グレースの結婚相談所2
効果音があるとしたら「ドヤァアアア!」と言わんばかりのエドガーである。
グレースはしばし固まっていたが、我に返るなり自分の唇に置いたままの指を振り払おうと手を振りかざし
エドガーが目の前から消えた。
正しく言うのならば、横っ飛びに吹っ飛んだというのが正しい。
問題)どうしてこうなった。
解答)言わずもがなクリスタである。
エドガーのどや顔の効果音が消える直前ぐらいで、助走の付けたクリスタの跳び蹴りがエドガーのボディを直撃した。おそらく目測3メートルはいっただろう。
ちなみにクロードは先ほどの相談室前の群れを払うために使用した模造刀を握り、フレデリックはどちらを先に留めるべきか逡巡していたというところだ。結果としてクリスタの方が早かったようだが、決めたところできっとフレデリックではクリスタを止めることはできないだろう。
グレースは目を瞬かせ今目の前で起きた現象を理解しようとするも、処理速度が落ちているのか硬直時間がやや先ほどより伸びた。
なんとか二度目の我に返っての第一声は
「人って思いのほか飛ぶのね」
だった。
いや、本当に飛んだのだから、その感想は別段抜けているわけではない。通常運転だ。
とりあえず不愉快なのでハンカチで口元を拭きながら、年季の入った溜息を吐いた。
「クリスタ!い、いきなりだろう・・・っ!?」
「何か世迷い事をほざいていたから寝ぼけているのかと思ってー。目は覚めまして?」
クリスタは淑女の例を取りながらエドガーに愛らしく答えるが、先ほどのキレッキレの蹴りを受けたエドガーがそれに対して受ける印象は”可愛らしい”ではなく”苛立たしい”だ。無論、クリスタも解ったうえでしている。
「僕は真面目に言っただろう。何がいけなかったのか教えてくれないか」
「え?全部」
「クリスタに聞いているわけではない。というか、君はまず僕をいきなり蹴ったことを謝るべきだと思う」
「エドガー、私もクリスタに同意するわ。不満というか、不快」
グレースはエドガーに眉をしかめながらクリスタを肯定した。
さりげなくクリスタがエドガーを蹴り飛ばしたことを誤魔化しているが、エドガーの顔が不満という文字がはっきり浮き上がるような表情になった。
そんな顔をしたところできっとクリスタは反省しないので諦めてほしい。
彼女がそのような暴挙に出るときは、ほぼ、グレースが傷ついている時なのだから。
「エドガーに対して恋愛感情はないのよね。悪友の一人ぐらいの気持ちなのよ。友人といきなり夫婦になれと言われても、正直困惑するわ。
それに、さっき唇に触れたけど、未婚の淑女の唇においそれと触るものではないわ。誰に触発されたのかはわからないけれど、最低限のマナーは守るべきだと思うの。
あと、恋愛結婚を希望するわけではないし、政略結婚を否定するつもりじゃないのだけど、他家の繁栄のためだけに結婚するのは疲れるからできれば避けたいわ。特にエドガー、公爵家に嫁いで私はどうなるの?無茶苦茶なことを要求されるとは思ってないけれど、それが私にとって最善なのかしら?公爵家を支えるためにって搾取される可能性があるのなら、私にとって幸せになるかどうかがわからないのよ。」
少なくとも、当面はこれ以上がんばりたくないのよね。
そういってグレースはエドガーの求婚を切り捨てた。
その顔には恥じらいや照れ隠しといったような色はない。心底面倒くさそうなだけだ。
地味にエドガーは傷つくも、周囲の出すオーラは「余計なことしやがって」というもので、決してお前は頑張ったと敗者を労わるようなものではない。
「エドガーも家柄はいいし、能力もあるし、顔もまぁまぁいいけど、人の機微を察する能力が低いよねぇ。初っ端から「男として見れない」かまされるとか笑うー」
