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僕とショコラ

作者: 木山知

 あれからどれぐらいたったのだろう。


 一週間? 一カ月? 一年?


 いやそれ以上経ったように感じる。でもあの交通事故があってから二か月半。


 長いようで短い時間だ。


 二か月半経ったのにあの交通事故から僕は未だに心の整理がついていない。


 父さんに母さん、妹の奏は本当に死んでしまったのだろうか? どこかで生きてるんじゃないか? そんなありもしない幻想を抱いてしまう。父さんも母さんも妹も死んだ。それは絶対に変わることのない事実であり現実だ。


 高校生になるまでに人が死ぬとこに直面したことがなかった僕は、人が死ぬなんてテレビの向こう側だけのように感じていた。


 だけど身近な人が死んで、死について改めて知った。いや、知らされた。


 死は悲しい。


 もちろんそんなことはテレビや物語で散々知っていた。知っていたはずだった。だけど身近な人が死んで改めてそのことを実感した。


 自分の身体の一部が欠けた様な消失感。


 当たり前に感じていた日常がとても恋しく、そして苦しい。


 そんな悲しみを高校生の僕には堪えられない。


 こうやって毎日夜遅くに家族の事故現場の道を歩くのは家族の幽霊にでも会いたいという気持ちがどこかにあるのかもしれない。


 幽霊なんて非現実的な物がいるわけでもないとわかっているというのに。


「……ん?」


 哀傷の想いで事故現場の近くを歩いていたら何か音が聞こえた気がした。


 誰かいるのか?


 でもこんな田舎町で僕以外に夜遅くに人が出歩いていることなんて滅多にない。


 気が付くと僕は音のしたゴミ捨て場の方へ歩き出していた。


 もしかしたら家族の幽霊がいるかもしれない。


 そんな淡い期待を持って音のした方へ足を運ぶ。


 しかしゴミ捨て場にいたのは幽霊なんかじゃなかった。


 暗くてぼんやりしか見えなかったが、そこにいたのは十歳くらいの幼い女の子。しかもうつ伏せで倒れていた。その姿がどこか妹と重なって見えた。


「君、大丈夫!」


 慌ててそばに駆けよって声をかけてみる。


「……」


 返事はなかった。それどころか呼吸もしておらず体温もかなり冷たい。心臓も動いていない。


 もしかして死んでるのか? そんな不安が僕を襲う。


「急いで医者に見せないと」


 確か近くに診療所があったはずだ。前にクラスメイトがそこに通っていて、腕のいい先生がいると言っていたのを覚えている。


「すぐに助けるから」


 と声をかけてすぐさま女の子を背負う。


 ずしりと少女の重みが背中にのしかかる。


 なんだか見た目よりずっと重い気がする。


 けど今はそんなことを気にしている場合じゃない。少女の命がかかっているんだ。僕は急いで診療所へと向う。


 診療所へは五分もしないうちに着いた。だが診療所は診察時間が過ぎていて灯りが点いていなかった。こんな夜更けなんだから当然と言えば当然だがそれでも僕は背中に感じる少女の重みを感じ診療所のドアを殴るように叩く。


「すいません! すいません! 急患なんです!」


 診療所の入口のドアを乱暴に殴りつけているとしばらくして電気が点いて中から無精(ぶしょう)ひげをたくわた白衣のおっさんが出てきた。


「ふぁーあ。なんだこんな時間に。少しは近所迷惑ってのを考えろよな」


 寝てるところを起こされたのか、不機嫌そうに頭をポリポリと掻きながら答えるおっさん。


「急患なんです! 女の子の、女の子の心臓が動いていないんです!」


「心臓が?」


 と言って眉を吊り上げるおっさん。そしておっさんはあきれる様に言う。


「うち、接骨院なんだがな」


「えっ?」


 そういえばクラスメイトがここに通ってたのは病気でなくて捻挫だったことを忘れていた。だけどこのまま引き下がるわけにはいかない。人の命がかかってるんだから。


「……せ、接骨院だって院がつくんだから病院と似たようなもんだろ! 医者なら早く治療をしろよ。人の命がかかってるんだぞ!」


「言っておくが、接骨院の先生は医者じゃなくて柔道整復師と言って医者じゃないんだ」


「もう医者でもやぶ医者でも何でもいいだろ! 早く治療をしろよ!」


 命の危機だと言うのにおっさんのめんどくさそうな態度に腹が立った僕は怒鳴りつける。するとおっさんは頭をポリポリと掻きながら答える。


「あーはいはい、治療ね。それで坊主。心臓が動いてないってのはそいつのことか? 坊主のことじゃなくて」


 俺の背中にいる女の子を指差しながら訊ねてくるおっさん。


「そうに決まってるだろ。ふざけてないでとっとと治療をしろよ!」


 こっちが必死になっているというのにいい加減な態度のおっさんに僕はイライラがピークに達する。何でこのおっさんは人の死を前にして笑っていられるんだ。


「ハハハ。坊主、それを本気で言っているなら傑作だな」


「なんだよ!」


「その女の子の頭の辺りをよく見てみろ」


「頭?」


 おっさんに言われ、不審に思いながら背負っている女の子の見てみる。


「あっ!」


 振り返って女の子の頭の辺りを見てみると、ツインテールに隠れる様にあった耳の両側に大きなネジみたいなのを発見する。


「ロボットか」


 耳の両側に大きなネジみたいなのがあるのは機械人形、人型ロボットの証だ。


 ロボットの頭にネジみたいなのがついているのは、人間とロボットを一目で区別するためだ。他にも、ロボットを人間の姿に近づけると不気味見えてしまう、確か不気味の谷現象だったかな? それを避けるためだとか。


