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グレース・デュラメルの談話室  作者: 葛霧
コレット・エモネ
3/14

コレット・エモネの回想録 後編

コレットは晴天の下、先ほどまでお茶会が開かれていただろう場所で一人転がる男に近づいた。

男は紅茶と菓子と少しの泥で服がずいぶん酷いことになっていた。

それでも彼の輝かんばかりの金の髪も顔も美しいままであることがコレットには不思議だなぁと思った。惨めな恰好だとは思ったけれど、それ以上の侮蔑する気持ちは湧かなかった。


目の前にまできて、ようやく男は自分の前に誰かがいると気づいたようで、不機嫌なさまを隠すことなく睨みつけるように顔を上げた。


「…コレット?」

「ごきげんよう、セルジュ様」



逆光でセルジュからはコレットの表情が読み取れなかったけれど、その声はいつもの明るく溌剌とした少女のものではない、今までになく落ち着いたものだった。





*******************








何を間違えたのだろう。

誰もいなくなった校舎裏でコレットは頭を抱えていた。


差出人の名前もない手紙での呼び出しなど、よくよく考えれば無視されることだってあり得たのだ。幸か不幸かグレースは呼び出しのとおり、校舎裏に現れてくれた。

悩みに悩んで選び抜いた白い手袋は適度な重さと質感で、仮にそのまま決闘にもつれ込んだとしても動きを妨げないなかなか良い品で、試しに使ってみたが満足のいくものだった。


コレットはここが正念場!ということで全力をもって迎え討たんと膝がっくがく震えているけれどもがんばって気合を入れていた。だが、当の本人はといえば柳に風、のれんに腕押しといった具合で総スルーの上、気が付けばその場を去って行ってしまった。


……………これは非常にまずい。


予定していたことからかなり外れてしまっただけでなく、今までグレース様の視界に入ってもいなかったのがこれでしっかりと目につくようになってしまった。

次善策など講じていない状態で、これは非常にまずい。


「今度こそ潰される……!」


コレットは顔を蒼褪めたままで、気が付けばふらふらと女子寮へ戻っていた。





*************





今更グレースに向かって「あれは冗談でした」など言えるはずもない。

コレットは今思えばいろいろ早まりすぎたことを後悔していた。


「でもセルジュ様と結ばれるためにはグレース様と別れていただかないといけないし…」


ちなみに、この時点でもまだコレットは気づいていなかった。

本当にセルジュが自分のことを思うのであれば、グレースとのことをコレットに話しているだろうことに。そこに気が付きさえすれば、少しはセルジュに対して疑いを持つこともできただろうし、グレースについてもセルジュ以外からは悪い噂などそうそう聞かなかったことに気づけたし、セルジュの評価についても他者から聞くことができたはずだ。

この2人の評価についてはおおむね誰に聞いても似たような回答がでるはずであった。


「セルジュ殿下といえば、幼いころから人を人だと思わず、優しさもなく、自分に都合の良いことしか受け入れない稚拙な王子である。彼の唯一褒められることがあるとすれば、それはセルジュ殿下の愚かさを補ってなお余りあるほど優秀な婚約者を持っていることだ」と。


そしてこれはコレット以外の人間のほとんどは知っているのだ。これは紛れもない政略結婚であると。

もちろん、その中にはセルジュも含まれており、いかに卑屈になろうともセルジュが今後王太子になるためにはグレースの存在が不可欠であることぐらいは理解していた。

コレットがグレースを呼び出すよりも前に、ここまで気づけていたら事態は大きく変わっていたかもしれない。しかしコレットはそこまで到達することができなかった。

コレットの預かり知らぬところで、この時点で彼女の言う「トゥルーエンド」なるものは迎えられないと確定されたのだった。



しかし、コレットは決めていた。

セルジュルートを完遂する以上、たとえ相手がだれであろうと「引かぬ・媚びぬ・顧みぬ」と。いや、少しは顧みることは必要だとおもうのだが、コレットは家族からも何度も口を酸っぱくして言われていた「猪突猛進」型であるが故に、落ち着いて考えるということができなかった。

コレットの思い描く「コレット・エモネ」というヒロインは、誰からも清く正しく心優しい少女なのだ。そうである以上、グレースから何のアクションもなければ、努力してグレースに自分の方が相応しいと心より思ってもらわねばならないと固く信じていた。

