(5)狐のお宿
冒険者たちの間で「幻惑の宿」と呼ばれるようになった宿は、百合之神社と同じ第八層にある。
ただし、宿が建てられている場所は百合之神社とは離れたところにある。
例え冒険者が宿の外に出たとしても、目視するのは不可能だ。
「幻惑の宿」は、考助が作った結界で守られているために、その中から外に出ることは出来ないようになっている。
ヴァンパイアとイグリッドがホテル経営している場所で使っているものと同じ結界だ。
宿のある階層から別の場所へと繋ぐ方法は、転移門を使っているわけではなく、実は百合之神社の機能を使っていた。
百合之神社がある階層の地点から別の地点へとつなぐことが出来る便利機能だ。
これまで特に使いどころが無かったために、お披露目する機会が無かったのだ。
そもそも考助はその気になれば、送還陣や召喚陣などを使って好きに階層を移動することが出来る。
わざわざ百合之神社のその機能を使う必然性が無かったのだ。
そこで、百合之神社の本体(?)であるユリが、狐たちに頼まれてその機能を宿の経営のために使う事になったというわけだった。
そんなわけで「幻惑の宿」を経営しているのは、第八層にいる狐たち、正確に言えば人化できる狐たちだった。
そもそもなぜ狐たちが宿の経営を始めたかというと、考助の子供たちを育てる役目を終えて戻ってきた狐たちが発端となっている。
それぞれの階層にいる狐は、階層にいる野生の動物やモンスターなどを食べているのだが、子供たちの子育てをしてきた狐は人が作る食事の味を覚えてしまった。
野生の肉そのままで不満があるわけではないのだが、嗜好品の一種として食事を欲しがったのだ。
もともと百合之神社には建物を管理しているエリがいる。
彼女に頼めばそうした食事も作ってくれるのだが、働いて対価を得るという経験をしてしまった狐たちは、それだけでは不満を覚えるようになった。
その結果、ワンリを含めた狐たちで話し合い、宿を経営するという事になったのである。
流石にワンリからその話を聞いた考助は驚いた。
だが、これまで狐たちが主体的に動いたことなど、子育てを除いてほとんどなかったために、喜んで協力することにしたのだ。
別に狐たちが宿の経営を始めたからといって、考助に何か不利益があるわけではない。
狐たちが自主的に考えてしたいと言い出したことを止めるつもりは全くなかった。
その結果として狐たちが始めた宿は、冒険者たちに「幻惑の宿」と呼ばれる塔の不思議スポットとして存在するようになったのであった。
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考助の子供たちを育てている間に、すっかり大人な雰囲気を漂わせるようになったワンリが、考助から色々な物を受け取った。
そのほとんどが第八層の宿を経営するのに使うための物資だ。
「ありがとうございます」
そう言って一礼をしたワンリに、考助は首を振りながら言った。
「ちゃんとお金貰っているのに、礼なんかいらないよ。それに、別にこれくらいだったら、対価なんていらないんだけど?」
そういった考助に、今度はワンリが首を振った。
「それはいけません。私はともかく、他の者たちに示しがつきませんから。子供たちにも」
この場合、ワンリが言っている子供というのは、宿にお客を誘導する役目をおっている狐の子供たちの事だ。
ワンリが言う事もよくわかるので、考助はそれ以上は何も言わなかった。
代わりに、ジッとワンリを見つめた。
「な、なんでしょうか?」
考助に見つめられて、ワンリは僅かに頬を赤く染めた。
「いや、ワンリもずいぶんと大人になったなあと思ってね」
わずかに笑いながらそう言った考助に、ワンリは唇を小さく尖らせた。
「私だって、いつまでも子供ではありません」
「ははは。そうだね。ごめんごめん」
不機嫌な様子を見せるその仕草は昔のままだったりするのだが、それを言うと更に不機嫌になるのは分かっているので、考助はそれ以上は突っ込まなかった。
「こうやってきちんと支払いが出来ている以上は、ちゃんと経営できていると思うんだけど、大丈夫?」
「はい。前にも言いましたが、ほとんど私たちの趣味みたいなものですし、大きく儲けようとは考えていませんから」
狐たちが宿を開いているのはあくまでも金銭を得て、好きな食べ物を作って食べるためだ。
特に人化の出来る子狐たちは、自ら食べたい甘味を獲得するために、好みの冒険者を見つけては宿に連れ込んでいる。
その基準は完全に子狐まかせなので、ワンリにもどういったお客が宿に来ることになるのかは、その時になってみないと分からないのだ。
狐に害をなす存在かどうかというのは、大人になった狐よりも子狐の方が遥かに鋭敏に察することができる。
それも一種の野生の勘といえるのかもしれない。
そんな状態で経営しているため、宿に一人も泊まっていないという事もごく普通に起こっている。
「まあ、その辺は任せるけど、苦しくなったらちゃんと言うんだよ?」
「はい。ありがとうございます」
ワンリも考助の言いたいことがわかって、素直に頭を下げた。
食べたいものを得るために、冒険者から金銭を略奪などしてしまうと、宿の評判はガタ落ちになる。
そんなことはワンリは勿論、大人の狐達も分かっているが、実際に人の生活圏で生活をしたことが無い狐は、そうした常識はほとんどないのだ。
宿に人を連れてくるのではなく、直接冒険者を襲う子狐も出てこないとは限らない。
そうなると、冒険者たちの間でいつ討伐対象になってもおかしくはないのだ。
流石にそうなってしまうと、考助も庇う事は出来ないし、庇うつもりもない。
狐側の都合で人の世界に歩み寄って来ているのだから、人の都合にもある程度は合わせてもらう、というのが考助の考えだった。
勿論、そうしたことは、ワンリが相談しにきた時点できっちりと伝えてあるし、ワンリもちゃんと了承している。
自分に向かって頭を下げたワンリを見て、しっかりした子に育ったなあ、と的外れなことを考えていた考助は、ふとあることを思いついた。
「そう言えば、今度は僕も宿に行ってみようかな?」
「えっ!? お、お兄様がですか!?」
考助の言葉を聞いたワンリが、最大に狼狽えて持っていた荷物を取り落しそうになった。
「あれ? 駄目だった? そうか、子ぎつねたちに選ばれてないしな」
そういった考助に、ワンリは首を勢いよく左右に振った。
「そそそ、そんなことはありません! いつでも構いませんが、ただ色々と準備が!」
いつでもいいと言って置きながら、準備があると言う矛盾に気づかずに、ワンリがそう答えた。
ただし、考助もそれには気づかずに、小さく頷いた。
「そうか。だったら、いつぐらいが良いのか教えて。今度泊まりに行くから」
「ははは、はい! お待ちしております!」
「はは。そんなに緊張しなくてもいいって。ただのお客さんなんだから」
そう気楽な感じでいった考助に、ワンリは「はい」とこれまた小さく頷いた。
ただし、その頭の中では、どうやって他の者たちを説得しようかと考えていた。
大騒ぎになるのは間違いないだろう。
ただし、考助の要望を拒否することもワンリの中ではありえないことだ。
結局、考助の気づかない所ですったもんだがあったのだが、狐たちはそれを考助には露ほども見せずに宿に迎え入れた。
その日の宿は当然のように貸し切り状態だったのは、言うまでもないことだった。
考助が宿に泊まる話を書きたかったのに、その部分は最後の二行で終わってしまいました。
まあ、普通にのんびりくつろいで一泊して帰るだけで、特に見せ場があるわけではないので、これはこれでいいでしょう。
・・・・・・タブン。




