05
短中編「堕天使受肉体愛好家の『A』」
毎日2エピソードずつ鋭意連載中!
天使が、右手を俺の方へとゆっくり差し出してくる。掌を上に向け、まるでそこに俺の手を乗せてくれと言わんばかりだ。
再び、俺の身体の中で衝動が渦巻く。
触れたい。触れていいのか。もし触れたことで命を落としても、俺はそれを本望だと思えるだろうか。
いや構わない。今この神なる存在に触れたいと願う衝動は、俺の生への衝動と同質だ。ここで触れなかったら、それは結局死んでいるのと同じではないか。
俺の右手は、磁石が引き合わせるように正確に天使の右手の上へと置かれた。
あたたかい。と同時に、つめたい。
どうしたらこんな感覚を味わうのだろうか。まるで、天使から俺へ、俺から天使へ、交差した熱が同時に行き来するかのようだった。
天使の口から、一段と大きな嗚咽が漏れた。その表情はまるで、ヒトが奇跡を目の当たりにしたときに滂沱の涙を流すような、感情失禁の様相を呈している。
どうしてそんな表情をするのか判らない。俺ごときのヒトに触れただけで、そんな。
にわかに、触れていた手からぬくもりが消えた。
やがて、重ねた天使の指先から黒い染みが天使の右手全体に広がり、手首、前腕、上腕と駆け上っていく。よく見るとそれは染みではなく「黒い光」だった。
自然現象でそんなものを目にすることはない。だが確かにその光は闇をたたえて漆黒に輝いている。
あっと思う間もなく黒い光は右腕から全身へと広がり、全てを覆い尽くした。姿形こそ変わらないものの、全身が黒く輝く天使から神性は失われていた。
俺は重ねていた手を無造作に離し、自らの掌を見つめた。そこには光の名残がある。やがてその光は、溶け込むように俺の皮膚の内側へと消えていった。
俺は再び黒い天使を見やり、漆黒の塊を見下ろしながら訳もなく悦びに打ち震えた。この天使がどうなったのかは、直感で理解していた。
そうだ。この天使は堕天したのだ。
しかも、俺が堕天させた。
男性は生まれながらにして、女性の神性を喪失させる凶器を身体に備えている。
その神秘をかき乱して凌辱できる破廉恥極まりない器官は、排泄と生殖の機能を兼ね備えて俺の下半身にも鎮座していた。
今、そこから脊髄を通って脳髄とをつなぐ一本の神経束は熱を帯び、引き絞った弓のように硬く反り返っているのが実感できた。
十数年の人生において初めて感じる絶大な快感に全身が支配され、この硬直を解き放ちたいと本能が叫んでいた。
直後、堕天使は天に向かって無音で咆哮した。だがそれはヒトの可聴域を越えた音だっただけで、実際には瞬時に衝撃波が発生していた。
俺は欲望叶わず一瞬で後方に吹き飛ばされ、校舎の壁に後頭部を打ちつけて失神した。
その後、受肉した堕天使が何をしでかしたのかをこの目で見たわけではないので、ニュース記事やSNSに載った断片的な情報を統合して記しておく。
秋野ユウヒだったものは、最初の衝撃波で体育館側に面した校舎の窓ガラスを全て粉砕した。
文化祭を満喫していた生徒たちがガラスの失せた窓から見たものは、翼を羽ばたかせて空に舞い上がる漆黒の堕天使。それは校庭の直上五十メートル程で静止し、学校全体を見下ろした。
校庭での催し物に参加していた生徒や教師は、音もなく咆哮する堕天使の頭上で爆発的に大きく膨らんでいく漆黒の光の玉を目撃したに違いないが、その者たちの記録はひとつとして残されていない。
何故なら、直後に落下してきた黒光の玉に飲み込まれ、校庭にいた全員が消し飛んだからだ。
06 へつづく
※タイトルの『A』には3つの意味が?!
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