 辺りが暗かったせいと気が動転していたせいで気が付かなった。


 そもそも人型ロボットを生で見ることなんてほとんどありえない。


 人型ロボットが製造されて大分経つけど、人型ロボットなんて値段が高すぎてお金持ちにしか買えない代物だ。


 ロボットに二足歩行をさせることですら大変なのに言語を理解して喋る機能や人間に近い動作をするといった技術を搭載しているのだ、値段はサラリーマンの生涯賃金の数倍以上するとも言われている。


 それにわざわざ金をかけて人型ロボットを買うより家政婦を雇ったほうが身の回りの世話をするのはそっちの方が便利だし安い。だから買うのは一部の好事家(こうずか)の金持ちだけだ。


 そんな高価なロボットがゴミ捨て場に捨ててあるなんて予想もしない。


 信じられないが今背負ってる女の子はロボットだ。


 道理で背負った時にやたらと重かったわけだ。


 それにロボットだからもちろん呼吸もしないし体温が冷たいわけだ。


「そういうこった。機械だから心臓だって元々動いてないんだよ。大方マナーのないどっかの金持ちが動かなくなって捨てたんだろ」


 と言っておっさんはロボットの女の子をまじまじと観察する。


「この人型ロボットに使われている部品は今じゃ製造されてない部品ばかりだし、パーツはボロボロで修理のしようもないからもう直せないな」


「そ、そうですか」


 おっさんがロボットについて説明するが僕は適当に流す。


 女の子がロボットだとわかってすっかり気が抜けていた。


 それと同時にホッと安心していた。人の死に触れなくてよかった。


「で、どうすんだ坊主?」


「どうするって何を?」


「そのロボットの処分だよ」


「元のゴミ捨て場に戻せばいいんじゃないですか?」


「バカか。人型ロボットは業者に引き渡すんだよ」


 そうなんだ。知らなかった。


「本来ならこいつを捨てたやつがそうするべきなんだが、こんな時間に俺を起こした罰だ。坊主が責任持って明日業者に引き渡せよ。これがその連絡先だ」


「はあ」


 僕はおっさんが渡してきたメモ用紙を受け取って、言われた通りにすることにした。


 とにかくロボットを人間と勘違いしたことが恥ずかしくてこれ以上この場にいたくはなかったからだ。


「じゃあお騒がせしました」


 と言って僕はそのままロボットを背負ったまま家へと帰ることにした。


 まさかこんなガラクタを背負って家に帰ることになるなんてな。僕を残して家族が死ぬなんて思いにもよらなかったし。ほんと、人生というのは何が起こるかわからない。


「……?」


 帰り道の途中、雨がポツポツと降り始めた。


 つくづくツイていない。


「はぁ」


 ため息を吐いてから急いで家に帰る。


 家に着くとロボットを外の物置に置いて風呂に入る。


 外は雨がますます強くなって雷まで落ち始めていた。


 そういえばあの日もちょうど雨が降っていた。


 僕が家で家族の帰りを待っていると、突然警察から電話があった。交通事故で家族が死んだ。その話を聞いたとき、警察の人の話より雨が地面に叩きつけられる音がやけにハッキリ聞こえていたのを覚えている。


 風呂から出た僕は自分の部屋へと向かう。


 自分の部屋。この家には僕一人だけなのだからもうそんなのは意味がない。両親の部屋にも奏の部屋にもいるべき人がいないのだ。この家には僕一人だけ。一人しかいないのだから自分の部屋だなんて……。


 自分以外誰もいない家に自分の足音だけが響き渡る。


 部屋に着くとすぐにベッドに入る。その際雷の轟音が静まり返った家を包んだ。


 まだ小学生一年生だった奏がいたら今の雷を聞いて僕の部屋に飛び込んでいたかもしれない。普段は生意気なやつだけど雷は苦手だったな。


 僕は目を瞑って寝ることにする。目を覚ましても誰もおはようと言ってくれない朝がまた始まることを憂鬱に思いながら。







 いつもと変わらない静かな朝。


 ベッドから起きた僕は顔を洗いに一階に下りて洗面所に向かう。


「おはようございますマスター」


 途中ですれ違った女の子にあいさつをされた。


「ああ、おは……よ?」


 ……んっ? おかしい。家に自分以外いるはずないのに知らない女の子からあいさつをされた。その女の子がこの家にいるのが当然のような振る舞いに、うっかりあいさつを返してしまったけど由々しき事態だ。


「おい、ちょっと待て」


 すぐさま振り返って女の子の肩をガシッと掴む。


「どうかしましたかマスター?」


 不思議そうに首を傾げる女の子。


 僕は女の子を見て驚く。


 幼さが目立つ顔立ちに剥きたてのゆで卵みたいに白い肌、サファイアのように見るものを魅了するキレイな青紫色の瞳。頭には電波でも受信してるのかと言いたくなるアホ毛がアンテナのように立っている。

