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第6話 もう一度、一緒にいよう

 潮見が送ってくれた咲良の家の近くにたどり着くと、懐かしい顔ぶれに出会った。咲良のお母さんだ。

 気が気じゃない雰囲気を感じてすぐに駆けつける。玄関先で何度もため息をつきながら、何かを待っている様子だった。


「あの……」

「……! ひょっとして、歩ちゃん……なの?」


 肯定とともに、咲良に学校のプリントを持ってきたと話をしようとしたら、一度青い顔して帰ってきたのに、ふらっと出ていったと言われた。


「……歩ちゃん。お願い、咲良のこと、一緒に探してくれる? 帰ってきてからも様子がおかしかったし、スマホも、持っていってないみたいで。私あの子のこと、心配で心配で……」


 すぐに頷いて、わたしは雨の中、咲良を探しに駆け回った。

 どこにいるかもわからない。でも、探すしかなかった。



 しばらく探し回って、わたしは思い出の公園──空城(そらぎ)公園に向かった。理由はわからないけれど、ここにいる気がした。

 そして、咲良は、中央にある滑り台の陰に、隠れていた。タコの形をした、大きな滑り台。


「……見つけた。ここにいたんだ。東堂さん」

「……瀬野さん」


 わたしが声をかけても立ち上がろうとせず、それどころか俯くばかりだった。


「……風邪引いちゃうから。早く帰らなきゃ、ほら」


 傘を差し出しながら、一緒に帰ろうと、わたしは手を伸ばす。


「……どうして、瀬野さんなの」

「……え」


 しかしそこにあったのは、明確な拒絶だった。


「……ごめんなさい。でも、何故だか、いまあなたの顔を見るのが、すごく辛いの…………ごめん、なさい……」


 ────。

 こんなにも、彼女に拒まれたことなんてなくて。

 わたしは、声もうまく出せなかった。


「約束を、思い出したの」


 不意に咲良は口を開いた。オウム返しのように、わたしは言葉を繰り返す。


「……約束」

「なんとなく、この公園じゃないかなって、思い切って来てみたの。あの子がいないことなんて……わかってたはずなのに。いたとしても、思い出せないって、会えないって、わかってたのに……」


 彼女は俯きながら、わたしに言い聞かすように、零した。


「言ってなかった、よね……私、記憶が、小さな頃の記憶が、ないんだ……」

「……うん」

「……今日、授業中、バスケットボールが宙を舞ってるのを見た時。私、何か欠けてるものに、気付いたの。……記憶が消えてからずっと、何かもやもやしてたものはあった。だけど、それが何なのかははっきりしてなくて……でも、今日それが、やっと」


 咲良は目を閉じた。瞬間、雫がぽとりと落ち、地面を濡らしていた。


「小さな女の子が、私を呼んでる、そんな記憶。きっと、ずっと待っていたんだと思う。だけど、それが、きっと瀬野さん、なんだよね……」


 瞳を潤ませ、見つめる先は、わたしだ。なのに……私じゃない誰かを見ている気がした。


「他にも、立花さんみたいな人のこととか、私に悪いこと、言ってくる女の子たち、も……、……っ!」

「……! 東堂さん!」


 咲良が突然頭を抱え、(うめ)き始めた。とっさに駆け寄った、けれど咲良は手を掲げて、わたしを制していた。


「……でも、ごめんなさい。あなたのことは、思い出せなくて……。あなたが、私にとってどんな人だったのか……全然、わからなくて」


 潤んだ瞳で言う彼女の声に引っ張られそうになる。傘を持ち直して、わたしは咲良に問いかけた。


「その約束って、どんなの……?」

「……再会したら、また仲良くしようって。一緒にいようって。……でも、まるで思い出せなくて。約束、守れそうにないことが、すごく……辛くて」


 肩を震わせ、嗚咽のような声が漏れ始める。彼女は、それでも続けて言葉を紡いだ。


「ずっと、ずっと、大事にしてきた約束のはずなのに。無くしたくないことだったの。なんとなく、それはわかってた。でもそれがどんどん重荷になっていることが、嫌だった……」

「じゃあ、約束を、しなくなったのって」


「その子のため……って言っちゃうと、聞こえはいいけど。全部、自分のため。あの子との思い出を、嘘に、したくなかった。……上書きするみたいで、嫌だったの」


 咲良は、わたしを見上げた。涙で濡れた、小さな女の子が、そこにいた。

 次第に強まっていく雨足が、わたしたちの距離の遠さを表しているみたいで。

 虚しくなる。


「瀬野、さん。あなたは、本当に『あの子』なの……? わからない、思い出せないよ……『あの子』の名前も、消えちゃってて、再会したとしても、全然素直に喜べない気がしてた。なのに、瀬野さんが『あの子』だって言われて、私、私は……! どう反応したらいいのか、わかんなくて……!!」


