純愛関係続行中(リーシェ&キジャ)
サフィールの季節は秋だった。赤や橙、黄や茶の落ち葉がくるりくるりと舞い、地面に絨毯を作っている。
雲のある透き通った水色の空。四季のうつろいのないティル・ナ・ノーグと比べて、王都は肌寒いほどだったが、少し冷たい空気がリーシェには懐かしかった。今の住まいであるティル・ナ・ノーグ以外の地を知る彼女にとって、サフィールの風景が物珍しいという訳ではない。とはいえしばらく同じ場所でずっと暮らしてきた日々を思うと、やはりどこか新鮮だ。
各地を転々とする商人だった両親と王都サフィールに来た事は一度や二度の事ではない。ティル・ナ・ノーグ以外の場所に来る行為も慣れた事と言える。それなのに今回の小旅行はリーシェにとっていつもと違う事が一つだけあった。
「リーシェくん、今日はもう観光をしてきていいよ」
サン・クール寺院の司祭であるホープ・ノルマンが同行しているから――ではない。司祭に連れられ寺院所属者の一員として王都に来たのははじめてだから、ある意味では彼の存在が重要だとはいえる。
聖職者になりたいリーシェはホープの手伝いのためと、現場の事を少しでも知るために王都のサン・メルキュール寺院にやって来た。はじめて訪れる寺院でリーシェはただホープについて行くだけだったが、自分なりにサン・クール寺院との比較や、働く人々について思いを巡らせた有意義な半日が過ごせた。ちなみにクレンは退屈だったのかいつものように力を蓄えるためか、昼前から姿を消している。
元々ホープにはずっと自分についていなくていい、観光する日があってもいい、とは言われていた。彼は彼で司祭だけにしか出来ないような仕事がまだあるのだろう。
サン・メルキュール寺院に泊まらせてもらえる事になっているから終着点は決まっている。リーシェはそうして都会の町に放り出された。聖職者でも、その見習いでもない、キジャと一緒に。
「キジャくんと仲良くね」
にっこりと笑ったホープの言葉の意味が分からないリーシェではないが、サフィールに来ても変わらぬ彼になんとなく苦笑してしまいそうだ。
リーシェが行くからと王都について来てしまったキジャは、当地の気候に合わせて彼にしては珍しい格好をしていた。アーラエの彼はアーガトラム王国では滅多に見ない独特の服装をしていて、温暖なティル・ナ・ノーグでは上半身など裸に近い姿で暮らしている。
が、今回は秋のサフィールに滞在するという事で、いくらか着込んでいる。やや薄手のコートに加え普段ははかないようなズボンを身につけている。当然アーラエの特徴である大きな翼は隠されており、こうしているとただのアーガトラムの人間にしか見えない。リーシェもニットの上着を着ているが、その下は普段から着ているような見慣れた服。
相手が見慣れぬ格好をしているからだろうか、リーシェがわずかに緊張をしてしまうのは。それだけではない、不慣れな地に来てキジャの方も普段より大人しくなっている。
日に焼けた肌、精悍な横顔。口を閉じてじっとしている姿だけを見れば、キジャはどこかの国の騎兵隊の将軍のように勇猛に見える。上背もあって凛々しい彼を王都の女性たちが何人か振り返って見ていたとリーシェは知っている。
今更、心臓がざわつきそうになる。
「リーシェ。観光、するのか」
キジャが少し体を折ってリーシェの顔を伺ってくる。なんとなく、正面からキジャを見られなかったが、リーシェは彼と距離を置いたりはしなかった。
聖職者見習いとしての研修といえるような今回の旅に彼が同行してくる事は、彼女の予想にはなかった。サン・クール寺院によく来る人物とはいえ、キジャは部外者であり責任者のホープが許さないと思ったのだが、そうでもなかった。滞在先でも嫌がるどころかせっかくだからとむしろキジャを気遣ってもいた。
別にうれしくない訳ではない。ただ、リーシェはこうしてずっとキジャがそばに居てくれる事を当たり前のように思っていいのかどうか――少し戸惑っている。
よろこんでいいはずなのに、一人になった時の事を考えてしまう。先の事ばかり考えても仕方がないかもしれないが、キジャが人より遅く年を取る事を思えば、なんともいえない気持ちになる。
