グレースの結婚相談所7
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どうしてこうなっているんだ?
ハーゼは自分と同席している従兄弟のリュコスと異母弟の元婚約者であるグレースに、内心頭を抱えていた。当の二人はさして重い雰囲気もなく、穏やかに談笑しているというのに。
ハーゼは今朝、父から地味に掛けられたプレッシャーで痛み始めた胃を慰めながら斜め向かいに座りあう二人を斜め見る。
挨拶と街での衝突事件の謝罪もそこそこに、グレースとリュコスはハーゼの紹介を受け、現在、話は変わって和やかに談笑中である。
一目惚れであれだけハーゼに惚気たリュコスというだけあって、グレースから無理な体勢で自分をかばったことで怪我をしていないかと気遣われた時のリュコスの心の声といったらなかった。声ではない。声にならない叫びだ。悶えているだけともいう。あえて意訳するとすれば『俺の女神マジ天使』だろうか。ハーゼにしか聞こえなかったのは幸いだろう。
なんとか表情筋を持ち直したリュコスは、軍部で鍛えられた精神で、冷静を装うことができていた。
「ではリュコス様はフリーデグリフで10年も軍部にお勤めされていたのですか。通りで、この国ではあまり見ないほどの鍛えられた体躯なのですね」
「はい。父方のバヨネット家ではその血を引く男は最低でも3年間は当主の元で軍隊生活を送らなければならないのです。ハーゼはこの国の王家に連なるものなので例外でしたが、俺の場合は父の意向もあって。気が付けばなんだかんだと5年程度のはずがその倍になってしまっていました。いえ、それはそれで良い経験にはなったのですが」
「それは大変だったでしょう。女の身では殿方の訓練の厳しさは共感できませんが、想像はできます。よくご健勝のままでお帰りくださいました。」
「俺の無事を喜んでいただけるのですか?」
「もちろんですわ!ご無事で本当によかった。嬉しく思っております」
「あなたのような美しいご令嬢にそういっていただけると耐え続けたかいがありました」
「まぁ!」
グレースに気を使いつつ、できる限りの紳士的な対応を心がけているリュコスにほっとするハーゼである。あれだけ自分の前で醜態をさらしたリュコスが、ありったけの理性を総動員しているのはハーゼだからこそわかる。リュコスがグレースとぶつかったあの日から散々惚気られたのだから。実物に会って変な風に暴走しないか気がかりで同席したのだが、いらぬ心配だったようだ。
とはいえ、時々グレース嬢の微笑に中てられてしまったのか、崩れそうになる表情筋を何とか保とうと必死に頬の内側を噛んで紳士面を維持しているのが実に滑稽である。それに気付いているグレース嬢が、そんなリュコスの様子に微笑ましいと言わんばかりの笑顔を浮かべている。完全にグレース嬢の手玉に取られている。そんな言い方をするとグレース嬢が悪女のようだが、表面のみをつくろうのに必死な男など、社交界では百戦錬磨であるグレースにとっては実に相手をするのが楽だろう。ハーゼだって貴族院の狸どもがみんなリュコスのようなリアクションであればどんなに楽だろうかと心底思う。
ハーゼは当初予想されていた気まずい雰囲気とは大いに異なる、和やかな空気に遠い目をしながらぬるくなりつつある紅茶を飲んだ。
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グレースがシュバリエイト公爵家のタウンハウスに訪れたのは、リュコスが手紙を受け取ってから3日後のことだった。
グレースとリュコスが出会ってから3日も経っており、その間に、ハーゼ第一王子はリュコスが自らの名刺をグレースに渡したことを告げていた。グレースの知識量と情報網を鑑みれば、リュコスがどういう家の生まれなのか調べるには十分な日数だろう。もっとも、ハーゼの暗殺未遂の身代わりというところまで気づくかは、当時のグレースは僅か6歳と言う年齢であったことと、王家として十分な緘口令を引いていたため測り兼ねた。
ただ、グレースからの手紙には、先日リュコスとぶつかった時のことのみで、リュコスの体を案じる事が書かれていたのみであった。
暗殺未遂の当事者であるリュコスはそんなことは関係ねぇ!とばかりにグレースからの手紙を丁寧に、かつ、髪が焼け焦げるか穴が開くのが先かと言うぐらいの熱意で読みまくっている。僅か1枚の紙しかないのにどれだけ読み返すのだお前は。そういうのは家でやれ、家で。
その手紙の中で、グレースをかばってくれたお礼に伺いたい旨が記載されていた。
当然、リュコスに否はない。犯罪でなければそのまま家にいてほしいぐらいだ。
無理矢理にそんなことをしようものなら母から父を一撃でこん睡状態にさせた鉄拳が待っているので、どんな状態に陥ろうともご婦人にそんな無体を働くつもりは誓ってないが。
ぜひお嫁さんにほしい!切実に来ていただきたい!という女性が自宅に来てくれると言うのに、否を言うなどありえない。大手を振って歓迎するばかりだ。
一方、ハーゼとしては微妙な立ち位置にいる。できれば、あまり近づいてほしくない状況であり、関係なのだ。現在の王家とグレースの距離感を思えば当然であろう。それがわからないグレースではないはずだ。事を起こした彼女が、想像できないような難しい話でもない。
だからこそ、余計に今回、ハーゼはリュコスとグレースを近づけたくはなかった。何か悪しきことをたくらむような女性ではないと、重々承知している。
(とんでもない悪女なら、セルジュとの婚約者時代にそれ相応のことをやらかしているだろう。あれほど悪道に使用しやすい王族も珍しい。利用ではなく使用というレベルである)
