第2話 特別でいたい
「……え?」
潮見の言葉に、私の声はひどく間の抜けた音になって漏れた。
約束を、断る? 誰からの誘いも?
「どういう、こと……?」
「文字通りだよ。遊びの誘いも、テスト勉強の約束とかも。あの子、絶対に『先の約束』はしないんだってさ。その場その場のノリで付き合うことはあっても、カレンダーに書き込んだりとかは無し。……ちょっと不自然だよねぇ」
潮見はそう言って、飲み終えたジュースのパックを潰し、吸い尽くすようにストローを噛んだ。
不自然。そんな言葉じゃ足りない。
わたしの頭には、あの日の空城公園が鮮明に蘇っていた。夕暮れの中、小指と小指を絡めて、涙目で笑い合った、あの指切り。
『また再会したら、いっぱいいっぱい、仲良くするって!』
『絶対、忘れたりしないもん!』
あの約束を、咲良はあんなに熱っぽく口にしていたのに。
なのに、今の彼女は『約束』そのものを拒絶しているという。
(……意味わかんない)
ふつふつと、足元から黒い感情がせり上がってくるのを感じた。
わたしとの約束は、あんなに特別だったはずなのに。
今は誰とも『繋がりたくない』ってこと? 彼女にとって『約束』は、そんなにつらいことなの?
「……ふぅ」
息をつき、心を落ち着かせようと努めた。漏れた吐息は自分でも驚くほど、熱を帯びている気がした。
「わたしとの約束は忘れたくせに、今は『約束しないこと』を大事にしてるんだ。……皮肉だね」
「お、怖い怖い。ポムちゃん、目が据わってるよ」
潮見は席を立つと、わたしの肩をポンと叩く。
「ま、あんまり深追いして嫌われないようにねー」
予言めいた言葉を残して、潮見はゴミ箱の方へ歩いていった。
ひとり残されたわたしは、ノートに書き殴った『計画表』を睨みつける。明日、遊びに誘う。その次の日は、一緒に帰る。……全部、彼女が『嫌がっている』ことばかり、ということになる。
視線を、教室の隅へ向ける。
咲良は、相変わらず他の女子生徒に囲まれていた。
ちょうど、何かの話題で盛り上がったらしく、彼女たちの輪から弾けるような笑い声が聞こえる。
「あ、じゃあ今度、駅前にできたパンケーキ屋行こ! 日曜とか、どう?」
周りの子の一人が、そう提案した。
わたしの心臓が、ドクンと嫌な音を立てる。
咲良は──笑っていた。
けれど、その笑顔のまま、さらりと、けれど完璧に。
「あはは、ごめんね。日曜はちょっと、予定が分かんなくて。……また、今度ね」
彼女は、明確な拒絶の言葉を使わずに、『未来』を遮断した。
……どうして? わたしの中に疑惑が生まれる。わたしは知っているから。彼女がどういう性格か。いつだって約束を反故にすることは、彼女に限って、ないということを。
それなのに。
その瞬間。
わたしの中で、何かが決定的に壊れた。
──ずるい。
ずるいよ、咲良。
わたしを忘れて、そんな風に器用に立ち回ってさ。
誰とも約束をしないことで、誰の特別にもならないことで、自分を守ってるの?