リーシェは音を立てないように短く息を吐く。昼下がり、華やいだ町の中でため息をつく事ほど似合わない事はないだろう。
「最初はどこに行くんだ?」
キジャの鮮やかな緑の瞳が、心配で曇ってしまわないように。リーシェは顔を上げた。
「……そうですね。彫刻が有名な噴水を見に行きたいです」
自分の中のわだかまりは、地面の落ち葉の下に隠して。
以前サフィールに訪れた時リーシェはほとんど両親について行くだけだった。商人である彼らの行くところは決まって他所の事務所や商店や個人の住宅だったために、観光を目的にサフィールを練り歩く事はなかった。
そして今回、リーシェは悟ったのだ。王都サフィールはとても広い、と。
もちろん天下に名高い巨大都市ティル・ナ・ノーグだとて広大な敷地を有しているが、リーシェはそこを移動する事に慣れている。しかし不慣れな王都はティル・ナ・ノーグ以上に道幅が広く、そして建物も巨大だった。ティル・ナ・ノーグは隣接する家々の距離が近いがサフィールは違う。広く伸びた道を移動するのは、想像よりも時間がかかるものだった。
目当ての噴水のある広場にやって来たはいいが、噴水を装飾する彫刻の多さにも呆気にとられ、それをゆっくり眺めるだけでも時間がたってしまうのだと分かった。
それでも高名な彫刻家の美しい人体や波打つ装飾には、じっくり時間を費やして見るべき魅力があった。画家のフェッロがいたら、きっと彼などは夢中になって鑑賞しただろうとリーシェは思う。
「なかなか見事なものだな」
動物や植物と触れ合う事が好きなキジャは普段の様子から芸術鑑賞を好むようには思えないのだが、そんな彼でもまじまじと見つめてしまうほどだった。
「この彫刻家の作品は王都には他にもたくさんあると聞きました」
特にこの彫刻家が好きというほどではなかったが、知識欲旺盛で読書が好きなリーシェは基本的な情報を既に手にしていた。
「それなら、他の彫刻も見に行くか」
問いかけるキジャに、その案もいいと思ったが日の傾きを見てリーシェは違う事をしたいと感じた。
「いえ、他にも気になっている場所があるんです」
それから、日が落ちて景色が見えづらくなるまでリーシェとキジャは町を歩き回った。寺院や貴族の邸宅などの建築を見ているだけでも、ティル・ナ・ノーグの様式とは違う点を見つける事が出来て楽しかった。同じアーガトラム王国内とはいえ、場所が異なれば建物もまた変わる事があるのだ。
しばらく歩き続けてさすがに疲れたので、二人は軽食店で休憩をする事にした。すっかり日が沈み、太陽の残滓に薄められていた空の藍色が、濃い色に変わっている。観光の後は仮の宿に戻るつもりだったが、その前に足を休ませたかったのだ。
「……けっこう歩きましたね」
「地図で見るよりは広かったな」
ホープから地図を借りていたリーシェたちだったが、地図上だと近いように見えてた距離も実際にはさほど近くもなかった。
「でも、楽しかったですね」
リーシェもよく知る高名な建築家――こちらもすごく好きだという程ではないが――の設計した図書館内部を見る事も出来た。読書家なリーシェは内装だけでなく書架に並べられた本にまで魅了されそうになったが、さすがに途中で我に返った。
王都で一番美しいと言われる劇場も外から見たが、それだけでも満足出来た。本当は中まで入って舞台で演じられる一幕を見られたらもっとよかったのだろうが、さすがにそんな時間もないしまたの機会に譲った。劇場入口では身ぎれいにした人々が吸い込まれて行くのが見え、更に着飾った舞台俳優が中で待っているのだろうと想像が出来た。そういえば、あまり公表したがってはいないが修道女のビアンカはお芝居を見るのが好きだと言っていたな、とリーシェは思い出した。
まだまだ気になる場所はたくさんあったが、流れる時間はあまりにも早く、サン・メルキュール寺院への道中で少し眺めるだけで終わりそうだ。
こうしてテラス席で休んでいる今も、薄暗闇の下かすかに見える町並みを見渡すのも楽しいものだ。
注文した飲み物をあおりながら、リーシェはふと気づいた。いつの間にかキジャと一緒にいる事に少し緊張していた自分がいなくなっている、と。