グレースからしてみれば自分以外の誰かが変わってくれるなら万々歳なのだが、未だゲームのグレース像を抱いているコレットはそんなことを知る由もない。なにせ、愛するセルジュから「高慢ちきな女狐」と度々聞いているのだから、それを疑うこともなかった。


コレットは拳を二つ、胸の間で力強く握ってヒロインっぽい「がんばる」ポーズを決めた。


「こうなったら仕方ない、グレース様に直談判するっきゃない!」


なぜそうなる。


コレットはそう決めるや否や、グレースの下へ向かった。






コレットは研究棟へ向かう途中らしきのグレースを発見した。

まだグレースはコレットに気づいていないので、そのままスルーされまいとグレースの目の前にスライディングを決めた。


「グレース様ぁあああああ!」

「きゃあああっ!?」


ヒロイン的百点満点の悲鳴を上げたグレースはコレットの思惑通り足を止めてくれた。


「え、ちょ…な、何……!?」


突然目の前で顔見知りの貴族令嬢が予想外すぎる登場をしてきたことに驚きを隠せないグレースだが、コレットはとりあえずグレースと話すきっかけができたと砂埃で汚れた制服をはたきながら立ち上がった。

未だ混乱の中にいるグレースに向けて、敵意がないように精一杯の笑顔をみせた。


「お忙しい中、すみません。グレース様!少しお話できませんか?」

「えーと…確かエモネ子爵令嬢、よね。話をする以前に、なんていうか…その、貴方はもうちょっと常識を覚えてくるべきだと思うわ」

「すみません、いきなりで失礼かな?とは思ったんですけど、どうしてもお話したいことがあるんです!」

「アポの有無の話ではないのよ?子爵家の令嬢がそのような体を地面に擦り付ける行為をするということが非常識だと言って」

「あ、これはスライディングという技術走法です」

「スラ…走法?いえ、そういうことを話しているのではなくて…」

「頭から突っ込むように滑り込む走法もあるんですよ。さすがにそこまでの技術はないので失礼とは思ったんですが、足からいかせていただきました」

「あ、頭……!?あなた本当に子爵令嬢なの!!?」

「生まれも育ちもエモネ家ですよ?」


うちの父親は母一筋なので愛人はいないはずだ。私は特に両親にそっくりな見た目をしているらしいから間違いなくエモネ子爵夫妻の子どものだ。両親からは誰に似たのかとたまに嘆かれるけれども、仕方ないよね。ヒロインをやり遂げるためには多少の強引さとお節介しないと好感度上がらないし。


「グレース様、私、走法の話をしにきたんじゃないんです!」

「ええ……そうでしょうね、そんな話をされても私、どうすればいいのかわかりません」


頭が痛いと言わんばかりに伏せ目が地に額に手を当てているグレース様は物憂げな美少女この上ない。悪役令嬢と言えどもラスボスというだけあって何をしても様になるとは…恐ろしい子!


「セルジュ殿下のことで、お話があるんです」

「あなたが私に用があるとすればそれぐらいでしょう。あの時あなたに言ったように、現在状況を確認しているところです。あなたもいろいろ思うところはあるとは思いますが、こちらから連絡するまで待っていただけないかしら?」

「でも、私こんなの嫌なんです!」


グレース様に一方的に時間を与えるのは危ない。裏からどんな手を回されるかわかったものではない。いや、恐らくすでに動いているだろう。こう見えてフットワークが軽い悪役令嬢(ラスボス)なのだ。そうでなければ隣国巻き込んでドンパチしようなどとは思うまい。

コレットはグレースを必死に訴えた。


「あんな気の弱くて優しいセルジュ殿下が二股なんていう状態でいること、とても苦しんでいると思うんです。グレース様から見れば殿下も私も甘くて至らない人間だと思います。グレース様に敵うなんて思ってません、けど、どうしても諦められないんです」

「え、気が弱くて優しい?なにそれどこのセルジュ殿下の話?」

「この国の第二王子のセルジュ殿下の話です!」


グレース様は急に訝しげな顔をして、私を睨むように見つめてきました。

美人がそんな顔をすると迫力があってしかたない…ていうか何この威圧感、まさにラスボスの風格!いやふざけている場合じゃない私!