クリスタの言うとおり、事実上の「お友達でいましょう」宣言である。
グレースも否定せずクリスタを苦笑してみるあたり、間違いないだろう。
「でも元第二王子が臣籍降下…じゃないか、伯爵家の養子になってエモネ家令嬢と婚約した今、一番婚約者の立場に近いのは事実上僕だろう。気心も知れてるし、利害も一致する。アリだと思うんだが」
なんとか這い上がるようにして半身を起こしたエドガーは、せめてもの抵抗として『政略結婚としての利点』を挙げてみせた。クロードの眉間にしわがよるが、それは紛れもない事実だ。本来なら第二王子から第一王子にシフトすると思われがちだが、王家との婚姻関係を全面的に破棄することに成功したグレースである。王族関係者との婚姻は現在のところ可能性として低い。であれば、国内の高位の爵位を持つ貴族の中で、グレースと年齢の釣り合う青年というと真っ先に名が挙がるのがエドガー・クラウハウゼン公爵子息である。次期公爵家当主という肩書もあるので、王妃教育を受けてきたグレースであれば問題なく公爵夫人としてやっていけるだろう。それが通常の考えであり、一般的な次の婚約者である。
フレデリックは流石に「まだ言うか」と呆れ気味にエドガーを斜め見た。
「お前何言ってんの?相手はグレースだぞ。アリとかナシとかじゃなくって、グレースの『内面』で釣り合いが取れないと無理だろ。そんな爵位なんて手を回せば何とかなるだろ。公爵位は無理だとしても見栄えの良い肩書きぐらいなんとかなるだろ、グレースが選ぶ相手なんだから無理して高位貴族じゃなくたって何とかなるだろ。
一番大切なのは体面的な釣り合いじゃなくってグレースの気持ちってことを忘れるなよ」
あのグレース・デュラメルだぞ。
その一言で済んでしまえるのは、一貴族の淑女として喜ぶべきなのか規格外であることを嘆くべきなのかわからないとグレースはひっそり思った。
でもフレデリックの言うことは事実だ。嫌だと思う候補者を外すことは容易だし、もし本当に自分が望むのならば、多少面倒ではあるがコネならいくらでもあるのだ。両親をはじめとした親戚筋を納得する要素はなんとかなるだろう。
もっとも、今グレースの中で問題なのは、結婚願望が全く持って消えてしまっているということなのだが、こればかりはどうしようもないし、すぐにどうこうできるものでもない。
「ごめんなさいね、エドガー」
心から申し訳なさそうに断りを重ねて言うグレースにエドガーは片手をあげて断りを受けた。まぁ多少ダメ元の気持ちではあったがここまでバッサリ行かれるとは思ってなかったので、ちょっとは傷ついてはいるのだが、この場にいる人間に慰めなど期待しない。
フレデリックは座り込むエドガーに手を貸し、クリスタは再びお茶を入れなおすべく席を立った。クロードはいつでも模造刀を抜けるようにしながら、柔和な微笑をエドガーに向けて無言の圧力をかけていた。エドガーの背中はぐっしょり濡れている。
グレースは徳にすることもないので人気の無くなった相談室前のカーテンをそっと持ち上げて廊下を覗いた。
さすがにもう誰もいなくなったようで、廊下は静けさが広がっている。
先ほどまでの喧騒が嘘のようだと思いながら、グレースは誰にも聞こえない、口だけを動かすようにつぶやいた。
「そんなに恋って楽しいものなのかしら」
グレースの目は誰もいない廊下を通り越して、仲睦まじく街を二人歩くセルジュとコレットの姿を思い出していた。
短くて済みません…。
思いのほかエドガーの動きが悪くて進みませんでした。
冷静に考えてみると、恰好つけたはいいけど実は失礼なことしてるよなと思い返してヒーロー役を強制終了させました。
短い間ご苦労だった、エドガー。君の黒歴史は忘れない。
とすれば相手どうしよう……。