女帝との別れ、新しい嵐
ゆるゆると書いてます。
変なところがあれば都度ストーリーに関わらない程度に直しております。
秋葉原ダンジョンの地上出口、支所の受付へと続くエントランス。
先程までの鉄と油の臭いが漂う暗がりとは対照的に、そこは清潔な空調の風と、日常的な喧騒に包まれていた。
「あー……。やっぱり地上はいいなぁ」
ひよりが大きく背伸びをしながら、ドアを抜ける。
レベルアップによる肉体の昂揚感は残っているものの、やはり激戦の後の緊張が解ける瞬間は格別だ。
ひより組の一行と、そして東北の女帝、片倉志乃。
一行はそのまま受付窓口へと向かった。
「……お疲れ様です、片倉様、三上様、白鷺様。10層の探索はいかがでしたか?」
窓口の受付のスタッフが、いつもの丁寧な笑顔で迎える。
だが、横に立つ志乃の圧倒的なオーラに、彼女の指先が微かに震えていた。
「うん、無事に終わりました。ただ、ちょっと予定と違うことがあって……。透、お願い」
「はいはい。……これ、今回のログデータ。しっかり確認してね」
透がデータの詰まった記録媒体をカウンターに置く。受付嬢がそれを端末に差し込み、内容を精査し始めた瞬間――彼女の笑顔が凍りついた。
「……えっ? 10層での、スクラップガードナー撃破数……90、8……いえ、100体以上ですか!?この短時間に……?」
「それだけじゃないよ。そのあとのフロアボス、見てくれる?」
透の促しに、彼女の視線がモニターの深部へ向く。
そこに表示された推定サイズと戦闘ログの異常値。
「……嘘。スクラップキメラの、変異……特異個体……?サイズが通常の二倍、魔力出力に至っては計測エラー……?こ、これ、推奨レベル50のフロアですよ!?こんなの、間違いなく……」
「ああ。少なくとも、一般の探索者が対応できる範疇ではないな」
志乃が、腕を組んで静かに補足した。
「おそらく、ダンジョンの防衛システムが過剰に応答した結果だという説かな。これを『10層の主』として放置するのは危険すぎる。即刻、千代田支所の上にデータを送って調査を依頼した方がいい」
「は、はい!! すぐに、すぐに上にあげます! あ、あの、三上様、白鷺様、片倉様……よくぞご無事で……」
「あはは、やっぱり大事になっちゃったかな」
ひよりが困ったように笑い、志乃と顔を見合わせる。志乃もまた、肩の力を抜いて苦笑いを返した。
「済まないな、ひよちゃん。私のせいで、余計な騒ぎに巻き込んでしまったようだ」
「えっ、何言ってるんですかしーちゃん。俺こそ、せっかくの案内なのに、あんな変なのが出てきちゃって……。危ない思いをさせて、本当に申し訳ないです」
ひよりが深々と頭を下げる。その無防備で純粋な「心配」の言葉に、志乃は一瞬虚を突かれた。
自分が『危ない』思いをした?
