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ニューゲームお呪い

0万PV、0ブックマークを達成しました! 皆さんありがとうございます!


小説家になろうという枠組みを愛する人に、面白いと感じて貰えたなら最高です。

転生モノというジャンルに関する感想文と言えなくもありません。

チートや無双、大好物です。

 もういくつ寝るとお正月。その前日。

 大多数の日本人は、コタツで大晦日の特番を暖かいコタツにでも入りながら見ている頃合のこと。


 ビルの落とす影を境界線として光のあたる世界と隔てられた路地裏から、私は大通りを眺めていた。


 道行く人の足取りも、しんしんと降る雪の速度も、私の瞳に映る光景の全てがゆったりとしていて、針を進めることを躊躇うかのようなその緩やかさは、何かを惜しんでいるかのように見えた。


 彼らには過ぎ去る年を惜しむほどに愛おしいものが世にあるのだろうかと、少し羨むような気持ちで私はその光景を眺め続けていた。


 そうしているうちに、遠く鐘の音が響くようになった。百八つも数えれば、明日は今日に変わるし、来年も今年になる。


 次の干支は確か、羊だったはずだ。

 ……羊。長い眠りを願い意識を手放そうとしている今の私には、おあつらえ向きではないか。


「羊が……一匹……」


 ひとつ、ふたつと除夜の鐘を数える世間に合わせ、私は同じ数だけ羊を数え始めた。そうすれば、この芯まで響きわたる鐘の音が、最高の眠りへと誘ってくれる気がしたのだ。


「……羊が……三匹……」


 雪は降り止まない。髪に、肩に、全てに降り注ぐ。

 時にまぶたへと落ち、溶けては頬を伝い流れ落ちることもある。

 涙と同じ軌跡を描くその雫に、私は泣きたいわけではないのだと反感を覚えた。


 この雪が降り始めたのは一週間ほど前のクリスマスイブ。

 コントラストが一番映える時間帯を狙ったかのようにに全国的に降り始めた。


ホワイトクリスマス。


 恋人を求める努力、離さない努力をした男女にはより大きな幸せを。

 努力を放棄した男女にはより大きなやっかみを届けに、今年の初雪はやってきた。


 そして年末の風情を感じる程度の雪が一週間降り続き、この大晦日。


 毎日振る雪に、働くお父さんたちの通勤も大変だっただろうが、私はもっと大変な目にあっていた。

 ただでさえ寒い季節に雪など降られては、ホームレスには文字通り死活問題なのだ。


「羊が……五……匹」


 公共の場所に立てられた、住所を届出することのできない我が家を離れ、私はこの場所へやってきた。心境は、死期を悟った動物のそれである。


 冷たい石畳が、二択の問題を突きつけてくる。

 お前は死ぬのか、活きるのか、と。


 私は前者を希望しているし、事実そう時間もかからずにそれは叶うのだろう。


 幸いなことに、この年末らしい気温ならば遺体発見には少しばかり日が掛かるはずだ。天然の冷蔵庫のおかげで腐り果て異臭を放つのも時間がかかることだろう。


 もうすぐ目出度く新年を迎えるのだ。マグロ拾いの方にだって三が日くらいは楽しんでもらいたい。いくら語源が遠洋漁業だと言っても、お祝いムードからも遠ざからせては申し訳ないというものだ。


