第5話 向き合うために
わたしが体育館に戻った時、何やら騒ぎになっていた。するとそこには、うずくまって頭を抱える咲良がいた。
「と、東堂さん……? どうしたの……」
すぐ駆け寄って声をかけたけれど、返事もうまくまとまらないみたいだった。な、何があったの?
「……! せ、瀬野。さん……? わ、わた、私……ごめん、なさい…………」
わたしに気付くと、途端に虚ろになりながら「ごめんなさい」と呟く咲良。何が何だかわからなくて、わたしは何もしてあげられなかった。
「潮見……これ、どういうこと?」
「わかんない……急に東堂さんが倒れちゃって……ずっとこんな調子」
「……やく、そく…………」
ふと、咲良の呟いた一言を、わたしは聞き逃さなかった。だけど、それを問う前に。
「東堂さん!? しっかり!」
咲良は、気を失ってしまった。騒然とする体育館は、バタバタと靴音が忙しなく響いた。
結局その後、咲良は早退した。
午後の授業の間、わたしは気が気じゃなかった。
なんとなく胸騒ぎはするけれど、何があったのかは察しがつかない。ただ、あの体育の授業に見た、青ざめた様子の咲良が、頭に浮かぶ。
どこか苦しそうだった。あんな咲良の姿、初めて見た。
まるで、何か悪い夢でも見たような、恐怖に怯えるような顔。
手に持っていたシャーペンの芯が、バキッと音を立てる。
授業内容なんて、何一つ頭には入らなかった。
☆☆☆
「瀬野」
放課後、通学カバンを肩に担いだ時、立花に呼び止められた。正直、いまは彼女の顔も見たくない。
無視して去ろうとした。けれど腕を掴まれて、止められる。
「あんたさ、東堂のこと、どこまで知ってんの」
「……そっちこそ。わたしが咲良と離れてる間にあったこと、教えてよ」
交換条件とばかりにわたしはそう返した。見るからに顔をしかめて、立花は首を振る。
「……嫌。あんた、性格悪いし」
「ならお互い様。わたしもあんたにあれ以上言う気ないし。……用がないんなら、わたしもう行くけど」
「だけど、一つだけ聞かせてほしい」
「東堂が記憶を失ってから、あの子時々、昔の話をするんだ。子どものおままごとみたいな、『約束』の話」
「…………え?」
「内容は覚えてないって言ってた。なのに、ずっとそれを守ってなくちゃいけないって。……それってさ。あんたのことだったりする?」
「まって、何それ。わたし、話についていけてないんだけど。記憶、失ったって、どういうこと……」
「……やっぱ、そこからか」
はぁ……と、面倒くさそうに、立花は頭を掻いていた。
「ちょっと長くなるからさ……いい?」
わたしは言われるがまま、立花の後に続いた。
案内されたのは、校舎一階の空き教室。少しホコリっぽくて不快だった。
「……中学の時だよ。ちょうどその時期、あたしは東堂と会った。でも、最初は別に仲良くなんてない、普通のクラスメイトだった。だからあの子のことなんて全然知らなかったよ」
環境の悪い場所にもかかわらず、立花は続けた。
「球技大会で、バスケの練習中。あの子の頭にボールが直撃してさ。……ちょうど今日のあたしみたいなことだよ」
「……!」
「一番近くにいたから、あたしはすぐ保健室に連れていった。そのあと、騒ぎになって、病院に運ばれていった」
「病院……!? 咲良は、無事だったの!?」
今の彼女見たら、わかるでしょ、と立花は淡々と告げる。
「それで……あたしが教室に戻ったら、クラスの連中がさ。言ってたんだよ。『ざまあみろ』って。……あの子、いじめられてたって、あたしはそん時、やっと気付いた。……カッとなって、そいつらの顔、はっ倒したことだけは、いまでもはっきり覚えてる」
東堂が記憶無くしたのは、そういうストレスも原因だったのかもね、と立花は付け加えた。
「……わたし、全然知らなかった」
「無理もないよ……咲良が記憶無くしたの、その日からだもん」
中学の頃、なんて、わたしが知る由もないのに。歯がゆさと悔しさで、握りしめた拳に、爪がくい込んだ。
「そのあと、戻ってきた東堂に、言ってやった。あいつら、もうあんたのこといじめたりしないからって。……けど、そしたらあの子。『何のことですか』って」
「あ……」
肩を抱き寄せ、震える声で、それでも立花は続けた。
「病院で検査したら、記憶喪失になったって……クラスで起きたことも、昔のことも、思い出せないって言われて。なんかもう、あたし、バカみたいだけどさ。そん時から、東堂のこと、守んなきゃって思った。ほっといたら、また同じ目に逢いそうで……力に、なりたかったんだ」