日本でも指折りの実力者である自分を、この少年は「一人の友人」として心から案じているのか。
「……ふっ、くくく。面白いことを言う。私を、守られるべき弱者として扱ったのは、君くらいのものだぞ。……いや、楽しかった。あんな熱い戦いは、本当に久しぶりだったんだ。礼を言うのは私の方だよ」
志乃が心の底から楽しそうに笑う。
その光景を見て、鉄がニヤリと笑いながら横から口を出した。
「志乃さんも案外、戦闘狂っすね!……あ、そうだ。せっかくここまで仲良くなったんすから、今度はうちにも来てもらったらいいんじゃないすか? どうっすか、ボス?」
「……! それは、その……」
志乃の目が泳ぐ。
透もまた、含みのある笑みを浮かべ、企むような瞳で志乃を見据えた。
「それは素晴らしい名案だね。ひよりん、ぜひそうしてもらおうよ。東北の百傑が拠点に遊びに来てくれるなんて、宣伝効果も抜群だし、何よりひよりんが喜ぶ」
「透まで……。でも、しーちゃんは忙しいし、立場のある方だからね。なかなか難しいとは思うけど……もし、また東京に来る機会があったら、ぜひうちに遊びに来てください。歓迎しますから」
ひよりが屈託のない笑顔で誘う。
志乃は、胸の鼓動が早くなるのを感じていた。
立場、忙しさ、ギルド間のバランス。
そんな大人の事情が、ひよりの純粋な一言で霧散していく。
「あ、絶対に行く!! ……あ、いや。……行く。必ず。時間は何とかする!」
一瞬、いつもの威厳を忘れて食い気味に答えた志乃に、涼と鉄が顔を見合わせて吹き出した。
志乃は真っ赤になりながら、「コホン」と一つ咳払いをする。
「では、私は一度宿に戻る。報告書の整理もあるからな」
志乃は踵を返し、出口へと歩き出す。
だが、自動ドアの手前で立ち止まると、何かを決意したように振り返った。
「ひよちゃん。少し、いいか?」
「え、あ、はい」
ひよりが近寄ると、志乃は周囲を、特に涼や鉄、透にも聞こえないように確認してから、ひよりの耳元へ顔を寄せた。
ふわ、と志乃の髪から香水の混じらない、清潔な香りが届く。
「……本当に、楽しかったよ。ひよちゃん」
その声は、これまでの「百傑・片倉志乃」の、毅然とした姉御肌なトーンではなかった。
もっと柔らかく、どこか甘えるような、等身大の「一人の女性」としての素の響き。
「私はね……今後とも、君と仲良くなりたいの……。だから、次に会った時もみんなの前じゃなくてもいい。せめてひより組か二人の時は……私のこと、『しーちゃん』って呼んでほしいの。……ダメ?」
耳元で囁かれた熱い吐息と、あまりに可愛らしい願い。
ひよりは一瞬、驚きで目を丸くしたが、すぐにその言葉の意味を理解し、最高の笑顔で頷いた。
「もちろんです! ……約束ですよ、しーちゃん」
「……嬉しい。約束ね!」
志乃は満足げに、そしてどこか照れくさそうに微笑むと、今度こそ一度も振り返らずに秋葉原ダンジョンを去っていった。
その足取りは、来た時よりもずっと軽やかだった。
それを見送る透が、横でポツリと呟く。
「……妖怪人たらしが現れたね。あぁ、怖い怖い。討伐命令ださないのかな?この支所は」
「え? 何が?」
「何でもないよ。……さて、私たちも帰ろうか」
秋葉原の夕暮れ。
ひよりたちは、確かな絆と、少しばかり常識外れの戦果を手に、自分たちの居場所へと歩き出した。
………
秋葉原から帰宅したその日の夜。
神楽坂にある拠点のリビングには、いつもの賑やかな声が響いていた。
「……だから、テッちゃんは笑うところが早いんだよぉ!」
「い、いやぁ透ちゃん、そうは言ってもおもしろいじゃんこのコンビ!」
「うるさいぞ。二人とも、少しは静かに観れないのか」
ソファでお笑い番組を見ながらゲラゲラ笑う鉄を、透がいつものようにいじり、それを見かねた涼が呆れたように一喝する。
ひよりは自室でその声を聴きながら、ふっと表情を緩めた。
