「おまじない」という名の呪縛
ゆるゆると書いてます。
変なところがあれば都度ストーリーに関わらない程度に直しております。
世田谷ダンジョン2層、ボスフロアへと続く巨大な扉の前。
ひより班の一行が到着した時、そこには明らかな「変化」があった。
浅野は鉄の隣で、彼の使う魔鋼製のトンファーを食い入るように見つめ、自身の戦闘スタイルへの着想を練り上げている。
穂乃はフウ隊の構成員たちと肩を並べ、戦場を駆ける楽しさを覚えたようで、ひよりにアドバイスを請う瞳は以前よりもずっと鋭く、輝いていた。
そして何よりの変化は、ひよりのスーツの裾を掴んで片時も離れない、寺本栞の姿だった。
1層までの尊大な態度は消え失せ、彼女は浅野や穂乃たちに対し、これまでの無礼を涙ながらに謝罪したという。
今ではまるで幼い妹のようにひよりに付き従う彼女を、ひよりは「よしよし、えらいぞ」と穏やかな笑顔で見守っていた。
(……はは、こういう『わからせ方』もあるんだねぇ)
途中で合流した透は、鉄から事の顛末を聞き、ニヤニヤと愉悦を隠さずにその光景を観察していた。
だが、その背後には「もう一つの変化」があった。
田崎と吉川だ。
彼らはモンスターと遭遇するたびに、逃げ場のない「死のリング」の中で戦わされ続けた。
ボスフロア前に到着した今、二人の瞳からは光が消え、表情という概念が抜け落ちていた。
「田崎くん、吉川くん。大活躍だったけど……大丈夫? やっぱり顔色が悪いよ」
ひよりの純粋な心配に、横に立つ幹部構成員が低く冷たい声で答える。
「ボス、こいつらは『戦う男の顔』になったんです。戦場にニヤついた甘えは不要。これが真の戦士の顔……だよな?」
「……はい……」
力なく、壊れた人形のように返事をする二人。
「それでもやっぱり、疲れているんだよ。……二人とも、後ろで休みながら見学してて? 心配だから」
「ボスの慈悲だ。休め」
やっと「短刀の檻」から解放された安堵で、二人は涙を流しながら後退した。
だが、崩れ落ちた彼らに幹部構成員は最後の一刺しを忘れない。
「……ボスはあの嬢ちゃんを許された。謝罪もしたからな。だが、お前ら。一方は画策し、もう一方は部長という立場でありながら黙認した。下が下手打てば、親が使用者責任で罰を受ける。……な? わかるだろ?」
地獄はまだ終わらない。
その事実は、二人の心臓を握り潰すには十分すぎるほどだった。
そこへ、別ルートを制圧してきた涼の班が到着した。
「ボス、お待たせして申し訳ありません」
「全然いいよ、涼! どうだった?」
涼は誇らしげに、自分に付いてきた5名を見やった。
「これから……ではありますが。こいつらはやれます。大丈夫です」
「よかった……! みんな、どうだった?」
「ライさんとアニキたちから、しっかり教わりました! な、小太郎?」
「はい。一生の宝物になるような、貴重な体験をさせていただきました!」
陽平と小太郎の言葉に、背後でライ隊の構成員たちが嬉しそうに目尻を下げる。
「涼さんに付いていって、本当に良かったです!」
「技術だけじゃない、大切なことをたくさん教わりました。ありがとうございました!」
瑠奈と萌華が深く頭を下げると、涼は珍しく相好を崩した。
「俺はお前らが頑張ってくれたらそれでいい。……今後も何かあれば遠慮なく聞け」
「ハイッ!」
アタッカーの翔太も「自分を信じろ、お前は伸びる」という涼の言葉に、感激して何度も頭を下げていた。
「……で、そちらはどうだったんですか?」
涼の問いに、ひよりは少し困ったように笑いながら、自分の裾を握る栞を見た。
「浅野も穂乃ちゃんも、すごく成長したよ。あとは……」
「涼さんも、ごめんなさい……! 栞、間違ってました。これからはちゃんとしていこうと思います……っ」
ひよりが「よしよし、いい子だ」と栞の頭を撫でる。
