ち込んでいる道を通っているためであった。道幅はそれなりにあり、崖から落ちる心配をするほどではないが、兵士達が集団として行動するには狭く、飛竜にとっては広い空間を使用し有利な立場で戦えそうである。
「前方開けた場所あり。」
「総員、全速前進。」
自分たちの不利を認識した先頭から地勢報告が入り、フレデリカが簡潔な命令をだす。その命令に従って、全員が走り出す。エリザベートが躓いて転びそうになったところをフレデリカが支えたかと思うと持ち上げ、体格の良い兵士の背に乗せる。これを走りながらやっているのだから、どこかエリザベートを連れて移動した際に発生しうる問題を想定して訓練していたことはほぼ間違いない。兵士全員が一人も脱落することなく隊列もほとんど乱さず前方の比較的平らに開けた場所に出たころにはエリザベートは兵士の背中の上で周りを見渡すことができる程度の余裕を持つことができた。
「戦闘フォーメーションF。」
フレデリカの命令の下、兵士達が大きく動き、そのうち数人はその背中から長弓を取り出す。別の数人は背にした荷物の横に括りつけられた弩を取り出す。それ以外の兵士は持っていた槍を斜め上に突き出してエリザベートと弓兵を守るように丸く取り囲む。どの方向から急襲されても対処できる体制が整った頃、エリザベートにもその飛竜の姿が小さな点となって見えるようになった。その点はみるみる大きくなり、すぐに小鳥が飛んでいるかのように見えるようになり、さらにどんどん大きくなっていく。
「撃て!」
フレデリカの号令と同時に弓兵と弩兵がほぼ同時に矢を飛竜に向けて打ち出す。長弓は習熟が難しく得意とする数人しか使用できないかわりに命中精度も良く連射も効く。これに対して弩は弓ほど習熟は難しくないが、命中精度は人によりばらつきがありよく当たる者は限られるうえ、打った後次の矢を撃つまでに時間がかかる。第一射の後、弩隊は次に備えた巻き上げに入り、長弓兵は矢継ぎ早に数本射る。いずれかの矢が当たったのか、飛竜はコースを大きく左にそれ、その巨体を立木にぶつけてへし折る。致命傷はおっていないのかよたよたと立ち上がり、翼を大きく広げて兵士たちを威嚇する。いつの間にか槍を持った兵士達がそれを取り囲むように移動する。
「比較的若い個体ですかね。こちらに対する警戒も弱く、反応も単調です。」
兵士の背から降りてフレデリカの横で飛竜を見ていたエリザベートにフレデリカが説明する。
「老練なワイバーンだと弓の攻撃を躱すようにジグザグに飛んだり、地に落ちてもすぐにその衝撃を利用してすぐに飛び立って上空からの攻撃を試みたりするものですが、それが見られません。すぐに対処できるでしょう。」
フレデリカの宣言通り、やがて飛竜は槍で全身を突かれて息絶えた。一人の兵士がその体をいろいろと調べたのち、フレデリカの所へ寄ってくる。
「確認いたしました。若い雄で、交尾痕がなく、『はぐれ』と思われます。」
「よかった。兄弟や番が攻撃してくる心配はなさそうね。」
見ていると兵士の一人が巨大な包丁を取り出して飛竜をさばきだす。みるみる間に飛竜は肉塊と骨や革となり、使えそうな部分は他の魔物に荒らされないように地中に埋められ後で取り出しに来るための目印が付けられる。
「うん、これで今晩は新鮮な飛竜のシチューだね。」
「やったー。」
「ワイバーンの革鎧の数が足りなかったんだ。これで補充できるかな。」
「できたら私にね。今の双頭大蛇の革鎧じゃ心もとなくって。」
「あ、私のほうが先でしょ。贅沢言わないの。私なんかまだ四角箆鹿の革なんだから。」
兵士たちが喜んでいる声が聞こえる。数名の周りの警戒を解いていない兵士を除くと割とわいわいと楽しくやっているようだ。やがて兵士たちの喧騒が終わるとフレデリカの号令の下整列し直して移動が再開された。
それから数度にわたって飛竜が視界に入ったが、いずれも襲ってくることはなく、探るように上空を旋回したのち、何処かへと去っていった。
「前方、飛竜と思しきか…いえ、竜です。おそらく金竜、数1距離1000。」