 身元不明死体になる予定の私だが、新年早々などというタイミングで迷惑をかけずに済むのだから、この雪の日続きという今日の日のめぐり合わせに感謝しよう。

 もっとも、その気温のおかげでこのような事態となっているのだが。


 人気の無い路地裏。ビルの隙間。この場所は日夜を通して日が当たらない。

 構造上、雪は振り込みにくいが、表通りの店先に積もった雪が放り込まれ、私がここにたどり着いた当初は雪が敷き詰められていたものだ。


 それなのに今、私は露出した石畳の上に座り込んでいる。

 降り積もった雪はこの気温では解けるはずもないのだから、答えはひとつ。私が掘って石畳を露出させたということだ。


 雪。古くから詠われる白さの代名詞。だからこそ掘り、避けなければならなかった。


 その正体は塵を含み、綺麗なものではないと知っていてなお、包み込むようなその白さは私には眩すぎて、自らが選ぶ死に場所として相応しくないように思えたのだ。


 老いを感じさせる手で眩ゆい結晶体の群れを除去してあらわになった墓穴は、私にお似合いの具合だった。

 路地裏の石畳など、酔っ払いの吐しゃ物をいくらも吸い込んだものと相場が決まっている。その都度掃除をしてあるのだろうが、それでも積年の風情を残していた。


 座り込んだ視線のすぐ先には雑踏がある。両者を決定的に隔てているのは、距離ではないのだ。


「…………羊が……九……匹」


 三十六の煩悩を、前世、今世、来世の三世で百八つ。


 死んだら人はどうなるのだろうか。消えるのだろうか。

 それとも輪廻転生の輪に還り来世へと渡るのだろうか。幾度か考えたことはある。


 どちらかはわからないが、少なくとも今世を惜しむことなどない。……と、思う。 自分のことほど本音が見えないものだが、何せ、終わりかけの今の感慨がそうあるのだから、おそらく本音でいいのだろう。


 来世への転生といえば、その現象の存在には懐疑的ではあるものの、しかし私は読み物としての転生モノというジャンルは好きだったことを思い出す。

 好きどころか、心の支えにすらなっていた部分も正直あった。


 転生モノとは、ライトノベル路線の物語で、仏教にある輪廻転生とは違い、記憶をもったままに転生をし、そのアドバンテージや何故か与えられる特典という名のチートを使ってすき放題する類いの創作話のことだ。


 その現実放棄じみた物語たちを好意的にとらえていた理由は、私にとって世の中は逃避したいものに溢れていて、転生して無双するという安心設計で都合のいい物語というのは、読んでいて心地のいいものだったからだろう。


 しかし現実として自分が体験したいかと問われれば、私は考えるまでも無く拒否するだろう。おそらくは他の読者もそうなのではないだろうか。


 記憶をもって転生などという状況は、ご都合主義を排除してみれば残るのは恐怖感しかない。逃避したい世の中が、死という終わりを迎えてもなお続くなど、それは地獄と何が違うというのか。


 だがそんな仮定は無意味だ。


 輪廻転生は百歩譲って存在するとしても、おそらくそれを記憶を伴ってということはない。高度に発達した情報化社会において、実例を見聞きする機会がないのなら、それはほぼ確定と考えて良い。


 来世が存在しようと、私という意識、個は死ねばそこで終わり、続きなどは存在しない。


 だから、路頭に迷い凍え死ぬ寸前である今、私はやっと解放されると安堵しているのだ。

 これで終わることが出来るという、先に苦しみの待つことのない安心感を胸に、薄れゆく意識を好意的にとらえていたのだ。


「……羊……が……」


 ほどほどに埋まった羊の牧場は、しかし百八匹を数えるほどにその頭数を重ねることなく、私は眠りに迎え入れられた。





◆◆◆◆◆





 ……大事な何かを失うこととは、こんなにも難しいことだっただろうか。


 もう先には何も無い場所まで辿り着いたかと思えばしかし、気づけば意識は明瞭なものになっていた。それどころか、記憶にある何時よりも鋭敏に尖っているように思える始末。


 おかしな話だ。私は睡眠に落ちるのとは違う、おそらくは死という感覚を得たはずだったではないか。生を失うはずではなかったのか。


「う……?」


 柔らかで力を持たない声が耳に届いた。


 その疑問の声は、確かに私の上げた声のはずだった。タイミングもそうであったし、声帯が震える感覚も神経を伝って脳が感知していたのだから、私の声であるはずなのだ。

 それでも耳に届いた音は、聞き覚えのないもので、原因について思案をめぐらせた私は、自らの体の調子が健常時のそれではない可能性に思い至った。


 こういして生き延びたとはいえ、少なくとも凍死する寸前だったのだ。

 脳、聴覚、または声帯。例え保護され生き残っても、影響が残るのは不思議な話ではない。

 