だがそれより注目するべきは、その女の子の頭にはツインテールに隠れる様に大きなネジがあったことだ。まさかこの子は……。


「お前、昨日拾ったロボットか?」


「はい、そうですマスター!」


 ニッコリと笑いながら答えるロボット。


 ……ロボットなのにこんな表情ができるのか。最近の技術力はすごいな。


 いや、感心してる場合じゃないな。


「何でお前が動いているんだ?」


 あの接骨院のおっさんの話じゃこいつは壊れていたはずだ。


「昨夜雷に打たれたら直りました」


「テレビを叩いたら直ったみたいな感覚で言うな! 普通、雷に打たれたら回路が焼け焦げてショートするはずだろ」


「ですが実際に動いているじゃないですか、ほら」


 と言ってロボットはその場でクルクルと周ってみせる。


「……うっ!」


 確かにこの子の言うとおりだ。いったいどうなっているんだ。


「で、マスター。さっそくご飯にします? お風呂にします? それとも、わ、た、し?」


 ふざけたことをぬかすロボットを無視して僕は昨日接骨院の先生に教えてもらった番号に電話をする。


「あっ、もしもしロボット回収業者の方ですか? すぐに回収して欲しいロボットがあるんです――」


「って、なにやってるんですかマスター!」


 電話の途中でロボットが頭からタックルしてきた。


「――ぐほっ!」


 見た目は幼い女の子だが、中身は鋼鉄でできたロボットだ。想像以上に一撃が重かった。そのせいで手から携帯が離れてしまった。


 ロボットはすかさずその携帯をキャッチして電話を切る。


「ふー、これで一安心です」


 額の汗を拭う動作をしながら満足げに言うロボット。


「……お前ロボット三原則を知ってるか?」


 こいつ、自分の身を守るために平気で三原則を無視しやがったぞ。僕も詳しくは知らないけど人間に暴力をふるっちゃいけないんじゃないのか?


「もちろん。友情、努力、勝利ですよね」


「それは少年マンガの三原則だ」


 僕はあきれるように突っ込む。


「まあまあ、細かいことは気にしちゃダメですよマスター。それよりも朝ごはんにしませんか?」


「いや、なに普通に居座ろうとしてるんだよ。僕はお前のマスターじゃないし早く出ていけ」


「イヤです! わたしには他に行くあてがないんです」


「そんな事情は僕には関係ない。早く出ていくんだ」


 僕はロボットの手を掴んで玄関へと引きずっていく。


「いーやーでーすー」


 ロボットも負けじと抵抗する。


 と、そこで玄関のチャイムの鳴る音が聞こえた。


「あっ……」


 そうだった。今日は後継人であるいとこの(あんず)さんが来る日だった。


「うわっ!」


「きゃ!」


 注意が玄関に向いたせいでロボットに引っ張られて態勢を崩してしまった。そのせいで僕がロボットを押し倒してるような状態になっていた。


 まずい。こんなところを杏さんに見られたら……。


 すぐに立ち上がろうと思ったが、玄関にはすでに人の気配があった。


 恐る恐る玄関の方を見ると、そこには二十代後半ぐらいの大人びた女性が汚物をでも見るような目で僕を見ていた。


 杏さんだ。


「ああマスターいくらわたしに欲情したからってこんな玄関でだなんてダメです。でもマスターが望むのであれば」


「ちょっと黙ってろ! 杏さん、これには事情があるんだ」


 即座に立ち上がって玄関にいる杏さんに説明しようとする僕に対して杏さんは無表情な表情で淡々と喋る。


「ええ。あの子はいつかやると思ったんです。実は私も昔彼にお風呂を覗かれたことがありまして。だからこそ彼には真っ当な人間になってもらおうと私は断腸の思いで後継人になったのですが、まさか幼い女の子を誘拐して襲い掛かるなんて……。でも、彼が悪いんじゃないんです。彼みたいな人間が出てくる社会が悪いんです」


「何でインタビューの練習をしてるのさ!? それ以前に僕はお風呂なんて覗いたことないよね!」


 このままじゃ犯罪者にされかねない。


「杏さん、この子をよく見て。人間じゃなくてロボットだから」


 杏さんは女の子の頭についている大きなネジを見て大きく目を見開く。


「よもや、人間じゃ飽き足らずロボットにまで手を出すなんて思いにもよりませんでした。後継人として彼が早く社会復帰できるように祈るばかりです」


「だから違うんですって!」







 これまでの経緯を誤解のないよう説明し終えると、杏さんはテーブルに置かれたお茶を啜る。


「つまり、響生(ひびき)はその子にやましいことはしてないのね」


「最初からそう言ってるでしょ」


「あなたも響生に何かやましいことはされてないのね?」


 杏さんはロボットの方を見て尋ねる。


「はい。マスターはまだ、手を出していません」


「おい! これから手を出すみたいなニュアンスの言い方は止めろ」


「なるほど。まだ変な問題がなくてよかったわ」


 胸を撫で下ろして一安心する杏さん。


 杏さんもいつか問題を起こすというニュアンスで言うのは止めてほしい。


「まあ、私は響生がそんなことはしない子だってわかってるから」


 その割にはインタビューであることないこと言ってたけど。


「とりあえず大体の事情は察したわ。あなたは行くところがないならしばらくこの家に居ていいわよ」


「本当ですか?」


 杏さんの言葉にテーブルに身を乗り出して目を爛々と輝かせるロボット。


「ええ、もちろん」


 杏さんはさわやかな笑顔で答える。


 なぜか勝手に話が進んでいる。


「ちょっと待てよ! 何で僕がこいつと一緒に暮らさないといけないんだよ。僕はこいつと暮らすのなんて絶対に嫌だ」


「待ってくださいマスター! だからってマスターが家を出ていかなくてもいいじゃないですか」


「お前が出ていくんだよ!」


 何で僕が出ていくことが前提なんだよ。


「落ち着きなさい、響生」


 少しキツイ口調で言う杏さん。さっきまでのおちゃらけた雰囲気はない。


「響生、あなたは家族が死んでからもう二ヶ月近く学校に行ってないんでしょ」


「……う、うん」


 杏さんの言う通り僕は家族が死んでから学校には行っていない。


「確かにあなたの家族のことは不幸な出来事だったわ。だからっていつまでも死んだ人間に縛られてちゃダメよ。生きてるんだから前に進まなきゃ」


「……」


 返す言葉がなかった。


 杏さんの言ってることは正論だ。生きてる人間が死んだ人間のことでいつまでも落ち込んでるわけにもいかない。


 それぐらいわかっている。わかっているんだ。でも頭で理解していても、心では理解できてはいない。


「本来なら私がそばにいて力になってあげなきゃいけないんだけどね。でも私は仕事があって中々こっちにだって来れないわ」


 杏さんは若いながらもファイナンシャルプランナーとして独立して事務所を持っている。ファイナンシャルプランナーは個人の資産運用の相談に乗ってその人の人生設計のプランニングを手助けする仕事だ。最近は将来のことや老後のことで悩んでいる人が多いから相談者が後を絶たなくて忙しいらしい。


