グレースの結婚相談所1
グレース婚活編、始めました。
時期としてはコレットがセルジュを押し倒して婚約しちゃった後ぐらいです。
グレースは困っていた。
学長の遊び感覚で学内の一角に設置されてしまったグレースの相談室であるが、現在、そこの利用者の90%は婚活中の男子学生であったから。
目の前の小さな机を挟むように一対の華奢な、だけど座り心地の良い椅子に代わる代わる良家の令息が豪雨のように自分の自慢話をしては時間切れを起こしつまみ出され、換わった次の方は連射式ショットガンかと思うばかりに身内自慢をしてくる。そしてまた次は…とかれこれ3時間ぐらいこのローテーションが続いている。ちなみに同じ男性はいないので、一人15分ということを考えれば現在12人目の自慢話を一方的に聞かされるはめになった。
原因は言うまでもない。今までグレースにはアホ王子として名高いセルジュ第二王子殿下が婚約者として『売約済み』と王家から通達されていたのだが、それも気が付けば婚約が解消されていたのだ。
しかもセルジュ殿下といえば、次期国王としての資質に問題アリと今更ながら査問委員会に決定され、かのフォーゲルライン公爵家…現在は伯爵家の養子となり、エモネ子爵家の電波姫と名高い(?)コレット嬢と婚約を交わしたというある意味時の人である。
どうしてこうなったのかはわからないが、彼の人の婚約者は名高いグレース・デュラメル嬢ということを告げれば「なるほど」とそれだけで納得させてしまうのだ。きっと彼女のことだから目的のために手段を選ばず、手段のためにさらなる人脈を広げたのだろう。彼女の人脈に果てはあるのか、いやきっとない。何故なら彼女のためになるのであれば可能な限り手を差し伸べたいという人間がどれほど多いのか、彼女の武勇伝を知らぬ者はいないのだから。
きっと今回の婚約破棄も新たな彼女の武勇伝の一つとして語られるのだろう。本人がそれについてどう思うかは別として。
話が逸れたが、とにかく、彼女とお近づきになりたい、数ある人財という名の鉱脈の一つではなく、それを共有できる立場になりたい、という思惑を持つ者が湧くことは予想の範囲内である。グレースとて覚悟はしていたのだ。…していたが、まさかここまで面倒なことになるとは思ってなかった。
婚約破棄といえば、どれほど男性側に原因があろうとも女性の名は必ず傷つくのだ。婚約破棄された女としてグレースは利益目的で近づく人間が増えるだろうことは予測していたが、思いのほか自己評価の高くない彼女である。たとえ婚約者に二股された挙句捨てられた女として悪評がたったとしても、それを補って余りある魅力が彼女にはあるのだ。おまけに相手はセルジュ殿下である。婚約がご破算になってお祝いの手紙が届くことがあっても不幸を慰められたことはない。これは対・王家としてどうなのかとグレースも少し頭を痛めたが、「まぁ、セルジュだし」で終わらせることにした。これ以上馬鹿のために頭と神経を使うのは嫌だ。
クリスタは相談室の外にまだ軒を連ねる婚約希望者を睨みつけ打ち払い薙ぎ払い、ドアを閉めきっちり鍵を2つもかけた。それでも外で騒ぐ連中には指笛でクリスタの婚約者でありグレースの幼馴染であるフレデリックを呼び出し(おまけでクロードとエドガーもついてきたが)一掃させた。フレデリックには「あなたは犬ですか」と一度呆れながら聞いてみたいが、何とも言えない空気が漂いそうなのできっと聞かないままなのだろうと現実逃避さながら関係のないことをグレースは思った。
「グレース、今日もお疲れ様。で、全部見合い話だったのかい?」
静かになった廊下と丁寧にノックされたドアの向こうからフレデリックの声がして、クリスタは施錠した鍵とドアを開けた。ここ数日続く事態に疲労の色が見える3人が相談室に入った。すぐさまクリスタはドアを施錠して、隅に置いた予備の椅子を運んだ。
フレデリックがそれを手伝う姿を見ながら、グレースははしたないと思いながら机に突っ伏した。
「3時間丸々自慢話だったわ…。しかも一部ワキガが酷くって、死にそう」
「うわぁ…」
