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あなたに手紙を1(ティーア&エディ)

この世界観では“クリスマス”は“ユルナリア”という名前になっております。

 濃淡をにじませた、灰色の空。北国であれば降雪を予想するような冬の空だが、ここは常春の町ティル・ナ・ノーグ。雪が降るなんて百年に一度あるかないかという、年中あたたかな気候の地。

 とはいえ常春の地でも現在の季節は冬、そしてユルナリアの季節である。

 この日の気温は上がらず、雨の日のように肌寒い。人々はいくらか着膨れる事で寒さをしのいでおり、ティーアもまた、いつもは着ない上着とひざ丈のキュロットを身にまとっていた。

 ティーアの頭の中には、街中の地図が描かれている。大樹の枝葉のように四方へ伸びる道と、手紙に記された住所とを照らし合わせて作られる、無駄を省いた最短距離で移動する道順(ルート)は、自然に彼女の地図の中に伸びていくはずだった。が、手紙のたくさん入った鞄から封筒をひとつ取り出したティーアは、自分の犯したミスに気づく。五軒前の届け先を通りすぎた時に、今手にした手紙の届け先があった。引き返すには、反応が少し遅すぎた。来た道を引き返さなければならないし、短くない時間の損失(ロス)が生まれてしまう。

 こんなに忙しくなければ、このくらいで時間を無駄にしたとは思わないだろうが、何しろ今日は――ユルナリアなのだ。

 ユルナリアの起源は冬の寒さが厳しい北方の冬至祭。祭り本番は十二月二十五日だが、その前後の期間も祭りの期間に入る。冬に太陽が顔を出しにくい北方では、冬至の頃に太陽の妖精ソルナが死んだのだと考えられ、太陽の復活を祈るためにユルナリアの祭りが始まった。

 祭り本番の日は、太陽の妖精ソルナの復活を祈願して多くの妖精が集まって宴会をしたという伝説を元に、人々は妖精と同じように宴会をする。

 ほとんど四季のないティル・ナ・ノーグでユルナリアが受け入れられるようになったのは、冬至の頃、たった数年の間で二度も日蝕が見られるようになり、やはり太陽の妖精の死を予感し、その復活を願うようになったためである。元々が冬の寒い地域の祭であるために、ティル・ナ・ノーグではユルナリアの定番を利用していない点もあるが、お祭り騒ぎをするという点は共通である。

 この時期、町は暗くなると各家庭の外に蝋燭が灯され、ユルナリアの縁起物で木が彩られ、リースを戸口に飾られたりと、とても華やかになる。人々の心が浮き立ち、騒ぐのも無理はない。遠くにいる友人や家族と少しでも楽しい気持ちを分かちあおうと、ユルナリアカードを贈るのもそのためだ。

「ふう……さすがにちょっと、きついなあ」

 世間はユルナリアを祝うため、家族や友人、恋人同士でパーティーをしている日だ。特に恋人たちが愛を語らうにはもってこいの日、という認識も強い。ティーアは何も、華やかな祝いの日に一人配達をするのが嫌な訳ではない。

 問題は、ユルナリアカードの量の多さだ。一枚では重さも少ない、小さなカードでも、かさばるほどになると持ち運ぶのも配るのも一苦労だ。休憩をとらねば続けられない。

 ティーアは広い壁に背を預け、一時的に休む事にした。手足を伸ばすと、わずかながら体がほぐれた気がする。体を休ませながら、脳内で配達の道順(ルート)を修正しはじめるが、視界に入ってきたものによってそれを遮られる。

 寄り添い合って歩く一組の男女。隙間なくくっつきあって、お互いを見詰め合う。自分たち以外に世界に人がいないとでも思っているかのような、仲睦まじい様子。

 うらやましくない、と言ったら嘘になる。けれどティーアは自身が恋人と過ごすという事にぴんと来ない。恋愛事に疎い訳ではないのだが。

 ただ、特別な日に特別な誰かと特別な時間をすごすのは、きっとうれしい事だろうと、小さく焦がれるだけ。

 ぴゅっと風が吹いてきて、ティーアは自分の任務を思い出す。ユルナリアカードを、ユルナリアのうちにそれぞれの家に届けなくてはいけない。特別な日にもらう特別なカード。受け取る方も、投函した方も、届くのを心待ちにしているはずなのだ。

 少女は駆ける。ユルナリアに浮かれた町を。菫の髪をひるがえしながら。軽やかに。


 昼下がり。未だ空は晴れず、町の人の明るさとは対照的に、空は暗いままだった。

「カードは全部配り終わったかな……」

 ひとまずは、優先すべき仕事が片付いた。それでもティーアにはまだ、通常業務が残っている。ユルナリアカードはそれと分かるように判が押してあるが、ユルナリアとは関係のない手紙だってある。ユルナリアカードと比べればまだ数は少ないが、大事な手紙には変わりない。