鉄が直参となって日は浅いが、もうすっかりこの場所の色に馴染んでいる。
構成員時代からどこか憎めない個性があったが、こうして「家族」として溶け込んでくれているのは、主としてこれほど嬉しいことはなかった。
(……しーちゃんも、いつかこの輪の中に混ざるのかな)
ふと、去り際に耳元で囁かれた「約束」を思い出し、ひよりは少し顔を火照らせた。
そんな穏やかな思考を切り裂くように、机の上でスマホが震え出す。
画面に表示されたのは、同じ大学の友人、浅野優吾の名前だった。
「もしもし、浅野? どうしたの、こんな夜に」
『おー、三上? 夜分に悪いな、ちょっと相談があってさ』
電話越しの浅野の声は、いつも通り軽快で、だけど少しばかり申し訳なさそうだった。
浅野はひよりの数少ない大学の友人だ。
彼は探索者サークルに所属しているものの、実態はバイトと飲み会に明け暮れる「幽霊部員」の飲み会担当。
ひよりが探索者としてどれほど異常な領域にいるかなど、露ほども知らないはずだった。
「珍しいね。バイトの相談? それとも大学のレポート?」
『いや、サークルのことなんだけどさ。……お前、うちのサークルの部長、田崎って知ってるか? 経営学部のやつなんだけど』
「田崎くん……。名前は聞いたことあるかな。同じ学年の子だよね?」
『そうそう。そいつがさ、突然俺に「お前の友達に三上っていないか?」って聞いてきてさ……。なぁ、三上。お前、そんなに探索者として有名なのか?』
浅野の問いに、ひよりは少し言葉を濁した。
「有名かどうかはわからないけど……。まあ、一応は頑張ってるよ」
『だよな! 俺はよくわかんねーんだけどさ。田崎が、来週の週末にサークルのメンバーを連れて世田谷ダンジョンに行くらしいんだわ。その時に、同級生のツテで三上に同行してもらって、アドバイスをもらえないかって頼まれちゃってさ』
世田谷ダンジョン。
ひよりにとっては勝手知ったる庭のような場所だが、来週末は予定が入っていた。
「来週か……。今は23区のダンジョンを遠征中で、次は上野に行く予定だったんだけど……」
その時、コンコンと自室のドアがノックされた。
「いいよ」と答えると、透がタブレットを手に静かに入ってくる。
ひよりが通話中であることに気づき、透は気を使って部屋を出ようとしたが、ひよりは手招きして隣に座るよう合図した。
『三上? 大丈夫か? 迷惑ならまた大学で話すけど……』
「あぁ、大丈夫だよ浅野。今、うちの参謀が来てるから、ちょうどいいと思って。……透、来週の上野の探索なんだけど、延期できないかな?」
「おや、珍しいね。ひよりんが予定を変えるなんて、何かあったのかい?」
透が不思議そうに首を傾げる。ひよりは受話口を指さしながら小声で説明した。
「うちの大学の探索者サークルが、俺に同行してほしいって言ってるんだ。友人の頼みだから、なんとかしてあげたいんだけど……どうかな?」
それを聞いた瞬間、透の瞳がスッと冷徹な色を帯びた。
透はひよりの手からスマホを軽く取り上げると、スピーカーモードに切り替えて冷ややかな声を投げかける。
「ふーん……。そのサークルの子たちは、ひよりんが『百傑』だと知って頼んでいるのかな? 君は、百傑という存在が、そんなにホイホイ頼み事を聞けるほど安い価値だと思っているのかい?」
『えっ……!? だ、誰だ!? ……百傑? それってニュースに出てるあの……?』
浅野の困惑した声。ひよりは慌てて透の手からスマホを取り返した。
「透、言い過ぎだよ! ……浅野、ごめんね。でも大丈夫、なんとか調整するから。……透、お願い」
ひよりが真っ直ぐに透の目を見つめ、懇願する。
透は溜め息をつき、やれやれと肩をすくめた。
「わかったよ。ひよりんが決めたなら従うまでだ。……その代わり、私も同行するよ。テッちゃんと涼兄は申し訳ないけど控えてもらってね。ひよりんが舐められるのは、我慢ならないから」
