閑話 馬なし馬車
馬なし馬車に関する噂が、セントラル大陸に最初に出回り始めたのは、北の街からだった。
正確には、北の街から見て東側の街道を使って街に入ってくる者たちが、不思議な馬車を見たと酒の肴にしていたのである。
最初の数日は、なにを馬鹿なことをという反応だったのが、何日か経つとその状況に変化があった。
ミクセンからの巡礼を終えて、北の街に戻ってきた巡礼隊の聖職者たちが、同じようなことを口にし始めたのだ。
勿論、聖職者だからといって、絶対に嘘をついてはいけない、なんていう決まりごとはどこにもない。
ただし、その性質上、嘘をつき続ければ信用を落とすことは、聖職者としては致命的な事態となる。
そのためこういう場合では、嘘はつかないということは、一般的には常識の範囲となっている。
もっとも、その噂をひとりの聖職者が言っていれば、同じように笑い飛ばしていたかもしれない。
しかしながら、今回の場合は、同じ巡礼隊にいた全員の聖職者が口をそろえて肯定したために、本当のことなのでは、と思われ始めたのである。
一度そう思われ始めれば、あとは続報を待てば噂の真偽は確かめられる。
何しろ、嘘の噂などそう長続きなどしないのだから。
結局、馬なし馬車の噂は、途切れることなく広まり続けることになった。
それもそのはずで、姿を隠すつもりもないのか、大陸を街道沿いに南下していっているという目撃情報がずっと続いているのだ。
しかもその速さは、普通の行商の馬車は勿論、クラウンの大規模商隊よりも早い速度で移動していることがわかった。
そんな情報が流れれば、欲しがるものが出てくるのは当然のことである。
普段移動することが多い冒険者から、行商を行う商人たち、果ては物珍しい物を欲しがる好事家まで、何とかして馬なし馬車を手に入れられないかと動き始めていた。
東の街にある商人ギルド「オロの集い」のギルドマスターであるバルトロが、馬なし馬車の噂を聞きつけたのは、そんなときだった。
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「・・・・・・遅かったか」
部下からの報告書を見たバルトロは、その報告書を机の上に放りながらそう呟いた。
その報告書には、馬なし馬車はすでに東の街を出て、さらに大陸を南下し始めたと書かれていた。
できることなら、馬なし馬車が東の街にいるうちに交渉をしたかったが、その考えが無駄になってしまった。
「はい。こうなってしまえば、追いかけるのは至難の業です。どんな既存の馬車よりも早く駆け抜けるようですから」
長年自分の補佐として付き従ってくれている部下の言葉に、バルトロは渋い顔になった。
信じられないような速さで街道を駆けるという話は、バルトロも知っている。
むしろ、その噂があったからこそ、なんとか手に入れられないかと動いていたのだ。
自分が直接交渉することが難しいと悟ったバルトロは、ため息をつきながらつい愚痴のようなものを言ってしまった。
「・・・・・・タイミングが悪い。せめてあと一日出発が遅ければ・・・・・・」
この場には、自分と部下のふたりしかいない。
本音を漏らしてしまっても、他に聞いている者は誰もいない。
つい舌打ちをしてしまったバルトロに、部下が苦笑しながら馬なし馬車についての情報を付け加えて来た。
「例の馬車を使っている冒険者は、町や村に着いてもほとんど滞在することなく次の目的地に向かっているようですからね。長期間捕まえるのは、至難の業です」
「・・・・・・そうなのか?」
「ええ。長くても二日程度しか同じ町にはいないようです」
その情報に、バルトロは目をむいた。
通常、商人であれば、小さな村であっても数日間は滞在する。
物を売るためでもあるが、身体を休めるためでもある。
それは遠出する冒険者であっても同じで、二日と経たずに出発するなんてことは、強行軍もいいところだ。
「その馬車での移動は、それだけ快適ということか?」
