グレースの結婚相談所6
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「ハーゼ!一大事だ!!」
いつもは冷静で生粋の軍人の家系の血を引く男らしい型にはまった行動をとる従兄弟が、珍しくも取り乱しながら自分の執務室に駆け込んできた。
稀少なものを見たと内心面白がりながらも、淡々とハーゼ第一王子は従兄弟でありシュバリエイト次期公爵子息のリュコスへと顔を向けた。
「どうした。どこぞの愚かな元殿下が何かしでかしたか?」
「違う!!そんなどうでもいいことじゃない!」
がっちりと、リュコスはハーゼの肩を両手で鷲掴みし、興奮冷めやらぬまま告げた。
「一目惚れだ」
「はぁ!?」
「あの美しい女性はどこのご令嬢だ…あぁ、どうして俺はあの時名前を聞かなかったのだろう。こちらから謝罪にうかがわなければならないだろうに何やってんだ…」
ハーゼは呆然と、恋する乙女のように一喜一憂し独り言なのか話しかけているのかよくわからない感じで一人ベラベラしゃべる従兄弟を眺めた。
はっきり言って、この男は口数の多い方ではない。幼いころに父方の実家へ留学へ行く際に珍しく長文を話したぐらいで、基本的に雑談などの業務に関係のないこと話題について口数は極めて少ない。実直な男、というよりは堅物で少々融通の利かないところはあるが軍人気質というに相応しい頑健な男であるのだ。
それがどうだ。
「僅かな時間だと言うのに、まさに女神というべき美しさと教養の深さが垣間見れた。あんなすばらしい女性はそうはいないだろう。どうしたらもう一度出会えるだろうか…。いいとこのご令嬢っぽいから外見から調べればすぐにわかるかな。場所からして学園街だから、王立学園に在籍しているご令嬢とすれば比較的割り出しやすいか…?いや、あの特徴的な帽子と合わせて調べるべきだろう。あの帽子はおろしたての様だから、おそらく最近売り出されたものと推察して…女性に人気というなら立地としてもマダム・ルージュの顧客の可能性も高いな…よし、その線から諜報機関を動かして」
「おいマテ。落ち着け。たかが見ず知らずのご令嬢を割り出すためだけに国の諜報機関を使うんじゃない」
僕が陛下に怒られるだろうが。
ハーゼは暴走するリュコスをとりあえず拳で黙らせた。脳筋は肉体言語が一番手っ取り早いと改めて実感する。…自身は文系だと強く主張するが。
「とりあえず落ち着け」
「落ち着いてられるか!目を離したすきにどこぞの馬の骨に攫われたらどうするんだ!?」
「状況からしてどう見てもお前が馬の骨だろうが!ったく…お前、一目見ただけの女性によくもまぁそこまで惚れ込めるというかいろいろ思い込めるな。教養深いとか貴族らしいとかは仕草や雰囲気でわからないでもない。でも女神とかどこの売れない詩人になったつもりだ?比喩にしては陳腐すぎる」
「うるせぇ!こちとら10年間女っ気なんかこれっぽっちもない軍隊生活だったんだよ!!お前みたいに日常的に煌びやかで着飾った美しいご令嬢やご婦人方と談笑なんざしてねぇよ!俺、社交界デビューする直前に軍隊入りしたんだぞ!?幼馴染の女の子だっていないし!女性への褒め言葉とか比喩とかなんざわかんねぇもん…!!」
「あー、うん。なんか、ごめん」
微妙に影のある、5つ上の兄のような存在で、ちょっと憧れたり尊敬していたりしていた従兄はどこへ行ったのだろう。
ハーゼは10年前、日陰者のように扱われていた自分のためにあらゆる手を尽くし、励まし、守ってくれていた従兄は、軍隊生活と言う自分とは縁遠い世界で新たな自分というか人格と言うかなんというか、色々変わってきたらしい。
とりあえず、男色に染まるとかいうわけではないようだからまぁ(どうでも)いいかと思う。死ぬまで自分の尻の貞操は守り通したいと切実に願うところだ。
「ところで、そのご令嬢の外見はどんな容姿だったんだ?お前、割と面食いだろ。相当な美少女か美女だっていうのは想像つくが、女神と言われてもよくわからんな」
もし知っている令嬢で婚約者がいないようであれば紹介するのも吝かではないと思い、ハーゼは何気なく問うてみた。別にそこには他意はなく、純粋に結婚適齢期にもかかわらず、女性の扱いも碌に知らない初恋もまだなんじゃないかという朴念仁へのちょっとした気遣いぐらいの気持ちだったのだ。何より、リュコスの実家事情を考えれば恋愛結婚どころかそもそも女性と出会うことも困難極まりないのだから。
リュコスはハーゼの問いかけに即座によどみなく答えた。