その光景を見た涼は、数秒間硬直した後、苦笑いして透を見た。
「ボス……大変言いにくいのですが。……透の言っていたことが、今ようやく分かりましたよ」
わかってはいたが、ここまでとは。
そう言いたげな表情を見せたあと、最後に視線を田崎と吉川に向ける。
「……あいつらは?」
「ああ! 大活躍だったんだよ。オーク相手に頑張ってたんだけど、やっぱり疲れちゃったみたいで……」
生気を失い、抜け殻のようになった二人を見て、涼は察した。
(あいつら、相当絞り上げたな……)
「……では、これでフロアボスへ。如何なさいますか?」
涼が居住まいを正し、ひよりに決断を仰ぐ。
「みんな疲れたと思うし、ボスは俺が1人でサクッと終わらせるよ。田崎くんたちも見たいって言っていたしね」
「承知しました。――お前ら! ここはボスがお一人で討伐される。その目にしっかりと焼き付けておけ!」
ひより組全構成員の整列。
サークルメンバーたちの熱い視線と、魂の抜けかけた視線が交差する中。
ひよりは軽やかな足取りで、2層ボスの待つ大扉の中へと足を踏み入れた。
………
世田谷ダンジョン2層、ボスフロア。
重厚な大扉の向こうに鎮座していたのは、1層のボスをも遥かに凌ぐ威容を誇る『オークリーダー』だった。
かつて1層で、サークルメンバー12名が持てる力を尽くし、討伐した相手。
その上位種である怪物を前に、ひよりは一人、静かに佇んでいた。
(ステータス差がありすぎるから、普通に戦っても一撃で終わっちゃうよね……。それじゃみんなの勉強にならないかなぁ。……よし、それなら!)
ひよりは少しだけ考えを巡らせた後、振り返ってメンバーたちに朗らかな笑顔を向けた。
「みんな、ここまで本当にお疲れ様! 早く地上に戻って休んでほしいから、サクッと終わらせるね!」
その言葉を合図に、ひよりの身に纏う空気が一変した。
「韋駄天」
ひよりが軽く膝を曲げ、重心を落とす。
「――じゃあ、行くよ」
キンッ。
静寂を切り裂いたのは、鋭く、透明な金属音だった。
瞬きを許さぬ刹那。音も、風すらも置き去りにしたひよりは、いつの間にかオークリーダーの背後へと移動し、静かに刀を鞘へと納めた音だけが響いた。
「よし、帰ろう!」
ひよりがこちらを向き、歩き出したその瞬間。
背後のオークリーダーの巨大な体が、縦に真っ二つへと裂け、咆哮を上げる暇すらなく黒い魔素となって霧散した。
戦闘開始から、わずか1秒にも満たない出来事だった。
「……何も、見えなかった……」
穂乃が呆然と呟く。
サークルメンバーたちはもちろん、ひより組の精鋭たちですら、その「神速」の全貌を捉えきれず、言葉を失っていた。
「……はは、また速くなったね、ひよりん」
透が冷や汗混じりの苦笑いを浮かべ、肩をすくめる。
1層で自分たちが総力を挙げて倒した相手より、さらに強大な敵を、塵を払うかのように片付けたひよりの圧倒的な実力。
それを見せつけられた田崎と吉川、そして取り巻きの竹本と山岸は、自分たちがどれほど底知れない化け物に喧嘩を売ってしまったのかを、今更ながらに思い知っていた。
後悔、戦慄、そして自責。
もはや言葉を発する資格さえないと感じた彼らは、ただ深く、深く俯きながら、ひよりの背中について行くことしかできなかった。
………
世田谷ダンジョン地上階。
ゲートを潜り、蛍光灯の光に包まれた瞬間、サークルメンバーたちは一様に安堵の息を漏らした。
だが、その安らぎは長くは続かなかった。
「やっと帰ってきたね! みんな、本当にお疲れ様!」
ひよりが弾けるような笑顔で振り返り、メンバー一人ひとりの顔を覗き込む。
「あっ、そういえば……さっきも確認したけど、今日ここで見たことや体験したことは、俺たちだけの秘密だよ? 誰かに話したり、ネットに書いたりしないって、もう一度約束してくれるかな?」
