メンチ切りの威力
ゆるゆると書いてます。
変なところがあれば都度ストーリーに関わらない程度に直しております。
世田谷ダンジョン1層。
そこは初心者向けのエリアだが、最深部付近ともなれば、群れをなすゴブリンの狡猾さが牙を剥く。
そこに、明らかに「路地裏と場所を間違えました?」と思うような風貌の青年が一人。
ひよりは、昨日のスレ民からの「なめてんのか」という叱咤(と本人は受け取っている)を胸に、鏡の前で特訓した成果を試そうとしていた。
グレーのタンクトップは体のラインを程よく拾い、オレンジのカーゴパンツは暗いダンジョン内で不自然なほど鮮やかに浮いている。
「(……よし。今日はバットに頼らない。対話、つまり『目力』で解決するんだ)」
彼は真面目な顔で、グッと安全靴の紐を締め直した。
その様子を、岩陰から凝視する影があった。
赤城 凛
世田谷ダンジョンを拠点とする有名探索者で、その冷徹な剣筋と頭のリボンをなびかせる姿から「世田谷の剣姫」なんて呼ばれることもある実力者だ。
だが、今の彼女にその面影はない。
「(……いた。私の、煽り虫きゅん……)」
彼女はスマホの画面に保存したひよりの自撮りと実物を交互に見比べ、あまりの「尊さ」に呼吸を忘れていた。
凛は、昨日、たまたま掲示板で見かけたひよりの画像に心を射抜かれ、居ても立ってもいられず「特定」を完了。
隠密スキルをフル活用して、ひよりのいる場所にストー……いや、聖地巡礼(尾行)を続けていたのだ。
ひよりの前に、通常の倍はあろうかという巨体の「ゴブリン・リーダー」が現れる。
取り巻きを三体従え、下品な声を上げて襲いかかってくる。
「(今だ……! お願い、伝われ!)」
ひよりは「逃げ足」を発動し、目にも止まらぬ速さでゴブリン・リーダーの真正面、至近距離へと踏み込んだ。
そして、野球バットを地面に置き――両手を広げて、特訓した「全力のメンチ」を繰り出した。
「…………っ!(渾身の凝視)」
クリッとした大きな瞳を一生懸命に細めようとするが、逆に潤んでしまい、寄せて上げた眉間が切なさを醸し出す。
少し震える唇は、威嚇というよりは「お願い」に近い。
『俺は怒っている! 武器を捨てて、平和に暮らそう!』
その瞬間、空気が凍りついた。 目の前のゴブリン・リーダーは、振り上げた棍棒を止めたまま、文字通り「石」のように硬直した。
(……え? なんだこの可愛い生き物? なにこの子、怒ってるの? もしかして俺、この子を悲しませてる? 守らなきゃ……俺がこの子を、世界から守らなきゃ……!)
『スキル:メンチを切る 成功。対象が「魅了」を伴う完全フリーズ状態に陥りました』
ゴブリンたちは武器を投げ出し、あろうことか、ひよりの足元に跪き、拾い集めた魔石を「捧げ物」として差し出し始めた。
そして、岩陰の凛は――。
「(……っふぐぅ!?!?)」
ひよりの「全力メンチ(天使の上目遣い)」を斜め正面から目撃した彼女は、心臓を直接握りつぶされたような衝撃に襲われた。
鼻からツー、と一筋の鮮血が流れる。 圧倒的な「可愛い」の過剰摂取。
(無理……死ぬ……。あんなの、国が滅びる……。あんな純粋な瞳で……あぁっ、魔石を拾ってる……魔石になりたい……)
凛は膝から崩れ落ち、震える手でその光景を連写していた。
ひよりは、ゴブリンたちが差し出してきた魔石を「和解の証」だと解釈した。
「……ありがとう。伝わったんだね」
ひよりは丁寧に、ゴブリン一体一体と握手を交わそうとしたが、彼らが畏れ多くて震え上がったため、そっと魔石だけを受け取った。
「よし、母さんに報告だ。怪我もしてないし、みんなと仲良くなれたよって」
ひよりは満足げに、軽やかな足取りでダンジョンの出口へ向かう。
その後ろで、ゴブリンたちは彼が見えなくなるまで頭を地面に擦り付け続け、 さらにその後ろの岩陰では、凛が「保存、保存、バックアップ……クラウドにも保存……」と、うわ言のように呟きながら、魂の抜けた顔で倒れ伏していた。
自宅に戻ったひよりは、母さんに笑顔で告げる。
「母さん、今日も無傷だよ。なんだか、みんなすごく優しくしてくれるんだ」
「そう、よかったわねぇ。ひよりの誠実さが伝わってるのね」
親子でニコニコと夕食を囲む。
ひよりのメモ帳には、新しくこう書き加えられた。
『メンチを切る:相手を改心させ、プレゼントをもらえる魔法の平和スキル』
それは、世界唯一の「チンピラ」が、本人の知らぬ間に「魔王をも跪かせる凶悪天使」へと成り上がっていく過程の、ほんの一ページに過ぎなかった。
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