グレースの結婚相談所4
お待たせしました。久しぶりの更新です。
グレースとクリスタが予定を早めて学園を戻って、さぁいつものやりますか!というような気分を切り替え盛り上げている最中だった。
学園の女子寮の入り口まで300mはあろうかという距離なのに、盛大に土煙を上げてグレースの元へ異常な勢いで何かが迫ってきていた。
「グレース様ぁああ!だずけでくださあああいぃいいいい!」
聞き覚えのある若干の舌っ足らずで甘めの声に土埃やら土煙やらが吹き上げる合間に見えるのは桃色の御髪は見覚えがあった。というか、こんな貴族の子女が通う学園でこんな無駄にアグレッシブな行動をとるのは一人で十分だと思う。
「グレース様ああああ!聞いてくださいぃぃぃぃぃ!!」
今回は若干泣きも混じっているなぁと、呑気に、というよりかはある種呆然と電波系ヒロイン・コレット・エモネ嬢を眺めているグレースである。
「グレース、絶対あれ危ない」
クリスタはそういいながらグレースの腕を引き、自分の後ろへと隠した。
―――次の瞬間にはグレースのいた場所を異常な速さの物体が通り過ぎた。
「……馬車に轢かれるのとコレット様とぶつかるのではどちらが重傷なのかしら」
「グレースは知らなくていいと思う」
「………積極的に知ろうとは思わないわ」
グレースの後方で締まったばかりの門にぶつかってようやく止まったコレットを眺めながら二人は現実から目をそむけた。鉄でできた豪奢な門扉であるはずなのだが、コレットがぶつかった部分が拉げているのは、そう、前にきっとどこかの馬車がぶつかったのだろう。決して、令嬢一人の勢いを受け止めきれずにそんなことになったわけではないはずだ。
「痛くない…これがヒロイン補正…!」
当の本人はよくわからないことに感動しているようなので、けがはないようだ。もうそれでいいんじゃないかな、と思う。どうでも。
「御機嫌ようコレット様、私に急ぎの用ですか?」
放っておいたとしても碌なことになりそうにないので、グレースはとりあえず万能感あふれる私を感じているらしいコレットに声をかけた。正直お近づきになりたくはないが、不良債権債務産廃を肩代わりしてくれた恩人をそのままにしておくこともできない。
小ぶりの金色のリボンで結わえたツインテールを揺らして、コレットは元気良く肯定した。
「はい!たぶんこのままでいたら酷いことになる…というか既になっているので私の嫁ぎ先がなくなっちゃうかもしれないような事態です!!」
「確実にセルジュ様の件だよ、グレース。逃げる?」
碌でもない事態=セルジュ関係という図式は継続されているようだ。
頭が痛くなりそう、というか進行形で痛くなってきたグレースはそっとこめかみに手を当てた。この痛みは久しぶり…と笑えないというか泣きたくなる。
若干の憐れみを含んだクリスタの視線からそっと目をそむけながら、グレースはやんわりと微笑んでコレットとクリスタを促した。
「とりあえず、談話室へ行きましょう。私のための個室がありますから」
お互い着替えてから、ね。
グレースの視線の先にはかつて自分の目の前で驚異のスライディングを見せた時のような泥で汚れたコレットがいた。
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グレースは久しぶりに自分用の談話室…『グレースの相談室』と呼ばれるデュラメル家が押さえている個室へ入った。定期的に清掃が行われているため、埃っぽさもなく、備品もすぐにでも使えるようになっている。
グレースはクリスタとお茶の用意をしつつ、コレットにぐすぐすの顔を直すよう勧めた。いつもはグレース一人でやるのだが、クリスタがいる場合は手伝ってもらうこともあるので勝手知ったると言わんばかりにクリスタはサクサク手を動かし、その間コレットは鼻水と涙でぐちゃぐちゃの顔を洗ってきた。
コレットが戻ると丁度、焼き菓子と紅茶が美味しく抽出できたところで、グレースは先に紅茶で咥内を潤しているところだった。
「それで、フォーゲルライン様と何が?」
グレースは単刀直入に言った。
コレットは手に握ったハンカチをぐしゃぐしゃにせんばかりに力を入れて訴えた。
「セルジュ様が仕事をしてくれません!仕事どころか、最低限覚えなきゃいけないこともしないしむしろ問題しか起こさないというかしでかしてばかりです!!」
