いつか両親が1(フェッロ&ビアンカ)
この小説は、多人数参加型西洋ファンタジー世界創作企画『ティル・ナ・ノーグの唄』(http://tirnanog.okoshi-yasu.net/)の参加小説です。
実際、サン・クール寺院の敷地は広い。そこを縦横に暴れまわるのは孤児院の幼い少年少女たちだった。
「フェロ、鬼ね!」
「逃げろ!」
何故か鬼ごっこの鬼に仕立て上げられたフェッロは、屈託なく笑う子どもたちに逃げられた。追いかけてもいないのに。最初から遊びに参加するつもりのないフェッロはどうしたものかとかすかに眉を寄せる。
「まじめにやってよ、フェロ!」
年少組の中でもお姉さんである少女ミアラが戻って来る。両手を腰に当て“不真面目なゲームの進行役”に仕事をしろとフェッロを叱った。
「……おれが真面目にやったら面白くないと思うけど?」
大人と子どもでは様々な理由から実力差が生まれてしまうとフェッロは伝えたかったのだ。だから身体能力がほぼ同等の相手、つまり子どもたちだけで遊んでいてくれという婉曲表現だったのだが、ミアラにはそんな事は伝わらない――というより知っていて気にしていないのかもしれない。
「はあ? なめてんの? まじめにやってから言ってよ」
そして何故かケンカを売るかのような少女の台詞。
「じゃあ――」
どうしようかな、という素振りを見せておいて、フェッロは突然自身の手を突き出した。瞬間の事であったが、しかしミアラはそれを避けた。ゲーム進行役の権利をミアラに譲って、この場を去ろうとしたフェッロの目論見はあっさりと崩れ落ちる。
「みんな、フェロが鬼だからねーー!」
改めて宣言してミアラはフェッロの手の届かないところへと駆け出した。わいわいきゃあきゃあ。子どもたちは今日も元気だった。
これを無視して出て行ったら怒られるのだろう、ミアラあたりに。子どもに説教されても特に困る事もなかったが、昨日も説教される事態を作ってしまったばかりだ。たまにはつきあった方がいいのかもしれない、なんとなく。
さすがにミアラの言うように真面目に鬼ごっこをやるつもりはない。とりあえずフェッロは近くに逃亡者を探す事にした。
十歳より前の子どもたちは、フェッロが闊歩するだけで楽しそうにこちらの様子を伺っている。追うような素振りを見せれば、魔獣でも見たかのように逃げ出していく。きゃいきゃいと、賑やかな事だ。
フェッロは子どもが苦手だった。だけれども、近年になってからこの孤児院の面々と接するうちに、いくらか耐性がついてきたのかもしれない。
彼は少し駆け出して、近くにいた、ミアラの弟コウを襲う魔獣の役を演じる事にした。平和なティル・ナ・ノーグの町に悲鳴がこだまする。それは、子どもが遊びに夢中になるあまりに発する楽しげな奇声だった。
***
ある日、サン・クール寺院に二人の来訪者がやってきた。
「寺院の責任者、ですか?」
対応したのはリーシェだった。丁度、寺院の責任者であるホープはビアンカと孤児院の子たちと一緒に、出かけていた。この日の外出は、十歳前後の、そろそろ将来を決めなくてはならない子どもたちのための職場見学のための町歩きをしていたのだ。
「今は少し出かけていますが……言伝なら、私が預かりますよ」
リーシェは言ったが、二人の来訪者は責任者不在の旨を聞くとまた来ると言い添え去っていった。
夫婦のようであったから、もしかすると――リーシェは彼らが気になってしまって、しばらくその場に立ったままでいた。寺院にて暮らす彼女が孤児たちとの接触がないはずがなく、リーシェも孤児院の事情に通じていた。孤児院に用事がある夫婦が持つ答えとは、二つに一つしかなかった。子どもを引き取ってくれという内容か、子どもを引き取りたいというもの。あの夫婦がもたらす報せとは、どちらなのか――。
「リーシェ?」
ひょいと眼前に迫ってきたその顔に、リーシェは驚きを隠せず、慌てて身を引いた。首を上にして隣りにある顔を見上げると、そこにはよく見知った顔があった。少しだけ不満そうな、どこか心配も覗ける緑の瞳。そしてその鮮やかな緑はもう一度リーシェの間近に迫って来たのだ。
「キ、キジャさん? なんですか?」
