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長い間のロマンス1(ビアンカ&……?)

 嵐が来ていた。降水量は少なくやや乾燥した気候のティル・ナ・ノーグにおいて荒れた天気は元より、嵐が来るのは珍しい。よりにもよってそんな日に、フェッロは帰宅した姿を見せてくれなかった。いつかの記憶がよみがえり、ビアンカは頭が痛くなりそうだった。

 横殴りの雨と風が吹き荒れ、ティル・ナ・ノーグの町を荒らしまわった。ひどい降雨は翌日もその次の日もそのまた次の日もずっと続くかのように思われたが、意外にも一日で途絶えてくれた。荒れた黒い雲は去って行ったのだ。

 雨風で町の様々な物が吹き飛ばされたり消えてなくなった以外は、すっかり晴れていつものティル・ナ・ノーグが戻ってきたようだった。

 サン・クール寺院でも建物の一部の破損や、物品の紛失などの問題はあったものの誰にも怪我なく済んだし、子供たちは珍しい嵐が去ったのを惜しんでさえいた。

 しかし嵐が連れ去ったのは建物の一部や室外の物品だけではなかった。サン・クール寺院の守門(ポーター)フェッロ・レデントーレも風と共に飛び去ってしまったかのようだった。もっとも、彼は天候が荒れなくとも帰宅が遅れる事が多かったのだが。

 多少被害を被った寺院を修繕するために男手を必要とする場面になって、ホープはやっと声を上げた。

「もしかしてフェッロくんまだ帰ってきてないの?」

「……そうなんです」

 平静としているビアンカの表情が、心なしか頼りなげだとホープは気づいていた。

「また、かあ。フェッロくんは人を心配させるのが得意だね。たまにはきつくお説教しなきゃ」

 フェッロは普段から時間に頓着せず、何も言わずに翌日まで帰ってこない事のある男だ。以前サン・クール寺院に五日も戻らない日があり、怪我や事故にも遭わず無事に戻ったがビアンカをひどく心配させた事もあった。

 ホープはその時にフェッロに出来るだけ寺院にはその日のうちに戻ってくれと要求したものだったが、効果はあまりなかったようだ。しかしながら五日も寺院(すまい)に戻らなかったのはその時以外に他はなく、今回も危険な目に遭っているとは考えにくい。どこか遠くで雨宿りをして一晩を過ごした帰り道にいると思いたいのだが。

「昨日の嵐の後だしねえ。まさかとは思うけど」

 明るい緑の瞳を不安で曇らせるビアンカを見ていると、心配するなとはとても言えない。フェッロの帰路を急がない性質に、ホープは嘆息したくなる。ビアンカのためにもフェッロを探す手助けをしてやりたいが、今日はそうはいかない。

 他に用事があるのだ。孤児たちを連れてホープは町内の手伝いをしなければならない。ちょうど子供たちの町内奉仕活動の日を控えていたし、今回の嵐で人手が必要な場所に行く事になっている。もちろんまだ小さな子供たちも同じだ。寺院の内部を修繕するのに、子供たちがうろついていては危険だからでもある。

 寺院の方は十代後半の孤児たちに任せ、ホープは出かけなければならない。代わりにビアンカを行かせた方がいいかもしれないが、彼女には彼女の仕事がある。この日は来客の予定があり、その人物は孤児院を管理するビアンカに会いに来るのだ。

 そんな訳でフェッロが心配ではあったが、この日彼が戻らなければ改めて対策を練ろうという話になり、ホープは子供たちと出かけて行った。

 十歳前後の子供たちがいなくなると、サン・クール寺院の敷地内はひどく静かになる。ただでさえ嵐の去った翌日で、昨夜の荒れた天気が作る物音をなくした世界に、落差を感じているのに。

 ビアンカは庭に出て、透き通るような薄い水色の空を見上げた。来客が来るまで洗濯物を出来るだけ済ませておこうと思ったのだ。昨日の嵐で雨ざらしになったものや濡れたものを拭いて汚れたものなどを洗っていたのだ。洗濯物を干して、未だ帰らぬ人を思いながらいると、予定していた客が来て、ビアンカはそのもてなしに向かった。


 訪問者が去り、昼過ぎになっていたと気づいたビアンカは、昼ご飯を忘れていたと気づく。居残り組の年長者にもご飯を用意すべきだったのに、つい来客に追われて後回しにしてしまった。慌ててビアンカは敷地内のどこかにいるはずのセクアナを探す。セクアナはサン・クール寺院の料理人代わりで、ビアンカがいなくとも上手く立ちまわってくれるはずだが、それでも確認をしたかった。

 一度食堂に行ってみると、机の端に簡単な食事が用意されていて、その上に布がかぶされていた。きっとあれはセクアナの作った料理で、年長組で食事をした残りだろう。ビアンカのために残されたものかもしれない。そういった予想は出来たが、やはり年長組に一言礼を言わねばと思いビアンカは彼らの姿を探した。

