(7) エリサミール神
アースガルドにおける宗教というのは、多神教が主となっている。
正確に言えば、それぞれの宗派は一柱の神だけを祀っているのだが、神が一柱だけではないというのが、この世界では常識なのだ。
古来より、ごくまれにだが、この世界に実際にその神々が降臨してきているのだから否定のしようがない。
それらの神々は、それぞれ司る物が違っていて、アースガルドの人々は、自分に合った神を選択して信仰している。
また、一人が信仰する対象は一柱の神だけではなく、複数の神を信仰するのもごく当たり前に行われている。
一柱だけに絞って信仰するのは、その神に仕える神官や巫女ぐらいだった。
その理由はごく単純で、それだけ存在する神々が多岐に渡っており(八百万の神が近い)、生活するうえで複数の神を信仰するのが自然の流れであったためだ。
神々自身が複数の信仰を拒絶したのなら複数の信仰はなかったのだろうが、特に止めることもなく、むしろ推奨している様子さえあったので、複数信仰がごく当たり前になったという事もある。
なぜ神々が複数信仰を推奨しているかは、古来より聖職者たちの間で議論されてきたが、現在に至っても答えは出ていない。
というわけで、多くの神々が信仰されているアースガルドにおいて、全ての神々など一般の者達は把握はしていない。
それぞれの宗派で禁書となっている書物に出てくる神々がいたりするので、それらを読むことができる高位の聖職者達だけが知っている神が存在したりするのだ。
また、聖職者たちをまとめる宗教組織も当然存在している。
ただ組織と言っても強固にまとまった組織と言うよりは、ある程度の広さの地域をまとめる神殿があり、そのまとめ役の神殿同士は縦の繋がりよりも、横のつながりの方が大きいといった組織になっている。勿論、知名度のある神殿であれば、それだけ影響力も大きいが、全ての神殿をまとめるような中心的な神殿という物はない。
それ故に、古来より人々は聖職者達のまとまりを、単純に神殿と呼んだり教会と呼んだりしていた。
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考助とコレットの会話に、面白くないと感じながら、これは嫉妬などではありませんわ、と自身に言い聞かせているシルヴィアだったが、流石にエセナの発言には動揺を隠せなかった。
その前から周囲には、丸わかりだったりするのだが、本人は何とか抑えられていたと思っていたりする。
事ここに至っては、自身の気持ちに気がついているシルヴィアだが、流石に疑問に思うことはある。
今日まで会話はおろか、会ったことすらない相手である。
自分が一目惚れするタイプだとは思っていなかっただけに、なぜ、と思う気持ちもあるのだ。考助の顔だって、特に好みのタイプど真ん中というわけではない。
なんとか自分の気持ちを整理しようとしているシルヴィアに、考助が不思議な質問をしてきた。
「エリス神・・・ですか?」
「いや、エリス神というか、エリサミール神が別名でエリスと呼ばれてたりしないかな?」
考助のその問いに、シルヴィアは考え込んだ。
エリサミール教は自身が信仰している宗派だ。
今は神殿そのものからは離れているが、信仰自体を辞めたわけではない。
本殿に在籍していたころは、禁書と呼ばれる本にも触れる機会があったのだから、エリサミール神についての知識は、そこらの者達には負けないという自負があった。
「・・・・・・なんとも言えませんわ」
「と、いうと?」
「エリサミール様が、エリスと呼ばれる記述がある書物が、全く無いわけではありませんわ。ですが、それはかの神が、そう呼ぶことを許した神々に呼ばれる時ぐらいですわ」
「ああ、なるほどね」
その話を聞いて納得したような考助に、シルヴィアは不思議に思った。
はっきり言えば、考助はそこまで信心深くは見えない。正確に言えば、神殿に深くかかわっていたようには見えない。
その考助が、エリサミール神をエリスと呼ぶ話を知っているとは、思えなかったのだ。
現に横にいるコレットは、そんな呼ばれ方もあるのか、と感心していた。
「コレット、勘違いしない方がいいですわ。あくまでもそう呼ぶことを許した相手だけに呼ばせているのであって、それ以外は見たことも聞いたこともありませんから」
「そうなの? ・・・その相手って誰?」
「私が知っている限りでは、ジャミール神、スピカ神くらいですわ」
どちらもこの世界の者であれば、知らないことはないほどのメジャーな神々である。
ちなみに、エリサミール神と合わせて、三大神と呼ばれている。
「・・・なるほどね」
迂闊に口にしていい名前ではないということだろう。
「ところで、何故今そのような話を?」
「ああ、うん。・・・その質問に答える前に、聞きたいことがあるんだけど・・・シルヴィアは、依代ってやったことある?」
また出てきた専門的な話に、シルヴィアはキョトンとした顔をした。
「それはもちろん、巫女はそちらが専門のようなものですから、当然やったことはありますわ」
そう言って胸を張ったシルヴィアは、少しの間考助からのある部分への視線を感じたが、あえてそれは無視した。
気恥ずかしさを感じはするが、嫌な気はしないのが不思議だった。
「それじゃあ、ちょっと依代やってもらうけど、いいかな?」
「それはもちろんかまいませんが、突然どうしたんですの?」
「いや、色々説明するのに、それが一番手っ取り早いんだよ、たぶん」
「・・・? まあ、いいですわ。いつでもいいですわよ」
シルヴィアがそう言うと、考助はシルヴィアの右手を取って召喚呪文を唱えた。
「考助の名において彼の者を呼び出さん。シルヴィアに寄りて、出でよエリス」
