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虹はひそかに(レイン&クラリス)

 無限に降り注ぐ小さな小さな水の雫。人や動物、草木にぶつかってははねかえる雫。青々とつやめく葉の上を、するりとすべっては地上に飛び出す雫。空にいっぱい集まった灰色雲がたくさんの雨つぶを生み出していた。

「もう、こんなにびしょぬれになったの、レインのせいだよ!」

「うるせぇな。仕方ねぇだろ、天気なんか操れねえんだから」

「雲行き怪しくなってきたって、わたしは言ったのに」

「……走って戻ったってどうせぬれてただろ」

「途中で雨宿りによさそうなところあったじゃん」

 天へ天へと枝葉を伸ばす大樹の下、少年が一人、少女が一人、しゃがみこんでは口げんか。二人とも相手を少しも見ないで、不満をぶつけあう。

「そもそも、“真っ白な子クアルンが居た”って言い出したのはクラリスだろ」

「レインだって見てみたいって言ってたでしょ」

「機会があれば見てみたいって程度だろ、本気で見たかったわけじゃねえよ」

「けっきょくついてきたくせに」

「それは、お前が……!」

 レインは、思わず口走りそうになった言葉を飲みこんだ。

 お前が“妖精の森に行くのが怖いの?”なんて言うからだろ――。

 これを言ってしまえば、レインが妖精の森を避けたがっていた理由について話が移るだろう。妖精の森はペルシェがいるから嫌いだなんて、またクラリスにからかわれるに違いない。だから言いたくなかった。だからレインは妖精の森にやって来ざるを得なかったのだ。

「“それは、お前が”……何?」

「――なんでもねえよっ」

 急な雨で、クラリスも普段の調子を失っているのか、頬をふくらませるだけで反論しなかった。

 クアルン――その体毛は幼年であれば濃い灰色のはずだ。クラリスは全身が真っ白のクアルンを一匹、妖精の森の入り口で見た。一瞬の事だった。犬か何かと間違えたんじゃ、とレインは言ったがあのシルエットはクアルンのものだったとクラリスは信じていた。とても珍しい全身白の体毛を持つ子クアルンに、興味を注がれるのは無理もない。

 はじめはどうあれ、二人は結局、連れ立って“白い子クアルン”が身を隠した妖精の森に行ったのだったが――子クアルンは見つからないし、先へ進むほどに空に雨雲が集まり、森の中は暗くなっていった。元々のり気でなかったレインは町へ戻ろうと提案したが、クラリスは子クアルンが森で迷子になっていたら可哀想だと、聞き入れなかった。

 レインは我知らずため息をついていた。言外に“やってられない、散々だ”と告げている――聞いた者がそう感じてもおかしくないため息だった。案の定、クラリスはそれを耳にするなり眉を寄せた。

 二人の間に横たわる、穏やかとは言い難い空気。彼らの不満が形になったかのように、雨足はまた少し強くなった。木々を打つ雨滴が大きな音を出す。

 いつの間にかクラリスはしゃがみこんだ膝に頭をうずめていた。小さな息を呑むような音がクラリスの方から聞こえて、レインは彼女を一瞥する。くしゃみを押し殺した音だったとは気づけなかったが、クラリスの腕が小さく震えているの見て、レインは悟った。

 頭の中で、いくつもの言い訳の文章が浮かんでは消える。それを見透かすようにレインの精霊“ランカ”は姿を見せた。

(「いちいち言い訳考えるのも、楽じゃないんじゃない? 素直じゃないなあ」)

 うるせえよ、とレインは精霊を睨んだ。ふふ、とランカは口元を手で覆うと、姿を消した。

 苛立ち混じりにレインは立ち上がると、無造作に上着から腕を抜く。服の外側はともかく、内側にまで雨は染みていない。わざと相手の顔を見ないで――相手の顔が見えないように、上着をクラリスの頭に放り投げた。

「わっ、なに?」

 一瞬ではあるが視界が閉ざされたクラリスは、自分に目隠しをする正体を探る。上着を頭からどかしてやっと、それがレインのものだと判明する。

「……雨でぬれて、着てると気持ち(わり)ィんだよ」

 クラリスが何か言う前に、レインが遮るように早口にそれを口にする。それから、いつも余計な事ばかりする精霊(ランカ)にも先手を取って、胸の前でシャツをくしゃりと握る。レインの白いシャツに浮かぶシラハナの文字は、レインの心中を勝手に表現する。ランカのせいだ。クラリスがシラハナの言葉を知っていてもいなくても、レインはランカの勝手な推測など、誰かに見せたくなかった――今は特に。

