27.私の騎士、最後にひとつだけ約束してください。
夕食には、お花の御礼にとご近所からいただいた料理のお裾分けを並べた。
ご近所との会話をつなぎあわせるに、このひと月の間、テオはいつにも増して身の回りの困りごとを手伝っていたらしい。何々を直してもらった、なかなか帰ってこない子どもを探してくれた、警邏隊に話を通してもらったなどなど、テオの活躍ぶりを聞かされながら手渡されたおかずと野菜は結構な量で、数日は買い物に行かなくても済むかもしれないほどだった。
私は人の間に交じるのが得意ではないから、こうしてテオの交流の一片を聞き知るだにいつも驚いてしまう。暇だったからですよとテオは何でもないように言うけれど、移民である私たちの生活を守るために続けてくれているのだ。もちろん、テオが優しい人であるという前提のうえに立った話なのだけれど。
色とりどりの料理は、故国とは違う味つけのものがほとんどだ。最近はあまり新鮮に感じることはなくなっていたけれど、最初のうちは国境を隔てるとこんなに違うものかと驚いたものだった。
「おいしいわね。こうしていただくと、随分こちらの味に慣れたものだと気づかされるわ」
「ヘルヴェスは香草も多いですからね。食器の絵付けや流行もそうですが、味付けも華やかです」
そうねと頷いた私は、いつ話を切りだそうと考えては落ち着かない気持ちになった。
そわそわしていたのがテオにも伝わっていたのか、食器を重ねていると早めにお湯を使ってはと勧められる。今日はお疲れでしたでしょうと言われるのに、断るのも変だと思う。片付けが……と言うとテオが袖をまくりながら笑うので、先にお湯を使った。テオはゆっくりしてはと言ってくれていたけれど、妙に気が急いてしまう。随分早くに出た私が台所を覗くと、鍋を磨いていたテオは驚いていた。
髪を乾かす間、私は自室にいることにした。時折階下に耳を澄ましては鏡を見て。それから、テオがお湯を使っている気配が届いたのにそろそろと立ち上がる。鏡に映る不安げな自分の顔を振りきるようにして部屋を出ると、うろうろと室内を歩いては立ち止まって。ため息して、お湯を沸かし始めた。
家の中で私に任された役割であるお茶の支度は、私の心を少しばかり落ち着かせてくれる。
身体に馴染んだ手順をなぞるうちに、ふわふわと立つ湯気が頬に触れる。お母様に喜んでほしくてはじめたお茶も、すっかり今の自分に馴染んだ。テオやクラウディア、おばさまをはじめ、私がお茶を淹れるのを楽しみにしてくれる人もいる。幸いなことだわ、と思いながら香草茶を淹れた。
身支度を調えたテオが顔を出したのは、私が二杯目の香草茶を注いだときのことだった。
騎士の習いがそうさせるのか、テオは髪を乾かすのもはやい。私たちは夜に話をすることも多いから、お互いにお湯を使ったあとも寝間着に袖を通さないという暗黙の了解がある。めずらしい習慣なのかしらと思いながらグラスに注いだ水をさしだすと、テオが小さく笑んだ。
「ありがとうございます。この香りは、香草茶ですか? めずらしいですね」
「今日は忙しなかったから。テオも一緒にどう?」
「いただきます。今日は落ち着いてお茶も飲めませんでしたから」
ヘルヴェスの香草茶は、お湯を足しても風味を味わえる。あの国にいた頃なら便利とも思わなかっただろうけれど、今では楽だなと思う自分がいた。お湯を足した茶葉を蒸らしおえると、淡い香りが広がる。
いつものようにテーブルを挟んで向かい合ってしばし、私たちは静かにお茶を楽しんだ。
さっき落ち着いてきたばかりだというのに、うっすらと緊張が募っていくのがわかる。いやだな、と遠くの方で思った。ふ、と吐息が落とされたのに、私はテオを見る。
「気疲れされたのではと思っていましたが、俺が思っていたよりも平気そうで安心しました」
少し考えて、私は近所の人たちと話したときのことを思い出す。
「そうね。私が勝手に身構えていたところがあったのかもしれないと思って……。これからは、私ももっと人と交流しようかなと思っているのよ。ずっとあなたに任せきりにしていたでしょう」
無理してないわと言い添えると、テオが眉を下げる。
「そんなことはありませんよ。俺だって無理はしていません」
「知ってるわ。ただ、そうね。城で過ごしている間に、もう少し周囲と関わってもいいのかもしれないと思うようになったのよ。今日近所の人と話したときにも思ったのだけど、傷つくのを恐れすぎていたのかもしれないと思って」
テオは静かに話を聞いて、それからゆっくりと顎を引く。
「あなたが自分を守ってこられたのも、これから変わっていこうと思うのも、素敵なことだと思います。……でも、頑張りすぎないでくださいね」
「大丈夫よ。あまり閉鎖的になるのもよろしくないと思ったの」
テオは本当だろうかという気持ちと、心配しすぎてはいけないという気持ちがない交ぜになったような表情をした。本当に優しいひとだと思う。
――もし何かあったら、テオに言うわ。
