秘密の対話と、約束のヒーロー
ゆるゆると書いてます。
変なところがあれば都度ストーリーに関わらない程度に直しております。
神楽坂の喧騒から少し離れた路地裏。
おしゃれな壁に蔦が這う、落ち着いた佇まいのイタリアンレストランがあった。
店内は温かなオレンジ色の照明に包まれ、昼間のダンジョンの殺伐とした空気とは無縁の、穏やかな時間が流れている。
テーブルを挟んで向かい合うのは、三上ひよりと西川妃那。
探索者と受付嬢。普段はカウンター越しに言葉を交わすだけの二人が、今は一組の若者として、そこにいた。
「……本当に、お待たせしてごめんなさい。まさかあんな風に、ロビー全体に宣言されるとは思わなくて」
ひよりが申し訳なさそうに頭を下げると、妃那はくすくすと、鈴を転がすような声で笑った。
彼女は制服から着替え、柔らかい素材のブラウスに身を包んでいる。その姿は、いつもよりずっと年相応の女の子に見えた。
「いいんですよ。白鷺さんのあの言葉、少し驚きましたけど……でも、おかげで勇気が出ました。こうしてひよりさんとゆっくりお話しできる機会、ずっと楽しみにしていましたから」
運ばれてきた前菜を前に、二人の会話が始まる。
元々、今日の集まりはひよりが提案したものだった。
衝撃の免許取得から今日に至るまで、自分たちがなぜこれほどの短期間で強くなれたのか。
その「秘密」を、信頼できる妃那だけには話しておきたい。
それが、ひよりなりの誠実さの示し方だった。
「俺のスキル……『強欲』や『召集』、そしてこのレベル上げの効率のこと。他の人には、まだ秘密にしておいてほしいんだけど」
ひよりは、自身の職業が「Lv.1チンピラ」から始まったこと、そして敵を倒すだけでなく「精神的な屈服」や「略奪」によって経験値を得る特殊なシステムであることを、包み隠さず話した。
妃那は、ダンジョンや探索者の話が大好きだというだけあって、ひよりの突拍子もない告白を、目を輝かせながら真剣に聞いていた。
「……そうだったんですね。最初はどうなるかと思いましたけど……でも、三上さんが攻略だけではなくて、その力を『誰かのために』も使っているのは、見ていればわかります。神楽坂のみんなが、三上さんの背中を見て変わり始めているんですから」
妃那の言葉は、ひよりの胸の奥を温かく解かしていく。
ひよりにとって、妃那は最初から親近感のわく存在だった。
姉の那奈との繋がりもそうだが、同い年ということもあり、過酷な探索の合間に見る彼女の笑顔は、いつしか心の拠り所になっていた。
「……妃那さん。俺ね、実はいつも、ゲートに向かう時に救われてたんだ」
「えっ……?」
「妃那さんがいつも言ってくれる『気をつけて、無事に戻ってきてくださいね』っていう言葉。あれ、すごく嬉しいんだ。あの一言があるから、どんなにきつい階層でも、絶対に生きて帰ろうって思える。……本当だよ。俺にとって、妃那さんの笑顔は……その、特別なものなんだ」
ひよりは自分の言葉に少し顔を赤くした。 自分でも驚くほど、素直な気持ちが口を突いて出た。
今まで、この気持ちが何なのか自分でもよくわからなかった。恋なのか、あるいは戦友のような親愛なのか。
けれど、今ははっきりとわかる。妃那は自分にとって、守るべき「家族」や「仲間」とはまた別の、唯一無二の、大切な場所――“特別な人”なのだと。
一方の妃那もまた、熱くなった頬を隠すようにグラスを握りしめていた。
彼女にとっても、ひよりは特別な存在だった。
姉のお気に入りとして現れたひよりは、最初は線の細い、放っておけない青年に見えた。
けれど、彼はたった一人で絶望的な状況をひっくり返し、神楽坂という見捨てられかけていた場所を、輝かせた。
彼女にとって、ひよりは物語の中から飛び出してきたような、本物のヒーローだった。
「……三上さん。さっき、言っていましたよね。『攻略をもっとしたい』って」
「あはは……そうだね、今は13層、14層と、どんどん進みたいと思ってるし」
「私も、三上さんには全力で攻略に集中してほしいと思っています。……でも」
妃那は少しだけ、切なげに目を伏せた。
「でも……三上さんが遠くへ行ってしまうような気がして、少しだけ、寂しいって思うこともあるんです。……私、ずるいですね」
「そんなことないよ! 俺はどこにも行かない。攻略を続けるのは……誰かを助けられるような、かっこいい『ヒーロー』になりたいからなんだ」
幼い頃、誰もが一度は抱くような純粋な夢。
ひよりがそう零すと、妃那は顔を上げ、確信に満ちた強い瞳で彼を見つめた。
「……三上さん。もう、なっているんですよ」
「え?」
「私にとって、三上ひよりさんは、あの日からずっと……神楽坂を救って、私を助けてくれた、世界で一番かっこいいヒーローなんです」
その言葉は、ひよりの心を震わせた。
どんなシステムのレベルアップ報告よりも、どんなレアアイテムよりも、欲しかった答えがそこにあった。
妃那の中でもまた、ひよりという存在が、誰にも代えがたい“特別な人”として、心の芯に定まった瞬間だった。
店を出ると、夜の神楽坂には心地よい風が吹いていた。
二人の間に流れる沈黙は、もはや気まずいものではなく、互いの存在を確かめ合うような優しい時間だった。
ひよりは、一歩前に出て妃那を振り返った。
「……妃那さん。これからも、俺はもっと強くなる。もっと上を目指すよ。だから……近くで、応援してくれますか?」
妃那は迷わずに頷いた。
瞳を潤ませながら、けれど満開のひまわりのような笑顔で。
「もちろんです! 私が、ひよりさんの専属受付嬢として、ずっと見守っていますから」
「……ありがとう。……あのね、妃那さん。もし、俺が……誰もが認める本当のヒーローになれたら、その時は……」
ひよりがそこまで言って、言葉を止めた。
「……いや、やっぱりこれは、また今度にするよ」
妃那は、物語の続きを奪われた子供のように、ぷくっと頬を膨らませた。
「えぇーっ! そういうのはずるいです、ひよりさん! 今、言いかけてたじゃないですか!」
「あはは、ごめん。……でも、これは俺のワガママなんだ。……また一緒に、こうして出かけるための『口実』にさせてください。……ダメかな?」
少し恥ずかしそうに、けれど真剣な眼差しでそう言われ、妃那の不満は一瞬で霧散した。
彼女は自分の心臓の音がひよりに聞こえてしまうのではないかと思うほど赤くなり、小さく、けれどしっかりと答えた。
「……はい。……絶対にですよ? 約束、ですからね」
夜の神楽坂の街灯の下、二人は指切りをする代わりに、お互いの瞳を見つめ合った。
攻略の道を進む青年と、それを支える職員。
二人の物語は、まだ始まったばかりだった。
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