だけど、グレース様の立場を考えれば不愉快になって当然の話なのだ。自分の10年を婚約者としてセルジュ様の隣にいたのだから。

コレットはグレースの前に跪いた。


「グレース様には大変失礼なことだとは重々承知しています。グレース様に認めていただけるには、どうしたらいいですか?私、なんでもします、どんなことでもがんばって成し遂げてみせますから!!」


グレースは10秒ほどじっとコレットを見下ろして…ため息をついた。

酷く面倒くさそうにコレットの手を握り立ち上がるように無理矢理に引き上げた。


「とりあえず、ここで話すには向いていない話題でしょう」


そういってグレースは手近な空き教室へ入り、鍵を閉めた。

教室には誰もいないので、闇討ちということはなさそうだと自分のことを棚に上げてほっとしたコレットをしり目に、グレースはさっさと椅子を向い合せるように寄せて座った。

グレースに勧められるままに椅子に座ると、グレースは先ほどまでの急襲に混乱するご令嬢ではなく、女王の風格を持ってコレットに話を切り出した。


「この件においてエモネ子爵令嬢、あなたにはっきりと言っておくことが3点ほどあります」

「な、なんでしょう」

「まず第一に、あの殿下について私は恋愛感情を持っていません。ですので、貴方が殿下と結ばれたいと願って、それが国に認められれば私は何も言うつもりもするつもりもありません。あなたが知っているかどうかは知りませんが、この婚約は国によるもの。あなたのような情熱は私にはありません」

「え……?」

「次に、セルジュ殿下はあなたの思うような「王子様」ではありません。このままいけば愚王まっしぐらの馬鹿王子です。物語の王子様のような容姿であるのは認めますが、頭の中まで子供の夢物語のような頭をしていて困っているのですよ、皆」

「み、みんな?」

「えぇ、皆。国王も国の重臣も将来殿下を支える臣下予定の貴族たちも国民も」


どうしてあなたが知らないのか驚いたのはこちらの方よ、とグレースはうんざりした顔でコレットに肯定した。


「でも、私にはとても優しくて私のことをいつも気遣ってくれる人で」

「殿下の褒め言葉を見た目以外で初めて聞きましたわ」


グレースはさらっと毒を吐いた。

その不機嫌を隠そうともしない様子からは嘘をついているようにも見えなくて、コレットは動揺した。


「最後に。私は殿下との関係を続ける気は既にありません」

「は………?」

「ですから、私は殿下の婚約者を務める気などないのですよ。勅命なので仕方なしに従わざるを得なくて不本意な関係を続けてきましたけど、そこまで真剣にお付き合いをするご令嬢がいるのであれば、私など不要でしょう?私におんぶにだっこで全部押し付けて好きなことを好きなように周りの人間のことなど考えずに本能のまま生きているような男、熨しつけて差し上げますわ」

「じゃ、じゃあ殿下との関係は…」

「”今”はまだ、婚約者です。殿下から婚約解消を願うということも小賢しいことにないでしょうから時間がかかります。侯爵家から訴えてもそう簡単にどうにかできるものではありませんから」

「どうしてそこまで私に教えてくれるんですか?」


グレースはそこまでいって、にっこりコレットに微笑んだ。


「先日のあなたは人の話を聞こうともしなかったけれど、今日のあなたは少し違いました。ですから、少しは話を聞こうという気にはなったんです。あの時は失礼な物言いでしたけど、それに比べれば誠意を感じました。殿下には全くないものですからね、そういった類のものは。お似合いですわ」

「グレース様……!」

「というのは表向きで、セルジュ殿下の押し付け先が欲しかったんです」

「は………?」


グレースは笑顔に含みのあるものを持たせて続けた。


「私はあんな男のために私の人生を使いたくはありません。ですが、セルジュ殿下の能力が著しくよろしくないことなど、婚約が決まった段階から知れたこと。それを理由に婚約を解消することなどできません。むしろ、それこそが私との婚約を結んだ最大の理由なのですから。

ですから、それ以外で殿下の非を理由にする必要がありました。残念なことに、本っっっっ当に残念なことに、大抵のことは『もともとそういうヤツだとわかっているだろう』で済まされることでしたから、何を仕出かしても私にとって損にしかならず言い訳にもなりませんでした。あー腹立つ」


いろいろ思い出したのか笑顔のまま不穏な気配が漂うが、コレットから話しかけた以上逃げ出すわけにいかない。グレースの怒気に身を小さくして耐えていると、ふと、空気が軽くなった。