この距離の近さも、何なのだろうか? さりげない調子でリーシェはキジャの寄せる顔から距離を置くが、相手はそれに気づいているのかいないのか、また少し顔を近づける。距離感が近いというのは、リーシェは照れがあるというのに、彼にはそれがないのだろうか。
「三度も呼びかけたのに、気がつかなかったのか? 具合でも悪いんじゃないのか、リーシェ」
「……それは、すいません。ちょっと、考え事をしていて」
まるで診察をする医者のようにずっとリーシェを見つめ続けるキジャは、瞳を揺らがせていた。
「リーシェ、何か抱えている悩みがあるなら、言ってくれ。力になりたいんだ」
「……悩みというほどじゃないんです。まだ、分からない事ですから」
「分からない事とはなんだ? 分からない事について悩んでいるのか?」
真摯に話を聞いてくれるのは嬉しい。だからといって、リーシェが気がかりであった事は、まだ断定出来る未来ではないのだ。それを説明するのは容易ではない。
「どう言ったらいいのか……。もう少し、時間がたったらお話しますね」
もどかしそうにキジャは口元を動かしたが、リーシェの言う言葉を信じる事にしたようだ。いつか話してくれるというのだから、それを待とうと。
二人は、連れ立って寺院の中へと入って行った。
同じ日に、もう一度“彼ら”が来た時には、フェッロが対応した。リーシェも会った一組の男女だった。
「ホープ司祭、ですか」
サン・クール寺院の司祭はあれでいて忙しい人だ。緊急の仕事や徹夜を続けねばならない仕事などはあまりないが、仮にもホープは一つの組織の責任者である。寺院の頂点に立つものの仕事が、少ないはずがない。フェッロはそれをよく分かっていて、今日も出かけているのは知っていたがそれは何の理由でかまでは覚えていなかった。だが子どもたちが同行していたのは覚えていたので、夕飯前には帰ってくると分かっていた。
「たぶん、日暮れ前には戻ってくると思います。よかったら、寺院で待ちますか?」
「……そうしようかな」
「でもあんた、まだ時間があるならもう少しぐらい探しに……」
彼らの様子から夫婦らしいという事が分かったが、何かの問題を抱えているらしいのも見て取れた。
「子どもたちが一緒なのでそろそろ帰る頃合いですよ」
「子どもたち? それって、司祭さまのお子さん――とかじゃあ、ないわよね」
ぐいと顔を近づけてきたのは女性の方だ。フェッロの言葉に嘘でもあろうものなら張り手ぐらいしそうな真剣な顔つきである。
「孤児院の子たちと出かけてるはずです」
何の用事で出ているのだったか、ビアンカが何やら言っていたような気がするが――フェッロが記憶の糸をたぐっている間に、若い夫婦は相談を再開させていた。
「……そろそろっていうなら、待っていた方がいいんじゃないのか」
「でも、ただ待ってるだけってのは、どうもあたしの性に合わなくて」
「わかっているさ。だけどな、もう三日も歩き通しだろうが。お前は休んでいろ」
「あんただって……」
「あの」
フェッロがやはり寺院での休憩を提案しようとすると、賑やかな声が聞こえてきた。
「たっだいまー! いっぱい歩いておなかすいちゃった! セクアナちゃんおやつ……」
帰るなり開口一番食欲丸出しの発言をしたミアラは、フェッロの顔を見るなり固まった。正確には、フェッロの目の前にいる人たちの顔を認識するなり、だ。
最初は目をいっぱいに広げて、それから悲しい事でもあったかのように、ミアラは顔を歪めた。
そうではない、少女は、ひどく辛そうにしかめた顔をもって、彼らに飛びついた。
「ママ、パパ……っ!!」
ミアラの“両親”もほとんど同じく感情を体現していた。
「ミアラ……!」
子どもは、父と母の腕に抱かれ、あっという間に顔いっぱいに涙を散らかした。
何も聞いていないフェッロにも合点がいった。目前の夫婦が三日も歩き通しだったのだは、我が子を探しての事。その自分たちの子が今、見つかったのだ。
「ママっ、パパああっ!」
親たちは我が子の名前を何度も何度も呼んだ。別れていた間に呼べなかった分まで取り戻そうとするかのように。
「本当に、ミアラなのね……? ねえ、あの子は? コウはどこ?」
ミアラには弟がおり、それは当然この夫婦の子どものはずだった。ミアラだけ先に寺院に着いていたのだが、コウがいる後続がやって来た。ホープにビアンカ、それに他の子どもたちだ。話題のコウが他の子たちと共に顔を見せる。
「コウっ、コウ! ママとパパなの!」