 しかしティーアはまたも小休止をとろうという気持ちになった。通り過ぎた家の煙突から出る煙に、空腹と疲労を思い出したからだ。ユルナリアの定番料理は、りんごと木の実をつめたアヒルや、豚肉の炙り焼き。昼間からそれらをつくり出す家庭もあるようで、いいにおいが空中に舞う。香ばしい料理の香りが、ティーアの胃を刺激する。彼女にも兄と過ごすユルナリアの晩餐が待っている。そのためにも、きちんと仕事を終わらせなければならない。

 少し行った場所に、座るにいい場所がある。ベンチ代わりになる張り出した縁のある壁へとティーアは近づく。人通りの多い道からも外れて、ささやかな静けさの中にやってきた。

 早速座って休憩をするつもりが、ティーアは先客に出会ってしまう。

 どこかくたびれた服、くすぶったくわえ煙草、覇気のない横顔。まさか、いつものベンチではないところで、既視感(デジャヴ)をするとは思わなかった。

「……エディさん。こんなところで何してるんですか?」

 力仕事に疲れて休憩中の工事現場の男かのような様子だが、彼の本職は町の役人、事務仕事が基本だ。こうして町で過ごす彼の姿を見るのは珍しくなく、町内をよく知る事は彼の仕事柄大事だとはいえ、基本はデスクワークのはずだろうに。

「やあ……今日は、いつもの太ももは隠れてしまったのかい?」

 また仕事をさぼってるのかと言おうとしたが、ティーアはそれすら忘れた。エディことエドゥアルトの視線は、ティーアの顔などではなく彼のいう太ももに注がれていたのだから。いつもいつも、このエドゥアルトは、ティーアの表情を不満なものに変える。

「今日は寒いから、寒さ対策です」

 ティーアの太ももはベージュのキュロットに包まれていて、隠れているといえばそうだが、それは単に寒いからだ。

「身軽さが大事な君の仕事には、悪影響じゃないか」

「そんなことありません。私が厚着してると変ですか?」

「いや――普段と違う格好っていうのは新鮮でとってもイイんだが、露出度が下がるのはちょっと……もったいないな」

 ひくりと頬を引きつらせたティーアは、相変わらずの相手に、あきれるしかなかった。エドゥアルトときたら、いつだってこうなのだ。いつか見せてくれた彼の勇敢な姿が、日常に少しでも反映されたらいいと思う事は一度や二度ではない。

 だがどうしたってエドゥアルトの背筋の伸びた姿は奇跡的なものでしかなく、だらしなく力を抜いた彼の自然体こそが基本(デフォルト)なのだった。

「……もう、勝手に言っててください」

 ティーアは踵を返して、彼女の仕事に戻る事にした。このままエドゥアルトにつきあっていれば、あっという間に夜になってしまう。何しろ今日は、ユルナリアなのだ。大半の人間が家の内外で飲み食いし浮かれ騒ぐ日とはいえ、仕事がある人間にはいつも以上に忙しい日でもあるのだ。

「私、まだ配達残ってるので」

 そう言って、ティーアはもうこの場をはなれるつもりだった。無意識のうちに鞄の中をさぐると、移動先を定めるために手紙の住所を読み取ろうとした。その萌黄色の瞳に映りこんだのは、白地に赤い色の――。

「きゃっ」

 ティーアは思わず、手の中の封筒を取り落としてしまう。目にしたものが、にわかには信じられなかったからだ。

「どうした」

 エドゥアルトが彼女を振り返って、顔をうかがってくる。

「……この手紙……血が」

 ティーアの視線の先には、地に落ちた封筒がひとつ。小さく目を細めて、エドゥアルトはその手紙を拾い上げる。裏表とひっくり返して見分すると、彼にはティーアが驚いた理由が分かってしまった。

「ああ、これ。そういう柄みたいだ」

 エドゥアルトにそう言われて改めて見てみると、確かにその血の痕は、色も形も不自然なくらいにきれいだった。表にも裏にも、作り物めいた赤い円がシミのようにこびりついているが、封筒の中心を避けているように見える。そういう意匠を凝らしただけだから、住所を書く場所を避けて作り物の血が配置されているのだ。

「……ほんとだ」

 血のしずくが落ちた紙など見たことないが、目を凝らせばティーアにだって偽物の血の痕だと分かる。それでも最初、本物だと錯覚したのは、この封筒がやけに黄ばんでいて、その古臭さが彼女の目をまぎらわせていたからだ。

「でもずいぶん古い紙みたいに見えるけど、消印は……かすれてて読めない」

 おかしいと思ったのだ。普通、郵便物は届け先まで数日で届くはずだ。ティル・ナ・ノーグの外からの手紙だったとしても、紙の色が褪せるほど月日を経るなんて事はないはずだ。日付を消印から確認しようとも、かすれて薄くなって、読み取る事は出来なかった。

