(10)接触
そのとき、ダナはその日の仕事を終えて道具の片づけをしていた。
数日間続いていた水鏡から感じる違和感はいつの間にか収まり、今では以前と変わらない状態になっている。
おかげでいい感じに占いができていて、ダナも上機嫌だ。
機嫌よく部屋の掃除を終えて、あとは水鏡を片付けるだけという状態になったところで、突然その人物が部屋の中に入ってきた。
「あの、すみません。営業は終わったのですが・・・・・・」
突然人が入ってきたことに驚いたダナだったが、こうしたことは偶にある。
いつものことだろうと慣れた調子で断りの文句を言ったが、その相手は首を左右に振った。
「突然すみません。占いをしてもらいたいのではなく、あなたに話があって来ました」
「私に?」
「ええ。お時間よろしいですか?」
その言葉に、ダナは内心で首を傾げつつ相手を観察した。
占い師という職業は相手を見ることから始まるとダナは考えている。
勿論、これも師匠の教えであり、今もしっかりとダナの胸に刻まれている。
その『目』で見た感じでは、相手におかしなところはなかった。
汚れのないしっかり洗われた服を着ていて、着の身着のままという感じではない。
相手の物腰とその外見から特に危険はないと判断したダナは、一つうなずいてから椅子に座るように促した。
ダナから座るように促された訪問者は、頭を下げてから椅子に座った。
「ありがとうございます」
「いえ。それはいいのですが、話というのは?」
面倒な前置きは省いてほしいというダナの意図を察したのか、訪問者の男は頷いてから要件を切り出した。
「実はですね。あるお方が、あなたの使っていらっしゃる水鏡を大変に気にいったと申しておりまして、ぜひとも譲っていただきたいのです」
男がそう言うと、ダナは内心でため息を吐いた。
ダナにしてみれば、やっぱり来たかというのが正直な気持ちだった。
最初に水鏡を使い始めたときにある程度噂になったので、あまり注目を集めないようにしていたが、いつかはこういう申し出が出てくることはわかっていた。
それは別に水鏡だけが特別な扱いだからというわけではない。
よく当たる占いに使われていた道具、あるいはダナが使っている水鏡のような占いに使うには珍しい道具などなど、好事家たちが欲しがるものというのには際限がない。
ダナ自身はこうした申し出を受けるのは初めてのことだったが、師匠をはじめとして、占い師仲間たちからはそうした話をよく聞いていた。
まさか自分にこんな話が転がり込んでくるとは、という思いもあったが、ダナはちらりと視線を水鏡へと向けた。
もとよりそんな話が来たとしても、ダナには水鏡を手放すという選択肢はない。
水鏡を手に入れられたのは、占い師としてようやくつかんだ幸運だったと考えているからだ。
まっすぐに自分を見つめてくる男を見たダナは、首を左右に振って答えた。
「申し訳ありませんが、私はこの水鏡を誰かに譲るつもりはありません」
そう答えることで何か反発でもしてくるかと考えていたダナだったが、男は怒ることはせず、予想していたといわんばかりにその顔に笑みを浮かべた。
「ええ。私も今すぐに譲ってほしいというつもりはありません。ただ、今日はそうしたお話があるということをあなたにお伝えしたかっただけです」
「え? あ、はあ・・・・・・」
あっさりと引き下がった男に、ダナは思わず間の抜けた返事を返してしまった。
そんなダナに、男は笑みを浮かべたまま話をつづけた。
「あなたもその道具を商売用に使っているのです。そんなにすぐに手に入れられるとは、私も私の依頼主も考えていませんよ」
「そうなんですか」
愛着がある道具というのは、持ち主にとっても手放しがたいものである。
好事家たちは、そのことをよくわかっている。
そのため、誰かから物を譲ってもらう場合も、多くは時間をかけてゆっくりと交渉していくのがほとんどなのだ。
勿論、中には強引な手段で手に入れようとする者たちもいるが、ほとんどの好事家たちはそうしたことは好んでいない。
そんな方法で金品を集めたとしても、その道具の歴史に傷がつくと考えるからだ。
ダナは、そんな話を男から多少意外な表情になって聞いていた。
これまでダナが持っていた好事家たちのイメージは、強引な手段でほしいものを奪い取ったりするといったものだった。
はっきり言えば、こんな交渉をしてくるとは考えてもいなかったのである。
だからといって、水鏡を譲る気になるかどうかは別問題だが。
そんなダナの気持ちを察しているのか、それともこれまで似たようなことを何度も繰り返しているからか、男はちょっとした雑談程度をしただけですぐに部屋から去って行った。
男がいたのは、時間にしてほんの十分程度のことだ。
ダナは、部屋から出て行く男を、なんとなく狐につままれたような顔で見送るのであった。
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考助は、管理層でシュレインたちとピーチからの報告を受けていた。
「そう。ついにあの娘に、接触が始まったのか」
「はい~。まだ、どこの交渉人かはわかっていませんが、本格的に買い取ろうという動きは出ているようです」
「ふむ。意外にまっとうな方法で出てきたな」
「そうですわね」
シルヴィアとフローリアが、お互いに顔を見合わせて頷いている。
ふたりの予想では、もっと強引な手段をとってもおかしくはないと考えていたのだ。
わざわざ交渉人を用意していることから、黒い噂が立たないように配慮していることがわかる。
思った以上にまっとうな手段をとってきた相手に安心する様子を見せていた二人に対して、考助は渋い顔をしていた。
「ふむ。コウスケは何か不満なようじゃの?」
それに気づいたシュレインが、確認するような視線を向けてきた。
そして、考助はそれに頷いて答える。
「うん。だって、交渉って言ったって、あくまでもあの子と買い取り人の間のやり取りだよね。そこには神具の事情は、一切配慮されていないでしょう?」
その考助の指摘に、シュレインたちはハッと顔を見合わせた。
そもそも道具に意思が宿っているなんてことは、考慮されるはずもない。
すっかりそのことを忘れていたシュレインたちだったが、その考助の言葉はいかにもらしいといえるだろう。
それもこれも考助が、実際に神具を目の当たりにしてきたからこそ言える言葉だった。
フローリアが腕を組んで、難しい表情になった。
「しかし、たとえ神具だとしても、実際に意思が宿っているなど普通は考えん。何の助言もなしに、そこを考慮して交渉しろというのは、少々無茶が過ぎるぞ?」
「まあ、そうだよねえ」
考助も自分が無茶なことを言っていることを自覚しているため、ため息を吐きながら同意した。
「いっそのこと、買い取り人に事情を打ち明けてから交渉してもらってはどうだ?」
「それも考えたんだけれど、そもそも意思の宿る神具とわかったら、どういう事態になると思う?」
「むっ・・・・・・」
考助の突っ込みに、フローリアは口をへの字にして押し黙った。
そして彼女の代わりにシュレインが苦笑しながら答えた。
「まあ、間違いなく大騒動になるのは間違いないじゃろう。そんな中で、神具が素直に譲渡されるとは思えんのう」
どう転んでも騒ぎになるしか見えない未来予測に、一同は揃ってため息を吐いた。
こちらから手出しをしようにも、逆に現人神という立場がそれを邪魔することになるため、考助としても見守る以外のことはできない。
何とももどかしい状況に、考助はどうにかできないかと頭を悩ませるのであった。
意外に(?)まともに交渉をしてきました。
ただ、この交渉人がベニートの関係者だとはどこにも書いていないっ!(棒)