「……わたしは、ぬれて冷たい上着を着てもいいっていうの?」

「なんとかは風邪ひかないって言うだろ」

「何それ。ちゃんと分かってないで言ってるの? っていうか、風邪ひかなきゃ、ぬれて冷たくて気持ち悪いレインの上着着てもいいってわけ?」

「……気持ち悪いのがオレみたいに言うなよ……」

 呆れて、レインは遠くに目をやった。雨のせいだろうか、今日のクラリスは舌鋒(ぜっぽう)が優れない。いつもレインは口げんかでクラリスには勝てない。彼女は時おり、人が気にしている事をずばりと口にする事もある。それなのに今日は――少し覇気がないようにも思えて、レインはそれが気にかかったのだ。そんなクラリスには調子が狂う。だから、レインは――。

「レイン」

 クラリスは、レインの上着をその肩にかけて、体の前で端と端をかきあわせた。

「なんだよ」

「……ありがと」

 小さな声だった。聞き返そうかと思うほどに、レインの耳はその全文を拾いきれなかった。けれど、聞き返す事も、謝礼に返す返事もしないで、レインは小さな息を吐いた。顔を合わせはしない、少年少女。クラリスがまた頭を膝に寄せ、小さく口の端を持ち上げているのを、レインは知らない――。


 レインの黒い上着を身にまとうクラリスでも、こう長い間雨の下にいては寒いだろうし、レインも薄着でくしゃみを噛み殺すのが難しくなってきた。空からの小さな客は減った方だが、二人の間の会話も減っていた。

 それに、お腹も減ってきた。レインは立ち上がって、食べる物がないか確認する。彼が常々持ち歩いているいくつかの黄金林檎は、もうひとつしか残っていなかった。もっと用意しておくべきだったと後悔しても遅いが、何もないよりはましというもの。たったひとつの林檎――“半分こしよう”なんてとても言えない。

 黄金林檎を取り出すと、レインはまたランカが出てきそうだな、と眉を寄せた。けれども今度は言い訳を考えるより早く、林檎がレインの手から飛び出した。雨滴ですべってしまったそれは、簡単に地面に落ちた。金色をした林檎はクラリスの目の前に転がる。

「……あー、落ちて汚れたやつなんか、食べたくねえ。やるよ」

 クラリスとレインは浅いつきあいではない。レインが口にしなくとも大の林檎好きというのは、分かりきった事実だ。クラリスは黄金林檎を拾い上げると、検分するように眺めた。

「要らないの? 泥なら、ぬぐえば落ちるよ」

 言いながら、クラリスはレインの上着で泥を落とした。

「オレの服でぬぐうなよ、汚ねーな」

「もう、レインって小さなことばっかり気にするんだね」

 小さい――それはレインの身長に向けての言葉ではないと分かっているが、目に見えない何かがレインに刺さった。

「……しょうがないな、レインにも分けてあげる」

 なんだか釈然としない対応にレインは苦い顔をしたが、クラリスの“いつもの調子”が戻ってきた気がして、反論はしないでおいた。

 二人で林檎を分けあって食べていると、視界がにわかに明るくなってきた。

「あ、雨……」

 やわらいでいた雨足も、ゆるやかに途絶えていった。クラリスは大樹からそっと離れると、首を持ち上げて空を見上げた。まだ雲のまとわりつく太陽が、まばゆいばかりの光を放っている。

「雨、やんだね」

 レインも屋根代わりの木から離れて、目だけで雨雲の退いた空を見る。

「……帰るぞ」

「白い子クアルンは?」

「もう、それどころじゃねえだろ。まだ諦めてなかったのか?」

「諦めてなんかないよ。だって、小さな子供のクアルンだよ? 普通、親のクアルンにくっついてるのに、森に迷いこんでたんだよ。心配じゃないの?」

「そのうち帰ってくるだろ。それより早く帰って着替えたい」

 さすがにクラリスも怒ったのか、言葉もなく黙りこんだ。レインから顔をそむけて、青緑の瞳に強い意思を灯す。

 苛々と周囲に視線を散らしていたクラリスだが、ある一つのものを見つけて、大きく目を見開いた。

「わあ……!」

 彼女の瞳に映るのは、ひとつに束ねられた青、紫、薄紅、赤、橙、黄、緑――。弓のように弧を描く色たちの集い。虹の妖精リイフィが架けた空の(アーチ)

