(8)アカツキの悩み
その日、人を寄せ付けない場所に存在するその里は、これまでの歴史ではあり得なかった事態に、大騒ぎすることになる。
その里は切り立った谷間に存在しており、そこにあると知っていない限りは、人の足で来ることはほぼ不可能だ。
だからこそ、獣人たちの隠れ里として長い間、存在し続けることが出来た。
その里に、陸路ではない、別の手段で位置を特定して来た存在が出たのだ。
その手段というのは、空路。
そう。その日、里の上空に、里以上の広さを持った大きな大地が現れたのだ。
初めて見る空飛ぶ島の存在に、里の者たちは騒ぎ出し、村長を始めとした里を束ねている者たちは、その対応で忙しくなると思われた。
だが、その喧騒は、空飛ぶ島――浮遊島が里に近付いて、さらにそこから人が下りて来たことによって、静まることとなった。
その理由は簡単で、浮遊島から降りて来た者が、数カ月前、とある目的を持って里から出て行った若者だったためだ。
その若者――アカツキが島から姿を見せたことにより、里の者たちの騒ぎは一時的に収まった。
だが、里の受難はこれからが本番なのであった。
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里の長老は、アカツキからの説明により、新天地への道が開けたことを知った。
ただ同時に、その道は平坦なものではなく、険しい試練が待っていることも同時に知らされた。
「――つまりは何か。我らが新天地に行くためには、神の試練を越えないといけないというわけか?」
「はい」
長老の疑問に、アカツキは真っ直ぐに頷いた。
アカツキは別に嘘は言っていない。
考助が、浮遊島での生活で塔へ移住させるかどうかを決めようとしていることは確かであり、それを『神の試練』と捉えるかどうかは、受け止める側の判断だ。
アカツキ本人は直接言っていないが、長老がそう言ったことは、別に止めるつもりはなかった。
アカツキの返事に、集まった者の中のひとりがこれ見よがしに舌打ちをした。
「ほら見ろ! だからアカツキなんぞに任せたら駄目だったんだ!」
そう言った者は、最初からアカツキを旅に出すことを反対していて、自分が行くべきだと主張していた者だ。
だが、その主張は、神からの神託だという一言で、あっさりと退けられていた。
アカツキは、彼の言葉に対する反論はしなかった。
あるいは、旅に出る前であれば、猛然と言い返したかもしれない。
だが、実際に神を目の前にした今となっては、自分自身のプライドなどはっきり言えばどうでもいいくらいに小さくなっている。
それよりも、今のアカツキにとって重要なことは、一族の者たちが無事にあの塔に移住することが出来るかどうかである。
もし移住するとなれば、あの狐たちがいた場所とは別の所になるとは聞いているが、少なくとも今の里がある場所よりはましになる。
すでにアカツキは、候補地も見せてもらっているので、そう断言できるのだ。
アカツキの変化は、彼を送り出した長老も気が付いた。
周囲の言葉に揺らぐことなく、ただただ自分に事実だけを伝えて、目的を果たそうとしている意思を感じた。
里という閉鎖的な場所で長老をやっている身としては、若者のそうした変化は好ましく感じる。
なによりも、アカツキのその目は、心底一族の将来を考えているように思えた。
勿論、それは外面だけの変化であって、実際にどう変化したのかはもっと詳しく知らなければならない。
長老は、最初に発言した若者を止めてアカツキに言った。
「それで? その神の試練というものは、具体的にどういう内容だ?」
「はい。あの浮遊島で一定期間、移住する者たちで生活をするというものです」
アカツキがそう言うと、少しの間無言の時間になった。
その場にいる者たちは、それ以外にも試練があると考えたのだ。
一分ほど待ってもアカツキからの言葉が無かったので、長老は疑問の表情を浮かべながら聞いた。
「それだけか?」
「はい。それだけです」
アカツキがそう断言すると、あからさまに周囲でホッとする空気が流れた。