 自らの状態を視認するために目を開く。しかし、何も見えない。暗所における闇ではなく、視覚の喪失でもない。例えるなら、世界が何重にも膜をはったように見えていて、さらには色彩の判別もつかない状態。つまり見えないのと同じということだ。

 少なくとも視覚には影響が出ているようだ。生き延びてしまった上に後遺症が出るというのは面白くないが、私を助けた誰かの行動は善意によるものだろう。不本意ではあるが恨むのは筋違いか。

 

 起こってしまったことは仕方がない。

 視覚の喪失は一時的なものであることを祈りつつ、触覚を頼りに手探りで状況を確認することに決めた。

 点滴などの投与の可能性を考え、引きちぎるわけにもいかないので、いきなり起き上がることはしない。ゆっくりと持ち上げた右手で、体を確認していく。


 管に繋がれているような感触はなかったが、新たな疑問がでてきた。


 体に触れる際の、距離感。意図と違う場所に触れた。

 体に触れた際の、手触り。あまりにもやわらかだった。


 混乱した頭で、さらに周囲を触れて確認するために上体を起こそうとするが、起き上がることはできなかった。それどころか、寝返りを打つことさえできない。

 そこまでの筋力の低下を招くほどに意識を失っていたことは考えにくい。体が管に繋がれていない点と、腕を自力で持ち上げられた点がそれを示している。


 自分の身に起こったことがまるで把握できない。現状としていくつか挙がる可能性にはそれぞれ矛盾点がセットで付きまとい、的を絞れなかった。

 わかることと言えば、平らな場所に寝かされていることと、布がしかれていること程度のもの。


 おかしいのはそれだけではない。

 触れる布の感触を、これ以上ないほどに新鮮で興味深いと感じてしまうのだ。

 特別な素材で作られているからではない。既知の手触り。麻のような感触。

 今更興味を覚えるようなものではないと理性は判断している。この衝動はもっと根深い部分、おそらくは本能からきている。


 わかっていることを繋げてさらに可能性をさらっていくうちに、荒唐無稽な考えにいきついた。それは、凍死寸前からただ生き延びたこと以上に受け入れがたい考えだった。


 否定のために右手で顔に触れ、輪郭をなぞったことで、疑惑はさらに深まった。

 やはり、操る体の距離感はおかしかった。さらに指へと伝わる感触もまた。


 そして、私のアゴが割れていないことが、仮説の確度を限りなく正解にまで押し上げてしまったところで、現実を受け入れることにした。


 最初は病院にでも担ぎ込まれたのかと思ったが、違うようだ。


 どうやら、私は赤ん坊になったらしい。

 転生なのか、時間の遡行か、憑依でもしたのか、それは判然としないが、ここまでは間違いないと考えていい。


「……ははっ……」


 滑稽な現実に思わず笑いが漏れたが、それは喜びという感情からのものでは決してなかった。

 しかし低く吐き出すように意識した声は思い通りに出ず、私の笑いは愛らしいものとして発せられた。


 庇護されることをを本能とする愛らしさとは、落ち込んだ声すらも高くかわいらしいものとして世に届けてくれるものらしい。

 遺伝子に組み込まれた生存にかける赤子の武器とは恐ろしいものだ。


 そして、私の自嘲に反応するようなタイミングで、声が帰ってきた。


「サントス■■! クスト■■■■■!」


 ……サントス、クスト。何だろう。

 そこだけは、やけにはっきりと聞き取れた。

 聞き覚えのあるような単語が二つ。しかし意味はつかめない。


 日常会話をこなすほどのレベルではなくとも、イントネーションや発音、単語から、軽く両の手で数え切れない程度の国の言語を特定程度なら出来るはずの私が、それすらできない。それも、聞き覚えすらあると感じられる単語があるにもかかわらず、だ。

 ここは主要国家圏ではないのだろうか。手に触れる麻のような感触も、その推測を後押しする。


 何を言っているかはよくわからなかったが、とにかく女性のものらしき声だった。

 その声に反応して、知らず私の表情は笑みを形作っていることに気づく。これも本能であるなら、声の主は母親である可能性が一番高いだろう。声の高さや張りも、成人女性のような傾向にあるので、姉という年齢ではないはずだ。