淑女として「臭いから帰れ」などとは言えないグレースは、そっとハンカチで口元を覆うように見せかけて鼻を覆っていた。距離が近いため口呼吸も正直しんどかった。
臭いに敏感なたちではないが、悪臭を少しでも嗅ぐと体調がすぐに崩れるグレースは倒れていないだけ随分成長したと自分を褒めてやりたいぐらいだ。
といっても、グレースが強い香水の香りやキツい体臭が苦手ということはある程度知られており、グレースの傍に寄ることがあらかじめ分かっている場合は、社交界でも香水がキツイと評判の婦人や脳筋で汗臭いムサいと顔をしかめられている紳士も、この時ばかりは湯あみをしたのち、グレースの商会で扱っている柔らかな香りの練香水を少しだけつける程度にしてくれるなど最大限の配慮をしてくれるのだ。事前情報があるにも関わらず、多くの有力者と親しく、将来の王妃(実質的には国王同様の権力を持つ最高権力者)の体調を害するなど自らの首を絞めるようなものだ。おかげで、社交界の混沌とした臭害はグレースの名が広まるにつれて徐々に改善されつつある。
だが、どうしようもないことはある。その最もたるものが体臭だ。自分でどうにかできる人間であれば、湯あみするなり薬草を塗るなりできる。だが、どうにもならないことはある。本人の性格の善悪とは別の話だ。グレースもわかる。理解できる。だが、どうにもならないのはグレースとて同じなのだ。せめてドアや窓を全開にさせてもらいたいのだが、そういう人間に限って自分の臭いについては無自覚だったりする。デリケートな話なので、周りも言いづらいということもあるのだろうが。
「クリスタがその方は3分を超えた時点で外に放り出してすぐに換気してくれたから、本当に助かったわ」
「グレース、私だって臭いのは嫌いよ」
力なくクリスタに微笑むグレースをクリスタはバッサリ切った。ダークブラウンの髪を指先で遊びながらクリスタは顔をしかめている。
「しっかしあいつらもよくやるよなぁ。実家からせっつかれているのはわかるんだけど」
「何を言っている。こんなに美しく愛らしい気立てもよく優秀で非の打ちどころのないわが妹を放っておく男がいるわけないだろう」
フレデリックが自分で並べた椅子に腰かけて先ほどの様子を見て困ったように顔をしかめるが、それをグレースの実兄であるクロードは否定した。筋金入りのシスコン黙れとグレースは睨むが「睨んでもうちの妹マジ天使」と言わんばかりの惚気たような顔になるだけでダメージなどない。残念なイケメンである。
「そんな素敵なグレースを放っておいた挙句二股する男が一人いたけどね」
「あいつは男ではない」
どこぞのセルジュ殿下のことを思い出したフレデリックだが、エドガーが一蹴した。一応男だとは思うとグレースはつぶやく。コレット嬢と良い仲になるぐらいだし、人の好みなど千差万別だろう。少なくとも、自分はセルジュなど全く持って御免なのだが、蓼食う虫も好き好きというのだから収まるべきところに収まったのならそれが一番だと思う。
ただ
「グレースの男の趣味ってどういったものなんだ?一応顔の容姿としてはこの数日間で色々なパターンがあったとは思うが」
エドガーが何気なく聞いたその質問に、グレースは額に深い皺を作った。
顔だけは極上品のセルジュを間近で見ていたグレースである。美醜についてはまぁ、ある程度整っていればというぐらいではあるのだが、問題は中身である。中身と言っても性格だけではない。
「とりあえず、私に寄りかからなくて真面目で自分で決断できて空気が読めて仕事をちゃんとこなして成果をあげられる人しら」
「うわぁ、まったくもってセルジュ様と真逆な話ktkr」
「クリスタ、何を言っているのかわからない」
「フレディには言ってない」
クリスタの拳がフレデリックの胸中央に当たり、蹲るフレデリックをグレースとエドガーがおろおろと心配する姿をクロードは和やかに眺めていた。
グレースのご要望は実にわかりやすいものだった。
