緊急招集前夜のひより
ゆるゆると書いてます。
変なところがあれば都度ストーリーに関わらない程度に直しております。
世田谷ダンジョンの外壁が、沈みかけた夕日に照らされて赤く染まる頃。
一日の探索を終えた三上ひよりは、汗と埃を軽く払いながら、いつもの受付カウンターへと足を向けていた。
この時間帯の受付は、どこかほっとする空気がある。
昼間の喧騒が引き、探索者たちの報告もひと段落する頃。
ひよりにとっては、戦場から日常へと戻るための、ささやかな区切りの場所だった。
「三上くん、お疲れ様……」
声をかけてきたのは、西川那奈。
ひよりがまだLv.1で、右も左もわからなかった頃から、このカウンター越しに見守ってくれていた受付嬢だ。
「お疲れ様です、西川さん」
ひよりはいつものように、柔らかな笑顔を浮かべて応じる。
探索者の間では、物騒な二つ名で囁かれていたり、軽視されていたりする彼だが、那奈の中では今も変わらず「癒やしのある可愛い弟」だった。
だが、ひよりはすぐに違和感に気づいた。
那奈の表情が、どこか硬い。
いつもなら自然に笑みがこぼれるその顔が、今日は言葉を探すように視線を彷徨わせている。
「あのね、三上くん……」
那奈は一度、小さく息を吸った。
「明日、支所の最上階にある特別会議室に来てほしいって……上からお達しが来てるの。庁……探索庁の人も来るみたいで……」
申し訳なさそうに、声を落として告げるその様子に、ひよりは内心で小さく息を吐いた。
――やっぱり、か。
「俺、何か悪いことしちゃいましたかね?」
ひよりは首を傾げ、鈴の鳴るような声で笑う。
「ううん! 悪いことなんて、絶対ないよ!」
那奈は、少し強い口調で否定した。
「ただね……最近の三上くん、ダンジョンの周回スピードが異常だって。あまりにも安定しすぎてるって、目をつけられちゃったみたいで……。だから、その……気をつけてね?」
守るように、諭すように。
血も涙もない上層部に呼び出されるのが不憫でならないのだろう。
彼女にとってひよりは、どこまでも心配な弟分だった。
「ありがとうございます、西川さん」
ひよりは、いつもより少しだけ丁寧に頭を下げた。
「大丈夫ですよ。たぶん、ちょっとお話ししてくるだけですから」
その笑顔に、西川さんはようやく安堵したように微笑み返す。
「……本当に、無理しないでね」
「はい」
そう答え、ひよりは受付を後にする。
背を向けた瞬間。
彼の瞳から、温度が消えた。
(――来たね)
探索庁。特別会議室。
理由は、わかっている。
だが、それを悟らせるわけにはいかない。
ひよりは、明日の対策を立てながら、夕焼けに染まるダンジョンを後にした。
………
その日の夕食は、ひよりの大好きなハンバーグだった。
甘く香ばしい匂いがリビングに満ち、テーブルの中央には、母・華世特製の大皿がどんと置かれている。
「今日はちょっと奮発しちゃったぁ」
エプロン姿の華世が、屈託のない笑顔で言った。
その横で、ひよりは箸を手に取りながら、少しだけ言い出しにくそうに口を開く。
「……あのさ。俺、明日……支所に呼び出されてて」
一瞬、空気が止まった。
だが、それを破ったのは、心配ではなく――歓喜だった。
「まあ!」
華世の目が、ぱっと輝く。
「探索庁の偉い人たちと会議だなんて……ひより、立派になったのねぇ」
そう言って、誇らしげにハンバーグを取り分ける。
完全に“出世イベント”だと勘違いしているらしい。
「母さん、それはまだ決まったわけじゃ……」
「いいのいいの。ちゃんと見てもらえるようになったってことでしょ?」
ひよりは苦笑しつつも、胸の奥が少しだけ温かくなるのを感じていた。
この人は、いつだって自分を信じてくれる。
「ひよちゃん、頑張ってね!」
向かいの席から、小春が元気よく拳を握る。
「もし変な大人がひよちゃんをいじめたら、私が走って助けに行くから!」
「それは頼もしいな」
ひよりは笑って頭を撫でる。