「……」
「あたしたちの付き合いってのは……そっからの話。それで……」
次第にままならなくなっていく立花の様子に、我慢ならなくて。
「もういい」
「え」
無理矢理、遮った。
立花は、話す度に俯いていった顔を上げ、わたしを見つめた。込み上げてきたのだろう、立花は、静かに泣いていた。
わたしも、泣きそうになった。
「……もう、良いってば。それ以上は蛇足ってやつ」
「で、でも」
わたしに詰め寄る立花を制して、わたしはきっぱりと、彼女に断りを入れた。
「そっから先は、咲良に直接聞く。……あんたの、感情混じりの言葉に、流されたりしないから」
「……そう」
わたしは、中学時代の咲良を知らない。だけど、立花の言うことを全部真に受けるほど、優しくもない。記憶って、曖昧なものだから。
だけど立花は。咲良のことを本気で考えて、一緒にいてくれていた。咲良の抱えていた不安を、一緒に乗り越えてくれたんだろう。
それだけは、彼女たちの振る舞いを、笑顔を見ていれば、わかる。
なにより。あんな状態の咲良を、わたしは放っておけない。
わたしは、背を向けたまま、立花に向けて言った。
「……でも、ありがとう。あの子のこと、守ってくれて。あんたのこと、誤解してた」
「瀬野……うぅん。あたしも」
立花は、そこで初めて、わたしに笑みを浮かべていた。
「……、わたし、ちゃんと話してくる。咲良と。だって、わたしたち──」
ひとつ、息をして。わたしは言った。
「ずっと、友達だもん」
☆☆☆
咲良のことが知りたい。
わたしはもっと、知らなくちゃいけない。
廊下を歩きながら、わたしは今すぐにでも、咲良と話がしたいと、そう考えていた。
だけど、彼女の今の家もわたしは知らないし、何を聞くべきか、何を伝えるべきかも、わからなくなっていた。
おまけに、外はあいにくの雨模様。
黄昏れていると、パシャッ、とシャッター音がした。
「……そーんな張り詰めてると、相手の心になんか取り入れらんないぞー、って、聞いてないし……。おーい、ポムちゃーん、人の話は最後まで聞きなさーい」
カメラを向けた潮見が、校舎の玄関脇にいたことがわかって、無視して帰ろうとした。でも相変わらずこいつはやかましい。
「うるさいなぁ。わかってるよそんなこと。っつか勝手に撮んな」
「わかってないでしょ」
潮見は苦笑いを浮かべたあと、わたしの肩に手を置いていた。
「っつかあんた部活は」
「写真はいつだって撮れるからね、これも郊外活動の一環よ。それよりも、今は大事なことがあるんじゃない?」
校内じゃん、なんてツッコミは置いておいた。本当に、見てきたように言うなこいつは。
「ほんじゃまぁ、ポムちゃんの一親友として、ここはひとつ大事なことを教えておこうかなー?」
「別に親友じゃないし……」
素直にそう言うと、潮見は大きくのけ反って、オーバーリアクションをした。動きがうるさい……。
「ひっどぉい! 私は結構ポムちゃんのこと気に入ってるのにー!」
「それ、マスコット的な可愛さのこと言ってる?」
「あは、バレた?」
「ムカつく……」
肩を竦める潮見。息をついて、わたしは聞き返した。
「……それで? 大事なことって何?」
「気持ちははっきり、伝えようねってこと。嫌われる勇気、なんて言葉もあるけど、『好き』なら『好き』って、ちゃーんと言わないとね?」
「……、そんな、恥ずかしいこと……」
おやおや? と覗くように目を細めてくる。潮見に手刀をかますと、口を尖らせながらも、続けて言った。
「私はよく言ってるよ? って言うか、ポムちゃんも入学式の時だってめっちゃはっきり言ってたじゃん? なに? あの日の勢いはもうなくしちゃった感じ?」
「……わかったってば」
諦めたようにそう言う。潮見はふふっ、と柔らかく笑うと、
「あ。私調べたんだけど、東堂さんのおうち、空城公園の近くだってさ。住所送っとくね」
「え、なんでそれ……」
「立花さんに聞いた。そんじゃ、健闘を祈る。さらばー!」
そそっかしく、言うだけ言って去っていってしまった。
ただ、まぁ。
今回だけは、まともなことを言われてしまった。しかし、なんだってこいつは、わたしのこと先読みしたみたいな行動ばっか取るんだ?
にょきっ、と帰ったはずの潮見が顔を出す。にやりと笑って、わたしを見ていた。
「早く行ったげな? 愛しの咲良ちゃんの元に、さ?」
「……それが狙いか。はよ帰れ」
だけど。ナイスアシストだよ、まったく。