「そこに、貴方が現れたのです」

「私、ですか」

「そう。なかなかいい理由がないと歯噛みしているところに自ら殿下の恋人だと乗り込んできてくださったのですから、これ以上ない生贄だと思いました」

「いけにえ…っ!?」

「ごめんなさいね、想い合う恋人たちには失礼な表現でしょうけど、私にとって殿下との婚約は人身御供でしかなかったものなの。発覚当時は無能のくせに何の手順も踏まず何してくれるんだと思ったんですけど、見定めて動き始めてしまえばありがたいの一言に尽きます」


清々したと言わんばかりの笑顔でグレースは続けた。


「殿下に求められるものは誠実さ…要するに、王家の血を流出させないようにすること。それのみです。政治的なことは私の管轄になる予定でしたから、それ以外は大人しく黙っていてもらえばよろしかったのです。ですから、私が婚約破棄へ動くために必要なたった一枚の重要な手札が、コレット・エモネ、あなたです」

「手札ってそんな…」

「気分を害されたならごめんなさいね、でもあなたにとっても悪い話ではないのよ?

私もあなたもこの婚約を無くしたい。そのためにセルジュ殿下の押し付け先が必要で、それは恋人であるあなたがなればいい。

ちなみに私は今、殿下の不貞を理由に王家へ婚約の解消を訴えるために根回しをしています。エモネ子爵令嬢は今まで通り殿下と仲睦まじく過ごしていただければ結構です。下手なことはなさらないでね?気づかれてもあの方には何もできないと思うけど、色々面倒事が増えるのは御免だわ」

「私に…殿下を、騙せと?」


そんなこと、ヒロインのすることではない。

そんなことをするのは、悪役令嬢だけだ。

グレースはコレットの目に怒りの感情を見て、つまらなさそうに目を細めた。


「騙すなんて人聞きの悪い。あなた、殿下のことが好きなのではなくって?私に決闘を申し込むぐらいには殿下に惚れ込んでいるのよね。であれば殿下と恋人同士過ごすことに何の問題もないでしょう?」

「でも、殿下に関わることではないですか!」

「今更よ。あの方に関わることであっても、あの方は何一つ動かない。面倒が一つ増えるだけ」

「そんなこと!」

「本当よ。あの方は何一つ、まともなことなんてしないわ。王子であることの重みをわかってないの。自分以外の人のことなんてどうでもいいと思っている方だから。嘘だと思うなら、1か月だけ待ちなさい。その時にあなたに見せてあげるわ」

「何を?」


グレースは濃紺の瞳で真っ直ぐにコレットを見つめ、宣誓するように告げた。


「私と殿下の婚約解消を遂げてみせます。そして本来ならば外に出すことも叶いませんが、特別に婚約解消書をあなたに見せて差し上げます。もし殿下がまともであなたの言うとおり優しく誠実であるならば、婚約が解消されてすぐ、貴方に報告し、婚約なり今後の行く末について話し合うなどの行動をとるはずです。

しかし、私があなたに書類を見せた後も今までと何ら変わりない態度であるなら、それは碌に書類に目を通すことなく重要な書類にサインをしてしまう愚か者で、なおかつあなたに対して誠実ではない男であるという証明になるわ」


グレースはそこまで言うと席を立った。


「それでは、1カ月後。ここでまた会いましょう。私はこれから教授と打ち合わせがありますので、失礼します」


そういって入り口付近まで歩いたところで、思い出したように振り返った。

ほんのついでに聞いてみるけれども、と前置きをして。


「エモネ子爵令嬢に一つお聞きます」

「なんでしょう?」

「あなたはセルジュ殿下が、王家の名前を名乗れなくなって、ただの平民となったとしても彼を愛し続けるのかしら?」


それは間違いなく、悪役令嬢(グレース)の報復予告だった。

グレースはコレットの返事を待つことなく背を向けた。






*****************






「最後にした質問だけど、あなたはどうするつもりなのかしら?」


グレースは大して面白がる様子もなく、コレットに問いかけた。

コレットの目の前にはデュラメル侯爵家・セルジュ・グレース、そして王家の4名のサインと王家の印章が押された書類が一枚置かれていた。

間違いなく、婚約解消書であり、コレットの知るセルジュのサインで間違いなかった。


「婚約破棄…解消かしらね。これが成立してから既に2週間は経っているわ。書面で済ませたから、私は陛下と同席していないけれど、私の父上は陛下が署名なさるときに同席していました。その時にセルジュ殿下はいなかったそうよ」