「だからこそこの子と一緒に生活して環境を少し変えてみるのもいいと思うの。誰かと一緒に暮らしてみればあなただって前に進めるかもしれないでしょ」


「でもこいつロボットだし」


「別にいいじゃない、ロボット。まあ私もロボットとまともに接するのは初めてだけどね。個人的には人型ロボットより猫型ロボットの方が欲しいけど」


 と言って杏さんはロボットの方を見る。


「あなた、家事はできるかしら?」


「はい、任せてください」


 ロボットは自信満々に胸を張ってそう答える。


「なら決定ね」


「でも……」


「いいじゃないの。こんな可愛い子と同棲できるなんて男子にとっては夢のシチュエーションじゃないの」


 夢のシチュエーションだと言っても見た目は小学生と大して変わらない。だから全然嬉しくない。


 だが杏さんの中では決定みたいで、話を変える。


「それで響生。悪いけど今日は急な仕事が入ってもう行かなきゃならないの」


 申し訳なさそうに謝ってくる杏さん。


「気にしないでいいですよ」


「悪いわね。また近いうちに顔を出すから。お金がいるようならちゃんと言いなさいよ。食事もコンビニ弁当ばっかりじゃなくてしっかりした物を食べるのよ」


 そう言うと杏さんは腕時計を見て慌てて帰っていった。仕事が忙しいと言うのは本当なんだろう。


 杏さんは多少強引なところがあるけど、あの人には感謝してもしきれない。


 本来なら高校生が一人で暮らすなんて認めてくれるはずもないのに、他の親戚の反対を押し切って家族の思い出のつまった家から離れたくないという僕の意思を尊重してくれた。それに仕事だって忙しいのにわざわざ時間を作ってこうやって会いに来てくれる。


 僕自身もいつまでも杏さんに心配をかけてはいられないと思いつつも、まだ前に進める気持ちになれない。


「ねえ、マスター」


 ロボットが僕の袖をクイクイと引っ張ってきた。


「なんだよ」


「わたしに名前を付けてください」


「名前? 型番でいいだろ」


 考えるのだってめんどくさいし。


「ダメです! そんなの可愛くないじゃないですか」


 可愛いくないって……ロボットのくせに。


「名前ねぇ」


 あまり名前を考えるのは得意じゃないんだよな。ゲームとかでもキャラの名前は変えないタイプだし。


 どうしようかと思いながら周囲を見回す。


「そうだなぁ。畳でいいか?」


 ちょうど和室にあった畳が目に入ったし。


「畳! 正気ですかマスター!」


 ロボットは目をクワッと見開いて抗議してくる。


「想像してください。激しい戦いの末に自分を打ち負かした相手の名前を聞いたら『わたしの名は、畳だ』なんて言われる相手の気持ちを」


「いや、それ以前にお前は何と戦うつもりなんだよ」


「……社会、ですかね?」


 可愛らしく小首を傾げて答えるロボット。


 ずいぶん壮大な敵と戦うロボットだな。ロボットはロボットでもその役目は宇宙空間とかで戦う戦闘型ロボットの役目だろ。


「とにかく、別の名前を要求します!」


 そう言いながもロボットはチラチラと杏さんが持ってきたチョコレートのお菓子を見ている。


「なんだ、あの菓子でも食いたいのか?」


 ロボットのくせに食欲とかあるのか?


「いえ。マスター、あのお菓子はなんですか?」


「チョコレートだな」


「チョコレートをフランス語で?」


「フランス語?」


 チョコレートをフランス語言うとなんだったっけ。えっと確か……。


「ショコラだっけ」


 奏が前にそんなことを自慢げに言ってた気がする。


「では、わたしの名前は?」


「畳」


「んんっ! わたしの名前は?」


 ロボットは軽い咳払いをしてもう一度聞いてくる。


「畳」


「マスター! わたしの名前は!」


 今度はこれでもかと目を見開いてチョコレートの包みを押し付けながら聞いてくる。その気迫に僕もつい飲まれてしまう。


「しょ、ショコラ?」


「おお! さすがマスター、いい名前です。ショコラなんて可愛らしい名前は愛らしいわたしにぴったりじゃないですか」


 ロボットは白々しいほど大げさな身振り手振りをしながら言う。


 最初からショコラがいいならそう言えばいいのに。めんどくさいやつだな。


 というかショコラも畳と大して変わらないと思うんだが……。まあ本人がそれでいいならいいんだけど。


「マスターが呼びたいなら、超絶可愛いショコラたんと呼んでもいいですよ」


「謹んで遠慮する」


 こいつ、本当にロボットなのか。なんだか僕の想像するロボットのイメージと全然違うんだが。ロボットといえばもっと従順なイメージだったけどな。


「さて、名前も決まったことですし、これからどうしますマスター?」


 どうする? と言われても別に僕に予定はない。基本的に家にいることがほとんどだし、ただ漠然と一日を過ごすだけだ。


「とりあえず朝飯を作ってくれ」


 朝からバタバタしていたせいでまだ朝飯を食べていない。


「了解です!」


 元気な掛け声で敬礼すると、ショコラはキッチンの方へと向かって行った。


 僕はリビングでテレビをつけて待つことにする。


 テレビではニュースをやっていた。芸能人の離婚や政治家の汚職、はては今朝方近所の農家の人が何者かに襲われるニュースが流れていた。しかしニュースは毎日やっているのになぜ話題が絶えないんだろうか。


 しばらくするとキッチンの方から調理する音が聞こえてきた。


 トン、トン、トン、ドン! ドカッ! ギュルルルル!