しかし、セルジュほど不出来な男は極めて珍しいだろう。その真逆ということは将来国を支えるべく教育された真っ当な貴族令息であれば、ある程度の基準であればクリアできる要件である。空気が読めなくては社交界で生きていけないし、領地経営は家宰に質問することはできるが決断は自分でしなければならない。至極普通に正しく生きている貴族令息など、適当に石を投げれば当たるほどいる。ここは貴族のための学びの園なのだから。
セルジュのせいで異様に男へのハードルが下がってしまったグレースは実に危ういと思う。『あの人よりましだわ』などという理由でダメ男を連れてこられてはたまらない。グレースがその人がいいと決めたのならば、手段を選ばず一緒になることなど容易いことだ。長年見続けた将来の伴侶が残念すぎたのは本当に悲しいことだとクロードは思う。グレースほどの令嬢であれば結婚相手など選り取り見取りのはずだった。それを10年近くも可愛い妹の時間を無駄にしたのだから、兄として怒りが収まることなどない。せめて従妹姫ぐらいであれば自分が妻に迎えたのにと思うが、可愛い可愛い妹だがそういう対象ではないので鬱陶しがられるぐらいの距離感でよいと思っている。
しかし、貴族も15を超えれば有力者である貴族であればあるほど、既に良い縁談相手が決まっているのだ。グレースは既に17歳である。これから選ぶとしても売れ残りと言っては失礼だが、家や本人に問題のない令息を探すのは難しい。他国まで広げればよいのかもしれないが、次期王妃として、そして金鉱脈以上の価値のある『人脈』をもつグレースを国外に嫁ぐことは難しいだろう。隣国とはそれなりに仲良くしているが、グレースの持つ人脈に付随する情報を他国が持つということは非常に危うい話なのだ。それぐらいはグレースとて分別はある。仮にこんな面倒くさいことになった原因である王家に気を使うことにどれほど腹が立ったとしても、その程度の良識を捨てるほど落ちてはいない。もともと落ちてはいないし堕ちたのはセルジュの方なのだが。
「特殊性癖は嫌だしね」
「そういう発想が出てくるのがもう嫌だ。なぁ、クリスタ。お前仮にも伯爵令嬢なんだからもうちょっとこう慎みを覚えてくれ」
「女に幻想を抱くとか本当に痛々しー」
じゃれあうクリスタとフレデリックを眺めるグレースの目は生暖かい。婚約者同士である二人は仲睦まじいと思う。自分の両親も政略結婚だが、それなりに穏やかな家庭だと思う。そういう家庭をいずれは築けたらとは思う。
「でも、あまり結婚への意欲ってわかないのよね」
義務だからするけど。
グレースがぽつりとこぼしたのは紛れもなく本音であった。
10年にもわたる意味も価値もない婚約期間に王家に搾取され続けたグレースは疲れていた。惚れたはれたという話ではなく、純粋に政治的な話で決められた婚約であるがゆえに、そこにグレースの意思などなく、自分がただ消耗されるだけだった。「結婚」し、「王妃」として一生国に身を捧げる為だけに生かされていたと言っていいだろう。そこにグレースへの思いやりなどかけらもなかった。グレースの心に「結婚」という契約は自分を縛り心と縛り消耗させるものという認識となってしまった。トラウマと言ってもよいだろう。
グレースが自由になる今日まで体も心も壊すことなく過ごせたのは一重に彼女が人に恵まれていたからだ。人によって壊されかけた彼女は人によって支えられ救われてきた。そこに恋愛も家名を着せた契約もない。
だから、グレースは疲れたとこぼしながらもきっと明日も相談室の扉を開き、誰一人としてまともな相談をすることもないだろうに親しい人から見れば強張った笑顔で過ごすのだろう。自分を助けてくれた誰かにいつか恩を返せるように、グレースは自分のできる限り続けるのだろう。
「じゃあ、グレースはまともなら誰でもいいんだ?」
エドガーは割と軽いノリでグレースに言った。
グレースとしてはそんな節操なしな女のつもりはない。エドガーの言い方を窘めようと口を開く前に、グレースの唇をエドガーは人差し指で押さえた。
「じゃあ、うちにお嫁においで」
なんてことのないような軽い口調でエドガーは言った。
クリスタのようににやりとした人の悪い笑顔で。