(17)退路の破壊
来客の為に執務室を離れていたオスキャルは、再び戻った執務室の机の上に、見慣れない封筒が置かれているのを見つけた。
その封筒には表にも裏にも何も書かれていなかった。
持ってみた感じでは、中に入っているのが書類だと感じて、部下の誰かが置いていったのだろうと深く考えずに中に入っている書類を確認した。
予想通りに十数枚の紙が入っており、疑問を感じながらも一枚目の紙に目を通したオスキャルは、一瞬で顔色を変えた。
現在の執務室には誰もいないと分かっているからこその変化だったが、顔色を隠すのが上手いと評判のオスキャルにしては劇的な変化だった。
もっともその変化もすぐに収まり、またいつもの表情に戻っていた。
顔色は元に戻ったオスキャルだったが、持っている紙の束を一枚一枚確認していき、最後まで確認し終わったときの表情は、完全に無表情になっていた。
書類を読み終えたオスキャルは、紙の束を再び封筒に入れて、指示があった通り寝室へと向かった。
誰もいないはずの寝室には、黒装束で身を固めた男がひとり待っていた。
その人物を前に、オスキャルは平坦な声で聞いた。
「・・・・・・目的は何だ?」
わざわざ執務室の机に、オスキャルの弱点を突くような情報を集めた物を置いてまで呼び出したのだ。
話し合う余地があるからこそ、こんな回りくどい方法を取ったのだと理解しての問いかけだ。
その考え通りに、黒装束は男の声で短く用件を伝えた。
「スミットから手を引け。私の用件はそれだけだ」
「・・・・・・なんだと?」
少しだけ間をあけて疑問の声を上げたオスキャルは、だがしかし、すぐに気を取り直して交渉を開始しようと口をすぐに開こうとした。
だが、黒装束は軽く右手を上げてそれを遮った。
「疑問も交渉も無意味だ。お前が取れる選択肢は、スミットから手を引くか引かないかだけだ。引かない場合は、当然しかるべき場所に、その情報を持っていく」
有無を言わせないその言葉に、オスキャルは黙り込んだ。
表情は変わっていないが、頭の中は目まぐるしく動いている。
目の前の相手の最終的な目的は分からないが、少なくとも要求していることは分かる。
身に覚えのないことであれば突っぱねることも出来るが、覚えがありすぎるので突っぱねることもできない。
いっそのこと、と物騒なことを考えたオスキャルだったが、相手はそれを読んでいたのか、さらに言葉を続けて来た。
「言っておくが、屋敷の護衛たちを集めて俺をどうこうしたところで無駄だ。俺がここで倒れたとしても仲間が実行するだけの事だ。・・・・・・まさかお前のその情報が俺一人だけで集められたとは思わないだろう?」
「・・・・・・」
自分の思考を先回りしているかのような相手の言葉に、オスキャルは思わず舌打ちをしたくなったが、どうにか気力で抑えた。
黒装束の言葉通り、仲間がいるのは予想していたことだった。
逆に、これだけの情報をたった一人で集められるのであれば、とてもではないが今いる屋敷の護衛たちでは歯が立たないという事はわかる。
しばらく相手の目を見ながら黙っていたオスキャルだったが、やがて諦めたように肩を落とした。
「・・・・・・わかった」
「そうか。いい返事を聞けて良かったよ。ああ、それからこの取引は、今回の事に限ったことじゃないからな。それじゃあな」
「おい! ま・・・・・・っち!」
黒装束は言うだけ言って、すぐに窓へと向かい姿を消した。
呼び止めようとしたオスキャルのことなどまるで気にしていなかった。
オスキャルとしては、本当にこの書類を使って今後も脅しをかけてこないのかと約束を取り付けたかったのだが、それさえもさせてもらえなかった。
普段他の貴族たちを相手にしているようなことさえ何もできずに、相手の要求を一方的に飲まされるだけで終わってしまった。
そもそも相手は交渉をしようとさえしていなかったのだから仕方のないことなのだが、そんなことを考える余裕は今のオスキャルには無かった。
ただただ苛立たし気に、持っていた書類を床に叩き付けることしかできなかったのである。
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「お、お頭! 大変だ! クルタが潰された!」
「な、何だって!?」
慌てた様子で駈け込んで来た手下の情報に、その部屋にいた他のメンバーたちが騒ぎ出した。
クルタというのは隣国にある闇ギルドの通称だ。
闇ギルドである以上、正式名称には意味がなく、お互いに通じる名前でしか呼び合っていない。
そのクルタが潰されたというのは、彼らにとっては隣国からくる商隊や軍の動きの情報が得られなくなるということに他ならない。
彼らの収入の多くが、国境線を超える商隊からの稼ぎということもあって、それらの情報が得られなくなるというのはかなりの痛手になるのだ。
だからこそ、王都の拠点が落とされた時よりも騒いているのだ。
そんな部下たちの様子を見ていた頭は、目の前にあった机をバシンと勢いよく叩いた。
「静かにしねえか!」
机をたたく音とその声で、浮足立っていた部下たちが静まった。
自分に視線が集まっているのを確認した頭は、そのまま言葉を続けた。
「王都やガボントが落とされた時点で分かっていたことだろうが。それよりも今は、ここが攻め込まれないようにする方が先決だ!」
その指示で幾分か気持ちが収まったのか、報告を聞いて立ち上がっていた部下たちも座り始めた。
それを見た頭は、何とか気を引き締めることが出来たと判断して、自室に向かうことにした。
「おい! 俺は部屋に籠るが、しばらく入ってくるんじゃねえぞ! それよりも、ここが落とされないようにちゃんと守っていろ」
「「「「「おす!」」」」」
部下たちからの威勢のいい返事を聞いた頭は、余裕の表情を見せながら頷いた。
「くそが!!!!」
自室に戻った頭は、悪態をついた。
部下たちの前では、ただ単に平静を装っていただけだ。
クルタが落とされたというのは、部下たちが思っている以上に、頭にダメージを与えていた。
それは単に、手を組んでいる闇ギルドからの情報を得られなくなるというだけではなく、別の意味も含んでいた。
慌てて誰も知らない場所から通信具を取り出して、慎重に操作を始めた。
だが・・・・・・。
「く、くそ! 動け!」
その通信具が正常に動くことは無かった。
それどころか、淡い赤色の光を発していた。
それは、相手側に何か不備が生じたか、もしくは通信の拒否状態になっていることを示している。
ここにきて頭は、最悪の状況を脳裏に思い浮かべた。
それは、これまで裏で支えてきた隣国との繋がりが、完全に途切れてしまったのではないか、ということだ。
勿論、それだけでは今ある組織がどうこうなるというわけではない。
何しろ金の稼ぎどころであるイチイとニルニはまだ健在なのだ。
その二つの拠点だけでも組織が維持できるだけの金は稼げる。
ただし、それだけだとあとは各個撃破されて終わってしまうという未来も見える。
はっきりいえば、先に退路を断たれて逃げ道が無くなった状態ともいえるのだ。
このあとは、何が何でも残っている拠点を死守しなければならない。
もはや頭は、この状況を作り出したのが王家の影たちだということは疑っていない。
王都とガボント山、そしてクルタを次々と潰して来た組織を相手に生き残ることができるのか、頭は必死に考えた。
だが、どうしても明るい未来は頭の頭では思いつかないのであった。
ようやくこの章も終盤に差し掛かりました。
何とか二十話以内には終わる・・・・・・ればいいなあと考えています。