 郵便屋をはじめてからティーアは四年ほど手紙の配達をしているが、こんなに古びた手紙なんて、見た事がなかった。その異質さも、彼女を驚かせた理由のひとつだった。

「この住所って、幽霊屋敷って噂のある場所のあたり……?」

 更に、その住所をティーアの脳内地図と照らし合わせれば、奇妙な点まで浮かび上がってくる。

 町外れの、幽霊屋敷。町の中心部から見て北西、霊園のほど近い場所に立つ、一軒の大きな屋敷。霊園に近い場所にあるという点、そして人の出入りがまったくないという点、庭の手入れもまったくされていないという点、その他にもいくつか、その屋敷が幽霊屋敷と呼ばれるようになった理由は、ある。

 血塗られた封筒を装った手紙が、幽霊屋敷に宛てられている、いかにも、何か因縁のありそうな話ではないか。

 ティーアは鞄の中にある手紙のすべてを確認した。残りは、三通。住所を見る限り、残りは幽霊屋敷の通り道にある。最終目的地をそこに決めて、ティーアは町外れの屋敷に向かう事に決めた。

 仕事だから、それは当たり前の事だった。しかし、何故か決意のいる事だった。


 屋敷までは、時間をかけずにたどり着く事が出来た。先程ティーアが町の北の方にいたからだが――それにしても、ティーアは何故エドゥアルトが自分の傍らにいるのか不思議でならない。何故ついてくるのかと聞けば、噂の幽霊屋敷を見てみたくて、などと真実か疑わしい答えが帰ってきた。結局、彼らがさっきまでいた場所からは近かった事も気軽に足を運ばせた理由にもなるのだろう。

 その三階建ての屋敷は、薄い茶褐色の外壁があちこち灰色に汚れている。だけでなく、地面から伸びる少し黄ばんだ蔦の葉に侵食されている。屋敷の周囲の木々は一部はいびつに枝葉を伸ばしているというのに、枯れ木も目立つ。かつて薔薇が咲いていただろう庭園には、花もつけずに茨だけ不恰好に増殖させている奇妙な光景が残っているのみ。伸び放題の植物が、人の手のようにさえ思えてくる。

 この日の空が暗いのも相まって、手入れされていない家屋がいかに不気味なものに見えるか、ティーアは思い知った。すべて木戸で閉じられた窓も、拒絶されているようで屋敷を近寄りがたく感じる。

「――ここって……」

 ぽつりと何かを言葉にしたエドゥアルトに、ティーアは怪訝になって顔を見上げるが、彼は口の中でつぶやいた事を繰り返すつもりはないようだった。

「郵便受けが見つからないみたいだな」

 いくら屋敷が不気味でも、郵便受けさえあればそこに手紙を入れておけば、あとは立ち去るだけ。しかしそれが出来ないのであれば、家人を探すか、雨ざらしにならない場所に手紙を置くしか道はない。

 外壁の汚れが、屋敷内の闇が染み出てしまったもののように見えて、ティーアは一瞬ためらった。幽霊屋敷――幽霊なんて、信じていないし、怖いとは思わないのだが、彼女は場の雰囲気に呑まれそうになっていた。

 そんな彼女のためらいに気づいてか、エドゥアルトが一歩先に出て、屋敷の正面玄関とおぼしき扉を押す。大きな扉であったが、それはあっけないほど簡単に押し開かれた。

 扉が開いてから出来た隙間には、予想通りの暗闇の片鱗が見えた。隙間が広がるにつれ、冷えた空気が屋敷内からあふれて来たように錯覚し、ティーアはその隙間から目がはなせなくなる。

「誰かいませんかー?」

 エドゥアルトの声に、ティーアはやっと扉が開ききり、彼が屋敷の中へと進んだ事に気がつく。一人取り残されたと慌ててティーアは彼の後を追うが、少ししてからそうする必要はなかったという気に変わった。屋敷の中は少し入っただけでひどく薄暗い、視界の悪い場所だったからだ。いくらか離れた場所に窓があるというのに、蔦に覆われてほとんど光がさしこまない。

 ばたん、と扉の閉まる音がした。

「エディさん! 閉めないでください、暗くて見えないじゃないですかっ」

「いや、俺は閉めてないぞ」

 突然の事にティーアが非難たっぷりの声を上げると、エドゥアルトは意外そうに反論した。

「え――じゃあ、誰が」

 知らずのうちにティーアの声は小さくなってしまった。曇りの日とはいえ、それでも外は室内より明るかったようで、まだ彼女の目は暗闇に慣れていない。近くにいるはずのエドゥアルトのシルエットさえ、怪しげだ。

 出入り口に飛びつく事も忘れ、エドゥアルトの存在を確かめようとしたティーアの耳に、がたがたと何かが揺れる音が届く。それは外から吹く風が戸口や窓を揺らす音にすぎなかったのだが、まるで誰かが癇癪を起こしているかのように感じてしまった。

 ティーアは厚着をしているというのに、背をはいあがる寒さに、小さく身をふるわせた――。

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