彼女が守ろうとしている『何か』が、わたしとの思い出ではない、別の何かであるかのような錯覚。
その正体不明のこだわりが、今のわたしに向けられるどんな冷たい態度よりも、わたしの心をズタズタに引き裂いた。
わたしは、あの子の『約束』という枠の中に、どうしても戻りたい。
たとえそれが、彼女がいま一番嫌がっていることだとしても。
「……絶対に、約束させてやる」
カバンに顔を埋めたまま、わたしは爪が食い込むほど拳を握りしめた。
「忘れてるなら、思い出させてやる。忘れさせてやるもんか。……わたしの名前を、もう一度」
☆☆☆
「ねぇ東堂さん! 今日って暇かな?」
「え」
放課後、わたしはすぐ彼女に声をかけた。誰よりも早く。
「暇……ってわけでもないけど、時間は、あるよ?」
「そっか! ならさ、これからどっか、遊び行かない? 一時間くらい!」
彼女の言う約束がどこまで許されるのか、わたしは試すことにした。まずは、時間制限。
「んー……ごめん、それは無理かな……。お母さんが早く帰ってこいって、うるさいかも」
うぅむ、手強いな……。お母さんとか出されたらさすがに太刀打ちできない。ならば。
「そっかぁ……じゃあじゃあ、帰り道! 一緒帰ろ! それだけでもいいから! わたし、東堂さんと一緒にお話してみたかったんだよ!」
「え、あの、瀬野さん……! ち、近い、ってば……」
ずいずいと距離を詰め、逃げ場を無くすように問い詰める。このくらいなら許されるだろうと踏んだけれど、どうも渋い顔をされていた。
「……、ごめんね、瀬野さん。私、この街のこと慣れてなくて……いつもの道じゃないと、不安だから」
と。
彼女はなんというか、不思議なことを言った。
「……? 慣れてないって、前はこの近くに住んでたはずじゃ……」
「……」
「東堂、さん?」
「……ごめんなさい」
呆気に取られていると、咲良はそそくさと飛び出していった。
「あっ、東堂さっ……。……行っちゃたし」
終始俯き気味で、何かを隠すような素振りが、気に食わなかった。あの頃は、あんなふうな子じゃなかったはずなのに。
「あーあ、フラれちゃったー」
「フラれてないし……ってか、見てたんならちょっとくらいフォローしてよ」
潮見は頭の後ろで手を組んで、けらけらと笑うばかりだった。ムカつく……。
「いや、私の問題じゃないし。あんた単体のことに首突っ込むほど野暮じゃないよー」
「あっそ。まぁいいや、わたしも帰る。潮見は部活、写真部だっけ? 急ぎなよ」
「はいはい。ん、っつかさっきの話、ちらっとだけ聞いてたんだけどさ」
いま首を突っ込まないと言った直後じゃないか? わたしが顔をしかめるのも気にせず、潮見は続けた。
「この街慣れてないってやつ。アレは完全にクロでしょ」
「……やっぱりあんたもそう思う?」
どう聞いたって違和感のある言葉だ。だって彼女が前に住んでいた家は、この足立高校からそう離れてはいない。だから、知らないはずはないのに。
「そりゃ、直接ポムちゃんから話聞いてるわけだしねー。一緒に過ごしてたんなら、なんかしら知ってることも多いはずなのに、あの言い方はちょっと、いやだいぶおかしいね」
「……でも」
それでもまだ、確信に踏み切れていないことに、理由がひとつあった。
「でも?」
「嘘ついてる感じは、しなかった」
彼女の嘘は、昔からわかりやすかった。すぐ耳が真っ赤になるし、質問攻めにしたら呆気なく露呈する。さっき話していた時だってそう。少し頬が赤くなっていた。
だけど、最後に交わしたあの会話だけは、そうじゃなかった。
堂々とはしていないのに、真っ直ぐな瞳があって。一瞬、見蕩れたように止まってしまったんだ。
嘘じゃないと、感覚が訴えていた。
「……なにそれ。幼馴染パワーってやつ?」
「……もうそれでいいよ。幼馴染パワー」
両手を上に力なく掲げ、それっぽいモーションをした。おい、潮見は真似すんな。
「ふぅん。なら……なんか理由があんのかもね。それこそ、なにか特別な理由が」
意味深にそう言うと、潮見は「私はそろそろ行くわ。健闘を祈る。じゃねっ!」と足早に駆けていく。
「……特別な理由、ね」
ひとりごちたあと、わたしは机に置いたカバンを担いだ。
彼女の特別は、できるなら、わたしでいたいものだ。