コレットは初めて見る婚約解消書を見て呆然としていた。

劇中であるような、婚約破棄劇をしたかったわけではないが、王国の象徴である羽の生えた獅子の印章は紛れもなく現実を知らしめてくれた。あくまで、貴族らしくグレースは事を成し遂げた。

コレットは目の前にいるグレース・デュラメルを改めてみた。

ゲームと同じような性格と性質なのに、同じく女狐と揶揄されてしまうような能力と思考を持っているのにもかかわらず、彼女はコレットに対して真摯に対応してくれた。そこにはコレットではわからないグレースの利や事情があるのだろうが、少なくとも「コレットだけ」だと愛をささやいたセルジュはコレットに現実的なアプローチは何一つとしてしてくれないままだ。


「エモネ子爵令嬢、あなたにセルジュ殿下を押し付ける私が言えたことではないけれど、貴方が思うよりもあの男を選ぶことはあなたにとって幸せだとは思わないわ。

嘘もつかない正面からしか行くことのできないあなただから言うけれども、私は、10年間私を虐げ搾取した殿下も王家も許すつもりはないの。私が王家の一員にならないことが決まった以上、私は容赦しないわ。それでもいいのなら、貴方を王妃へと押すことに協力は惜しみません」


グレースは少なくともこの件については誠実だった。

グレース自身に誠実だった。グレースが言った一方的な約束も果たしてくれた。

本来であれば不利になるようなことですら、コレットに事前に伝えてくれた。

エモネ子爵家程度、何の障害にもならないという自信からなのかもしれないが、それでもコレットはこの時点でグレース・デュラメルという存在への認識がガラリと変わった瞬間であった。


「私はグレース様がすることに、何も言うつもりはありません。グレース様がそうするべきだと、したいと思うなら、皆が協力を惜しまないだろうこともわかります」


(ヒロイン)だって、グレース様のために何かしたいと思うぐらいなのだ。

コレットは書類に向けていた視線を押し上げて、グレースを見た。

物憂げな表情なのに、よく見るとそこには人を気遣うような色が見えた。セルジュ殿下みたいなわかりやすい…露骨にそう見せているようなものではなく、心が垣間見えるような密やかなものではあったけれど。


「グレース様。私は私の責任を取ります。セルジュ様がどうなろうと、私はセルジュ様のおそばにいます」

「それは、愛しているからなのかしら?」


ヒロインであるコレット・エモネならば、そうだろう。

でも私はただのコレットだ。心優しく清く正しく、愛しい人の全てを包み込むようなことはできない、普通の女の子。

それでも、セルジュ殿下と生きていこうと決めたのは、コレット自身なのだ。

ゲームのヒロインそのままにはなれないけれども、コレットなりに人から何を言われようと恥じることなく真っ直ぐに正面を向いて歩ける人間でありたいと強く思うのだ。

コレットは否定するように頭を振った。


「私はセルが好きです。夢みたいな王子様であるセルも、自分に自信がなくて卑屈になっちゃうセルも、子供みたいに責任から逃げてしまうセルも、全部含めて受け入れようと決めたんです。グレース様みたいなガチチートに立ち向かうぐらいには腹をくくっているんですよ?今更引けませんし、引くつもりもありません」