 回廊を進むと、大きな麻袋を持ったアンガスと出会う。彼はまだ十代ではあるが、大人顔負けのがっしりとした体格をしており、こういう力仕事が必要な場合にはフェッロよりも頼りにされる事もある。

 ビアンカは彼に先に食事を済ませたのか聞いて、自分が手伝う事が出来なくて悪かったと詫びた。

「気にしないでください。セクアナのやつが自分が腹へったからって飯作りだしただけっすから」

 おおらかというか大雑把なアンガスは何て事のないように笑う。ビアンカもそう大事に考えていなかったが、ひとまず年長組の昼食が終わっていた事には安堵した。

 他の子にも時々休憩を挟むようにと言って、ビアンカはアンガスと別れた。

 来客をないがしろにする訳にはいかなかったが、それでも一つの事に集中してしまうと、つい周りが見えなくなる事は問題だなと、ビアンカは少しだけ自分を恥じる。十代後半の孤児たちは、今後も孤児院に残るつもりの者もいるが、未だ将来の展望が開けていない者もいる。いくら身体がほとんど大人のものだからといって、彼らがビアンカの守るべき対象でない訳ではない。彼らと自分とではやれる事もやるべき事も異なるが、それでもビアンカの方がまだ年上なのだから、彼女がもっとしっかりしなくてはならないのに。

 はあ、と我知らず大きなため息をつくと、ビアンカは洗濯物の残りに取りかかる。しかし庭には既にたくさんの洗濯物が干されており、干すべきものはまだあれど、干す場所がなくなってしまったと気づいた。最初に干したものを確認してもまだ生乾きだった。比較的日当たりのいい他の場所で干すしかない、そう思ってビアンカは残りの洗濯物がこんもり入った籠を持ち上げた。

 礼拝堂の前にさしかかった時、ビアンカはある違和感に気づいた。礼拝堂の手前に、四歳か五歳くらいの小さな子供がいる。今この時間に、サン・クール寺院に幼い孤児がいるはずがないのだが――どうしたのだろうか。何かあって孤児院の子が戻ってきたか、あるいは他所の子供が迷い込んだのか。礼拝堂の内部を伺うようにしていて、子供の顔はこちらからは見えない。

「……あら。迷子かしら」

 近づくうちに子供の姿に見覚えがないと判明する。あんな小さな子供で白い髪の子は孤児院にはいない。ビアンカは大きな荷物を一度地面に置き、ゆっくりと子供に近寄って行く。

「どうしたの? お母さんとはぐれちゃった?」

 弾かれたように振り返った子供は、少し眠たげな目をした、とても可愛らしい男の子だった。幼い子供らしい透き通った肌をして、やわらかい髪の毛をふわふわとなびかせ、紫がかった灰色の目を不安と好奇心の間でゆらめかせている。

 誰かに似ている。

 ビアンカの第一印象は、それだった。

 それにしてもビアンカにとって子供が可愛らしく見えるのはいつもの事だが、長いまつげとあどけない瞳のこの小さな少年は本当に愛らしくて、ふわふわの白い髪を撫でたくなるほどだった。

 すっかりなごんでしまった気持ちを押しやり、ビアンカはきちんとした大人として少年に対応する事にする。ビアンカはしゃがんで子供の目線に合わせて、身長差で生まれる威圧感をなくそうとする。間近に来られて、少年は少し戸惑ったように視線をさまよわせた。

「お名前は言える?」

 迷子かもしれない子供に出来るだけ安心感を与えようと、ビアンカは笑顔を見せる。そうでなくとも、小さな子供は見ているだけで微笑みを誘われる彼女なのだが、少年の次の言葉で、笑顔が凍りそうになる――。

「……フェッロ」

 その声は、あの人とは打って変わって高く可愛らしい声だったというのに。

(え……)

 誰かに似ている。気のせい程度のそれが、少年の言葉で真実に変わりそうだった。

 唯一フェッロと違うと言い張れるところは、前髪の長さだろうか。きちんと目にかからない程度の長さに切られており、小さな少年のつぶらな瞳がよく見える。

 同姓同名の、似た容姿の子供。そんなもの居るのだろうか。フェッロという名前はさしてありふれた名前ではないが、かなり珍しいとも言えない。

 ティル・ナ・ノーグは広い。ましてアーガトラム王国は尚の事。そして国際色豊かな都会にいてビアンカが感じるのは、この世には本当に様々な人種がいて、様々な文化を持つ土地が広がっているという事。つまりはフェッロにそっくりな容姿の幼子がいて、フェッロという同じ名前を持つ事だって、あり得ないとは言い切れないのではないか――。世の中には自分に似た人が三人いるというし。

 いや、まさかとは思うが――大人の方のフェッロの親戚、あるいは隠し――

「おなかへった」

 ビアンカの想像力が翼を持って羽ばたこうとしていたのを止めたのは、ぽつりとつぶやいた小さな子供の訴えだった。

 眠そうな瞳をどこかつまらなそうにする幼子に、ビアンカは内心の戸惑いを隠せないながらも、ひとまず食堂に案内する事にした。

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