(7)レクチャー
想定よりも多すぎる立候補者に、フローリアは内心で喜びの声を上げたが、一応顔には出さないようにしていた。
面談のときにわかったのだが、塔の階層という限られた空間に押し込められているのが嫌で、別の階層に行きたがっているのかとシュレインは考えていた。
だが、それは間違いで、どちらかといえば新しい料理に触れられるという動機のほうが多かったのだ。
そもそも面接まで来た者の多くは、観光地での接客経験者であったり料理担当だったのだ。
逆に屋台ごときに携わるのは勿体ないような人材ともいえるが、いま観光地は、ヴァンパイアやイグリッドにとって人気の職場となっている。
中々就きたくても就けない職なので、結婚や子育てを期にリタイヤした者が、今回の募集に集まったのである。
これは、フローリアたちにとっては、良い誤算であった。
観光地を退職した者は、そもそも守るべき秘密をわかっているので、いちから教え込む必要もない。
勿論、今回フローリアたちが出している屋台には、観光地とはまた別の守秘義務が発生するので新たに教えることはあるのだが、省けることも多い。
フローリアとふたりで採用者を決めたシュレインは、内心でよかったと考えているのであった。
♢♦♢♦♢♦♢♦♢♦♢♦♢♦♢♦♢♦♢♦♢♦♢♦♢♦♢♦♢♦♢♦♢♦♢♦♢♦♢♦
調理担当として選ばれたイグリッドのふたりは、室内に漂う匂いに眉を寄せた。
「・・・・・・この匂いは?」
「ずいぶんと香辛料が使われていますね」
本来方言がきついイグリッドだが、観光地に勤めていたこともあって、このふたりはそれが矯正されている。
さらにいえば、塔に移住して来てかなりの時間も経っており、里に住んでいるだけのイグリッドもきつい方言は無くなっている。
とくに塔に移ってから生まれた子供たちにその傾向が強いのは、ある意味自然な流れと言えるかもしれない。
「ここが調理場になります」
エリに案内されながら調理場へと向かったふたりは、一般の住宅に見えた家の一室に用意されたその部屋に思わず目を瞠った。
「あんれまあ。随分と大きいなあ」
「予想外で、びっくりしただ」
ふたりとも驚きすぎて思わず素が出てしまっている。
宿の調理場を見たことがあるので、広さ自体には驚いていないのだが、外見だと普通に見える家の中にそれだけの設備が用意されていることに驚いている。
その反応を苦笑して見たエリは、ふたりを奥に行くように促した。
考助が作ったガスコンロもどきの魔道具の上には、大きな鍋がふたつ乗っている。
その鍋の中には、明日屋台で出すカレーが規定量ぎりぎりまで入っていた。
ちなみに、いまは余熱を冷ましている状態である。
まあ、だからこそエリも余裕を持ってふたりを案内しているのだが。
「カレーに関しては、前日に作り置きをしておいて、翌日に出します。揚げ物は、その日の朝のうちに揚げ始めてだしています」
カレーは一晩おいた方が味に深みが出るという理由もあるのだが、一度に説明しても仕方ないと考えていまは置いておく。
さらにいえば、スパイスによっては一晩おくと逆に駄目な場合もあるのだが、そうしたややこしい物はミツキがカレーを伝授する段階で省いているので問題ない。
「食材はどこにあるだ・・・・・・りますか?」
「道具の場所も教えてほしいだ・・・・・・です」
ようやく落ち着きを取り戻してきたのか、怪しい感じで口調を変えたふたりが、次々とエリに質問をしていく。
エリはそれにひとつひとつ答えて行って、この日の説明は終わりとなった。
翌日。
朝早くから仕込みに入っていたイグリッドふたりは、エリに指示されるまま揚げ物に必要な材料を手際よく切っていた。
この辺りは流石に宿の調理場で食事を担当していただけのことはある。
「おふたりともさすがですね。思った以上に手際が良くて、早く終わってしまいそうです」
屋台を開く時間のことを考えてのエリの台詞に、ふたりが手を止めた。
「これ以上は、止めておきますか?」