 おかしい。料理中に聞こえちゃいけない音が聞こえてきた。


 心配になってすぐにキッチンに向かう。


「おい! 何してるんだ」


「あっ、マスター。どうもこいつが手強くて」


 どこから持ってきたのかわからないドリルを持ったショコラは、まな板の上に置かれた無数の包丁が刺さった穴だらけのカボチャを指差す。


 料理できるやつがカボチャ一つに苦戦するなよ。


「……お前、料理はできるんじゃなかったのか?」


「いえ、できませんよ。わたしは任せてくださいとは言いましたが、できるとは言ってませんから」


 ふふーんと腕を組んで自慢げに答えるショコラ。


 こいつ、さっさと業者に回収してもらおうか。


 だけど杏さんに何も言わずにこいつを処分するわけにはいかないからな。仕方ないがここは我慢しよう。


「つーか、カボチャで何を作るつもりだったんだ?」


 朝からカボチャを使った料理とか結構キツイぞ。


「ジャック・オ・ランタンです」


 それ、料理じゃねーし。







「どこ行くんですかマスター?」


 家から出た僕の後をチョコチョコとついてきながらショコラは尋ねてきた。


「コンビニ」


 ショコラの問いに僕は素っ気なく答える。


「マスター、あまり言いたくはないのですがそういったいかがわしい本を朝から買いに行くのはいかがなものかと……」


「メシを買いに行くんだよ!」


 こいつは僕のことを何だと思ってるんだ。


「なっ! わたしの作ったジャック・オ・ランタンのどこに不満があるのですか」


「全部だよ! だいたい、肝心の中身はどこやったんだよ」


 結局こいつが作ったジャック・オ・ランタンはカボチャの皮だけで肝心の中身はなかった。


「中身はわたしが美味しくいただきました」


「頂いた? ロボットなのにか?」


 ロボットが食事をするのか?


「はい。わたしのエネルギーは食べ物を摂取することができますから。昔の映画にあったゴミを燃料にする車みたいな感覚ですね」


 こいつを作ったやつはタイムマシンでも作ろうとしてたのか?


 けどそれはつまりショコラはロボットなのに食事を取らないといけないってことか。なんてめんどくさい機能がついているんだ。


「ってか何でお前は僕のあとをついてくるんだ? 家で大人しく待ってろよ」


「イヤです! マスターのそばにいるのがわたしの使命ですから」


「使命ねぇ」


 何でこいつが僕のそばにいる使命があるのかいまいちよくわからない。たかが拾ってきただけで恩を感じたとでもいうのか? 恩だとか借りとかロボットにそんな感情があるなんて思えない。かといってロボット相手にムキになるのもバカらしい。


「勝手にしろ」


 そう言ってコンビニに向かおうとすると、後ろにいるショコラが喋る。


「それよりもマスター、コンビニ弁当は杏様にやめるように言われてるはずです。健康面を考えるなら手作りの方がいいかと」


 確かにショコラの言うことにも一理はある。家族が死んでからはだいたいコンビニ弁当で済ませてたからな。それになにより毎日コンビニ弁当を食べていると飽きてくる。


「でも手作りって誰が作るんだよ。お前じゃまともに作れないだろ」


「一人でダメなら二人で作ればいいんですよ」


「二人って、もしかして僕とお前とでか?」


「もちろんです!」


 グッと握り拳を作って力強く言うショコラ。


「言っておくけど僕はご飯すら炊けないぞ」


 最近は刃物を使うのすら危険だということで家庭科の授業でまともな調理実習だってやらないからな。


「安心してください、わたしもご飯を炊いたことはありません」


 偉そうに胸を叩いて言うショコラに僕はあきれながら答える。


「どこに安心すればいいんだよ」


「まあまあ、何事もチャレンジですよマスター」


「……手料理かぁ」


 そういえばここ最近手作りの飯なんて食べていなかったな。杏さんは忙しいからご飯を作ってくれたりはしなかったし。


 母さんが作ってくれた料理が懐かしい。


「ではさっそく食材を買いにスーパーへ行きましょう!」


「お、おい」


 まだ作ると言ってないのにショコラは僕の手を引っ張ってずんずんとスーパーへと連れて行く。


 というか、こいつはスーパーの場所を知ってるのか?


 だがそんな心配は杞憂だった。ショコラは特に迷うことなくスーパーにたどり着くことができた。そこはさすがロボットといったところか。


 それに、家にあったカボチャだって本来なら家にはないものだ。僕が寝ている間にスーパーで買ってたのかもしれない。


 あれっ? だけどお金はどうしたんだろうか? あいつはお金を持ってないはずだ。


 ……もしかして、盗んだのか?