いつもだったら、私はそう言葉を継いでいただろう。テオが私のことを心配してくれるたびに、私はそんなふうに言ってきた。でも、実際に困ったことがあったときも強いて彼に告げたことはない。テオに話をするのは、本当に困ったときにするべきだと感じていたから。
いまも同じ言葉が口を突いて出ようとして、私は唇を合わせる。
言葉を呑み込んだまま、膝の上に置いた左手の先が冷えているのを感じ取る。ゆっくりと手を握り込んだ。
ああ今なのかもしれないという瞬間が訪れたのに、胸の奥がさみしく軋んだ。
頭の中で、言おうと思っていることをゆっくりと諳んじる。きっと、言える。笑って言える。
たぶん、テオのことを悲しませてしまうだろうなという予感があった。
でも、これ以上曖昧にしてはおけない気持ちのほうが強くもある。身勝手だろうかと思いながら、握り込んだままでいた手をそっとほどいた。
「あのね……」
囁くと、思いのほか自分の声が擦れて聞こえた。テオの顔を見ていられなくて、曖昧に視線をはずそうとして。それでも、逃げてはいけないと思って優しい瞳を見た。
「大切な話をしたくて」
ようやくのことでそう切り出すと、テオは静かにはいと言う声が届いた。
テオが私の言葉を待ってくれている間、私は口を開きかけては閉じて、じっと自分の膝を見つめる。もう始めてしまったのだから、最後まで言わないといけないのに。
最後。内心呟いて、私は何とはなしに笑ってしまった。
そう、そうだった。
「帰っていらっしゃってから、ときどきセシルがつらそうな顔をするのが気がかりでした。これからなさるお話が原因なのですね」
「もう。すっかりお見通しなんだから」
「……俺に関係のあるお話でしょうか?」
うんとも言えずに頷くと、テオが静かに立ち上がった。
ほとんど足音を立てずにこちらへ歩いてきた爪先が、少し距離を空けたところで立ち止まり、ゆっくりと床に膝を突く。避けようと思えばできるくらいの適切な距離を空けて、顔を覗き込んでくるテオを見て、私はどこか懐かしい気持ちがした。ヒルデガルトなら、騎士である彼にとって自然なこの所作をきっと何とも思わないまま過ごしただろう。でも、セシルとしての私は少しずつさみしく思うようになっていた。
そっと右手を差し出すと、すぐにあたたかい手に受け止められる。騎士らしいその所作はよどみなく、いつものように私に安堵をもたらした。
不思議なことに、この瞬間、重ねられた手も膝の上に置いた手も震えてはいなかった。
「話をする前に、最後にひとつだけ約束してほしいことがあるの」
「はい、何でも」
躊躇いもなく頷いたテオは、一拍遅れて最後? と呟く。
テオの困惑を察していながら、私は彼と視線を合わせ続けることで続けられようとした言葉を封じた。
「騎士セオフィラス。あなたの主として、最後に望みます。今この瞬間からは、私の騎士としてではなく、ただのテオとしての考えを聞かせてください」
テオの整った眉が顰められて、困惑を伝える。
「セシル? 心配なさらずとも、俺はいつだって俺としてお話ししていますよ」
「約束、してくれる?」
心配そうにしながらも、テオは深く頷いた。
優しいひとだと思いながら、私は約束しますと囁く声を聞いた。
なかなか話を切り出せない理由は、自分が一番よくわかっていた。
この期に及んで、私はまだ欲しいのだ。この関係がどうなったとしても変わらず一緒に暮らしていけるという保証が。
視線を重ね合わせると、青い瞳が私を見返してくる。柔らかく影を落とす前髪の下、繊細な睫毛の下に覗いた瞳は穏やかで優しい。
テオという人の心が伝わってくるまなざしに背中を押されるようにして、私は悩んでなやんで決めたことばを口にする。
「騎士セオフィラス。王女ヒルデガルトは、貴方の長きにわたる献身に心から感謝しています。同時に、私のもとに貴方を長く留め置きすぎたと悔やんでもいます。貴方も知っているように、王女ヒルデガルトは葬られました。私は名ばかりの主でしたが、もうその名も効力を持ちません。よって、私と貴方の誓約も終わりにするのが順当です」
ずっと喉につかえていたことを口にするのは不思議なもので、一度勇気を振り絞った後はするするとことばが連なっていく。あんなに恐れていた瞬間だというのに、胸には穏やかなさみしさが満ちるばかりで、どこかほっとしている自分がいた。ただ、触れあったままの手が震えないことだけを願った。
見つめた瞳は、どうしてというほど透明な表情を湛えていて綺麗だった。
辛抱強くて優しくて、いつだって私を尊重してくれる瞳は、彼の心そのもののように思われてならない。私が知るものすべてをかき集めても敵わないくらいに、得がたくて素敵なもの。私の、欲しいもの。
「いままで、本当に長い間そばにいてくれてありがとう。王女ヒルデガルトは貴方なしには生き存えることはできず、安寧を得ることもなかったでしょう。どうかこれからは、貴方の人生を歩んでください。
……さあ立って、貴方はもう私の騎士ではないのだから」
私は意識して、唇をつりあげる。どうか少しでも綺麗に、幸せに見えるといい。
祈るような気持ちで、私は微笑んだ。