「■■■!? クスト■■■■!」


 応じるように男性の声。こちらは父親なのだろうか。

 内容はわからなくても、声に乗る感情を推し量ることはできる。

 少なくとも二人の会話からは、喜色をはらんだような彩りを感じた。


 赤ん坊が笑えば嬉しいものだ。状況から見て、私が笑ったのが原因だろう。

 「ねえ見て、笑ったわ」という母と、それに応答する父、という類いの発言内容なのではないだろうか。


 ならば、クストとは笑いという意味の単語だろうか。日本語では笑いを『くすり』などと言い表しもする。それは、聞き取れる音から作られた言葉だ。

 実際の音を言葉へと変ずることで生まれる擬音語ならば、言語が違っても似たような発音であることはそれなりにあるものだ。


 どの言語でもそうだが、会話のキーにする単語というのは伝わるように意識して発せられる。キーとなりえる単語とは、登場頻度も高くなりやすい単語でもある。

 言語を習得するなら意味に当りをつける優先順位は高い。


 今の私は、見ることも寝返りをうつことも、自嘲の笑い声を、低く発声することすらできない。この分では、首すら座っていないのだろう。滲むような視界であることからも、生後一ヶ月も経っていないことがわかる。できることは、言語の解析くらいだ。

 時間をおいて、また笑いかけてみよう。同じ単語が返ってくれば、状況に即した単語である可能性はあげられる。単語の判別とは地道なものだ。


 赤ん坊とは、こんなにも無力で不自由なものなのか。

 前世にて一度経験していたはずが、さすがに記憶にないので実感するのは初めてのことだ。


 正直やっていられないが、前世でも最後の矜持とばかりに親の後に死ぬという順番だけは守ったのだ。

 今世の親も尊敬に値するような人物であるならば、親が死ぬまでは自らを終わらせることもできない。ましてや、終わらせたところで終わらないことがあると知ったばかりの己なのだ。


 二度目があることに絶望し、自棄になって自殺に逃げたとしても解決しないとは、性質の悪いものだ。


 生きるしかないというなら、せめてあの惨めさを繰り返さないように、普通に生きる努力をするべきか。

 ホームレスであった先ほどまでとは違い、私の家はここにあるようだから。


 普通に生きる。


 ただそれだけのことができなかった私ではあるが、何がいけなかったのかという答えは、路上生活での有り余る時間を使った思索にて出すことができた。


 人は、治癒できないほどの高さから墜落してはいけないのだ。

 登ることはいい。落ちない自信があるのならば。どこまでも登ればいいのだ。

 落ちないように努力して、準備して、先回りをして、前世の私はそれでも落ちた。


 気をつけても落ちるのならば、落ちたことに耐えられないのならば、そもそも高みに上らなければいい。

 万人に通じる答えかはわからないが、思索の末に出したこの答えは、後ろ向きではあるものの私に向いた答えだと思う。


 気が付くことが出来れば、路上生活にも幸せはあった。

 では普通であることとは、如何ほどの幸せだろうか。


 身に合わない高みになんて登らず、自尊心を肥大化させなければ、普通の生活を卑下することなんてなかったのだ。


 生き方を変えた私は、死にたい理由なんてなかったけど、生き続ける理由があったわけでもない。自らの問いに答えを得たことで、ある意味満足すらしていたのだ。


 降り止まない雪に凍死の可能性を考えた時、満足した状態で力尽きて死ぬなんてそれって人生の目標とも言える地点なのではないのかと思い、ポジティブに死を受け入れた。それが、前世の死の顛末である。


 しかしどうやら、もう一度生きなければならないようだ。

 だったら、今度の私は、普通に生きる。


 路上生活も最終的には納得できたけど、あれはお世辞にも普通であったとは言えない


 記憶というアドバンテージがあるからと、ただの人となる未来を見ずに神童になんてなってやるものかと、今誓う。


 誓う……が、現実的にそうやって普通に生きる為の手段を考えた時、壁があることに気づく。

 困ったことに、普通の赤ん坊の成長速度というものが、よくわからない。


 わからないのだから、平均を狙うことは現状できない。一旦諦める。

 何より重要なのは、調子に乗って高みに登り人生のハードルを上げないことだ。


 平均的な成長の頃合を図るなどと賢しいことは考えず、親の様子に目を配り、『アレがまだ出来るようにならない』と心配の言葉を待って成長するというサイクルで逃げ延びるのはどうだろうか。不安の声を目安として成長のタイミングを図るのだ。