見たいと思っていた建物や彫刻などが見られて、満足感にひたっていたからだろうか。自分の事ばかりを優先して、リーシェはキジャの事を考えていなかったのではないかと心配になる。
「わたしの行きたい場所にばっかりつきあってもらって……キジャさんもどこか行きたいところはありませんでしたか? 何か見るだけじゃなくて、物を買ったりとか」
旅の醍醐味は、現地のものを見るだけではなくて購入する事にもあるだろう。自分のための買い物や、友人への土産のために。王都サフィールでは様々な買い物が出来、それを目当てにやってくる観光客もいるほどだ。リーシェも少しならお土産がほしかったが、買い物はさほど優先する目的ではなかった。それでもキジャが望むのなら、と思ったのだが。
「いや。俺はリーシェがいれば、それでいい」
あっさりと甘い言葉を吐かれて、リーシェはすぐには反応出来なかった。彼が無理をしているのではないのならよいが、頬に熱が集まってしまう。上手く彼の視線を受け止める事が出来なくて、リーシェは自分の手元を見下ろした。
キジャがリーシェの事を憎からず想ってくれているのはよく分かっている。憎からずどころか、真っ直ぐに想いを伝えてくるのが彼だから、気がつけない方がおかしい。そんな彼だからリーシェと共に過ごせる事が一番だというのだろう。好意からくるものだろうが、その優しさがうれしかった。
時折強引なところを見せるキジャだが、こうして寛容な心を見せてくれると、リーシェは安心してしまえる。そのまま彼にそっと寄り添ってしまいたくなるほどに。
思ってしまってリーシェは慌てた。なんだかとっても大胆な事に思えたからだ。顔にもっと熱が集まってきている気がする。
「そ、そろそろ帰りましょうか」
にわかに席を立ったリーシェに、キジャはただ「そうだな」と返した。それでもその緑の瞳は穏やかで――かえってリーシェの胸を騒がせた。
夜のサフィールを歩きながら、足元で踏まれた枯れ葉がくしゃくしゃと音をたてるのを堪能する。
リーシェはどうしてサフィールまでついて来ようと思ったのか、キジャに聞こうとした。もちろん出かける前にホープが問いかけたから既に答えは分かっている。遠出をする際にリーシェに何かあったら困るから、と彼は答えた。
今後、正式に聖職者になったらリーシェは今よりもっとティル・ナ・ノーグの外に行く事が増えるだろう。そのたびにキジャはリーシェについて来るつもりなのだろうか。そんなにリーシェは危なっかしいと思われているのだろうか。信頼がほしいと思う反面、彼と共にする遠出も悪くはないと分かってしまった。
「キジャさん」
呼びかけてその続きを言おうとした時、リーシェは濡れた枯れ葉に足をとられ転びそうになった。とっさにキジャがそれを支え、リーシェはほとんど彼に抱きつく形になる。まとまった落ち葉は時折夜露に濡れ、乾かないまま一日を終える事がある。リーシェはそんな落ち葉に捕まったのだ。
自分の足できちんと立てたのでリーシェはそのままキジャの腕を離そうとしたが、また転ばれてはかなわないと思ったのか、キジャは手を放してくれなかった。
嫌じゃないの、戸惑っているだけ。
つながれた手がくすぐったくて、歩くのが難しくなりそうだった。
ふわ、と風が吹いてリーシェのニットの上着を少し持ち上げる。秋の夜はやはり寒さが服の中にまでしのびこんでくる。つないだ手だけが、あたたかかった。
「……わたし、サフィールを観光出来てよかったです」
あなたと一緒に。
「そうだな。楽しかったな」
鮮やかな緑の瞳がまぶしげに細められて、リーシェも笑みを返す。
それから、ぬくもりを確かめるように、握られた手をそっと握り返した――。
胸の奥にゆっくりゆっくり広がっていくあたたかさは、きっともう消えない。
時間軸的にはまだ正式にくっつく前くらい?とか勝手に思っています。
いつか両親が、を書いた時からキジャリーを書かねば!と思っていたのにだいぶ時間がたってしまいました……。
そして何故かキジャさんがすごく大人しいです(謎)←
でも別にキジャさんだって大人なんだしクールに決められると思っているんです……。。