彼の名は――
広い草原で、一人の少女と一人の少年が対峙する。
少女は悲しげに目を伏せ――その手に深い青の双剣を顕現させた。
その青はまるで少女の悲しみを具現化したようで。
そのあまりの青の深さに、少年は見つめているだけで飲み込まれそうになった。
少女は双剣を掲げ、少年に最後通告をした。
「……これが最後。お願いだから諦めて、帰ってくれないかな?」
少年は少女の言葉を黙って聞いていた。
瞳を見つめ、少女の気持ちが変わらないことを知る。
(――はっ、いまさら帰れだと?)
少年は少女の言葉を嘲笑う。
ここに来るまでにいったいどれだけその言葉を投げかけられただろう。
誰もが諦め、誰もが絶望し――誰もがそれを少年にも強要しようとした。
少女は、あまりに強すぎた。
近代兵器も、魔法も、少女は真正面から全てを叩き伏せた。
誰かを救うために、大切なものを守るために鍛え上げた力は、何かを傷つけることしかできなかった。
そしてその力を他人に利用され、貶められた。
少女は絶望し、悲嘆し、その力の象徴たる双剣は深い青に染まってしまった。
(世界に絶望した、って感じだな……)
少年は腰を落とし、右脚を後ろに下げ臨戦態勢に入っていく。
少女はそんな少年の動きを見て、戦いは避けられないのだと悟る。
その目に涙を溜め、哀しみで瞳を染める。
少年は自分の背後に十六本の剣を顕現させる。
そのうちの二本を手に取り、剣先を少女に向ける。
「やっぱり君は、君だけは諦めてくれないんだね」
「諦めるくらいなら、最初からお前を追ってきてねえよ」
哀しみに沈んだ少女は少年の言葉に、初めて嬉しそうに笑い――大粒の涙を流した。
掲げた蒼の双剣を振り払い、その目に悲しみを宿した少女は願いを吠える。
大きく、力強く、己の弱さの全てを籠めて――
「私は君に、殺されたい!」
少年も自分の願いを叫ぶ。
気高く、独善的に、己が想いのその全てを籠めて――
「馬鹿野郎、お前は俺が救ってやる!」
悲しげに笑った少女。
傲然と嗤う少年。
二人の間の空気はだんだんと張りつめていき――
「悲蒼・九慈式『流星』!!!」
少女の双剣が奔り、少年を八つ裂きにせんと迫る。
「天輪・壱式『十六夜』!!!」
少年の全剣が閃き、少女の剣戟を総て撃ち落とす。
少女の剣は技を防がれても尚止まらず、更なる剣戟を重ねる。
少年の剣も止まることはなく、その総てを防ぎ、いなし、弾いた。
最強と畏れられた少女と、異端と恐れられた少年。
二人の殺し合いは一瞬の休みもなく、三日三晩続いた。
そして――
「諦めが……、悪いわね――ッ!」
「言っただろ、諦めるくらいなら最初から来てねえよ――ッ!」
二人の剣が同時に動き、中央でぶつかる。
火花が散り、衝撃波が周囲の物を壊していく。
少女と少年の剣戟は世界にとって激しすぎた。
一振りで地は砕け、二振りで空は裂けた。
あまりにも強すぎる力は、常に世界ごと相手を壊していった――なのに。
(なのになんで、君は壊れないの!?)
少女は困惑していた。
少女にとって戦いとは虐殺と同じもので、常に一方的で、撃ち合うという状況はない。
それにもかかわらず、少年は撃ち合い、対等な剣戟を演じていた。
それどころか少女の隙を見つけては更に撃ち込んできた。
少女の知っている少年は、いつもダラダラしていてやる気がなくて。
「――今の一瞬は、戦いの中では致命的だぞ」
刹那、少年の剣が閃く。
それはもはや少女の防げる領域を超えていて
少女は自分に迫る剣を見ることもできず
(しま――ッッ!?)