「それは愛しているとは言わないのかしら」


グレースが不思議そうに小首をかしげて見せるので、少し笑った。

こんなに大人びてかっこいい人なのに、ふとした動作がとても少女然としていて可愛らしい。


「私は恋人ですから、愛しているだけではないです。今の気持ちというと、どちらかというと、責任感とか、使命感に近いかもしれません」

「あまりよくわからないけれど、責任とか使命というのならわかるわ」


グレースはそう言って小さく頷いた。


「では、あなたが責任を持って殿下を引き取ってくださるということでいいのね」

「はい。セルが平民に下ろうと放逐されようと王様になろうと、セルが望むなら私は彼の傍にいます。そして、彼と共に少しでも成長できればと思います」


コレットは力強く返事をした。

父へは何も告げていないけれど、コレットは自由気ままな3人兄妹の末っ子だ。

上の二人と比べれば手放したところで痛手はないだろう。


そんなコレットの様子にグレースは楽しげに眼を細めた。


「あなたがそう決意したのなら、私から言うことはありません。

…ですが、あんな粗大ごみを拾ってくださった方にお礼の一つもしないというのは、侯爵令嬢として礼に欠けますね」

「グレース様…?」

「先日のお茶会の時に、あなたにお願いされたものね。”ざまぁえんど”はやめてって」


ざまぁがいまだよくわからないけれど、と言いながらも軽やかにグレースは笑った。


「あなたのお願い、叶えてあげる」






*************************





コレットは訝しげに自分を見るセルジュに微笑んでいた。

思ったよりも派手にやられたなぁとのんびり思ってしまったけれど、これでもまだましな方だろう。通常であれば、あのグレースの本気を出せば国外追放なら良い方で国の膿を出すだけ出してセルジュに全部かぶせて処刑させるぐらいのことはできそうだから。そんな残忍なことをする人ではないことは今では十分知っているけど。


コレットはセルジュの前に座った。土で制服が汚れてしまうけれど、そんなことはどうでもいいだろう。


「大丈夫ですか、セルジュ様」

「お前まで俺を馬鹿にしにきたのか?」

「怪我の具合を聞いたぐらいで馬鹿にするなんて失礼ですよ」


睨みつけてくるセルジュを適当にいなしながら、コレットはハンカチを取り出してセルジュについた汚れを拭いた。服に浸み込んだものはどうしようもないので、顔と服の大まかなところだけだけど、丁寧に拭えば多少はましになった。

これでいいだろうとコレットが手を引いたところを、セルジュがその細い手首をつかんだ。

セルジュの目を見れば沸々と怒りが湧いてきているのが見て取れた。


「お前が、グレースに言ったのか」

「何をですか」

「僕が、お前と付き合っているということだ」

「言いましたよ。恋人だって」

「誰がそんなことを言っていいと言った!!」


吠えるように怒鳴ったセルジュを、冷ややかにコレットは見返した。

返事をするでもなく、黙ってそうしているとセルジュは少し狼狽えたように言葉を探してすぐに黙り込んだ。この小心者はこちらが強気に出ればすぐに押されてしまうのだ。

コレットはわざとらしく溜息を吐いてみせた。


「グレース様という婚約者がいるにも関わらず、私を誘ってきたのはセルジュ様でしょう。それに乗った私も同罪ですが」

「お前までそんな言い方をして俺を馬鹿にしているのか!!」

「何を言ってもセルを馬鹿にすることになるの?そう受け取っちゃうなら本当に救いようのない馬鹿だよね、セルって」


呆れたようにコレットはそう言って、右腕を握るセルジュの手を軽く叩いた。

しかしセルジュは一向に離そうとしないので、仕方ないとそのままにした。


「私だけって、愛しているって言ったのは、遊びなの?」


問い詰めるでなく、軽い調子でコレットはセルジュに聞いた。

軽く聞くには随分と重い話だが、それでもあえてコレットは明るさをもって言った。

いつもセルジュと接していた時のように。

そうすれば、セルジュは目を伏せてゆるく頭を振った。


「…違う」

「だよね。知ってる」


あっさりコレットは肯定した。

あまりに軽いので、セルジュは拍子抜けしつつも腑に落ちない様子だ。


「疑わないのか?」

「セルは嘘が下手だからね。王子様なのに。知らないふりは上手みたいだけど」


だからまんまと色々騙されちゃった。

そういってコレットは何てこともないように笑って見せた。

その笑顔に不意を突かれたようにセルジュは顔を強張らせて…力を抜いた。


「今更何言っても胡散臭いんだけどさ」

「うん」

「僕は、本当に君が好きなんだよ」

「うん」

「だけどさ、王子じゃない僕って価値ないだろ」

「一般的にそうだね」

「そんなことないよって言えよ」

「一般的にはないのは本当でしょ。グレース様に色々聞いたから知ってるし」


コレットがそう返すと舌打ちしてセルジュは天を仰ぐように見て「ほんっとあの女狐、可愛くねぇ」と呻いた。失礼な。


「昔っからそうなんだよ。僕は何やってもダメで…ってこの愚痴言ったか」

「うん。毎回聞いてる」

「ウザいな、僕」

「そうだね」

「あ゛―…とにかく、そんな僕だから、ちゃんとした奥方をもらわないといけないって言われてグレースが来たんだよ。で、父上が言うわけだ。『彼女がお前の代わりにこの国を支えてくれる。だからお前は余計なことをするな』って」