「なあ、今朝のカボチャはどこで手に入れたんだ? お前はお金を持ってなかっただろ」


「あれは農家の方からいただいたんです」


 僕の質問にショコラはあっさり答える。


「そうだったのか」


 なんかいただいたというセリフに妙なニュアンスが含まれている気がするのは、僕が深く考えすぎているせいだろう。さっきニュースで農家の人が何者かに襲われたというのがあったけどきっとそれは関係のないことだろう。そうであってほしい。


「さあ、マスター。何を買いましょうか」


 店の入り口にやってくるとショコラは買い物カゴを持って楽しそうに聞いてきた。


 その姿が一瞬妹の奏と重なって見えた。こうして楽しそうに笑う姿を見るとロボットじゃなくて本当に幼い女の子にしか見えない。


「どうかしましたマスター?」


「いや、なんでもない」


 僕はかぶりを振って気持ちを落ち着かせる。あいつが妹と被るなんてどうかしてる。だってこいつはロボットで人間じゃないんだから。


「ほら、行くぞ」


 僕たちは店内に入る。


「うわー! すこいですよ。食材以外にも色んなものがいっぱいあります」


 店内に入るとショコラはあっちこっち物珍しそうに見回して騒ぐ。


「あんまりはしゃぐな。別にスーパーならそれぐらい普通だろ。お前はスーパーに来たことないのか?」


「ええ。わたしは箱入り少女でしたから」


「まあ出荷時は箱に入っていただろうしな」


「そういう意味じゃなくて、あまり外に出たことがなかったんです」


 と言ってショコラはブーっと頬を膨らませる。


「外に出たことがない? それは前のマスターが関係してるのか?」


「……あっ、ええ」


 とショコラの声のトーンが少し下がった。昔のことを思い出しているのかショコラは出会ってから初めて表情を曇らせた。


 出会ってからずっと嬉しそうにニコニコしていたこいつがこんな表情をするなんて……。こいつも過去にいろいろあったのだろうか。


 あんまり前のマスターのことは聞かない方がいいみたいだな。


「変なこと聞いて悪かったな」


「いいんです。それよりも早く食材を買いに行きましょう!」


 すぐに表情を戻しいつもの明るい調子で言うとショコラは店内を走り出す。


「おい、店内で走り回るなよ」


 ったく。これじゃどっちがマスターなんだか。


「マスター! マスター!」


 しばらくするとショコラが大声を出して僕を呼ぶ。


 恥ずかしいからやめてほしい。


「店内で大声を出すな。ほかのお客さんに迷惑だろ」


 すぐにショコラの元に言って注意をする。


「でもマスターこれは貴重な一品ですよ。買うべきです」


 と言ってショコラが僕に見せてきたのは何かのアニメのフィギアだった。


「なんだか職人の魂を感じますよ!」


 ロボットが魂って……。


「却下だ。そんなのあっても何の役にも立たないだろ」


「ですが……」


 ウルウルと子犬のような瞳で僕を見つめるショコラ。


「だ、ダメだダメだ。だいたい一個三千円って高すぎだ」


 というかスーパーになんでそんなもんがあるんだよ。


「ならこっちのお菓子ならいいですか?」


 今度はフィギアではなく普通のお菓子。値段も三百円程度とフィギアを買うよりはお手頃なもの。


「……まあ、それなら買ってやってもいいか」


 僕が渋々そう言うと、ショコラは口元をニヤリとさせる。


 しまった! ハメられた。三百円のお菓子だって普通に考えれば相当高い。フィギアのせいで値段の感覚がマヒしてた。


 こいつは最初からこのお菓子を狙ってたのか。


「ふふふ。今更気づいても無駄ですマスター。約束は約束ですよ」


「ちっ、わかったよ」


 まさかロボットに一本取られるとは。そういえば昔奏のやつにも同じようなことをやられたな。これは偶然かそれとも……。


 いや、きっと偶然に決まってる。







「よし! じゃあ朝食を作りましょう」


「ああ」


 スーパーで買い物を終えた僕らは、二人でキッチンに立つ。


「でも時間的にはもう昼食だけどな」


 誰かさんがスーパーではしゃいでいたおかげで、スーパーを出たころにはお昼過ぎになっていた。もういっそのこと惣菜を買って済ませようとしたが、ショコラに止められた。


「大丈夫です。名古屋の喫茶店では夕方でもモーニングサービスがありますから」


 もうそれはモーニングじゃなくてもいいだろ。


「料理は段取りが大事です。まずは炊くのに時間がかかるお米を研ぎましょうマスター」


「よしわかった」


 僕はショコラに言われて米を量る。


「ここでよく洗剤でお米を研ぐというおバカさんがいるみたいですよ」


 ショコラの言葉を聞いてピタリと手が止まる僕。


「そ、そうなのか」


「ところでマスター、その手に持っている洗剤は何でしょうか?」


「こ、これは手を洗おうと思ってだな」


「ぷぷぷ。食器洗い用の洗剤で、ですか?」


 口元に手を当てながら問いかけてくるショコラ。


 こいつ、わかって言ってやがるな。


「それよりもショコラ。米を研ぐってどうするんだ?」


 今までお米なんて炊いたことがないから研ぐという意味がわからない。


「そんなことも知らないんですかマスター」


 ショコラはやれやれと肩をすくめる。


「研ぐということは研ぐんですよ。ここに砥石というものがあります。おそらくこれはお米を研ぐための道具かと思います」


「なるほど。この砥石で米を一粒一粒研いでいくのか」


「ええ」


 自信ありげに答えるショコラの指示に従って僕らは米を砥石で研ぐ。


 ……。


 …………。


 ………………。


 米を研ぐこと三時間。


「なあ、本当にこれであってるのか?」


 なんか違うような気がする。


「料理というのは作るよりも下ごしらえの方が時間がかかるといいます。わたしの言うことが信じられないのならネットで調べればいいじゃないですか」


「それもそうだな」


 僕はすぐに携帯電話を取り出してネットで検索してみる。そこにはお米を研ぐというのは水洗いすることと書かれていた。


「……おい!」


「どうでしたかマスター?」


「全然違うじゃねーか」


「……てへっ」


 ショコラは可愛らしく頭を小突いて舌をペロッと出す。軽くイラッときた。


「まあまあ、失敗は成功の母。失敗を気にしてはダメです。失敗の原因を考えて次に活かしましょう」


「その原因はお前だけどな」


「しかし知識のなかったマスターにも責任の一端はあるかと」


 痛いとこをついてくる。だかこいつの言うことも事実だ。


「悪かったよ。さっさとメシを作るぞ」


「はい、マスター」


 こうして僕らはぎこちないながらも二人で調理をして朝食を作る。


 結局ネットで調べながら作ったせいで日も暮れて時間的には夕食になっていた。


 料理に慣れていない僕らはサラダ一つ作るのにも時間がかかった。野菜の切り方にも色々あるなんて今まで知らなかったし、何より切り方によって味まで変わるなんて驚きだった。