「あはは、ありがとう小春。心強いよ」
食卓には笑い声が戻り、ハンバーグが次々に減っていく。
だが、ただ一人、静かに様子を見ている人物がいた。
食後。
コーヒーの湯気が立ちのぼる中で、父・慶一郎がゆっくりと口を開く。
「ひより」
その声に、ひよりは背筋を伸ばした。
大手企業の重役として、数え切れない修羅場を越えてきた男の目だ。
今は探索者ではなく、“社会”の話をする顔をしている。
「重要な会議で最も大切なのは、『姿勢』だ」
慶一郎は、カップを置いて言葉を続けた。
「徹底的に準備しろ。相手が何を疑い、何を求めているかを先読みするんだ。そして本番では、誰よりも余裕を持った表情で、ゆっくりと喋りなさい」
ひよりは、自然とその言葉を噛みしめていた。
「自分の考えを、絶対に届ける。そういう強い意志があれば、言葉は勝手に重みを持つ」
「……余裕と、ゆっくりとした喋り方……」
「そうだ」
慶一郎は、ひよりを真っ直ぐに見据える。
「ナメられたら、交渉はそこで終わる。三上家の男なら、堂々としてきなさい」
ひよりは、深く頷いた。
「うん。わかった。ありがとう、父さん」
家族は誰も気づかない。
この言葉が、明日の会議で――
ひよりの“探索者”としての格を、完璧なものにすることを。
リビングには、いつもと変わらない夜が流れていた。
それが、何よりの救いだった。
………
自室に戻ったひよりは、早速父のアドバイスを実行に移した。 「徹底した準備」――ひよりはサブスクの動画サービスを開き、あるジャンルを検索した。
「……チンピラが進化した『構成員』なら、やっぱり本場(?)を学ばないと」
再生されたのは、映画「アウト平次」。
画面の中では、冷静沈着な若頭が、余裕たっぷりの微笑みを浮かべながら敵対組織を言葉だけで圧倒していた。
「なるほど……。視線の動かし方、指先の置き方。そして『あえて優しく喋る』のが一番怖いんだ……」
ひよりは深夜まで画面にかじりつき、その立ち居振る舞いを脳内に叩き込んだ。
そして、自分の影に向かって語りかける。
「みんな、明日は大事な日だ。【招集】のことは一部話すけど、魔素の吸収システムや【かつあげ】の詳細は秘匿する。……みんな、力を貸して」
影が揺れ、11人の構成員たちの「応!」という静かな咆哮が念話で伝わってきた。
父のアドバイス『余裕を持った表情』。 任侠映画の研究『冷徹な微笑』。
それが「構成員」特有の魔素と混ざり合い、ひよりの知らないところで『威圧 Lv.8』をさらに禍々しいものへと変質させていた。
深夜1時。スマホが震えた。凛さんからのメッセージだ。
『ひよりさん。明日の会議、私も特別アドバイザーとして出席します。安心してください、私がいる限り、あなたの髪の毛一本触れさせません。もし不当な要求をされたら、その場で会議室ごと氷漬けにして差し上げます』
「……凛さんが暴走しないように気をつけなきゃ。それが一番の難問かもしれない」
ひよりは頭を抱えつつも、不思議と恐怖はなかった。
味方はいる。スレのみんなも、そして家族も。
翌日。 ひよりはクローゼットの奥から、父・慶一郎が「いつかお前に」と譲ってくれた、高級な黒スーツを取り出した。 仕立ての良い生地が、ひよりの細身の体を包み込む。
鏡の前に立ち、ネクタイを丁寧に締める。 「察知」スキルを使い、周囲に誰もいないこと、家族がリビングにいることを確認する。
ひよりは、鏡の中の自分を見つめた。 そして、任侠映画で見た、あの「ボスの顔」を作る。
(余裕を持って、ゆっくりと、確実に届ける――)
「……よし。行こうか」
一瞬、前までの「柔和な大学生」は消えていた。 そこにいたのは、11人のファミリーを影に潜め、世田谷の秩序を塗り替えるべく現れた、若き「ひより組のボス」その人だった。
ひよりは静かに部屋を出て、戦場(会議室)へと向かった。
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