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嫁に送る手紙

作者: 小娘
掲載日:2026/01/30

今月の短編です

 君はこの手紙の送り主が誰なのか、きっとわかるはずだ。私は私たちのことすべてを教えた。覚えているか、この墨の出どころを?大体は野兎の血だと話したとき、君は仰々しく後退り、顔を白くしたな。あれは可笑しかった。


 君が去ってからというもの、この村での日々は一層単調になった。時間は泥濘に足を取られ、転んでその顔を汚している。それがわざとらしく、どうにも煩わしい。目が覚めてから声をかける相手がいないこと、食事は一人分でいいこと、眠るときに温もりを感じないこと、何もかもが寂しい。君は一体どこに行ったのか。


 いや、知っている。君は確かに、そこに行くのだと言った。はっきりと、繰り返し、そう主張して止まなかった。だから私は君のなしたいようにさせた。今となっては、それは大きな間違いだったのではないかとさえ思う。だが、すべては過ぎたことだ。君は、君の言った通りなら、もう戻ってはこない。


 私は毎日、初めて君を見た日のことを思い出す。君は怯えていた。見知らぬ者に囲まれながら、理解のできないものを何とか形に捉えようとして、その大きな瞳をぎらつかせていた。君が海岸に流れ着いていることに気付いたのは、外れに住む若輩者だったな。そのとき、あの者は君を大層痛めつけた。物見高さから遊ぼうとしただけだろうと長は言ったが、弱きを打つことを楽しんでいただけだろうと私は思う。いずれにせよ、君は確かに我々にとって珍しい存在だった。


 君のことが周知された後で、私たちは慣習に倣って籤を引いた。そのことを、あるいは君は知らなかっただろうか。それは君を迎える者を決めるためのものだった。君が私の元に来たのは、私が先の黒く染まった棒を引いたからなのだ。君は幸運だったかもしれない。少なくとも、私はそう思う。そうでなかったにしても、私も驚きはしないだろうが。


 君は物覚えが良かったな。初め、我々の言葉を知らなかった君は、草木が育つよりも早く多くのことを知り、草木が根を生やすよりも力強くこの地に馴染んでいった。君が一番に覚えたのは、確か「空」だ。ぼんやりと空を見上げている君の横顔は、奇妙に均整が取れていた。だから、私はその光景を忘れられない。


 なあ、私が君に愛着を持つのは、そう可笑しいことだっただろうか?彼らにはとても、君について私が考えていることを打ち明けるなどできなかった。だが、君はわかっていたのだろう?教えてほしかった、行ってしまう前に。私は可笑しいのか?


 こうして筆を執っていると、懐かしい記憶がとめどなく蘇る。そう昔のことではないのに。私が食料の調達に行こうとすると、君は必ずついてきた。君が眠っている間に出かけようものなら、泣き落としが待っているのは必然だった。しかし、君は腕白だったから、私がいないうちに遊び回って、そこここに痣を作っていたな。本当に君が寂しがっていたのか、私は疑わずにはいられなかった。


 それにしても、君は小食だった。仕方がないかもしれない。私たちは森の動物を主食にしていたし、その多くは兎だった。そして、君は兎を偏愛していた、そうだろう?私が面白がって野兎の皮や牙を見せても、君は拒絶するばかりだった。私には、それが一層愉快だったのだ。


 私はよく君を連れて海に行った。君もきっと覚えていてくれているだろう。この島は小さく、周りにも他に島はない。君は、いつも不思議そうに水面を眺めていたな。最果てにある我らが大地は、君には寂しいものに見えたのだろうか?それとも、君は海というものがすべての土地に繋がっていると信じていたから、じっと見つめていれば、故郷が目の前に現れると思っていたのか?いずれにせよ、ここがそう悪いところではないのだと、君が気付いていてくれたらいいのだが。


 君がどこから流れ着いたのかは、見当もつかない。というのは、あり得るか否かの話ではなくて、私が、いや、私たちが、この目で見ることができる以上に遠い海のことを、何も知らないからだ。しかし、君のようなものは確かにこの島に流れ着くことがあった。しかし、変わりゆくものたちは、放っておくと気狂いになるのが常だった。だから、君たちを保護するべく、籤引きも慣習となったのだが。


 あるいは、君たちに似た何かが砂に埋まっていることもあった。それは強張り、動かない代物で、若輩の遊び道具にすらならなかった。放っておくと、それはいつの間にか消えている。だから、私たちは再びそれが流れ着くまで、その存在を忘れるのだ。君がいる間に見せてやりたかったよ。とても気味が悪いから。


 同胞を訪ねるときは、君は特に私から離れなかった。同胞たちは君を見て、よく懐いたものだと笑った。彼らは私を小馬鹿にしてそう言ったのだが、私は悪い気がしなかった。君たちの中では前例がないほど、私と君は仲良くなった。そうだっただろう?