「早く作りすぎるのも駄目ですよね」
確認するように視線を向けて来たふたりに、エリは首を左右に振った。
「いえ。大丈夫よ。いま切っている分は終わらせてしまいましょう。用意した分だけを使って、時間をかけて説明したほうが、ふたりは早く覚えてしまいそうですし」
ふたりの技量を考えてのエリの言葉に、イグリッドふたりは同時に頷いた。
「それに、このあとのサラサさんとの話し合いで、揚げ物の数を増やすかもしれないですから」
「そうなのですか?」
「ええ。揚げ物だけ売ってという声も意外にありますから、材料さえあれば用意できますしね」
カレーは前日に用意した分しか出せないが、揚げ物に関してはその日に様子を見ながら出しているので、数の調整はいかようにもできる。
数日屋台を続けてきて、揚げ物だけを求める声も多くなっているのだ。
いままでカレーの売り切れと同時に屋台を閉めていたが、人数が増えて休憩を取れるようになれば、揚げ物だけを出し続けるということも出来る。
その辺りは、売り子役のサラサと話しさえすれば、いくらでも対応可能なのである。
練習用に幾つかその場でコロッケや天ぷらを揚げていった調理班に合わせるように、サラサを含めた売り子班がやってきた。
本来は考助たちの別荘もどきのこの家は、すっかり屋台メンバーの宿泊施設と化している。
折角なので練習用に作った揚げ物で、全員そろっての朝食と相成った。
「「「「美味しい!」」」」
揃ってそう声を上げた四人に、エリとサラサは笑みをこぼした。
「私は、初めてコロッケを口にしたときは、こんな美味しい物があっていいのかと思いました」
「本当にね」
考助が聞けば、なんとも大げさな感想に思えるかもしれないが、この場にいる者たちにとっては、まさしく本音の言葉だった。
朝食を終えたあとに、六人は打ち合わせに入った。
「それで、今日はどれくらい出せるかしら?」
サラサの問いかけに、エリは少しも悩まずに答えた。
「カレーに関してはいままでどおりです。作り置きしようにも道具が揃っていませんから」
大なべに作っているカレーは、そもそも鍋を用意しないと用意することができない。
フローリアの話では、今日の午前中には用意することになっているので、明日からは出す量も増やすことができる。
「それから、揚げ物に関しては、ここにある材料が無くなるまで作るつもりです。明日からの分は、ひとりを買い出しに行かせることもできますから」
これも人が増えたことによる恩恵だった。
いままでは、エリひとりで買い出しも担当していたのだ。
「どれくらい増えるかな?」
「さすがに倍は増やせませんが、五割ほどは増やせると思います」
「なるほど。わかったわ」
エリの説明に、サラサが一度頷いてから売り子担当のふたりを見た。
エリから聞いた情報をもとに、サラサは頭の中で今日の様子をシミュレートして、今日の予定について話し始めた。
「昨日も話した通り、多少余裕のある午前中にある程度のことは教えるね。あとは昼時を超えてしまえば、二時間ほどで売り切れると思うわ」
いままでの経験からサラサは終了の時間をはじき出した。
勿論、客足によっては外れることもあるのだが、いまではほとんどひっきりなしに客が来る状態なので、外れようがないともいえる。
「今日は大きな休みが無しで疲れると思うけれど、その分早く上がれるから我慢して頂戴」
申し訳なさそうに手を合わせるサラサに、もともとそうなるだろうと話を聞いていた売り子組ふたりは、勢いよく首を左右に振るのであった。
今話でもわかる通り、どちらかといえば買う方ではなく売る方の視点での話になっています。
まあ、塔のほうを主体に持ってきているので、ある意味当然なのですが。
要望があれば、閑話で買う側の視点を書こうかなと思います。
ちなみに、カレーの一晩おいて云々は、運営上の理由もありますので、絶対ではありませんw(家庭用の少量生産ではなく、大量生産していますしね)