ひよりの問いに、浅野や穂乃、栞はもちろん、生気を失った田崎たちまでもが、弾かれたように何度もコクコクと頷いた。
「うん、ありがとう! ……でも一応、念のためね。部長の田崎くんと、2年生のまとめ役の吉川くんとは『指切り』をしておきたいんだけど、いいかな? 子供っぽいけど、俺の中で大事なおまじないなんだ」
ひよりが二人に歩み寄る。
田崎と吉川は、心中で「これで最後だ」と自分に言い聞かせた。
こんなふざけた「おまじない」でこの地獄から解放されるなら、いくらでも付き合ってやる。
二度とこいつには関わらない。
二度と、こんな化け物とは――。
「じゃあ二人とも、小指を出して」
促されるまま、二人は震える右手の小指を差し出した。
ひよりの白く細い指が、吸い付くように二人の指に絡まる。
「『針千本』なんて、そんな痛いことはしないけど……約束は、絶対に守ってね?」
そして。
「信じるよ。指切り」
ひよりが囁くように言い、指を離した。
(……やっと終わった。これで、これでこの地獄から解放されたんだ。クッソ、誰が守るかよこんな約束……。あとで裏アカで全部ブチまけてやる。三上の正体も、この異常な連中のことも、全部――)
田崎の脳裏に、どす黒い復讐心が芽生えた、その刹那だった。
「あ、田崎くん。今、良くないこと考えなかった?」
――ドォォォォンッ!!
田崎の視界が真っ赤に反転し、心臓を素手で握り潰されたような衝撃が全身を駆け巡った。
「あ、が……っ!? ぁ……っ!!」
スキル:指切りの【ケジメ】が強制執行される。
脳髄を直接灼くような、強烈な強迫観念。
肺が凍りついたように呼吸ができず、喉の奥からヒューヒューと、壊れた笛のような音だけが漏れ出す。
『裏切りは死』
その不変の理が、全身を刺し貫く激痛となって襲いかかった。
「う、うわぁぁぁぁぁぁ!!!」
田崎は自分の左手を見て、狂ったように叫び声を上げた。
そこにあるはずの小指が、禍々しい「黒い靄」に包まれ、根本から消失していたのだ。
のたうち回り、地面に頭を叩きつけて苦悶する田崎。
その凄惨な光景を目の当たりにし、吉川と山岸は腰を抜かして震え、竹本はその場にうずくまって激しく胃の中の物をぶちまけた。
「田崎くん、約束したばかりじゃん。忘れちゃダメだよ」
苦しむ田崎を覗き込む。
優しさに満ちていたはずのその瞳が、今の田崎には、地獄の王の審判に見えていた。
「わ、忘れてません! 忘れてませんからぁ! 必ず守ります! 絶対に、誰にも言いません!! 助けて、助けてくださいぃぃ!!」
涙と鼻水に塗れ、絶叫しながら許しを請う田崎。
「……なら、良かった」
ひよりが満足そうに微笑んだ瞬間、左手の黒い靄は霧散し、欠落していた小指が何事もなかったかのように戻っていた。
死の淵から生還した田崎は、肩で荒い息を吐きながら、自分の指を何度も確認して嗚咽した。
もはやひよりに対して「裏切る」などという思考すら、脳から焼き切られて消滅していた。
「吉川くん。申し訳ないけど、田崎くんが具合悪そうだから連れて帰ってくれるかな? 山岸くんも、竹本さんを連れて行ってあげてね」
「あ……う、はい……っ」
「みんなも今日は本当にお疲れ様! これからも何か聞きたいことがあったら、いつでも学校で声をかけてね!」
ひよりは軽やかな足取りで、透、鉄、涼という3名の直参を引き連れ、受付の方へと歩き出した。
サークルメンバーたちは、その後ろ姿をただ、石像のように黙って見送ることしかできなかった。
彼らが今日刻まれたのは、尊敬と畏怖。
そして
――三上ひよりという「絶対者」に逆らえば、魂ごと消されるという、恐怖の烙印だった。
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