米袋
三十キロの重さを持つ袋を小屋から出し、目の前にある軽トラへと運ぶ。
荷台には十二の袋が積まれており、この袋は十三袋目となる。どれも米が入った袋で、大きさも同じだから、合計で三百九十キロの重さだ。この重たい米袋たちを乗せた軽トラは、隣町の外れにある、行きつけの米屋に向かう。
「あとゆーつぐれぇ(どれくらい)入る?」
家の中に免許証を取りに行ったじいちゃんが、軽トラの横に来て言った。
「一袋ぐらい。乗せる?」
「いや、これでいいにしんべ(終わりにしよう)」
そう言ってじいちゃんは運転席に乗った。僕は助手席に乗り、シートベルトを締め、エンジンがかかるのを待った。すると、親戚から譲ってもらったこの軽トラは、咳ひとつせずに始動した。譲られたての我儘だった頃が嘘のようだ。
何度かエンジンを吹かし、調子を見たじいちゃんは、黙って軽トラを走らせた。敷地を出るとエンジンの唸りが上がる。しかし、立派なのは音だけであって、肝心なスピードは安全な領域で上がった。米屋に着くまで暇な僕は、ハンドルを回して窓を開け、暑さが引かない午後の空気を吸った。
県道を下って行き、信号を二つ抜けたところで国道に入った。この国道は、この地区唯一の幹線道路で、唯一、観光などできた他県の人々が使う道だ。さっきの県道を使うほとんどの人は、地元の人だ。そんな幹線道路に、米袋を満載した軽トラが出てくれば、何も知らない人はキョトンとしてしまうだろう。それも、この町は漁師町として知られているからなおさらだろう。
トンネルをくぐって隣町に入り、そのままカーブが三回。その先あるバイパスには乗らないで、街中、通称下道を走った。
下道はかなり狭い。大型トラックが来たら、対向車はまず通れない。そんなこの道も、さっきの国道の続きだから面白い。周りは寂れた商店で囲まれており、元気な老人たちが顔を出している。中には子どももいて、自転車で遊んでいた。家の周りとは大違いだ。
「この道はな」黙っていたじいちゃんが、不意に口を開いた。「人が道さどんどん出てくるからな。だから運転免許とったら、中央線さ寄って、人さ轢かねえようにしなきゃいかんぞ」
そう言いながら、軽トラを中央線のそばに寄せて走らせていた。
最近のじいちゃんは、僕にいろいろと教えてくる。例えば、この前の乾燥機(米を乾燥させる機械)のときだ。「お昼の用意ができたから、じいちゃんを呼んできて」とばあちゃんに言われて呼びに行った。するとじいちゃんは、メーターと乾燥をし終えた米を持ってきて「こっちさ来い」と僕を呼んだ。すると、そのメーターを米に当てて
「この針がここさ来ねえと、米屋に売っても仕方ないからな」
と言った。そして昼飯を食べに戻って行った。そのメーターは、確か糖度計だったと思う。
それ以外にも山の中を連れて歩かれ、自分の家の土地はどこからどこまでだというのも教わった。紙に書いてくれないから、覚えるのに苦労した。あと、マムシの捕り方とかも教わった。
じいちゃんから教わったことは、別に嫌なことじゃないので、時々思い出して、忘れないようにしている。今もその時だ。
そうしているうちに、米屋についた。
米屋の主人が顔を出して、「やぁ、じゃあやってしまおうか」と言った。
ここでやるのは、もみすりだ。もみ殻と呼ばれるかたい殻につつまれた米を、機械でこすり取るのだ。
僕の仕事は、やはり袋運びだった。八十歳近くになったじいちゃんの体には、この荷物は重過ぎるそうだ。
袋を屋内に運ぶと、米は袋から出され、機械の中へと入れられていく。その機械の中でもみ殻を取られてさっぱりした米は、次に仕分けの機械に送られていく。そこで重さによって仕分けられ、一定の重さ以上のいい米だけが、販売用の袋に入れられる。ボーダーよりも軽かった米はくず米と呼ばれ、別の袋に分けられる。これは売りに出せられないので、米屋で処分するか自分の家に持って帰ることになる。
一見機械が主役に見えるが、人間にも仕事がある。機械に米を持っていかなければならないし、剥かれたもみ殻が蓄積所にたまりすぎないように、適度に掃除もしなければならない。さらには、いっぱいになった販売用の袋を取り替えて、運搬するのも人間の仕事だ。
この仕事を三人だけでこなすのだから、汗だくにならない人はいない。
最近の農業は機械化が進んでいるが、どちらにしろ体力を使う仕事なのは変わらない。しかも、家の田は整備されてないので、トラクターやコンバインなどの機械は小さなもの、それも手押し式のものしか使えない。それでおいて、生き物の相手をするのだから、精神的な疲れも相当なものだ。
最後の袋を開けて、僕の仕事は終わった。あとは、袋詰めが終わるのを待つだけだ。その間に、米袋をまとめておくことにした。
すると、ドスン、と音がした。袋詰めが終わって、床に積み上げられた音だろう。