「髪は艶やかな亜麻色で腰ぐらいの長さだったな。癖のないサラサラした感じの指通りのよさそうな髪質だと思う。少し切れ長だけどぱっちりとした綺麗な二重で瞳は熱した鋼のような赤銅色、睫毛も長くて人形みたいだ。化粧の臭いもあまり強くないから、そこらへんはあまり手を加えていないような気がする。小顔で卵形で…柳眉、って本当に柳みたいに細くて綺麗な形をしているんだな。肌も白くてライチみたいにつるりとして綺麗だったし、鼻筋も高くてきれいな形だ。口は小さくて唇は熟した桃みたいなピンク色で可愛いんだよ。声も高すぎず低すぎず、澄んだ声でさあ。
あ、体つきは華奢だけど、体の凹凸はしっかりあったぞ。背丈は女性の中では高めの方かもしれないけど、それでも俺の肩に届くぐらいの高さで抱きしめるのにちょうどいいくらいで」
「あー、うん。もういい。十分だ」
見事に賞賛の言葉しか出てこなかった。一目惚れって怖い。
若いころの初恋による暴走は微笑ましいとはいうけれど、25歳になってからの初恋とか恋に狂うとかってどうなんだろうか?まったくもって社交界から距離を置いているシュバリエイト家だからこそ、この醜態を外に漏らすこともなかったのだろうが、今後はどうなるもんだかわからないと切実に頭を悩ませるところだ。
パッとみてこの国では珍しい瑠璃色の髪はどうみても縁者とわかってしまうのだから、自分とかかわりがあると想像はつきやすい。
頼むからこいつの初恋の女性とやらが空気の読めて従兄弟の扱いもこなせる女性であり、巧いこと従兄と一緒になってくれればいいと思う。…我ながら欲張り過ぎな要望だとは思うのだけれど。
と、そこまで一通り惚気のようなものを聞かされて(自分で聞いておきながらだが)、ふと、リュコスの言う女神の容貌をざっくりと自分の知りうる女性を頭の中で探し出そうとして
いろんなものが止まった。
「…どうしたハーゼ?俺の女神に心当たりでもあったのか?」
先ほどであったばかりの彼の女神とやらを思い浮かべで(決してリュコスの物になったわけではなく、ましてやお互いの名前すら知らない他人でしかない状態なのだが)いたところを、ようやく自分の従弟が微動だにせず、その額に汗がジワリと浮かんでいることに気が付いた。(妙な様子と言う点で体の気遣いをしないところがまさに恋の病とするところだと後にハーゼは語る)
ゆっくりとハーゼはものすごく微妙な顔をリュコスへ向けて、そして露骨も過ぎると言うぐらいの大きなため息をついた。
「本当に…リュコス、お前ってヤツはついてないというかなんというか……」
「何だよ急に…いや、そんな運が良い方だとは思ってないけど格別悪いとも思ってないぜ?」
「うん、その鈍感力が良くも悪くも作用してるんだろうね。シュバリエイト家の血筋かな。伯母上に感謝しなよ」
「いや、いつも母には感謝しているけど?」
「いいよ、もうお前は黙れ」
ものすごい雑にいろんなものを放り投げたハーゼに、どことなく不満を覚えるリュコスだが、何とも面倒だと言わんばかりにハーゼの言葉には流石に言葉がすぐには出てこなかった。
「お前の惚れた女神とやらは、俺の異母弟の元婚約者、デュラメル侯爵家のグレース嬢だ。あの年代で亜麻色の髪のご令嬢はそう多くはないが、赤銅色の瞳のお前の肩ぐらいの背丈の美しいご令嬢は彼女しか俺は知らない」
ハーゼはややこしいことになったと額に手を当てて再び溜息を吐いた。
グレース・デュラメル嬢が今ほどの地位を得るよりも前に弟の婚約者になったのだから、リュコスとの出会いを含め、様々なことは意図的ではないとは理解している。
弟であり次期国王たる王太子に内定されていたセルジュは、確かに誰もが認める阿呆でろくでなしで、こんな馬鹿が国王になった時にはこの国の将来は暗いと誰しもが予想し、嘆いていた。(彼の実母を除いて)
そんな馬鹿に堪忍袋が切れたというのも理解ができる。むしろ、彼女はよく10年にもわたって我慢してくれたとハーゼだって思う。今までよくあんな馬鹿の尻拭いをしてくれたことについてはいくら感謝しても足りないぐらいだ。
だが、それとこれとは別の話だ。
馬鹿の二股発覚後の激動のわずか3か月間で、セルジュの王位継承権を剥奪するばかりか臣籍降下して伯爵位にまで落とした烈女にわざわざ恋に落ちるなど。
確かに、グレースはリュコスとは身分的にも釣り合いが取れるし、能力的にも十二分に足りるというか王妃として治世して何の不足もないレベルの女性なのだから、ある意味視る目はあると言える。高位貴族の女性に相応しく社交に通じている……通じすぎているぐらいなのだから。見た目と言い能力と言い、基本的な気質は問題ないどころか喜んで迎え入れたいぐらいなのだから。
しかし、容易い女性ではないのだ。彼女の人脈無双によって、父の持つ王領の経済は破たん寸前にまで追い込まれた事実からして、この国で怒らせてはならない人物の三本指には入るだろう。基本的には温厚で人のために労をいとわない女性であることは認識しているのだが、そういうことがあって今現在、王家と彼女の関係は実に微妙で難しい。…本当に面倒くさい女に惚れやがってと心底思う。舌打ちぐらいさせろ。