大事な従兄弟の幸せを願いたいし叶えたい。しかし相手が…。
「ハーゼ。そんなに深く考える事はないだろ?」
「俺以外の誰が考えてくれるんだよこんなこと」
能天気に「好きな子がうちにきてくれる!」とはしゃいでいるお前いくつだよというような男に俺の気持ちがわかるか。
馬鹿がようやくいなくなったと思ったら次はお前か。何だ、グレース嬢は馬鹿を釣り上げる名手か何かなのだろうか。そんな釣り好きはぜひ引退していただきたい。
本人もいい加減誰かの重りなど真っ平御免の心境だろうから、お互いに見なかったふりをしてくれればいいものを。
「俺のことは俺がするさ。お前に迷惑かけることは、誓ってないよ」
俺は臣下として、お前と一生を共にすると誓っているからな。
そういって兄のような顔で慈しむように微笑むリュコスは、紛れもなく自分の敬愛した従兄弟であった。先ほどまでの「俺の思いで返せ」という心境に陥れた恋にうつつをぬかしまくる従兄弟ではなく。
「大丈夫だ。ただ、惚れただけだから。もし、お前の敵になるようならちゃんと切るよ」
最優先は揺らがないのだと。
そう告げるリュコスの目を見てしまえば、ハーゼはそれ以上何も言うことは出来なかった。
リュコスから初対面同士ということで、仲介人のような扱いで同席してくれないかという以来について、ハーゼは了解した。
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(とかいってたんだけどなぁ)
ハーゼは透けて見えそうなリュコスの舞い上がりっぷりをそっと目をそらしながら、自分の知らない従兄弟の存在の大きさを痛感していた。
忠誠を誓ってくれているのは嬉しい。愛する人ができたということも喜ばしい。
でもリュコス、お前もっとしゃんとしろよ…!そんなやつじゃなかっただろう!?
そんなハーゼの気持ちが届くはずもなく、リュコスはグレースの誘導されるがままに、話はリュコスの所属する予定の騎士団について移っていた。
「私の友人のお父様も騎士団に勤めておりますの。剣の手合せがお好きなようですから、リュコス様も興味があればお声掛けください」
「そうですか。やはり動かないと鈍ってしまいますから助かります。手合せと言えば、ハーゼも剣に限ってですが、なかなかの腕前なんですよ。よかったら今度、訓練場に遊びに来てください。あなたが来てくれると余計にやる気がわきそうだ」
「え?」
「え?あ、いや、そそそそそんな別に他意はないですよ!?ほら、女性などめったにこないような場所ですから、女性が来ることで皆の士気が上がるというかこう」
(ぼろがでてらぁ)
ハーゼはもうどうでもいいと言うような心境になっている。
グレースは少し逡巡した様子を見せて、ニッコリ、と音の出そうな笑顔を見せた。
「そうですか。私でよければ、友人と共に見学にうかがわせていただきます」
「ぜひ!」
(軍事面はまだグレース嬢も強いツテもなかったというのに、これでまた一つ彼女の駒を増やすとかどうしてくれるんだよ…)
リュコスとの男女間の距離だけでなく、政治的にもどんどん距離が埋まっていくと言うか埋められていくと言うかなんというか。
いつもであれば、人心掌握術の長けた人間だと冷静に分析して目の全く笑っていない微笑とそのまま固定された表情筋で、会話を楽しむことなく必要最低限の事務的なことのみしか話さない男が何してくれてんだと、いくつ着いたかもわからない溜息をさらにそっとわからぬようにこぼした。
きっとこのまま、リュコスもグレースの数多の縁という糸の一つとして繋がれてしまうのだろう。
彼女が兄と同伴で来たことと、そんな意図はなかったにせよハーゼという王族が同席したと言う時点で、シュバリエイト公爵家とデュラメル侯爵家の公的な繋がりができてしまったのだから。実質としては対グレースであるのだが、侯爵令嬢という身分であるグレースは、グレース自身の爵位を持たない、つまり直接の権力を持っていない為、社交場以外で顔を繋ぐときはおおむねこのように父親か兄を経由しているのだ。
当の兄であるクロードは現当主でありシュバリエイト公爵家の一人娘であるシャノワール公爵に別室へ拉致…引き摺られていってしまったのだが。
「今まではハーゼ殿下とのご縁のあまり深めることもできませんでしたが、今後はリュコス様も含めてご縁があれば幸いです」
「こちらこそ、グレース嬢のような素晴らしい女性と親しくなれれば嬉しい限りです」
シュバリエイト家当主とデュラメル家次期当主の打ち合わせが終える前に、グレースとリュコスの談笑は無事に終えたようだった。
グレースは先ほどから全く会話に加わらなかったハーゼに姿勢を向けて、申し訳なさ気に一礼した。
「ハーゼ殿下も、この度はお忙しい中リュコス様との間を取り持っていただき誠にありがとうございました。おかげでとても充実した時間が過ごせました」
「王家としても国に貢献してくれるデュラメル家の力になれたのなら良かった。今後とも、デュラメル家とは変わらぬ良い関係を続けていきたい」
「私共も同じ気持ちです。セルジュ様とは残念ながらご縁がありませんでしたが、臣下として王家に仕え続ける所存です。微力ではありますが、何なりとお申し付けください」
形式的にハーゼとグレースのあいさつが終わると同時に、クロードとシャノワールが戻り、デュラメル家の兄妹はシュバリエイト家をあとにした。
この日を境に、25歳という遅い社交界デビューとなったリュコスがグレースと親しげに話す光景が見られるようになる。