グレースの結婚相談所3
学園を出て馬車で20分ほど行けば、そこは城下町有数の繁華街に出る。
貴族のための学園である王立貴族学園の令息令嬢たちが通うため、彼らの喜ぶような店が軒を連ねるような場所だ。庶民的なものもあるが、それでも庶民からみれば値段設定が実に露骨だったりする。
グレースは市場調査で庶民から内証豊かな貴族相手の店まで様々な商人と付き合いがあるので、わざわざ吹っ掛けられた値段のものを買う気はないのだが、それでも店まで足を運んで様々な商品をみるのは楽しいものだと思う。
エドガーからの求婚らしきものを断ってなおのこと相談室もその手のものが増えてきたので、兄やら学園長やらの当面閉じてみてはという言葉に大人しく従って、現在相談室は休業中である。とはいっても、手紙で付き合いのある方々とのやり取りは続いているので、婚活の類のもののみお断りしている状態だ。とはいえども、遠回りに言ってくる面々もいるので完全に閉じられたわけではないが。
「久しぶりの散策ね。グレースはどこから回るつもり?」
グレースの隣を歩くクリスタが周囲を見回しながらグレースに訪ねてきた。
グレースの学友と護衛を兼任している立場上、クリスタの気が休まるとは言えないのだが、それでも当たり前のように気分転換に付き合ってくれる友人にグレースは感謝した。
その手の話は今日は忘れようと、グレースはいつもこの街を歩く時の定番コースを挙げた。
「マダム・ルージュのところで新しい帽子を見ましょう。それからいつものカフェで軽食をとって、それからはクリスタの行きたいところにでも」
「いつも通りね。じゃあ行きましょうか」
クリスタは了解の意を示してグレースと行きつけの帽子店へと足を向けた。
社交界用のものではなく、プライベートのちょっとしたお忍び用の帽子を買うにはちょうど良い店で、グレースのみならず学園に通う令嬢も多数通う者がいるようだ。もっとも、グレースが通っているというだけである種のお墨付きのような扱いになっているということもあるようだが、それは蛇足だろう。特別便宜を図ってもらったことももらおうとも思っていないのだから。
馬車を下りてわりとすぐの場所にマダム・ルージュの店はある。
街の中でも大きめの通りの角に面しているマダムの店は傍から見ても繁盛しているように見えるし、実際それなりのやり手のようだ。場所柄客層も貴族相手なので、個室対応してくれるという点も助かり、重宝している。
クリスタがドアを開けると、軽やかな鐘の音が鳴る。
カウンターで作業をしているらしい女性がすっと顔を上げ、二人を見て微笑み、頭を下げた。
「いらっしゃいませ…あぁ、レディ・グレースとレディ・クリスタではありませんか。お久しぶりです」
「お久しぶりです。マダム・ルージュ。御機嫌よう」
グレースも微笑んで挨拶を返した。
常連ではあるものの、この数か月は色々立て込んでいて足を運ぶこともなかったので、確かに久しぶりになる。マダム・ルージュはその名の通り、情熱的な赤の服に身を包み、髪もまた燃えるような赤色の華やかな面立ちの女性である。しかし本人はその燃えるような色とは反対に落ち着いた、楚々とした淑女でちょっとしたギャップがあり、そこもまたグレースとクリスタは気に入っていた。
マダムはカウンターから出て、二人の前に進みでて、来客用のソファを進めた。
二人がソファに座るタイミングで、顔なじみの店員がお茶を運んできたので、それを口にしながら雑談に興じた。大した話ではないのだが、そういった話すら最近はできなかったのでグレースは「いつも」と同じという安心感に癒された。
特別欲しいものもなかったのだが、二人はマダムに勧められた新作の帽子を色違いのおそろいで購入した。グレースは濃紺の生地に赤い羽根がアクセントでついているつば広帽子で、クリスタは深緑の生地に白い羽根の帽子にした。
今日の服にも合うと言われたこともあり、その場で二人は色違いの帽子をかぶって外に出た。
「クリスタの帽子も素敵ね。緑も似合うわ」
「ありがとう、グレースも似合うわ。でもせっかくだしグレースはもっと明るい色のものでもよかったと思うけど」
クリスタは帽子の位置を少し直しながら、グレースをじっと見て正直な感想を伝えた。