やっぱりか。
必死なコレットとは対照的に、グレースはクリスタは予想の範囲内、というか想定内予想通り予想を裏切らないセルジュ(ばか)ヤベーぐらいの態度だ。
「フォーゲルライン家は今は伯爵家になりましたけど、元は公爵家というだけあって、やることも覚えることも多くて、私も必死でセルのことをあまり気遣えなかったのも悪いんですけど…。」
そんな出だしでコレットが話し出した。
「セルはフォーゲルライン本家の養子に入りますけど、嫡男は既にいますから分家になります。これは王妃様とご当主様が話し合った結果そうなったそうです。セルは今まで一杯プレッシャーもあったから、これぐらいの方がいいって」
本音は能無しが嫡男になった日には今度こそ没落するというのが透けて見えたが二人は黙って先を促した。
「でも、分家でも小さくとも領地があって、家も守らなきゃいけなくって、やらなきゃいけないことはたくさんあるんです。浅学な私でも少しぐらいわかります」
ラグランジェ王国は貴族の中でも女性でも爵位を持つことが認められている為、女性でも教養の深い者は多い。しかし、それでも他国同様に男社会であることに違いはない。
政治や家政に口を出されたくないと考える男も同様に多い。そのため、淑女教育を受けない令嬢はいないが、政治学や経済学のような実務的な勉学をする女性は増えてきているとはいえ少数派であり、コレットも子爵令嬢という位と第三子という嫡子になりえない順位ということもあり、学園でも淑女教育に偏ったコースにいる。それでも、主人たる伴侶を助けるために最低限のことは学ぶのだ。
「セルは自分に自信がないし、私もグレース様みたいに何でもできるわけじゃないから、お互いにできることを増やして、できないことは助け合おうって言っていたんです。でも」
「いざ、机を前にしたら逃げたのね」
呆れたようにグレースはコレットの先を口にした。
コレットはそれに力なく肯定した。
「途中で嫌になるかもしれない、ぐらいの気持ちだったんです。まさか、どこの領地を任されるか、という話も分家とはどういうものかという話すら逃げて…」
「相変わらずクズねえ…」
「他人事みたいに言わないでください!」
必死で訴えるコレットにかつての自分を投影するも、それも所詮過去のことだと、グレースは苦笑するにとどめた。
「もう他人事だもの。でもごめんなさいね」
でも言うことは言う。関係者とか言われた何か手伝えとか言われるとか勘弁してもらいたい。
「無理矢理に机に縛り付けたりはしなかったの?」
「縛り……!?」
「フォーゲルライン家はやんちゃな子が多いから、ちゃんと教育を受けない子供は性別問わずイスと机に縛り付けて家庭教師から授業を受けるのよ」
フォーゲルライン家あるあるだ。
笑い話として現当主も昔はよく椅子に縛り付けられたと夜会で話すので、割と知られている話である。とはいえ、公爵家当主であった立場から直接話せる身分もたかが知れているので、実はグレースが思っているほど広まっている話ではないのかもしれない。
グレースがそんなことを思い出していると、コレットは何とも言えない表情で「縛られているところは見たことはない」と回答した。ただ
「『王の血が流れる僕を縛って命があると思うなよ』、と大声で半泣きで言っていたのは聞こえました…」
結果として縛られなかったようだが、それに付随するような脅しは乱発しているようだし、サボってばかりで教養面で本来大分後れを取るはずのコレットではあるが、それでもセルとこの関係の話をしてもついていけない事実にはぞっとした。
「それを聞いてコレット様はどう思った?」
頬杖を突きながら人の悪い笑みでクリスタはコレットに質問を投げた。
「自分の人を見る目のなさが憎い………!」
ギリギリと歯ぎしりをしつつ答えるコレットの目は軽く血走っている。
若干怖い。見た目がふわふわした美少女なだけにそのギャップは痛ましい。いろんな意味で。
「でも縛られている美青年なセルも見てみたい…何そのスチル超欲しい引き延ばしてリアルな壁紙にしたい」
聞かなかったことにしよう。別の意味で痛ましかった。
「フォーゲルライン様に愛想が尽きたからやっぱり結婚するのはやめるという話でしょうか?」