その瞬間に決着がついた。
「負けちゃったか……。君、強かったんだね」
少女は仰向けに倒れ、小さく笑いながら少年に話しかける。
しかし――
少年は空を見つめて動かず、少女の声は届いていないようだった。
そのことにムスッとしていると、少年が急にこちらを向いた。
あまりに突然だったので今の顔が見られていないか心配していると――
「陽菜、お前、異世界に興味あるか?」
いつも見ていた通りの、やる気のなさそうな顔で超弩級の質問をしてきた。
「陽菜、お前、異世界に興味あるか?」
そう聞かれた少女――陽菜はものすごく複雑な顔をしていた。
(いやまあ、死闘の直後にこんなこと言われたら俺だって頭を疑うと思うが……)
しかし、今はどうしてもこの質問に答えてもらわなければならなかった。
返答次第では、彼女を救えるかもしれないのだ。
この質問こそが、少年が少女を救うために用意した最後の手段だった。
(頼むからいい返事をしてくれよ……?)
待つこと数秒、少年の問いがおふざけではないことに気付いた少女の答えは――
「興味はあるよ。もしかしたらそこなら私は普通に暮らせるかもしれないし。でも、私はこの世界が好きだから、ここで生きてここで死にたいな」
瞬間、空が啼いた。
「え!? なに、何が起きてるの!?」
陽菜が慌てているが、俺は安心していた。
どうやらアイツのお気に召す答えだったらしい。
空の鳴動は続き、天に穴が開く。
ついに理解の限界を超えたのか、乾いた笑いをこぼす陽菜に手を伸ばし――
「とりあえず、おめでとう。んでもってご愁傷様。もう逃げられねえぞ」
無理やり手を掴んで、立ち上がらせ――直後、天からの光に飲み込まれた。
――光の渦から解放され、目を開ける。
するとそこには、ただただ白い空間が広がっていた。
壁はなく、どこまでも白い世界。
なんとなく、この純白に飲み込まれてしまいそうな――
「ふむ、お主が陽菜じゃな?」
「はい?」
さっきまで確実にこの白い世界に自分以外は誰一人いなかったはずなのに。
いつのまにか、目の前に小さな少女が立っていた。
(え、あれ、いつの間に近づかれたのかな……、というか!?)
「あ、あの! 私と一緒にここに来たはずの男の子はどこに――ッ!?」
どこを探しても白しかないこの世界で見つけた初めての自分以外の存在。
しかも自分のことを知っている様子だったこの少女、話を聞かないわけにはいかない。
謎の少女は溜息をつき、私の後ろを指さした。
「あのバカなら向こうで寝とるよ。仕方ない、とりあえず全員で話すことにするか。お主も混乱していてそういう状態じゃなさそうだしの」
そう言って少女は柏手を打ち――気付いたら小さな部屋の中にいた。
少女はトテトテと歩いていき、こたつで丸まっている少年に近づくとそのまま少年の膝の上に座った。
「あれ、もう話終わったん? 俺もう帰っていいか?」
「いや、なんというか混乱していて話が通じなくての。お主も手伝ってくれ」
それを聞いて露骨に嫌そうにする少年。
いつもの面倒くさそうな彼に戻ってしまっている。
(私と戦ってるときはキリっとしててかっこよかったんだけどな……)
陽菜は少し落ち込みつつ、ゆっくりとこたつに近づき少年の反対側から足を入れる。
少年はこたつでぬくぬくとみかんを食べていた。
小さな少女は物欲しそうに少年の手先を見つめている。
少年はもう一つみかんを取り出し、皮を丁寧に剥いてから少女に差し出した。
「食べたいならそう言えよ……」
小さな少女は嬉しそうに受け取った。
「こういうのは男の方から言い出した方が好感度が上がるもんじゃぞ?」
「お前の好感度を上げても面倒事しかないだろうが……」
うなだれつつさらにみかんを剥き、陽菜に差し出した。
『どうせお前も欲しいんだろ?』とでも言いたげな目をしていた。
実際、欲しかったので文句を言わずに受け取ったが。
しばし落ち着いた時間が流れる。
陽菜は受け取ったみかんをもっもっと食べきり、ようやく話し始める。
「それで、ここはどこなの?」
小さな少女はまだみかんを食べていたがそのまま話し始める。
「ほほはひへはいへのほひらは」
妙にドヤ顔だったが何を言っていたかは全くと言っていいほど伝わってこなかった。
困った顔をして少年を見つめる。
少年はガリガリと頭を掻いて面倒くさそうに顔をゆがめる。
そして溜息を一つはさみ淡々とと説明を始めた。
(なんだかんだ説明してくれるし、元来優しい性分なんだろうなあ)
「お前はこのちんちくりんの神に選ばれた。よって異世界への切符を手にした。行くか行かないかは自由だが、行かない場合はここでの記憶と俺に関する記憶を全て失って元の世界に戻ることになる。以上」
「はい!?」
(異世界!? 記憶を失――ええ!?)