今まで王妃に相応しいということで明るい色、というよりもその場に相応しい色、落ち着いた色を選ぶことの多いグレースに、クリスタは少々不満だった。
「今のあなたは好きなものを好きなようにしていいのに、そんな年寄受けのよさそうなものを選んでもったいなぁって。あなたも若い女性なんだから、白とかピンクとか淡い色だって着ていいのよ?せっかく美人なんだから、下手なものを選ばない限り似合うわよ」
「急に変えろと言われても…難しいわ」
クリスタの言うことも解るが、既に「自分はこういうもの」という先入観のある、というかある種のイメージがついている以上、その型を壊すというのもなかなかに難しい。
思い切ってしまえば早いのだが、なかなか何でも急に変えるということは現実的には難しい。今はそこまでの勢いがないというのもあるし、徐々に変えていけばいいと思う。
そんなグレースの様子を見て、クリスタは苦笑気味に、それでも楽しそうに笑った。
「まぁ、いっか。グレースはグレースだし、どんなグレースでも私は好きよ」
「あらありがとう。私もクリスタが大好きよ。お礼にランチおごるわ」
「本心を言っただけでなんだか儲かっちゃったのはいいのかなぁ」
悪いとも思ってない顔で、クリスタは徐々に気分が上向きになっていくグレースを嬉しげに見つめた。ここ数か月でグレースの周辺の環境は早い動きで変わりつつある。それに対応するため、多忙な日々を送っているグレースに、少しでも息抜きしてもらいたいとクリスタは思った。
この間はどこぞの馬鹿息子のせいで、いらぬ面倒が増えてしまったが、それも結論としては一つの抑止力になった。次期公爵がグレースを狙っているとなれば、現実的な判断を下せるものや爵位の低い令息は諦める者も多い。それでも依然として身の程知らずにもグレースを狙う輩は絶えないのだから面倒だと思う。伯爵家の娘であるクリスタができることといえば、物理的なことからグレースを守ることと、友人として傍にいることぐらいだ。そのほかの面倒なことは男どもに押し付けてしまえばいいと思ってる。グレースの邪魔にならなければそれでいいし。
「どうしたのクリスタ、お店が混む前に行きましょう?」
クリスタがそんなことを思っている間に、グレースはクリスタの3歩先を歩いていた。
グレースの護衛も兼ねているというのに何をぼんやりしているのかと自分を叱咤しつつ、クリスタは駆け寄るようにグレースに寄った。
「ごめんなさいグレース。ちょっと色々思い出してて」
「珍しいわね。でもクリスタも最近は私に付き合って忙しかったみたいだし気にしないで」
グレースはゆっくりと進みながらクリスタを振り返りながら足を前に進めた―
どんっ
―ところで、勢いよく飛び出してきた何かに軽く跳ね飛ばされた。
「痛…」
「グレース!」
慌ててクリスタはグレースに駆け寄った。
跳ね飛ばされたといっても、1メートル程度であるのだが、一般的な教養レベル運動しかしないグレースは軽いし、痛みに慣れてもいない。クリスタはグレースに目に見える場所で怪我をしていないか確認した。
「グレース、どこか痛むところはある?立てる?」
クリスタがグレースに寄り添って確認していると、グレースの前に手が差し伸べられた。
いきなり降りてきた陰に二人が顔を上げると、身長の高いしっかりした体躯の男が申し訳なさそうに、手を出していた。
「すまない、こちらがよく確認していませんでした。お嬢様にお怪我はありませんか」
「いいえ、こちらも前を見ていませんでしたから…ありがとうございます」
グレースは差し出された手を取ると、目の前の男はそっとグレースを引き上げるように立たせた。力任せではなく、気遣いのよくわかる力加減と人ひとりとぶつかってもぶれない体躯といいグレースを引き上げた時の安定感といい、騎士や軍人の類だろうかと推察しながらグレースは男に礼を言った。
男は申し訳なさ気にハンカチをグレースに手渡しながら、頭を下げた。
「どこのご令嬢かは存じ上げませんが、レディに怪我でもあったら申し訳が立ちません。目に見えるところで怪我はないようですが、立って痛みはありませんか」
「大したことはないかと思います。足をひねった感じもありませんし」