考助のその呪文に、シルヴィアは自身の中に別の何かが入ってくるのを感じた。
そこまでは、今までやってきた依代とほとんど変わらなかった。
だが、続いて感じた膨大な神気に、思わず気を持って行かれそうになり、慌てて精神を強く持った。
そして、自身の口から、自分のものではない者の言葉が紡がれる。
「あのですね、考助様。いくらなんでも、このような強引な呼び方はないと思いますが?」
シルヴィアの口から明らかに本人ではない言葉が出てきて、コレットが内心で目を丸くしている。
「アハハハ・・・。いや、シルヴィアだったら大丈夫だと思ったんだけど・・・駄目だった?」
「駄目ではありませんが、このような呼び方では、長時間は持ちません。・・・パスもできましたから、私はもう離れますよ?」
「うん。今回はシルヴィアに理解してもらうだけだったし、今度はちゃんと、あっちで正式にやってもらうから」
「そうしてください。それでは、また」
あっという間に会話を終わらせて、自身の体からその気配が離れて行くのを感じたシルヴィアだった。
そうして残った膨大な神気の残り香に、しばらく呆然とすることしか出来なかった。
そんな様子のシルヴィアに、考助が心配そうにのぞき込んできた。
「大丈夫? ちょっと、強引だったかな?」
「いえ・・・ちょっと、お待ちになってください。突然のことで、心の整理がつきませんわ・・・」
体の中に残っている神気の残り香は、シルヴィアの信仰している神殿で身近に感じていたものである。正確に言えば、それをはるかに強大にしたものである。
それが何を意味しているのか、分からないはずもなく、それでも信じられない気持ちの方が大きい。
だが、残念ながらそれを否定するわけにもいかずに、どうにか心の整理を付けようとする。
加えて、彼の神の置き土産にも心を乱されている。
立て続けに起こった信じられない出来事に、今までの巫女人生をかけて、何とか精神統一を果たしたシルヴィアであった。
「・・・・・・すみません。何とか落ち着きましたわ」
「よかった。・・・体の方は大丈夫?」
「ええ。そもそも降神に関しては、体の方に影響を与えることはほとんどありませんわ。・・・降ろす神にもよりますが」
「・・・ハハハハ」
シルヴィアのジト目に、乾いた笑いをするしかなかった考助である。
「ちょっと待ちなさい。降神って、まさか今の神様?」
二人の会話に、慌てたように口を挟んだコレットである。
「ええ、そうですわね。・・・エリサミール様でしたわ」
「え・・・エリサミール様って・・・」
思わず頭を抱えたコレット。
それもそのはずである。
三大神に数えられているエリスは、そもそもこの世界に、簡単に顕現したりするような存在ではない。
それが、今みたいな気軽な降神で、来れるはずがないのである。この世界の常識では。
「はあ。なんかもう色々言いたいことがあるけど、今日はもう疲れちゃったわ」
「本当ですわ。私も少し休みたいですわね」
「じゃあ、とりあえずこれで解散する?」
「そうね」「そうですわね」
そう言って立ち上がった二人に、考助が忘れないように忠告した。
「忘れてるかもしれないけど、一人では出歩かないようにね」
今までの話の衝撃の大きさに、すっかり忘れていた二人であったが、そもそも今の状態では出歩く気すらしなかった。
「大丈夫ですわ。流石に今の状態で外に出歩く気にはなりませんわ」
「・・・私もよ」
疲れた表情でそう言った二人に、苦笑を返すことしかできない考助であった。
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「シルヴィア、ここでは時間が経過しないとはいえ、時間をかけていいわけではありませんので、手短に話しますね」
「え? あ、あの、ここはどこですの? 貴方は?」
「落ち着きなさい。ここは、あなたの精神の中といったところかしらね。正確に言えば、違うのですが。まあ、それはともかく今のうちに言っておきたいことがあったので、このような形を取りました」
「・・・はあ」
「私については、後ほどきちんと時間を取って話すこともあるでしょう。今は別の話があるのです。・・・あなたの想い人は、一筋縄では行きませんが、私は貴方を応援していますので、頑張りなさい」
「・・・っ!?」
「貴方にとっては、残念ながら一人で独占する、というわけにはいきませんがね」
「い、いえそれは、確かに残念ですが、特には・・・って、何を言わせるのですか!」
「フフ。まあ、そういうわけですから、とにかく私の存在を気にせず、頑張りなさい」
「・・・ありがとうございます?」
「そろそろ限界ですからこれくらいにしておきますね。それではまた」
この置き土産が、シルヴィアを吹っ切れさせるきっかけになった・・・かどうかは、本人のみぞ知ることであり、結局この会話は、シルヴィアの口から他の者に語られることは、生涯なかったのだった。
ア「エリス、ずるーい!」
エ「そういわれましても、呼ばれた以上行かないわけには・・・」
ア「ふーん、喜んで出て行ったくせに、そういうこと言うんだ。ふーん・・・」
エ「・・・何をお考えですか?」
ア「ジャミとスピカにこの話をしたらどうなるかなー、とね」
エ「・・・お止めください」
ア「エリスにも、ライバル登場!」
エ「・・・本気ですか・・・?」
ア「さあ? どうせこの作者、先のことなんて考えてないし、あり得ると思うよ?」
エ「・・・・・・」
※ちなみにこんなこと書きましたが、エリスのライバル設定は全く考えていません。
(ただし、今のところ)
2014/6/8 宗教組織についての文言を追加しました。
2014/6/9 誤字訂正