少年の説明はそこで終わった、というかこれ以上話すことがないようだった。
陽菜は一人、混乱の極みにいた。
神に選ばれただの異世界への切符を手にしただの、少年は頭がおかしくなってしまったんじゃないのか、でもこんな空間は私がいた世界にはなかったしやっぱり本当のことを言っているのかも、でもでも普通異世界とか信じられないしなにより――
「説明が雑! もっとちゃんと説明して!」
顔を赤くしながら怒鳴ることしかできなかった。
少年は尚も面倒くさそうにしていたが陽菜が双剣を顕現させるとおとなしく話し始めた。
「……危険なやつだな!? はあ……、いいか、ちゃんと説明するぞ?」
こくこくと頷きを返して先を促す。
「まず、『この世』にはお前がいた世界以外にも無数の世界がある。信じられないかもしれんがそれが真実だから疑問を挟むな面倒くさい――いいか? その無数の世界で『最強』、『無敵』、『化け物』と呼ばれている連中を集めて『この世』で誰が一番強いか決める大会とか面白そうじゃね? とある神が考えた。そしてその神は『この世』の全世界の神達に協力を依頼して、「最強のみを集めた世界」の器を作った。あとはわかると思うが、全世界から最強を片っ端に集めてその器にぶち込んだ。ここまでが前提だ。んで、お前はその世界に入るだけの資格があると神に認められた、だから切符を手にしてる。以上だ」
思った以上に訳のわからない話だったが、その前にいくつかの疑問点を解消するべく、陽菜は少年に尋ねる。
「えっと、とりあえずわからないけどわかった。そのうえで質問なんだけど――
あなたは一体何者なの? 最強が選ばれるってことは連れて行かれるのはその世界で一人だけなはず。でもあなたはこの空間にいて、しかも神様と親しく話してる。どういうこと?」
その質問を聞いて小さな少女――神様は驚いたように目を見開いた。
ようやく食べきったみかんを飲み込み、口を開く。
「お主、なかなか鋭いの。その質問に答えてしまうと――こやつはお主がいた世界の住人ではない。こやつは「最強を集めた世界」の人間でな、今回はわしの依頼で別の世界の最強達を様子見に行ってもらったんじゃよ」
その言葉は衝撃とともにやってきた。
(え、私の世界の人じゃなかった……? でも私は君と過ごした記憶が……)
陽菜の思いを見破ったのか、神はさらに言葉を紡ぐ。
「お主の記憶は間違っておらんよ。こやつは確かにお主と数年間一緒に過ごしていたしの。だがお主の世界の住人ではない――気づかなかったか? お主、こやつの名前を誰かから聞いたことがあるか? こやつの名前がわかるか?」
もちろんだと叫ぼうとして――できなかった。
そのことにさらに愕然となる。
数年も一緒に過ごしていて一度も名前を呼ばないことなんてあり得ない。
そのはずなのに、それが成り立ってしまっている恐怖。
その恐怖に飲まれてしまう――その直前に少年が口を開いた。
「つまりはそういうことだ。俺は異世界の人間だからな、異世界に行く人間しか正しく認識できない。どうだ、少しは信じる気になったか?」
すこし戯けて、陽菜が傷つくことはないのだと、これはそういう仕様なのだから仕方ないと言外に伝えてくれた。
しかしそこで少年は止まらなかった。