「セルの立つ瀬ないね」

「本当にな。だったら兄上にすりゃいいじゃんって思うだろ。でも母上がそんなの許さないって叫ぶし、他のお偉方も鬱陶しいし。グレースも嫌がればいいのに文句も言わずに僕の代わりに全部やっちゃうの。今となれば断れるわけないってわかるんだけど、僕も子供だったから。ならグレースを僕の代わりに父上の子にしちゃえばいいだろーって」


コレットはその様子が目に浮かぶようだった。今その名残というかそのまま残っているセルジュなので、天使時代を知るコレットは微笑ましく思えた。あくまで(スチル)だけだが。


「それで絶賛反抗期してたら、父上が息抜きに城下町のお忍びを許してくれてさ。その日グレースと幼馴染が城に来る予定だったけど、会いたくなくて。侍従とか護衛とか撒いて迷子になれば城に戻る時間も遅くなるから会わなくて済むかなーて浅はかなこと考えたら、まぁ、あれだ」

「あれですか」


あれと言われて思い出すのは一つだ。コレットがセルジュと出会ったあの誘拐事件。

今でこそその時の傷は残っていないが、完治するまでに3か月は要したのだ。

いろんな意味で衝撃がありすぎた上に、思い出も強烈で忘れることなどできそうもない。


「いつもの僕はわがままで頭も良くなくって卑屈で偉そうで王子なんだからって何でもできる気になって、全部自分が正しいと思ってたし酷いこともたくさんした。そういう風に振る舞うべきだった思ってた。そのうちのいくつかは流石に違うよなってわかってきたけど、でも変えることもしなかった」


でも、あそこではそんなことは何一つ通用しなかった。

殺されるんじゃないかって泣くたびに男たちに殴られて、不安で仕方なかった。

それでも何とか虚勢を張れたのはもう一人の子は自分よりも小さくて自分よりももっと簡単に死んでしまいそうな普通の弱い女の子だったからだ。


「初めてだったんだよ。僕を頼って、僕に守られてくれる女の子も、僕のことを当たり前みたいに心配してくれる人も」


本当に嬉しかったんだ。


「だから、君がこの学園に来てくれた時は神様に感謝したぐらいだ。あの時からずっと、まっすぐに僕を見てくれたのは君だけだったから」


あの時の女の子は少しも変わることなく、自分だけを真っ直ぐに見てくれた。

不器用な人だね、って含みのないまっさらな笑顔をくれた。

自分の付属品をみることなく、「セルジュ」として接してくれた。


「コレットは僕の権力が目当てとか、そんな子じゃないってわかってた。でも、僕が君にあげられるものなんてなかった。僕にあるのは王族の血だけだから、どうしても王位継承権を捨てるわけにはいかなかった」


グレースが僕のことを恋愛対象として見ていないのは知っていた。

大嫌いだと言われるほどだとは思ってもいなかったが、少なくとも好意を持たれていないことだけは知っていた。彼女が僕といるのは高位貴族としての義務だけだ。そして、彼女はその責任感から決してそれを無責任に放棄しないことも知ってた。


「何が最善かはわからなかった。でも、このまま国王になることも怖かった。全部グレースに任せて僕は人形のようにじっとそこにいるだけなんて気が狂いそうになる。だからといって、グレースがいないのでは僕は国王になれないし、なったとしても無能な王になる」


それぐらいはわかっているんだと、疲れたようにセルジュは微笑んだ。


「でも、僕は君が欲しかった。どうしても欲しかった。でもグレースを手放すわけにもいかない。僕は頭がよくないんだ。どうすれば二つとも手に入るのかわからなかった」


それで、こんな目に合っているわけなんだけど。


「僕のこと、どう思う?」

「かっこ悪いし迷惑だしグレース様に失礼だと思ってる。自業自得ってこういうことをいうのね」

「辛辣だなぁ」

「今さらだからね。はっきりと自分の気持ちを言う私が好きなんでしょ?」

「うん…そうだね、そんな君が好きだよ」


でも、ここまでかなあ。


そういってセルジュは紅茶がこぼれてぐちゃぐちゃになっているのも気にすることなく寝転がった。どうにでもなれと言わんばかりの態度だ。


コレットそんなセルジュをじっと眺めていたが、立ち上がってセルジュのもっと近くに寄った。逆光ではあったけれども、目の慣れたセルジュにはコレットの表情が何とか読み取れた。