「レイン、見て見て! 虹だよ!」

 クラリスは、先ほどまでの剣呑な雰囲気も忘れて笑顔でレインに駆け寄った。

 その声にレインも、天空の織り成す芸術のひとつを目にしていた。そう珍しいものではないが、確かにその虹は美しかった。

 レインとクラリスは、隣り合わせで立って、しばし雨の素敵な忘れ物に見惚れた。

「ねえ知ってる? 虹の麓には宝物が埋まっている、って」

「くだらねえ」

「ちょっと、行ってみようよ。きれいな花くらいあるかも」

 クラリスは花売りだ、花に詳しく、もしかすると雨の後できれいな花を咲かす植物を知っていてもおかしくないが、まさかそういう訳でもないだろう。レインは“ふざけんな”と言うつもりだったが、クラリスが腕を引っ張るので、つられて足を動かしてしまった。

 少し行けばクラリスも諦めるだろうと思っていたが、

「あれ……? 今のって」

 彼女はつぶやくなり歩を早めた。レインの「なんだよ?」という問いかけも無視して、クラリスは足早に先に進む。

「やっぱり!」

 クラリスの自由な行動にうんざりしていたレインは、他所へ向けていた視線をクラリスに戻す。彼女の見つめる先にあるのは、真っ白な体毛の小さなクアルンだった。雨上がりの日差しを浴びて、その全身は輝いているようだった。本当にいたのか――レインは目をしばたいた。周囲を警戒した様子の子クアルンが、(やぶ)の中から体を半分見せている。

「おいで、真っ白クアルンちゃん」

 クラリスがしゃがみこんで、ゆっくり両腕を広げる。

 最初、もじもじと辺りをうかがうだけだった子クアルンは、徐々に体を薮から離し、ぱっとクラリスに飛びついた。それを彼女は両手で抱きとめる。

「よかった、見つかって。この子もきっと、雨宿りしてたんだね」

 ぎゅっと子クアルンを抱きしめたクラリスは、子クアルンの体温が冷えきってはいないのを肌で感じていた。そしてさりげない調子で、子クアルンをレインの上着で拭いてやっていた。もはや何も言うまいと、レインは眉を寄せたまま、歩きはじめた。


 町に戻った頃には、雨雲はもう太陽に出番を譲っていた。虹の名残りもまったくなくなり、空はほとんど青空を取り戻している。

 見つけた白い子クアルンについて騎士団に相談しところ、時間を置かず飼い主のところに帰す事が出来た。飼い主の方でも騎士団に話をしていたところだったのだ。

 飼い主はクラリスに何度も何度も礼を言って、感激したように喜んでいた。

「宝物は見つからなかったけど、子クアルンは見つかったよ」

「……そうだな」

 “虹の麓には宝物が埋まっている”――虹に向かって歩いたら、探していたものが見つかった。それなら、虹の麓のところまで行ったら、本当に宝物が見つかるのではないか? 虹がすぐに消えてしまうのは分かっているけれど、そんな事を思わせるような出来事ではないか。

 クラリスはまぶしそうに目を細めると歩き出した。そんな彼女の一歩後ろをレインはゆく。

 今日は疲れる一日だった。レインの着ているシャツには“疲労”の文字がシラハナの言葉で浮かび上がっている。行きたくもない場所に行く羽目になり、降られたくもない雨に降られ、それから、したくもない口げんかばかり。

 見るつもりもなかった虹も見て、見つかるとは思ってもなかった白い子クアルンも見つけた。

 疲れたけれど、たまにはそんな日もあるのかもしれない。

「レイン、遅いよー。背だけじゃなくて歩幅も小さいの?」

 振り返ってレインを手招きするクラリス。すっかりいつもの彼女に戻ったようだ。

 レインは歩を早めるでもなく、かぶっていた帽子を取ると小さく伸びをした。

 いくらか雲の残る空は、じきに夕方を迎えるだろう。西の空から放たれる橙色の光を雲が真似るのも時間の問題だった。虹の作る彩飾に負けない、夕暮れが作る美しき天空の芸術。

 少年と少女は、橙に染まりはじめる西空へと歩いていった。

レイクラは元々好きなカップリングでした。なので、書くのがとても楽しかったです。

親御さんたちと話をしていて思い浮かんだ話を形にしました。そのため、親御さんたちからアイデアをもらったシーンもあります。その節はお世話になりました。

ちなみに、最初は漫画形式で描こうと思っていたのですが、無理そうなので小説にしました(笑)


子クアルンもかわいいのでいつかお話を書いてみたいと思っていました。

真っ白の子クアルンが珍しいかどうかは分かりませんが、そういう事にしておいてください…;(苦笑)

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