その様子から、その程度の試練であれば簡単にクリアできると考えているのが、アカツキにもわかった。
だが、既に考助や周囲にいた者たちと身近に接しているアカツキは、そんなに簡単に済むとは欠片も考えていない。
ただ、それは肌で感じたアカツキだからこそ分かる感覚であって、それを言葉でどう伝えていいのか分からずに、もどかしい思いを抱いていた。
そんなアカツキを見てか、長老が考え込むような表情でさらに聞いて来た。
「あの浮遊島・・・・・・か? あそこには、何が住んでおる?」
わざわざ一時的な住処と言ってきた以上、ずっと住めない理由があることは分かる。
ならば、ほかに先住民がいると考えるのは、長老にとってはごく当たり前のことだった。
「はい。天翼族という、背に翼の生えた者たちがおります」
「テンヨクゾク・・・・・・初めて聞くな」
長老の知識は、古くから一族に伝わっているものが多くある。
その中に、天翼族の知識は一切なかった。
とはいえ、それは当然のことだ。
なにしろ天翼族は、神々の力によって、この世界にここ数年で出現した新たな種族なのだから。
天翼族に関するちょっとした知識を教えられたアカツキは、頷きながらその情報を教えた。
すると、長老は驚きで両目を見開いた。
「なんと! そんなことがあり得るのか!?」
「はい。なんでもあの浮いている島も、神々の御力によって作られたものだとか」
目の前にある島が、実は神々の力で溢れているというアカツキの言葉に、他の者たちも驚きの声を上げた。
神威物の結晶ともいえる存在が、自分たちの身近に存在しているのだから、驚くのも当然だろう。
だが、長老はそれとは別のことに着目した。
「なるほど、つまり移住をする者は、神に愛された者たちに見守られながら相応しいかを判断されるというわけだな?」
その本質を突いた問いに、アカツキはさすが長老だと思いつつ頷いた。
「はい。最終的な新天地に行けるかは、その判断を待ってからということになります」
先ほどから同じことの繰り返しだが、アカツキにとってはなによりも重要なことなので、何度でも言うつもりだった。
どうにも長老を除いたほとんどの者たちは、その重要性に気付いていないように思えたからだ。
アカツキのその考えに気付いた長老は、眉をひそめて額に手を当てた。
その様子を見て、何人かが不思議そうに長老とアカツキを見比べた。
「長老? 如何されました?」
「何かあったのでしょうか?」
実際に聞いてきたのはふたりだけだったが、最初にアカツキに文句を言ってきた若者も含めて、皆が不思議そうな顔をしている。
彼らの顔をつぶさに見ていたアカツキは、内心でこれは駄目かも知れないとため息をついていた。
今となっては、以前の自分もそうだったと分かるが、自分たちは神の導きによって救われると心底から信じている。
それはある意味では間違っていないのだが、だからといって、無条件で受け入れてくれるわけではない。
先ほどからアカツキはそのことを繰り返して言っているのだが、どうにもここに集まった者のほとんどは、そのことが分かっていないようだった。
もっとも、アカツキだって人のことはどうこう言えない。
塔でのあの経験が無ければ、自分だって同じようなことを言われても素直に受け止めはしなかっただろう。
それがわかっているからこそ、若い自分がどういったところで、無駄だということはよくわかっている。
だが、こんな状態では、塔の新天地に一族を受け入れてくれるかどうかは微妙なところだとアカツキは考えている。
一族の未来のために、どうすればそのことが分かってもらえるだろうかと、アカツキは一族の者たちに囲まれながら真剣に考えるのであった。
塔での経験で一皮むけたアカツキ君。
ですが、それを一族の者たちに伝えるとなると、また一苦労です。
長老はなにやらわかっているようですが・・・・・・。
この後の話し合いは敢えて書かないで、次はいきなり浮遊島での生活に入ってしまおうかと考えています。