あれだけ惚れた女だというのに、やっぱりクズっぷりというか無能っぷりは変わらないのは残念な話だが、もともとそういう人間なわけで、急に変わるというのも難しいだろう。コレットからの話ではそもそものやる気も感じられないので、話に聞く恋愛の一番楽しい時期が過ぎて現実見えて逃避中なのかもしれない。既に拘束されているような状況で逃亡はできないので実現するのは無理だが。
何にせよ、元々は自分が担当だった阿呆を押し付けたのだから、若干の罪悪感もあるグレースである。二人のナメソレいうか理由が理由だけに、別れさせるのはどうかとは思うのだが、本気でコレットが嫌がっているのであれば何かしら助力は可能だ。
何だったら無能なら無能らしく二度と起き上がれなくしてしまうのも手かもしれない。生きてさえいればいい訳ぐらいたつだろう。真実の愛も現実を前にして踏みつけられたようだし問題ないだろう。
グレースが一人若干の犯罪臭のするプランを立てかけたところで、コレットはそれを否定した。
「ううん、セルとは結婚する。クズでも好きな人だからね。言ったでしょ?どんなになっても一緒にいるって約束したから」
セルじゃなくってグレース様にだけど。
そういって「馬鹿みたいだけど」笑うコレットはやっぱり可愛いとグレースは思った。
恋をすると人は馬鹿になるらしい。元々バカだった人間は拍車をかけて悪くなるらしい。
しかし、コレットの話では何がしたいのがよく見えない。
「コレット様は私にどうしてほしいの?」
今の話では確かにセルジュはフォーゲルライン家に多大な迷惑をかけるだろうことは想像するに容易い。というか、どうせ迷惑になること以外何かできることがあるとは思えないし。
だが、フォーゲルライン家が没落するというところまでは見えない。フォーゲルライン家の現当主は王妃の実兄で、若干奔放なところはあるものの実直な経営力と誠実な政治を行うことはよく知っている。その嫡男でセルジュの従兄弟も当主とよく似て誠実な人柄と聞く。セルジュが無能で害悪ということは知れているのだから、彼らがいる限りはフォーゲルライン家が没落するということは考えにくい。そこまでの緊急事態であるとはコレットの話からは見えないのだ。
単純にコレットがセルジュに愛想が尽きたというだけならまだわかるのだが、
グレースに問われコレットは緩んでいた顔を引き締めた。
「セルのお兄様を…ハーゼ様を助けてください!」
「ハーゼ様?セルジュ殿下…フォーゲルライン様はハーゼ様の臣下になったでしょう?他人、とまではいかなくとも現時点で関係は断たれているよ?少なくとも、現状のセルジュ様を見て王家がセルジュ様と関わろうとしているとは思えないけど」
頼みの綱であるグレースとの関係を切った上に王領への(経済)制裁を食らった王家である。事の元凶であるセルジュと積極的にかかわることはないはずだし、セルジュの逆恨みという有り得そうなことへは手を打ってある。わざわざこんな状態のセルジュに手を貸すような貴族など婚約破棄処理中にあぶりだして処分しているため、この状況でいるとは思えない。セルジュが直接手をかけるということも考えたが、あの小心者が刃物を持つということ自体考えにくい。剣の修行で指を少々切ってから刃物という刃物が嫌いになったのだ。小さい男である。
そんなセルジュとハーゼ殿下、そしてフォーゲルライン家。つながりが見えない。
「そうではないんです。セルはハーゼ様のこと、あぁ見えて好きなんですよ。お小遣いはもらったらすぐに使い切っちゃうから誕生日プレゼントを贈りたくてもお金がないから祝ったことはないらしいんですけど」
「そんな男に領地任せていいの?」
「良くないと思います…」
クリスタの思わずこぼした突っ込みにコレットは力なく肯定した。
一方でグレースはハーゼ殿下の誕生日のたびにセルジュの機嫌が悪い理由がわかって変に納得してすっきりした。単純に自分より優秀な兄に関わることが嫌なのかとばかり思っていたが、そういうことばかりではないらしい。彼が自分の兄へ送るプレゼントがセルジュのお古とかそういったものが多かった理由がこれで判明した。嫌がらせではなかったらしい。ハーゼ殿下がどう思っているかは別だが。
「いや、セルはいいんです!よくないけど、とりあえず放っておいてください!!」
「永遠に放っておきたいから続けて」
「ハーゼ殿下の従兄弟が戻ってきたんです!」
「ハーゼ殿下の従兄弟…?」
そんなのいたっけ?
