(20)決心
もはや最近では見慣れすぎた顔を見て、ベニートは内心でため息を吐いた。
「それで、アデルモ殿。今日は一体どういった要件ですかな?」
「要件も何も! それこそ、一体いつになったら手に入るのですか!」
「さて、それは私もわかりかねますな。こういったことは相手次第といえますから」
「何をそんな悠長なことを!」
すでに何度も繰り返されたやり取りに、今度こそベニートはこれ見よがしにため息を吐く。
「すでにこれも何回も言っていますが、時間がかかると申し上げたはずです」
「そんなことを言っていたら、また前と同じようなことが起きかねませんぞ!」
「ハア・・・・・・。それも否定はできませんが、だからといって無理やり相手から取り上げろと? それこそできない相談ですな」
「なにを言いますか! あなたほどの力があれば!」
勢い込んでそう言ってくるアデルモを見て、ベニートはこれ以上どういっても無駄だろうと方向性を変えることにした。
ベニートは、少しの間じっとアデルモを見てから、もう一度ため息を吐きながら言う。
「・・・・・・アデルモ殿は、何をそんなに焦っているのか?」
「なんですと?」
「私の目には焦っているようにしか見えないのですが?」
ベニートの問いに、アデルモはフンと鼻を鳴らした。
「なぜ私が焦らなければならないのです?」
そう言ったアデルモの言葉に余裕があるのか、それとも何かを隠しているのか、ベニートには読みとることはできなかった。
ただ、それでもベニートの中には、ここ数日のアデルモの言動で何かそうした焦りがあることを感じてはいた。
もっとも、それをこの場で追及しても、簡単には尻尾を出さないということはわかっている。
ベニートは肩をすくめながら軽く答えた。
「さて、であるならば、あなたがこうまで急く理由がわからないのですが?」
そう言ったベニートに、アデルモは再び鼻を鳴らした。
「ベニート殿ともあろうお方が、ずいぶんと的外れな意見をお持ちですな」
「そうですか?」
「そうですとも」
挑発するようなアデルモの言葉に、ベニートが軽く答えを返すと、アデルモもまた軽く答えを返してきた。
神殿育ちのために世間知らずな面を見せるにもかかわらず、いざというときは本当のことを表に出さない人物。
それが今のベニートのアデルモに対する評価だった。
最初こそ、ただの俗物などと考えていたのだが、ことが進めば進むほどアデルモの人物像がわからなくなってくる。
勿論、神殿内でも権力争いはある。
自分の感情など隠したうえで、勢力争いを行える者がいたとして何の不思議もない。
むしろ、ベニートがこれまで会ってきた神殿の高い位についている者たちは、ほとんどがそうしたことを普通に行っている。
だからこそ、アデルモにもそれができても何の不思議もない。
だが、ただの素の性格だという疑念もまた、捨てきれないというのがベニートの評価だった。
そんなアデルモを前に、ベニートはため息を吐いて言った。
「ともかく、私は今まで通り交渉を続けてもらうだけです。結果は最後についてきます」
これ以上の話は終わり、といわんばかりのベニートに、アデルモは少しの間黙ったままじっと見てきた。
そして、フンと鼻を鳴らしたあとで、ため息を吐くようにポソリと言葉を言い捨てた。
「そうですか。・・・・・・後悔しないように」
「後悔、ですか?」
首を傾げたベニートに、アデルモはそれ以上何も言ってこなかった。
ただ踵を返してその場を立ち去って行ったのである。
そのアデルモの姿をただ見送ったベニートは、困ったような顔になった。
「さてさて、何かをしようとしているのはわかるが、果たして何を・・・・・・」
そういって首を左右に振って、さらに独白した。
「ここで考えても分かるはずもない。・・・・・・仕方ない。探りでも入れてみるか」
ベニートは、それだけを言って、あとはまた何かを考え込むように思考の渦に飲み込まれていくのであった。
♢♦♢♦♢♦♢♦♢♦♢♦♢♦♢♦♢♦♢♦♢♦♢♦♢♦♢♦♢♦♢♦♢♦♢♦
いつものように営業終了時間を狙ってダナの店を訪ねたミストは、急いだ様子で道具を片付ける彼女を見て少し驚いた。
今まで何度も訪ねてきていたが、こうして焦って道具類を片付けているダナを見たのは初めてのことだった。
交渉人としての直感が、何かあったのだと囁いていた。
それを悟られないように、ことさらゆっくりと話しかける。
「おや。急いでいるようですが、何かありましたか?」
「あっ、ミストさん、すみません。今日は・・・・・・」
申し訳なさそうな顔になったダナだったが、それでも片付けの手を止めるようなことはしなかった。
「ああ、いえ。大丈夫ですよ。そのまま進めていてください」
そう言ったミストは、一呼吸おいてからさらに続けた。
「それにしても、ずいぶんと慌てていますね」
「はい。これから人と会おうと思っているのですが、時間が時間ですから・・・・・・」
「お約束はないのですか?」
「はい。というよりも、向こうがいつでも訪ねて来ていいと言っていました」
それを聞いたミストは、内心で首を傾げていた。
ダナがどこに行こうとしているのかはわからないが、予約もなしに人と会おうというのはかなり珍しい。
いつでも訪ねてきていいというのは、店などの仕事場ではなく、プライベートな場所で会おうとしているということが一番考えられる。
もっとも、実際にはそうとも限らないこともあるので、何とも言えないのだが。
そう考えたミストは、探りを入れることにした。
「ほう。それはまたずいぶんと余裕のある生活をしていらっしゃる方なのですね」
その言葉を聞いて、初めてダナがぴたりと作業の手を止めて、ミストを見た。
「余裕? ・・・・・・言われてみれば、そうなのかもしれませんね」
ミストに言われて初めてそのことに気付いたダナは、脳裏に前に訪ねてきた三人の女性を思い浮かべた。
着ていた服は最高級品というわけではないが、どれも上品さがわかる物だった。
見るものが見れば、というよりも普通の女性が見れば一度は着てみたいとあこがれるような服だった。
つまりは、一年に一度着るくらいのおしゃれ用の服、といったくらいの値段の服だ。
貴族たちが着ているような服に比べれば、それでもかなり値段は落ちるが、そこそこの値段はする。
それを晴れ着といった感じではなく、ごく自然に着こなしていた。
どちらかといえば、貴族の女性が身分を隠して町を出歩いているような感じに受け取れた。
そこまで考えたダナは、思わずつぶやこうとした言葉を、喉元で止めた。
すでにミストが水鏡を手に入れようとしている交渉人であることはわかっている。
迂闊に不用意なことを言ってはいけない。
そう考えて自制したのである。
ごまかすように首を左右に振って続けた。
「着ていた服はちょっと裕福な平民が着ることができるような物でしたから、よくわかりませんね」
「そうですか」
そうしたダナの内心まではわかっていないが、それでもミストはいくらかの情報を得ることができたことに満足した。
これに関しては、ダナが迂闊だとは言えない。
変に情報を隠すよりも、ある程度のことは言ったほうがいいためだ。
ついでにいえば、三人が店を訪ねていたことは、調べればすぐにわかる。
何しろ、普通に外を歩いているだけで目立てる三人なのだから。
本人たちもそれがわかっているだろうに、まったくそれを隠そうとすることはしていなかった。
ある程度のことは、ばれてもかまわないと考えているのは、それでわかる。
そんなことを思いながらダナは片付けの手を再開して、ミストと別れたあとに、フローリアから指定された場所へと向かうのであった。
いよいよいろんな意味で決断しました。
ダナの決心がどうなったのかは、次話です。