完璧な無表情だった。


「コレット?」

「ふざけんな!!」


そう怒鳴るや否や、コレットは何の躊躇いもなく怒りのままにセルジュの腹を蹴り上げた。

いいところに入ったのか、咳き込みながらも痛みに呻くセルジュの胸倉をつかんだ。


「私の気持ちは無視ですか!あの天下無双するんじゃないかっていうぐらいのハイスペックなグレース様に決闘申し込むぐらい真剣にセルのことを思って何とかしようとがんばってた私はいったい何なのよ!馬鹿なの?独りよがりでただの勘違い女なの!?

セルがどうしようもないヤツってことぐらい知ってるよ!あの時だって不用意に怒らせて散々な目にあったんだから忘れるわけないでしょうっ!

それでも私はセルが好きで、好きな人はどうしようもない馬鹿だけど、それでもできる限り頑張って一緒になろうって決めた私は何なのよ!!」


がくがくと胸倉掴んだ腕を思うがまま揺さぶれば、とたんにセルジュはグロッキーになった。でもそんなこと知るものかとコレットは追撃の手をやめない。

ふらふらになっているセルジュに跨り、逃げないようさらに顔を両手で包み、そのまま力を込めて逃げないようにする。


「コレット…?」

「逃がしてなんかあげない。それに、グレース様が私にくれるっていったもの。もうセルは私のモノなんだから」

「は…?」


コレットはぽかんと間抜けな顔を晒すセルジュの口を両端から引っ張って遊びながら告げた。


「ねぇ、セルジュ・フォーゲルライン伯爵子息様。

……伯爵子息と子爵令嬢なら、王太子と子爵令嬢よりずっと釣り合いが取れると思いませんか?」

「え?」


政治闘争で負け、公爵位から伯爵位に落ちたフォーゲルライン家など、ほとんどの家は関わりたくないはずだ。それは伯爵位より爵位や家格が下の家も同様である。おまけにお家騒動で負けた二男坊が追いやられているのだ。

しかもこの件について"あの"グレース・デュラメルが主導しているのは公然の秘密である。


コレットはグレース直伝の威圧するような笑顔をセルジュに向けた。


「セルジュ・フォーゲルライン伯爵子息様、コレット・エモネ子爵家令嬢とお付き合いする気はありませんか?」


といっても拒否権はないんですけど。


そういって無邪気のようで有無を言わせない笑顔のコレットはセルジュの唇に容赦なく噛みついた。





転生ヒロイン視点はこれで終わりです。


王子ざまぁああ!で盛り上がっていた方、盛り下げてしまったらすみません。

でもコレットは元々、特に終わりについてはセルジュとくっつける予定でした。

ある意味コレットはダメンズスキーなのかもしれません……。

セルジュは根っから悪い子ではないんでしょう。どうしようもない馬鹿で阿呆で愚かというだけだ、いいところはきっとあるんでしょう。


セルジュの地位についてはグレースが関わっている以上、セルジュが国王になるということはないと思っていたので、国外追放か臣籍降下ぐらいはさせるだろうと思っていたので、グレースがコレットのことを嫌いでないならこれぐらいで治めるんじゃないかと。

グレースにしてみれば王家とコレットに恩は売れるわセルジュに煩わされることもないわ万々歳です。

伯爵位であれば侯爵位のグレースよりも下なので、力に任せて色々やりやすいというメリットもあります。さすがに王族の血が濃い人間を男爵子爵レベルまで落とすのは難しかろうということで、これがベストでした。


コレットはただ好きな人と幸せになりたいだけの普通の女の子です。

別に略奪とかに燃えるタイプではありません。グレースのことはどうせすぐにわかれるしぐらいの認識だったので、当初はそこまで罪悪感も何もありませんでした。


割と満足したのですが、残念なのは後編が前・中編と比べて長くなりすぎたのでグレースと幼馴染たちのお茶会に乱入する話が書けなかったことです。

それはまた機会があれば番外編でかけたらいいなーと思います。


最後までご覧いただきありがとうございました。

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