そう言い残すと、透は手を振りながら部屋を出ていった。
ひよりは再びスマホに向き直る。
「……ということで、大丈夫だよ、浅野。来週末、空けるから」
『……三上、ありがとうな。……というか、今の「参謀」って誰だ? さっき百傑とか言ってたけど、まさか……あのお堅いニュースやSNSで話題の『百傑』にお前も入ってるのか!?』
「うん、まあ……そうだね。俺も透も、一応は百傑なんだ。仲間のみんなのおかげだけどね」
『マジかよ……!! すまん、知らなかった! 今でもその凄さはピンとこねーけど、動画やSNSに出てる雲の上の存在だってことだけは知ってるぞ……。それが三上だったなんて……』
「透はああ言ってるけど、俺は浅野と友達だと思ってるから。力になれるなら嬉しいんだよ」
『……三上ぃ!! ありがとう、本当に助かる! じゃあ来週末、世田谷ダンジョンよろしくな! 俺も絶対に行くから!』
「えっ、浅野は幽霊部員だろ? 無理しなくていいよ」
『バカ言うな! 一応免許は持ってるし、何より俺がそんな有名人に頼み込んだんだ、俺が行かないと顔が立たねーよ!』
「そんな気を使うなよ、友達だろ? ……でもまあ、浅野と一緒なのもたまにはいいか。楽しみにしてるよ」
『おう! 詳細はまた大学でな!』
通話を終え、ひよりはリビングへと向かった。
ソファでは先程までの騒ぎが嘘のように、ピリッとした空気が漂っている。
作業中の透、本を閉じた涼、そして神妙な顔の鉄。
「透、さっきはありがと。何か話があったんでしょ?」
「いや、上野の件だったけど、それは後でいいさ。……ひよりん、来週末の件、一つだけ懸念がある」
透がキーボードを叩く手を止め、真剣な眼差しを向ける。
「ひよりんのイメージアップにはいいことだよ。後進の指導なんて、立派な功績だ。だけどね、君は『百傑』なんだ。トップ中のトップなんだよ」
透は言葉を強める。
「世間には隠しているけど、うちにはフウ、ライ、涼兄、テッちゃん……六人も百傑クラスがいる。そんな一大勢力の『ボス』を、関係値もないサークル風情が安々と使い立てるなど、少々無礼が過ぎる。涼兄、どう思う?」
問われた涼は、本を机に置き、鋭い視線でひよりを見つめた。
「……ボスが決められたことなら従いますが。しかし、相手がボスを理解せず、ただの便利屋として扱うのであれば、黙っているわけにはいきません」
「……テツも?」
「当たり前っすよ! ボスは俺たちの太陽なんすから! それを舐めた真似する奴がいたら、俺が黙ってないっすよ!」
仲間の過保護すぎる反応に、ひよりは苦笑いするしかなかった。
「みんな、ありがとう。でも大丈夫だよ、友人の浅野の頼みなんだ。彼は探索者の知識が疎いだけだし、サークルの部長さんも同級生。頼ってくれるなら、応えてあげたいんだよ」
ひよりの純粋な思い。透は再び溜め息をついた。
「君は本当に……。まあいいさ。ただ、もし世田谷の無礼な連中と同じような態度を取るなら……その時は、ね?」
透の口端が、邪悪なほどに吊り上がる。
それに応じるように、涼と鉄からも冷徹な圧気が漏れた。
「大丈夫。その時はその時だよ。それに透も一緒にいてくれるんだろ? 涼とテツは、念のため影に潜んでてほしい」
「もちろんです。何かあれば即座に対応いたします」
「任せてくださいよ、ボス!」
「……ふふ、そうだね。それはそれで、私も楽しめそうかな」
透の「悪い顔」を見て、ひよりは(透は意外とバトルジャンキーなところがあるからなぁ)と内心で呟きつつも、「じゃあ、来週末よろしくね!」と言って自室へと戻っていった。
嵐の予感。
だが、その嵐の中心にいるひよりだけが、いつまでも変わらぬ穏やかな笑みを浮かべていた。
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