 料理って大変なんだな。料理を作る。言葉にすればものすごく単純なことだけど、実際にやってみるとその大変さがよくわかった。


 こんなことを母さんは文句を言わずに毎日やっていたのか。


「大丈夫ですかマスター?」


 苦労して作った朝食が並べられたテーブルの前でしんみりしていたら、ショコラが心配そうに僕の顔を覗いてきた。


「大丈夫だ。それよりも早く食べよう。やっと朝食が食べれる」


「そうですね」


 僕とショコラは両手を合わせる。


「「いただきます」」


 まずは初めて自分で作った料理の野菜炒めから箸をのばす。


「……不味い」


 口に入れた野菜炒めを食べて真っ先にその言葉が出た。野菜に火が通ってなくて固いし、味がない。ひどいものだ。


 母さんが作ったものとは比べものにはならないほど不味い。


 だがそんな母さんの料理に僕は何度不味いと言ったことか。その度に母さんは僕に謝る。本当に謝るべきだったのは僕の方だったのだ。母さんがどれだけ苦労して作っていたのか知らず、ただ不味いと文句を言うばかり。不味いと言われる相手の気持ちなんてこれっぽちも考えていなかった。


 しかしもう母さんの料理を食べることもできないし不味いと言うこともできない。なにより不味いと言ったことを謝ることすらもできない。


「うん。なんともまあ個性的な味ですね」


 僕の作った野菜炒めをバリバリと食べながらそんな感想を言うショコラ。


 はたしてロボットに味覚があるのかわからないが、あいつなりに気を使ってくれたのか。ロボットのショコラですら他人を気遣えるのに僕ときたら……。


「どうかしましたか、マスター?」


「ありがとな」


「はて、なんのことやら?」


 気遣いに感謝すると、ショコラは恍けたような態度をとる。


 もしかしたらショコラのやつはそのことを教えるためにわざわざ僕に手料理なんかをさせたのか?


 チラリとショコラの様子を伺うがショコラはもぐもぐとご飯を食べている。


 ……考えすぎか。


「それよりもマスターは食べないのですか? 食事は生きている者の義務ですよ」


 生きている者の義務、か。


「そうだな」


 父さんに母さん、妹の奏はもうご飯を食べることはできない。だからこそ生きている僕はご飯を食べなきゃならない。生きるためにも。


 僕はこの不味いご飯を心に噛み締めるように食べた。僕はきっとこの不味いご飯の味を忘れないだろう。


 そして食べ終えた僕らは食器を洗い場に持っていく。


 食べ終わったら食器は洗う。そんなの当たり前のことだが、今までは僕は食器を洗うことすら母さんにまかせっきりだったんだな。


 ハッキリ言って食器を洗うのはめんどくさい作業だ。それなのに母さんはそれを毎日やっていたのか。春夏秋冬。特に水の冷たさが肌にさすような痛みを与えてくる冬の時期は辛かったんだろうに……。


 僕は食器をスポンジで丁寧に洗いながら、母親の偉大さを実感していた。


 するとそんな僕を見てショコラが不思議そうに言う。


「何やってるんですかマスター? この程度の洗い物なら水洗いしてから食洗機でちょちょいのちょいですよ。スポンジを使うのは強力な油汚れの時とかです」


「……えっ?」


 ショコラの言葉に固まる僕。


 一方ショコラは水ですすいだ食器を食洗機の中に入れていく。


 ……ほんと、文明って偉大だな。


 食器を食洗機にかけて一段落すると、ショコラがソファーに寝ころびだした。


「ふぅー、疲れたぁ」


 こいつは本当にロボットなのだろうか? 行動がやたらと人間っぽいところがある。


 そんなショコラに僕は質問をする。


「ショコラ、お前は風呂とか入るのか?」


「当たり前じゃないですか。お風呂は乙女の嗜みですから」


「乙女ねぇ」


 ロボットなのにそういう考え方があるんだな。このロボットを作った人間はそれほどロボットを人間に近づけたかったのだろうか?