グレースは謝罪を受けた以上、この件について男を責める気はなかった。相手の誠意を感じたし、こちらの不注意もあったのは事実なのだ。それに、この後もまだ休日は続くのだし、大した怪我もないのに話を引き延ばすのも面倒だ。
なので、グレースはハンカチを返してこの場を去ろうと、クリスタを見た。
クリスタは心得たように頷き、グレースの服の乱れを直すと目の前の男に向き合った。
「お気遣いありがとうございます。お嬢様の怪我についてはこれから確認いたします。今回はこちらの不注意もありましたから気になさらないでください」
「そうですか…。それでも痣になったり後から痛みがでるかもしれません。何かありましたらここに連絡を。できる限りのことはさせていただきます」
「ありがとうございます。でも本当に大したことはないと思うので気になさらないで」
あくまで穏便に済ませたいというグレースの意思を受けて、男はそれ以上の追及はしなかった。それなりの速度で駆けていたところだったのだし、急いでいるというのは間違いないだろう。
お休みのところに水を差してしまい申し訳ありませんでしたと、謝罪をもう一度言うと、男はグレースに名刺を渡して、一礼してその場を去った。
やはり急いでいるのか、先ほどよりも速度をいくらか落として駆ける後姿を見送って二人は元々の次なる目的地へと向かった。
「グレース、本当に大丈夫?無理してない?」
「本当に大丈夫なのよ。ちょっとお尻は打ったから痛むけど、この程度なら護身用の訓練よりも軽いぐらいだもの。むしろ、あの人の方が心配なぐらいよ」
「あっちが?」
訝しげなクリスタにグレースは少し乱れた帽子を直しながらぶつかった時の衝撃を思い返した。
あの男性がぶつかった瞬間に最大限、相手のダメージを減らすため無理な体勢をとったとわかった。角から出会い頭にぶつかったのだからお互い様だと思うし、女性が怪我をする方が問題というのもわかるが、それでもグレースが理由の怪我ならこちらの方が詫びなければならないと思う。後姿だけだが、変な走り方にはなってなかったので、足を痛めてはいないとは思うけれども、それだけ少し気になった。
「かばってもらったから、どこか痛めてないといいのだけれど」
「身のこなし方からすると軍人でしょうし、たぶん大丈夫じゃない?」
「そうね、そうだといいわ…」
「そういえば、お互い名乗らなかったけど、さっきの人って誰?身なりは良かったけど」
それもそうだと、グレースは手渡された名刺を見た。
クリスタも顔を寄せてそれを見て、二人してピシリと固まった。
二度見三度見しても変わらないその名前は、この国に3家しか存在しない公爵家の家名であった。
「リュコス・シュバリエイト…シュバリエイトって国境沿いに領地を持つシュバリエイト公爵しか思い出せないんだけど」
「奇遇ね。私もシュバリエイト公爵家しか思い出せないわ」
「でも、私たちとさほど変わらないくらいの令息だったら見たことあると思うし、学園に10年在籍していて噂も聞いたことないんだけど」
クリスタの言うことも最もだった。
グレースたちよりも少し年上に見える…青年という表現が相応し良いかもしれない、そんな男性であれば社交界で噂の一つも聞くはずだ。ましてや公爵家に連なるものであれば、放っておかれるわけがない。
「シュバリエイトは現在、先代の一人娘のシャノワール様が家を継いでいるはず。婿というには、若すぎるわね。たしかシャノワール様は40代半ばのはずだから」
「グレースでも知らないなら、私がわかるわけないわね」
「どうかしら…でも、”聞いたことがない”っていうのはちょっと気になるわね」
ここまで隠されている話であれば、その裏に何かがあってもおかしくない。
下世話な話だが、このグレース・デュラメルの名をもってしてもすぐには当たらない人物ということに興味を惹かれた。
「今までシュバリエイト家にお近づきになることは何故かなかったのだけど、ついでに聞いてみるのもいいかもしれないわ」
貴族社会は情報が命。
情報は鮮度がモノを言うのだ。
「ごめんなさい、クリスタ。ランチを食べたら今日は」
「わかってるわ。あなたにとって一番の息抜きはこういう類なのね、結局」
ため息をついて苦笑いをして、それでもクリスタは「グレースらしい」と言った。
そんなクリスタに笑顔で返して、クリスタはシュバリエイト家と繋がりのある貴族を頭の中ではじき出し始めた。