クリスタのそんな視線を受けてグレースは首をかしげた。
ハーゼ殿下の従兄弟にあたる人間、家系図で言えば現王に兄弟はいないので、父方の従兄弟という線はない。では母方は…
「第一側妃は隣国の王妹の孫娘です。第一側妃は四人兄妹の末娘になります」
「そういえばそうだったわね。隣国になると情報が入ってきにくくって」
隣国とはいえ、大陸を断つようにそびえるロンメル山脈を挟んでいる関係上、あまり交流は活発ではない。
20年前にトンネルが開通して交易が増えているが、それでも近い距離ではないのだ。
隣国の知人もいるが、グレースの持つ商会の関係が多く、隣国の貴族の情報は商業面に偏りがちであった。商会で繋がりはあるが、グレース自身隣国へ行ったことはないというのも大きい。行ったことがなければ繋がるきっかけもそうそうないのだから仕方ないのかもしれない。一貴族の令嬢が気軽に隣国へ遠出などできるものではないのだから。
しかし、コレットの言葉が気にかかった。
「ハーゼ殿下の従兄弟が“戻ってくる”の?」
グレースの問いかけにクリスタは目を見開き、コレットはゆっくりと頷いた。
「私もフォーゲルライン家に関わるようになって初めて知ったんですけど、第一側妃のご兄弟…第三子の二男がこの国に婿入りしていたようなんです。エモネ家は子爵位で情報が高位貴族より入るのが遅いからかと思っていたんですけど、そうでなく意図的に隠されていたようです」
隣国の貴族と結婚するというだけでも大きなニュースなのに、しかも王妹の孫息子である。社交界を大いに賑わせる、否、ラグランジェ王国全土で話題になってもおかしくないような大きさである。意図的に隠そうと思って隠せるような話ではない。婚姻は隠されるものではない。登記の関係上、必ず漏れてしまう。隠すようなものではないし、貴族なら周知させるのが当然で義務であるのだから。
「誰がそんな…」
「フォーゲルライン家が、その婿入り先に権威をつけたくないということと、婿入りした側の家があまり目立つことを好まないということが重なった結果らしいです…」
フォーゲルライン家、というよりか王妃にとって側妃が気に入らずその親族も気にくわない結果そういったいびりがきたようだ。
王妃とはいえ度が過ぎている。これは怒っていい。セルジュとの血のつながりを感じずにはいられない逸話だ。
「現在の王家はグレース様との婚約解消を受けて揺らいでいます。セルの臣籍降下を受けて王妃様の権威も落ちましたし、ここで彼の家が一押ししたら今のフォーゲルライン家の権威はさらに落ちてしまうらしいです…」
「そう簡単に元公爵位が転がり落ちるとは思えないけど…」
「いや、蹴り落とした本人のグレースが言っちゃだめだと思う」
クリスタの突っ込みを華麗にスルーしてグレースはコレットを促した。
「ハーゼ殿下とその従兄弟の方がとても仲が良いみたいで、今までもセルのせいでハーゼ殿下が被害を被ることがあると慰めたり助けたりしていたようです。セルも直接会ったことがないので細かいことはとわからないんですけど…ハーゼ殿下曰く、ちょっと怖い人みたいで」
「セルジュ様と関わった人間はおおむねセルジュ様に殺意を抱くから不思議ではないと思うわ」
ましてや異母兄である。あのセルジュの母親とセットで大いに迷惑やらいじめがあったことが想像できる。ハーゼ殿下と仲が良いのであれば、そんな二人を目の敵にしてもおかしくはないだろう。
「又聞きになるので正確ではないかもしれないのですが、今まで隣国に留学していたらしくて、その従兄弟の方が国を離れるときにハーゼ殿下にこう告げたらしいです」
『俺がこの国に戻る時、あの屑どもを一掃して今後の憂いなく俺とお前の未来を生きよう』
「…どうしようグレース。私、ちょっと薔薇がふわーって見えた。美男子が手を握って見つめ合って、従兄弟の方の顔が分からないからあれだけど、こう、花がぶわぁ!って」
「た、他意はないらしいですよ!?ちゃんとハーゼ殿下は女性が好きってセルが言ってました!」
コレットが何故か必死に否定するが、グレースとクリスタは若干斜め下に目線を逸らした。
「そういう意図なくそういうこと言うっていうだけで別の意味で怪しいというか危ない人ね…」
とにかく従兄弟大好きなハーゼ殿下の従兄弟殿の図はわかった。
「それで、報復を狙うハーゼ殿下の伯父伯母にあたる方の家名は?」
「はい、えーと確か…」
コレットは少し眉をしかめて記憶をたどり、思い当たったようでパッと華やいだ笑顔を咲かせて言った。
「そうだった、シュバリエイト公爵家です!隣国との国境沿いの領土を持っていて社交嫌いで有名らしいですよ」
ハーゼ殿下の従兄弟はハーゼ殿下より5歳年上なんですって。
私たちより8歳上ですね!
そう続けるコレットを前に、グレースとクリスタは何とも言えない表情で顔を見合わせた。
縁はどこに繋がってから待っているか本当にわからないと思いながら。