 しかし、少しだけ、親しくしすぎたのではないかと思うこともある。そんなことを言えば、君は悲しむかもしれないが。私は君を可愛がったし、君は私を慕ってくれた。君の覚えたての言葉を使って、私は色んな話をした。君は熱心に聞いてくれたな。君は何とか言葉を返そうとして、だが大抵は上手くいかず、そのせいで涙を浮かべることもよくあった。私が辛抱強く待つということを、初めのうち君はわかっていなかったのだ。


 君の発話といえば、星の見えなかったあの夜を思い出す。嵐の前の夜で、暗雲が空を覆い尽くし、見通しは酷く悪かった。覚えているだろうか?君は珍しく私の隣を歩いていた。相変わらず、その小さな手でひっしと私の腕を掴んでいた。長の元から帰るところだったと思う。長は私たちの関係を訝っていた。その話を受けて、私は君とお互いのことについてしっかりと話すことにしたのだった。しかし、その夜はあまりにも暗かった。辺りを歩き慣れている私でさえ、注意しなければならなかったほどだ。そんな暗闇の下で、君がぽつりと言った。怖い、と。その通りだ、と私は笑った。一層力のこもった君の手の感覚を、私はまだ思い出せるような気がする。


 君があの話をしたのは、いくらか突然のことだった。拙いながら、君はとある場所の話をした。きっと、君の故郷に伝わる伝承の話ではないかと思う。その場所は、我々や君たちの住む土地とは規範が異なっていて、思い立って訪ねられるところではない、と君は言った。そこでものを口にすると、背後にあった道を見つけることができなくなる。私にはその理屈がわからず、色々なことを君に尋ねた。しかし、君には私の疑問が伝わらず、話は有耶無耶になって終わった。あのとき、もう少しよく話を聞いておくべきだった。そうしておけば、ともすれば。


 ああ、どうかわからないとは言わないでくれ。私は君をとても大切に思っていた。同胞に対しても、こんな気持ちを抱いたことはなかったのだ。変わりゆくものよ、君は美しかった。無限の君よ、星々より多き君よ、何故その七色の輝きを私に見せ続けてはくれないのか?君がどんな姿でも、私は一向に構わなかった。君はそのことをわかっていなかった。私と君の間には言葉が足りなかった。仕方のない部分も、あるいはあっただろう。意思疎通が多少なりとも行えただけでも、君はよくやってくれていたと思う。


 だが、あんな終わりは残酷だった。夜風に震える君を腕に抱いていたあの日、君は宣言した。あの場所に行く、と。もうすぐ迎えが来るのだ、と。出会った頃から細く弱々しかった君は、そのときには一層心許なくなっていて、私はそれ故に君をなおさら愛でた。何も口にしなければ戻ってこられるのだろう、と尋ねる私に、君は返事をしなかった。私はその沈黙の意味を取りかねた。君はそれ以上のことを何も教えてくれなかった。そして、次の日には、君はいなくなっていた。


 確かなのは、その迎えとやらが、君の念願だったということだけだ。君は不幸ではなかったし、私との別れは円満だった。ただ、その別れという運命そのものが残酷だったというだけで。それは君たちや、あるいはそう、野兎のように、変わりゆくものたちの有する残虐さと同じものだった。そうじゃないか?


 海がどこへでも繋がっているのなら、君のいるはずのヨメという場所にも、この手紙はいずれきっと流れ着くだろう。もし、そんなときが来たら、きっと君にこれを見つけてほしい。そして、もしまだ何も口にしていないのなら、どうかここに帰ってきてくれ。待っているよ。


                               君の飼い主より


*追伸


 それはそうと、君がいなくなった日、海岸で君によく似たあれを見つけたよ。いつか君に見せようと思ってな。本当に、気味が悪いくらい君に似ているんだ。

今月の短編でした

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