 ……やめてよ。

 わたしは、あなたにそんな顔させたくて、あの約束を交わしたんじゃない。

 その約束は、わたしたちが笑顔でいるための、希望だったはずだ。


「──っ。そんな約束、捨てちゃいなよ!」


「え……」


「守れそうもないなら、もういっそ切り捨ててさ! もっかいやり直したらいいじゃん! なんで咲良がそんなに苦しんでまで守らなくちゃいけないの!? 咲良が苦しんでる姿なんて、わたし見たくない!」


 癇癪(かんしゃく)を起こしたわたしの声に、咲良は重ねて叫んだ。


「……でもっ! それじゃああの子の気持ちはどうなるの!? あの子は、ずっと私を待ってた……! もう忘れてしまった私のことを、ずっと! 記憶の中にいたあの子は、そういう子だったから!」

「そのためにあんたが痛みを抱える必要ないって言ってんの! だって、……だってその約束したの……」


 震える声で、伝わるはずもない事実を告げる。


「……わたし、なんだよ」

「……瀬野さん」


「わたしなんだよっ!!」


 遮るように、言い切った。そして、同時に後悔もした。

 咲良の中には、もうわたしはいないんだって、理解してしまった。

 それでも、伝えなきゃ、いけないと思う。何度だって。


「わたし、ずっと待ってた! いつか会えるって、信じてた! だから入学式に会えた日、わたし、すっごくすっごく、嬉しかったんだよ!? やっとまた咲良に会えたんだって! また一緒に遊んだり、学校帰りにカフェなんて寄ったりして! 新しいこと、そういうことができるんだって、思ってたんだよ! なのに、なのにさぁ……! 忘れちゃうなんて、どうかしてるよっ! わたし、ずっと、寂しかったんだよっ!!」


 溢れてくるのは、どうしようもなく惨めで、陳腐なエゴだ。でも、これがわたしの本音。大好きなはずの咲良を恨んでしまうくらい、嫉妬深いわたしの本心だった。

 大事だったはずの家族にも、裏切られた気がしていた。お父さんはそんなことないって言うだろうけど、わたしは、やっぱり割り切れてなんていなかった。

 ずっとひとりぼっちのような感覚だったんだ。新しい友達といても、何をしていても。ひとつだけ空っぽの席は、どんなものでも埋めることができなかった。

 だから、わたしは。

 咲良を見つめる。彼女は涙を浮かべ、わたしを見上げていた。その涙の意味を図りかねていると、突然声を張り上げる。


「……ま、またそんな見え透いた嘘を……! だいたいあなた、(あゆむ)って名前が同じなだけで、苗字も全然違うじゃない! ふざけないで! 私の記憶の中にまで入ってこないでよっ!」


 ──名前。

 思い、出せたのかな。


「あの頃のあの子は、とっても優しかった! 無理矢理押し付けるみたいに、遊びに誘ったりなんて絶対にしない! それに比べてあなたはどうなの!? 強引で、後先なんて考えないで、自分のことばっか! ちょっとは、真似る努力ぐらいしたら!?」

「……! 咲良だって! さんざんわたしとの約束断りまくってさ! 何? 人と話すのが苦手ですってか? 舐めないでよ、咲良はそんなやわな人じゃないでしょ!」


 ……言いたい放題言ってくれる。わたしだって、咲良に言いたいこととか、山ほどあるっつーの。怒りのままに、わたしは咲良に言葉を浴びせた。


「それにさ! 記憶の中の『あの子』が嘘を言ったことある!? 約束を簡単に破るような自分勝手さんだったことあったの!? 多分ないよね! だってわたし、咲良との約束、一度だって破ったことない!」

「そっ、そんなデタラメだけで、どうしてあなただって言い切れるの!? ありえない、私が知らないこと言われたって、わかるわけないじゃん! そもそも最初に会った時から、あなたのこと、不信感しかなかった! 私のこと知った気になって……お願いだから、これ以上嫌いにさせないでよ!」

「……! あーそうですか! こっちだって、いまのあんたなんて大っ嫌い! この、八方美人に振る舞うだけの露骨女!」

「なっ! ……そっちこそ! 意地汚く付け回すストーカーまがいじゃない! …………もう、もういいから、あっち行ってよ、このバカァ!」


 互いに罵倒の応酬が続いて、息も続かない。涙で、もう顔もぐしゃぐしゃだ。


「…………わたしだって、こんな、こんな喧嘩、したいわけじゃない! くだらない約束に囚われてる咲良を、もう見たくないだけなんだよっ! どうして……どうして、わかってくれないのぉ……!」