斥候がその声を上げたのは森を抜けゴツゴツした岩場を通っているときだった。
「お出ましになったわね。」
「どこかちょうどいい場所はないかしら?」
「少し行くと岩が途切れ、広い草地に出るようです。双方のスピードだとそこが邂逅ポイントかと。」
「なるほど、それも計算済みという訳ね。」
「総員、速度維持、草場まで移動。」
規則正しい足音も呼吸のペースも変わることはなかったがなぜか全員が緊張しているのが感じられた。
「お姫様、お疲れではないですか?」
「大丈夫よ。」
草場に到着するとエリザベートとフレデリカを中心に大きく扇型になるように兵士が一列に並ぶ。強力で尊大な相手に失礼がない、それでいて威圧感を与え、なおかつ緊急時に対処可能な陣形となっていた。やがて遠方から金色に輝く飛行物体が高速で近づいてきたかと思うと急に速度を落とし、草地の端にゆっくりと降り立った。その姿は金色の鱗が火の光に輝いて神々しいと言っても良く、その瞳には深い知性と哀しみをたたえているように見えた。その口から歌うというよりも奏でると言った方が近い音が流れてきた。エリザベートはそれが呪文であり、恐ろしいまでの力が込められていることを見て取ることができた。そのとたんその姿が金色に輝き、その輝きがどんどん小さくなり、人としては少し大きいぐらいまでに小さくなった。まぶしい光が解けると床にあったのは竜の姿ではなく、金色のローブをまとった威厳のある女性が一人立っていた。その金色の長い髪は穏やかな風にゆっくりと揺れ、その顔には慈愛の笑顔が浮かんでいた。しかしその姿は見る者によって老婆にも見え、美女にもみえ、少女にも見えると言われていた。エリザベートには母にどことなく似た優し気な40代くらいに見えた。
「ほうほう、なんとも仰々しいのお。」
その声は心の中に響くようにその口からではなくどこか違うところから発せられているようであった。その響きは人の心に恐怖と畏怖を引き起こしていたが、訓練によりそれに負けた兵士はいなかった。エリザベートは心を奮い立たせ、一歩前に出た。
「お初にお目にかかります。この度辺境伯を襲名いたしましたエリザベート・イングレアス・フォン・グレイバルトにございます。白き峰の竜を束ねる方とお見受けいたしました。」
「ほっほっほ、そう畏まらずとも良い。」
その応えはエリザベートの問いに答えるものではなかったが、否定しないというそのことが肯定したも同然であった。
「久しいのぉ、その魂の色、アレクサンダーとかいったかのう、姿形はずいぶんと変わったようじゃが。」
「いえ、その一人娘にございます。その魂と知識の一部を受け継ぎましたが故、そう見えるのでしょう。」
「まあよい、そういう事にしておいてやろう。どうせあ奴の悪戯心のせいじゃろ。強き心の持ち主が皆この地を去ったときは寂しゅうなったと思ったものじゃが、一人だけとはいえ、帰ってきてくれてうれしいぞ。」
明日香はアレクサンダーを操作してこの白き峰の竜の長老の金竜に会いに来たことが何度かあった。ゲームと現実が繋がっているのだということにエリザベートは改めて不思議な感慨を持っていた。
「まあ、そんなところです。今の私は槍を持つことも剣を振るう力もないか弱い娘にすぎません。よろしければ今後も変わりないお力添えをよろしくお願いいたします、ファフニーレン様。」
エリザベートはなんとかこの金竜の名前を思い出した。白き峰の長老達3人は全員金竜でファフニーレンは当時第3位を名乗っていたと記憶している。
「その名で呼ばれるのも久しぶりだの。」
「ドルグスライン様とガウグサングル様はご健勝でしょうか。」
ファフニーレンよりも上位とされている竜の名前を出して聞いてみる。
「懐かしいのぉ、二人ともかなり前に何処へか行ってしまったよ。我に長老を押し付けてな。」
「左様ですか。人の世界にいろいろあたように竜にもいろいろあったようですね。」
アレクサンダーが消化した竜関係のクエストを思い出してみたが、その後の竜たちがどのような変遷を経たのか予測できそうな情報を得られなかった。それを聞き出すことは今の目的ではない。