身体を休める必要もなしに進むことができるなど、商人にとっては理想的な馬車といっていい。
そこまでくると逆に疑わしくなってきたバルトロだったが、部下は考え込むように首を傾げた。
「快適性まではわかりかねますが、他の馬車に比べて楽なのは確かなようですね。・・・・・・なにしろ、子供まで乗せて旅をしていたという情報までありますから」
「・・・・・・なんだと?」
今度こそ完全に疑わし気な顔になったバルトロに、部下が肩をすくめて続けた。
「リュウセンの町から途中の村まで一緒だったという噂が流れています」
子連れの馬車移動ほど目立つものはない。
モンスターの襲撃がセントラル大陸ほどではない他大陸では、行商人が子連れで旅をすることもあるという話もあるが、少なくともこの大陸ではそれは自殺行為だとされている。
快適性はともかくとして、セントラル大陸内を子連れで旅をするとなれば、よほど自分の腕が良くないと行わない、それこそ冒険なのである。
当然、商人が子連れで移動するのは、冒険者がもっとも嫌がる行為のひとつとされている。
勿論、止むに止まれぬ事情がある場合もあるのだが、商人もそうした行為は極力行わないようにしていた。
一瞬呆然としてしまったバルトロは、開けた口を一度閉じてから呆れたように言った。
「なんだ? その馬車の持ち主は、自殺志願者か?」
セントラル大陸内では一般的な反応をしたバルトロに、部下が首を左右に振る。
「そういうわけではないでしょうね。なにしろ、Aランクパーティという噂がありますから。むしろ、自分たちの傍に置いておいた方がいいと考えている可能性もあります」
その言葉にバルトロは、再度呆けた顔になり、ついで唸り声を上げた。
「・・・・・・・・・・・・なるほど。それは十分にあり得るな」
残念ながらバルトロは、Aランクの冒険者を雇ったことはない。
ランクが上がればそれだけ依頼料も跳ね上がるのだから当然のことなのだ。
むしろ、Aランク冒険者が戦闘をしているところを見ることができる者など、ごく限られている。
だからこそバルトロは、子連れで旅をしていることに納得できてしまった。
「これは・・・・・・一筋縄ではいかないようだな」
「そうですね。ですが、だからといって、諦めるわけではないでしょう?」
確認するかのような、確信しているかのようなその部下の顔に、バルトロはフッと笑みを浮かべた。
「当然だな」
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次々と入ってくる馬なし馬車の情報を整理していたバルトロは、そんなことを考えていたときもあったなと、昔の自分を殴ってやりたい気分になっていた。
「これは・・・・・・駄目だな。諦める」
「・・・・・・そうですね」
きっぱりとそう言い切ったバルトロに、部下も苦笑しながら頷いた。
馬なし馬車が南の街に近付くにつれて、彼らに接触した冒険者や商人からの細かい情報もだんだんと増えてきていた。
それらの確定した情報の中には、馬車を作るためのかかった費用に関するものもあった。
その金額を聞いたバルトロが、納得半分、諦め半分の顔になりながら決断する羽目になったのである。
とてもではないが、中規模経営の商人ギルドに手を出せるような金額ではない。
それどころか、大手のギルドでも無理だろう。
それほどまでに突き抜けた数字だったのだ。
逆にいえば、その金額のお陰で諦め切れていなかったバルトロの未練(?)が、さっぱりと立ち切れたともいえる。
「しかし、俺たち以外にも撃沈したところは多数あるだろうな」
「むしろ、自分だと手が届くだろうと考えていた大手も多いのではないでしょうか」
バルトロたちは、自分たちでは手に入れられなかった悔しさも含ませて、そんなことを言いながら未だに諦めていない者たちへと思いを馳せるのであった。
自走式馬車の噂についてでした。
中小ギルドは、完全に南の街時点であきらめが入っています。
逆にいえば、より面倒な相手が残っているともいえますが。