期待を混ぜず、ただ純粋に疑問をぶつけてきた。
「それでお前は、お前を認めない世界と新しい世界の、どちらを取るんだ?」
答えははじめから決まっていたのかもしれない。
異世界があると知ったときから、言葉では別のことを言っていても、どこかで期待していたのかもしれない。
(もし、そんな世界が本当にあるのなら)
(もしもそんな、化け物と呼ばれる自分が、普通の人間と同じ扱いを受ける世界があるのなら)
(私は、私は――)
「私は、普通の女の子として生きられる世界があるのなら、そこで生きたい――ッ!」
神が嗤った。
少年は優しい笑みを浮かべた。
「ならばわしがその世界に生まれ直させてやろう。だが、努々(ゆめゆめ)忘れるなよ、そこはお主を普通のおなごとして扱うだろうが――至上目的は『最強を決める』ことであることを」
「歓迎するぜ、新人。お前は尊敬すべき馬鹿野郎だ」
少年と少女の身体が強い光を放ち始める。
神は可笑しそうに、悲しそうに、優しそうに嗤う。
「我が名は『ヨグ・ソトゥス』、最強を集める世界の器を創りし者。貴様を我が箱庭に招待しよう――ようこそ、陽菜。貴様が最強たる所以を世界で示せ!」
神の――ヨグ・ソトゥスの言葉はそこで途切れ、身体を浮遊感が包む。
隣の少年も光に包まれていき、だんだんと見えなくなっていく。
(新しい世界、少し不安で少し楽しみ――でも、その前に聞かなくちゃ)
陽菜はもはや眩しく輝き直視すらできない少年の身体をどうにか掴む。
「ん、どうかしたか?」
「聞きたいことがあるの」
少年は普段通りの声音で、質問を待った。
輝きを増していく光に後押しされるように――
「貴方の名前を教えて欲しいの」
数年の不義理を詫びるように、聞いた。
――その瞬間、少年は吹き出したが。
(ちょっ、なんで笑うのよ!?)
どこかからヨグ・ソトゥスの笑い声も聞こえてくる。
「ぶはは、あやつも本物じゃ! この状況で聞くのが名前とか! だはははは!!」
とりあえず次に会ったときは一発殴ると決めた。
目の前――にいるはず――の少年も笑っていた。
「くくく……そうか、名前か。異世界に行くと決めたならお前にもわかるだろうな――。
俺の名前は『椿姫』だ。しっかり覚えとけ」
少年――椿姫が名前を言った瞬間に光は勢いを増し、ついに異世界に転移した。
(なんだか女の子みたいな名前なのね)
陽菜は自分を絶望の世界から救い出してくれた少年の名前を胸に刻んで――新たな世界に墜ちていった。
白い世界に独り残された神は笑う。
「椿姫が連れてくる奴らは毎回面白い奴らばかりじゃの、次が楽しみになって仕方ない……。
神たるわしが「願う」というのもおかしなもんじゃが……、願わくばわしが話したことのある誰かが、椿姫が案内した誰かが最強に上り詰めてくれるといいんじゃがの――」
独り、こたつに入り直して虚空を見つめる。
そこにはただただ「白」が広がっているだけなのだが、ヨグ・ソトゥスは最高の絵画を見ているかのような恍惚とした表情を浮かべていた。
「そうすれば、あやつがやる気を取り戻してくれるかもしれんしの」
そう言った彼女の顔は既に[あやつ]がやる気を取り戻した世界を夢想しているようで、嬉しそうに楽しそうにニッコリと嗤っていた。