「なら先に風呂に入っていいぞ。着替えは……妹のやつが着れるだろ」


「ま、マスターが急にやさしく!? ど、どうしたんですか? 食あたりでも起こしたんですか?」


 僕の言葉にショコラはオバケでも見たみたいに驚いている。


「はっ! もしや、わたしのお風呂を覗こうって魂胆ですか!」


 こいつ、僕をいったいどんな人間だと思ってるんだ。


「別にやましい意味はない。ただ、お前の身なりがみっともなかったからだ」


 髪はボサボサだし、ゴミ捨て場にあったからちょっと臭いもくさい。それに着ている服だってボロボロだ。


「風呂に入ってさっぱりしてこい」


「そういうことならお言葉に甘えましょう」


 と言ってショコラはお風呂場へと向かうが、途中で僕の方に振り返る。


「マスターがどうしてもと言うなら一緒に入ってもいいですよ」


「結構だ」


 何が楽しくこいつと風呂に入らなきゃならないんだ。


「そうですか」


 そう答えるとショコラは風呂場へと向かう。


 そして僕はショコラが風呂に入ったことを確認してから家を出る。別にやましいことを考えているわけじゃない。


 日課になってる散歩をするためだ。


 普通に外出したらあいつのことだからついてくるとか言い出しかねない。だからわざわざショコラを先に風呂に入れたんだ。


 あいつが来た今日一日はあっという間だった。今まで漠然と過ごしていた一日よりも充実していたのかもしれない。


 しかしこの時だけは一人になりたかった。


 家族のことを忘れないために。


 僕はいつもの道を歩いて家族が死んだ事故現場にやってきた。


 事故現場には花が供えてあった。


 僕にはいまいち花をたむける意味がわからない。死んだ後に何をしても死者は何にも感じることはできないのになぜそんなことをするんだろう?


 だいぶ前からあるその花は時間の経過とともに枯れかけていた。


 きっとこの花はボロボロになってどこかに消え、そこに花があったことすら忘れて事件があったことも世間から忘れてられるんだろう。時間が経つにつれて記憶は風化してしまう。


 それこそ交通事故なんて日本では毎日のように起きてることだし、交通事故で死ぬ人だって大勢いる。


 僕の家族もその大勢のうちの一つの事故として記録として残るだけだ。人々の記憶には残ることもあまりないだろう。


 だから僕は家族のことを忘れないためここに来る。


 しばらくその場にいてから少し歩き出す。


 橋の上にやってくると川の流れを見ながら感傷的になる。


「もっと親孝行してあげればよかった」


 どれだけ母さんが苦労していたのかを知っても死んでしまったら意味がない。


「……前に進むかぁ」


 今朝杏さんに言われたことを思い出す。いったいどうすれば前に進めるのだろうか。


 家族の死を忘れて学校生活を楽しむことが前に進むことなのだろうか?


 学校生活という忙しい日々を送れば悲しみを忘れることはできるかもしれない。でも果たしてそれは前に進むことなのだろうか?


 辛いことを忘れることは果たして前に進むことなのか?


 まだ幼い僕にはどうしていいのかわからない。


「とりあえず、今日は帰るか」


 今日はあいつがいるし、いつまでも家を空けてられない。


 と思って後ろを振り返ると物凄い勢いでこっち向かってくる人影があった。


「マスタァァァァァァァァァァァァ!」


 あれは、ショコラか?


「死んじゃダメですぅぅぅぅうぅぅ!」


 そう叫びながらショコラは僕の身体に思いっきりタックルをしてきた。


「ば、バカ!」


 ショコラのタックルを食らった僕は後ろに吹き飛んで、ショコラと一緒に橋から落ちて川にダイブすることになった。







「ふー、なんとか危機を脱しましたねマスター」


 川を泳いでなんとか岸に上がると、ショコラは満足げな表情でそんなことを言ってきた。


「誰のせいでこんな――」


 岸に上がった僕はショコラに注意しようとするが、ショコラの姿を見て目を覆う。


「な、何でお前は服を着てないんだよ! とりあえずこれを着ろ」


 僕は濡れたシャツを脱いでショコラに渡す。ロボットとはいえ、頭のネジがなかったら外見は人間と大して変わらない。


「しょうがないじゃないですか。お風呂から出たらマスターが家にいなくて慌てて探したんですから」


「だからって全裸で出歩くな!」


「バスタオルぐらい着てましたよ!」


「あんま変わんねーよ!」


 しかもそのバスタオルは川に流されたしな。


「だいたい家にいなかったぐらいで慌てるなよ」


 僕があきれるように言うと、ショコラは何か思いつめた表情でギュッとシャツの裾を握りしめる。


「だって、だってわたしがお風呂に入る前の時のマスターの顔が、何か思いつめてるような顔をしていたから心配だったんです」


「……」


 こいつは僕を心配してここまで来てくれたのか。それで橋の上にいる僕を見て自殺するんじゃないのか勘違いしたのか。


 もしかしてこいつが一緒に風呂に入ろうといったのも僕を心配して言ったのかもしれない。


 一瞬本当にショコラがロボットだということを忘れそうになる。


「そっか。心配かけて悪かったな」


 と言ってショコラの頭に手をポンッと乗せる。


「……マスター?」


「ほら、さっさと帰るぞ。早く帰って風呂に入らないと風邪をひきそうだ」


 さすがに十月の川は夏場と違って冷える。冬の川じゃなかったのが不幸中の幸いというところか。


「それなら一緒に入りますか?」


「それは遠慮する」


「なっ! わたしだって風邪をひいちゃいますよ」


「ロボットは風邪なんてひかないから安心しろ」


「う~」


 ショコラは不満そうに唸ると手を差し出してきた。


「どうした?」


「ならせめて手を握ってください」


「手を? まあ、それぐらいならいいか」


 僕はショコラの小さな手をギュッと握る。ロボットのはずのショコラの手は冷たくはなく人間と勘違いしてしまうほど暖かな温もりを感じる。だからなのかほんの一瞬だけ彼女が人間なのではないかと思ってしまったのは仕方のないことだろう。


 そんな僕の気持ちなど知らずショコラは無邪気に笑う。


 こうやっていると妹の奏のことを思い出すな。


 あいつとはよく買い物帰りに手を握って歩いたものだ。おかげで帰りは荷物を片手で持たなきゃいけなくて大変だったな。今じゃそれも過去の思い出か。


 けどこうした時間も悪くないかもしれないと思う自分がいる。昨日までならこんなこと考えもしなかったのに。


 少しは変われただろうか。そしてこれから先僕は変われるのだろうか。


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