 涙なのか雨なのか、もう訳がわからなくて、それでも今、彼女とちゃんと話をしないと、このまま終わってしまう気がして。


「わたし、ずっと、咲良が大好き。これまでも、これからも、絶対どこかで会えるって、また一緒になれるって、そう信じてた。なのに……!」

「……、大好き、って……」


 ずぶ濡れの袖で顔を拭う。力なんて入らなくて、傘も落としてしまっていた。


「そうだよ、大好きなの……! ずっとずっと……それだけは、変わらなかった! 何度でも言ってやる、わたしは、咲良が大好きだっ!」


 どんなに時が移り変ったって、その思いだけは、変わるはずがなかった。

 だからこそ。


「過去にした約束なんてクソ喰らえだ……! これ以上、咲良を傷付けるだけの約束なんていらない……! もっと、咲良には幸せになってほしいって、わたしは、それだけなのに……! バカはそっちだ、バカ咲良ぁ!」

「……」


「思い出してよ……この公園で、あのベンチで、あの日見た夕焼け。ふたりで指切りした手の熱とか……。わたしのことも……」

「……」


華原(かはら)(あゆむ)。私の名前だよ……? ちょっとカッコイイって、咲良が言ってくれたんだよ……? それからわたしたち、一緒に話すようになったじゃん……。……お願い、思い出してよ……」

「華原……かはら……」


 縋るように、咲良に言う。もう、これじゃ会話にもなってない。一方通行の罵声と、変わらなかった。


「……ごめんなさい」


 ……わかっていた。

 きっと、これまでも、彼女は自分の中の記憶と、ずっと闘ってきた。それでも、どうしたって掴みきれなくて、とても苦しかったんだと思う。

 約束が、彼女にとって、残された断片で。それを彼女なりに、守り抜いてきたのだろう。

 わたしだけを、置いて。


「……そう、だよね。一方的に言って、わたしこそ、ごめん」


 ぐすっ、と。

 泣き腫らした瞼で、咲良を見た。咲良もまた涙目で、私を見つめていた。

 もう過去の約束じゃ、わたしたちは幸せになんてなれない。

 咲良はわたしを忘れていて、わたしも、咲良の記憶にしがみついたまんまだ。

 おんなじところに立てていないのに、話が通じる訳なんてない。わかっていなかったのは、わたしの方だったんだと思う。

 咲良は、いつも。わたしを引っ張ってくれていたから。咲良がいてくれたから、わたしは彼女と同じ景色を見ることができていたんだ。約束を交わす時も、いつも彼女からだった。

 そんな大事なことを、わたしは忘れていた。

 ひとつ、深呼吸をして、わたしは。


「咲良」


 彼女の名前を呼んだ。


「じゃあ、今この瞬間! もう一度、約束しようよ!」


 ──咲良。わたし、あなたと、もう一度。

 一緒にいたい。これからも、仲良しでいたいよ。


「あなたがわたしを忘れたなら、もう一回、約束するの! 今度は絶対、離れないために!」


 しゃがみ込み、咲良の手を取って、小指を突き出す。そして。


「ずっと! この先も一緒にいること! それが、次の私たちの、約束だからっ!!」


 わたしは、そう高らかに宣言した。


「……、瀬野、さん……」

「……」


 覚悟をした。目を瞑った。涙が零れて、まともに前は見られなかった。

 これで断られるなら、もう、彼女といることなんて──。

 そう諦めかけた時だ。

 指先に、熱い感触が触れて。

 目を開けると、咲良の小指が、わたしの小指に絡められていく。

 彼女の震える唇から、小さく息が零れていた。


「……瀬野さんって、初めて会った時から、すごく押しが強くて。……苦手だった」

「……うん」

「おまけに、私の大事な人を取り上げちゃうような、泥棒猫」

「う、うん……?」

「でも、それも全部、私のためなんだって、わかってた。すごく優しくて、頑固者で……意地悪さん」


 ……ねぇそれ、半分以上貶してない?


「それで、肝心な時は、こうして駆け付けてくれる、太陽みたいな。とてもカッコいい、私の大事な人。……だから」


 咲良のもう片方の手が、わたしたちの、契りを交わす手を包み込む。

 そして言い聞かせるように、咲良は──。


「……うん。約束、です。指切り、げんまん、だね……」


 そう言って、笑いながら、泣いていた。

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