そんなハーゼの心中など知る由もないリュコスは、しばらくポカーンと口を開けていたが、ようやく脳内で情報整理が終わったのか(軍事関係の情報処理ならば隣国でもトップレベルだと言うのに)、何とも微妙な目でハーゼを見た。
「デュラメル侯のグレース嬢といえば、俺がフリーデグリフに行く時点では、確か彼女はお前の婚約者候補じゃなかったか?」
「……よくそんなことを覚えていたな」
はっきりと名前が出るあたり、リュコスも割と確かにそのことは覚えていたようだ。ハーゼ自身も、いくらかいる候補者の中の一人にすぎないと言う程度の認識のようだと、当時の自分も理解していたことは覚えている。
愛らしい少女たちの中で、頭一つ抜きん出た美少女っぷりだったし、その聡明さは3つ年上の自分と比較しても劣るものではなかった。高位貴族の令嬢としての礼儀作法も配慮も完璧といえるものだったので印象深かったのだ。
もっとも、そこまで優秀な女性であることはすぐさま侍従によって王妃に伝えられ、あっという間にセルジュの婚約者になってしまったのだが。
そんな幼女から片足出たばかりの少女に対して執着することもないし、所詮、ハーゼは王位継承権第二位という位置だったのだから、次点の優良なご令嬢と婚約するという予定調和をしただけだ。この話にハーゼは何の感慨もない。
しかし、当時は婚約者候補の中でも、あえて順位をつけるならぶっちぎりの一位の令嬢だったのだ。もしかしたら仮にも自分の婚約者候補であったことをリュコスは気にしているのかと、ハーゼはいらぬ冷や汗を背にかいた。
そんなハーゼに対してリュコスは飾り気なく、何の暗い感情もないカラリと笑った。
「忘れるわけないだろ?お前の代わりにグレース嬢の接待していた時に、あの馬鹿王子に弓を射られたんだから」
そうか、あの時のご令嬢だったのか。
大したことのないようにリュコスは頷きながら笑う。そこにハーゼに対するマイナスの感情は見えない。
結果として自分の身代わりとなってしまった大切な従兄弟の命を奪いかねない事態となった。そのことにハーゼが傷ついたという方を重視してしまうような男なのだ、こいつは。
なのにどうして自分がこんなに後ろめたい気持ちになるのだろうかと唇を噛んだ。そういう、気遣いのできる人だからこそ、誰かのために傷つくことをためらわない彼だからこそ、あの時、自分の代わりに撃たれたのだと知っているのに。
そんなハーゼの心情を知らぬと言うように、リュコスは振る舞う。
「そうかー。あの時まだ6歳のちっさい子どもだったのになー。いや、美少女だとは思ってはいたんだけど、俺、ほら、ロリコンじゃないからさ。
…て、待てよ?あの時の美少女ってことは、俺、落馬した時に下敷きにした子だよな?マジかよ。ちょ、どうしよう!?あの時のことトラウマとかになってないかな?あの時の男が俺だとかわかったら泣き出したりとか気絶したりとか気分悪くなったりだとかするんじゃ、どうしよう…俺見てそんなことになったら死んじゃう」
……どこまで本気かはわからないが、少なくとも、自分の倍近い体躯の男の下敷きになったうえ、血まみれにした少女のことを気に掛けることぐらいはできるようだ。
縁起でも誤魔化すでもなく、正直に狼狽える従兄を何とも言えない目でハーゼは見つめた。
「…ん?ちょっと待てよ?…ハッ!ど、どうしよう!?あの時、俺、留学近かったからそのあとのフォローとか全部ハーゼに任せてたから、グレース嬢に対して俺、何もしてない…!こ、こればれたら確実に嫌われるよな?自分を下敷きにしておいて謝罪の一つもしない男とか、普通、人として、ご令嬢は嫌がるよな!?どうしようハーゼ…!」
うん。思いのほか、気にすることはないかもしれない。
少しばかり遠いどこかへ気持ちを飛ばしながら、ハーゼは硬派な兄の皮が剥がれて、今はただの恋に対しては朴念仁の愉快な男でしかなくなったリュコスにぬるく微笑んだ。
「うん。どうでもいいかな」
「そんな!後生だ…ッ取次ぎを、紹介してくれ……!!」
「だからさ、今うちとグレース嬢すごい微妙だから難しいんだって」
「そこをなんとか!」
リュコスを適当にいなしながら、ハーゼは久しぶりの何の気を使うでもない限りなく素のままの自分でいることに充足感を感じながら、この後、どうやってグレースと繋ぎをするか思案し始めた。
なんだかんだ言って、自分はやはりこの従兄が好きで、彼が自分を甘やかすように自分もこの従兄を大切にしたいと思っているのだ。
リュコスとハーゼのじゃれあいが3日間続いた頃、シュバリエイト家のタウンハウスに一通の手紙が届いた。
手紙の送り主は彼の待ち望んだ女性であるグレース・デュラメルであった。