 成長速度は親の思う普通よりも遅れることにはなるが、平均から大きく外れることにはならないはずだ。前世持ちとしての馬脚を現し、この子は天才よと勘違いをさせることに比べれば、悪くない手段であるように思える。


 言葉を理解できるようにならないことには、親の心配を観察することもできないので、何も始まらない。

 まずは言葉を理解するのが第一目標か。文法が知っているものに近いといいのだが…。


「クスト■■■■」


 考え込んでいると、二人いるうちの母親らしき人物の方に呼びかけられた。


 何度か発せられたこのクストという単語を聞くと、集中力が増すのを感じる。赤ん坊が、名前に強く反応を示すことは私も知っている。出生前と出生後を通して一番語りかけられる単語だからだろうか。何にせよ、私の今生での名前である可能性が高い。


 単語の登場頻度と、私の意識の集中度合いに関連性を求めるなら、


 女性の言葉から一拍のあと、小さな私の手のひらに私の体温ほどではないが暖かい棒状の物体が差し込まれた。指だ。呼びかけはこの行為をとるためのものだったらしい。

 私はそれを握りこんだ。赤ん坊なら普通の行動だ。普通の成長をしようとは誓ったが、これはそれを意識しての行動ではない。気づいたら握りこんでいたのだ。


 握りこんだのは指の先端部分のようで、硬質な感触もあった。女性の爪だ。

 短く切られており、滑らかに整えられているようだ。

 赤ん坊に触れるため、危険がないように配慮されているのだろう。初めて触れる感触に、己の内にまたも強烈な興味と歓喜が湧き上がるのを感じる。

 現状認識の一環として抗おうとしてみるも、それは失敗に終わった。


 女性の指を観察してしばらくの時間が経つと、自らに暖かさが広がっていくことに気づく。合わせて、幸せな感情が押し寄せてくる。


 これは、女性の配慮に優しさや愛情を感じて、胸に暖かさが広がるなどといったことではなく、もっと物理的な問題だ。

 では何かと言えば、そう。まだ短い私の人生の中で、一番気持ちのいい行為だった。私はそれを止める間もなく放出していた。


 なるほど。本能とはすごいものだ。大人に相当する自我を持つはずの私が自らを律することができていない。この我がまま放題の我が息子に枷をかけるには、どれくらいの年月が必要だろうか。


 まぁ、仕方の無いことだ。排出という行為に快楽を得ることは、人として一歩目の歩みでもある。新生児たる今の私にとっては、むしろお漏らしに羞恥することがおかしいのだろう。

 普通の子供であるために、今しばらくはこの快楽を受け入れ、楽しむ方向で甘受することとしよう。

 思うが侭にお漏らしする機会など、大人になれば望んでもなかなか得られるものではないのだ。こんなに気持ちのいいことを遠慮なくできるのは、今のうちと、死ぬ間際の特権である。


 赤ん坊のうちなら、漏らしてしまうだけでこんなに幸せを感じられる。

 つまりは、幸せを感じるハードルの扱いさえ間違えなかったなら、老廃物を排出するという、人なら誰でも行う普通の行為でも幸せとは感じられることの証明だ。


 人生とは、当たり前を噛み締めるだけで十全なのだと改めて確信する。


 存外、二回目の人生とは先が明るいものなのかもしれない。

 そんなことを考えながら、これまた欲求に従って私は意識を手放した。


 牧場に、羊はいない。


次は双子の妹が登場予定。

一卵性です。主人公と瓜二つです。つまり…?


次回『ゾウさんクライシス』


《0ブックマーク》という名のヴァージンスノーは、雪解けの時を待っているらしいよ。

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