「疲れたじゃろう。楽にするとよい。」
エリザベートが考え事しているとファフニーレンが歌うように呪文を唱える。その力によりあたり一帯にいくつかのテーブルと椅子が現れた。テーブルの上にはお茶と軽食が載せられており、竜の下に来た客に対するおもてなしと思われた。ファフニーレンは近くに現れた椅子に座り、エリザベートはその向かいに座る。フレデリカは一瞬どうすべきか躊躇った。がファフニーレンとエリザベートが座ったテーブルには椅子がもう一脚添えられており、それもエリザベートに近いところに現れているのを見て取り、自分の立場や役目を含め判ったうえでイスとテーブルを出しているということが判って諦めたように椅子に座った。フレデリカが椅子に座ったのを見て、兵士達も近くに現れた椅子に座る。フレデリカほど遠慮がない兵士達はすぐに軽食に手を伸ばしている。
「して、今日は挨拶のためだけに来たわけではなかろう。」
竜の長老しておそらく彼女はこの世界で起こっていることはあらかた把握していると思われたが、改めてエリザベートの口から聞くという手順を踏む必要があるということだろう。
「はい。ご存知とは思いますが、先ほど領内で反逆した者を征伐しました。その際、その者が『竜から支援を受ける約束をしてある』と言ったという話を聞きまして。真偽を確かめに参ったのです。」
「本当じゃよ。」
さらりとファフニーレンの口が肯定する。エリザベートにとってそれは恐れていた未来の一つが近づいていることを示していた。
「そ、それは白き峰の竜は辺境領と敵対するということでしょうか。」
その予測に対する恐怖が声を震わせる。竜と人との対立、その絶望的な未来がエリザベートの表情を暗くする。その声を聞いてフレデリカの顔に怒気が立つ。
「いやいや、そう気色張るでないわ。ある若い黒竜が幼いころにその子爵に恩を受けたらしくてな。その恩を返すためにすべての竜の反対を押し切ってでも出張ると息巻いていただけじゃ。竜が全員で敵対することなど心配しないでもよい。」
最悪の予想が否定され、エリザベートは安堵のため息をついた。
「なるほど。それを聞いて安心しました。しかし子爵はすでに討たれ、その竜の恩返しができなくなってしまったことを申し訳なく思います。もしもその竜が反逆者の仇を取るべく私たちを攻撃するというなら全力で戦わせていただきます。」
竜は誇り高い。戦おうというのに逃げられたり、騙されたりすることをとても嫌う。戦おうという意思を示すのであれば、全力でそれと戦うのが最も竜の意に適うことになる。
「気にせんで良い。どうもその恩というのも仕組んだものがいるようでな。強き心の残滓の影じゃと思うが、魔が後ろで糸を引いているようじゃ。それが判ったゆえ、彼にはその真相を調べるよう申し渡しておる。彼が恨むとすればお主ではなくその影じゃろうて。」
「やはりshigeさんの影ですか。」
「ほう、心当たりがるようじゃな。」
「はい。父の友人の一人と同じ姿の魔を見ました。それ以外の父の友人を見たことがないことと、その友人の本来の思考感情とは異なった物言いをしていましたことから、本人ではなくその残り火がいずこかで裏返ったか、それに何かがとりついたかと推測しています。」
「じゃろうなぁ。それが一人だけならよかろうが、多数いると怖いのお。」
「ファフニーレン様でも怖いものがおありですか。」
「怖いものは怖いぞ。直接戦える敵なら怖くはないがのぉ。こそこそするような輩が一番怖い。」
「確かに。」
聞きたいことは聞けた。エリザベートは満足して金竜に礼をする。
「本日は突然押し掛けたのにこんなおもてなしまでしていただいて、本当にありがとうございます。」
「なんのなんの、ここのところ訪ねてくる者もおらず暇じゃったからのぉ。時間はあるのじゃろう。婆の長話に付き合っておくれ。」
エリザベートは帰りを切り出すタイミングを奪われた。お茶を飲みながらファフニーレンと昔話に興じた二人が気が付くとすでに日は西に傾いていた。