「六俵。前のも合わせて、全部で十二俵」
主人が言った。前の、というのは、午前中に持ってきたものの事だ。
「それと、くず米が合わせて一俵と少し。ずいぶんと出たね」
「台風さきっから(来るから)、今年ははえく(早く)に採ったんだ」じいちゃんは言った。
「ああ、そうか。台風か。稲が倒れちゃあ、どうしようもないからねぇ」
「あと、猿も出てきた」
「ああ、猿も。猿は何でもたべるからねぇ。罠は仕掛けたの?」
「あいつら頭さいいから、大した効果がねった(無かった)な」
「そっか。じゃあ…」
そう言って、お金の話になった。今年は、いつもより高く買い取ってくれた。といっても、僕のバイトの、一ヶ月分の給料と同じくらいだった。
「このくず米はどうしようか?」主人が訊いた。
「あじしようかな(どうしようかな)」
じいちゃんは悩んだ。くず米は売ることができない。しかし食べれないことはない。だから、自分の家へ持って帰ることができる。勿論、ほかの米に比べて、お粗末な大きさと味だが。
「置いて行くにしようか」じいちゃんは言った。くず米は処分されることになった。つまり燃やされて、灰になり、肥料にされる。どれくらいできるかは知らないが、大した量じゃないということは想像がつく。
それからお金をもらい、帰路についた。軽くなった軽トラは、快速だった。その心地よい振動の中で、僕は一つの事を思い出した。この前の学年集会の事だ。
その集会の内容は、前の小論文模試の判定結果が返ってきて、いい機会だから、予備校の講師を呼んで小論文の講義をしてもらおう、ということだった。
そしてその集会で、講師の先生が「この小論文は素晴らしい」と褒めたものがあった。
その小論文は、都会で増え続けるフリーターについて書いたもので、都会で職に就けないのなら田舎で農業や漁業をするべきだ、と書いたものだった。
確かに、その小論文は素晴らしかった。文の構成、自分の主張、筋の通り具合、わかりやすさ、どれをとっても文句のつけようがなかった。しかし、僕は気に入らなかった。というもの、ただ単に褒められて羨ましいからではなく、その文を書いた本人は、自分の書いたことを実行する気はあるのか、と思ったからだ。
農業というと、広大な土地を畑や田や果樹園にして、そこで採れたものを販売、または自分で消費していると思うが、それはステレオタイプなイメージだ。
谷間に作られた、まったく整備されていない小さな農作地を、誰が想像するだろうか。そしてその中を、小さな機械を使いながら、人力半分で耕すことを想像することができるだろうか。そうした労働に対して、まったく釣り合わない賃金しかもらえないことを、お前は納得することができるのだろうか。
広大な土地と、整備された農場がある農家は、ほんの一部のお金持ちであり、僕たちのような農家は、一般のイメージからは程遠い。採れた農作物から自分たちで消費する量を差し引くと、ほんの僅かしか残らない。売ることができるのは、そのほんの僅かな量なのだ。とても生活していける量なんかではない。
ここで僕が言いたいのは、農業に対してのあり方を変えろということではなく、お前は自分の言ったことに対して責任を持てるのか、ということだ。イメージからかけ離れた農家に、お前は就職する気になれるのか。他人に言えることが、自分はできるのか。受験で使う小論文だから、そんなことは考える必要はないと思うかもしれないが、僕は納得がいかない。
そんなこと考えていると、家に着いた。エンジンの切られた軽トラは、静かになった。まるで疲れて眠っているようだ。
ドアを開けて軽トラから降りると「お世話様」とじいちゃんが言った。口癖のようなもので、手伝いが終わるといつも言う。
「大したことじゃないよ」
そう言って、僕は家に向かった。すると、「勉強さ、頑張るんだぞ」とじいちゃんが後ろから言った。
僕は一時期、農家を目指したことがある。しかし、じいちゃんとばあちゃんに「食っていけない」と大反対された。その時は反対を押し切ろうと思ったが、米屋に連れてこられるようになるとその意志は消えた。「食っていけない」という二人の言葉の、程度を知ったからだ。
だから僕は、しっかり勉強をすることにした。ちゃんと食っていける職に就くためだ。
しかし最近、勉強する僕の事を、寂しい顔で見るじいちゃんがいる。
やっぱり、そうなのだ。
読んでいただき、ありがとうございます。
今回は、長めに書くことができました。
作中のじいちゃんの方言についてですが、これは100%正しい方言ではないと思います。自分は限定された状態でしか方言は使わないので、何が正しく、何が間違っているかすらわかりません。ご容赦お願いします。(だって友達に使ったって伝わんないんだもん)