「え……?」
そこからはもう、この家族は号泣であった。主に子どもたちがではあるが、長い間離れ離れになっていた身内との再会だ、大人たちだって涙を禁じえなかった。
日も暮れ、改めて話をする事になり皆で寺院の中に集まる事になった。主に話し合いが必要なのはホープとイルブレック夫妻だった。
「俺がルーヴォノ・イルブレック、こっちが家内のマキラです」
「うちの子たちが、お世話になって」
「いやあ、こういう事もあるんだねえ。まさか、ミアラくんたちの親御さんが生きていたなんて。ニーヴのお導きというのは、実に素敵なものだ」
ホープは目尻をいつも以上に下げて、手を組んだ。
「ゆくえふめーって、べつに死んだわけじゃないもの」
ミアラが、母の膝の上でくつろいでホープに口を出す。そう、彼女の両親は確かに死亡は確認されていなかったのだ。サングリエ生まれのミアラとコウの姉弟は、両親が家業の狩猟に出たまま何日も帰って来ず、捜索も打ち切りになってしまい子どもだけでは生活が出来ない孤児になってしまった。見かねた周囲の大人たちが、イルブレックの親類をたどってティル・ナ・ノーグに彼らを連れて行った。しかし、この親類とは子どもたちは徹底的に合わなかった。
それで孤児院へとやってきたのだが、まさか両親健在の孤児だったとは子どもたち本人も思ってもいない事だった。もちろん、両親が生きていればと願っていたが、本当になるとは。
「あたしたちも、まさか長い間サングリエに戻れない状況になるとは思ってもなかったんですよ」
「怪我を治す事自体は、たいした期間じゃなかったはずが……」
イルブレック夫妻の方は、遠方へと狩りに出た際に二名共に怪我を負い、それが理由ですぐには戻れぬ事情となってしまった。近くの山小屋にて療養をする事にしたが、比較的軽傷のマキラが自分の家に戻ろうとした道中で、強盗に出会ってしまったのだ。腕っ節の強いマキラは相手を返り討ちにした。ところが彼らは強盗をしておきながら情けなく、なんと借金まみれの博打好き男二人だったのだ。娘を売るか金を作るかの二択だと高利貸しは突きつけたので仕方なしに犯罪を犯すに至ったと語る――マキラは激怒した。情けない事を抜かすなと。根性を叩きなおしてやるとばかりに彼らの住む町まで行って、更にその高利貸しはかなりひどい取立てで悪名をはせていたので、高利貸しにまで“説教”をしてやった。
すっきりして夫のところへ帰ると、すっかり当初の目的を忘れていた事をマキラは思い出す。しかしルーヴォノの怪我もだいぶよくなっていたために、二人でサングリエへ向かったのだが、立ちはだかったのはマキラが説教してやった高利貸しの男と彼が雇った荒くれ者たちだった。しつこいやつらだと制裁を加えたのだが、ここで問題がひとつ持ち上がった。こうも粘着質の人間に目をつけられたのでは、夫妻がサングリエに戻った際に町の人間に――子どもたちにも被害が及ばないとも限らない。しばらくは他所で大人しくしていようと決めた。
結局、もう一度例の高利貸しは夫妻のところにやって来たが三度も痛い目に遭うとやっと懲りたようで、四度目はなくなった。そろそろサングリエに戻ってもいい頃だろうと足を向けた頃には、彼らが町を離れてから半年もたってしまっていた。もぬけの空になっていた我が家にあんぐりと口を開けた。
隣人を訪ねれば死人を見た顔で驚かれ、死んだものと思っていたから親類に預けたと教えられる。王都サフィールにいる親族のところにいるはずだと告げられて王都に行けば、ここにはいないと述べられる。ではどこにと聞けば、オグルブーシュにも血縁者がいたなと言うのでそちらに向かう。だがここでもミアラとコウは見つからない。確かな情報はなかったが、ならばと次に向かったのがティル・ナ・ノーグの地だったのだ。
「なんだかドラマチックだねえ」
「司祭様」
ちょっと不謹慎すぎやしませんかというビアンカの一声に、ホープは言い直す事にした。
「事実は小説より奇なり、だね……」
「でもこうしてまた会えたんだから、本当にニーヴさまやリーラさまには感謝をしなきゃ」
すべての造物主であるニーヴや、旅人を守るリーラに祈りを捧げるように、マキラは目を閉じた。そんな妻の肩を抱くルーヴォノ、そして両親に擦り寄る娘と息子。四人は寄り添いあって幸運を噛みしめた――。