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私の騎士、最後にひとつだけ約束してください。 【全年齢版】  作者: ななな


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26/30

26.賑やかな訪問

 目覚めたのは、真夜中を少し過ぎた頃だった。

 お酒を飲んだとき特有のふっつりと糸が切れたみたいな意識の目覚めの中で、柔らかな寝息の音が聞こえた。触れあった肩のあたたかさをたどるように首をめぐらせると、ぼやけていた焦点がふわりと定まる。私はつくづくとテオの顔を見つめた。


 たまに夜更かしをする日もあったけれど、テオの寝顔を見るのは何年ぶりだろう。

 一緒に旅をしていた頃だって、テオは遅く寝るのにいつだって私より早起きだった。睫毛の影が落ちた目元は彫りが深く、すんなりと線を描く瞼は綺麗で。いつも思慮深く伏せられる目が閉じられていると、少しだけ国を後にしたときの名残が見えるような気がする。


 長めの前髪がおちかかるのに、気づけば手を伸ばしていた。触れるか触れないかのところで、形のよい瞼が震えた気がした。そっと指を握り込んだ私が息を潜めて見つめる先で、薄い皮膚が微かに動いている。少しだけ迷って、テオの肩に触れた。


「……テオ、起きた?」


 は、と短く息を吐いたテオがぱっと目を見開いて、身じろぎした。無意識にだろう、腰元に回された手が剣を探して、一瞬遅れて青い瞳が私を視界に入れる。


「私たち、あのまま寝てしまったみたい。真夜中よ」

「はい。ちょっと飲み過ぎましたね」


 照れくさそうに笑ったテオが、水を取って来ますと言って立ち上がる。それで、眠っている間そばにあったあたたかさがふわりと離れた。

 私は、テーブルの上に置かれたままの二脚のグラスを見る。私のグラスにはほんの少しお酒が残っていて、テオのグラスは空いていた。普段ならテオは私が眠ったら部屋まで運んでくれるから、きっと前後するように眠ってしまったんだろう。まだ少し、身体に眠っていたときのぼんやりとした熱が残っている気がして指先で頬の線をたどった。酔いは引いているようだと思っていたら、目の前に水を注いだグラスが置かれる。


「ありがとう」

「いえ。俺も飲みたかったですから」


 微笑んだテオの表情は少し眠そうで、整った顔立ちに柔らかさが混じる。つられて、私もあくびが出そうになって手のひらで口元を覆った。


「もう寝ましょうか。明日……というか、今日ですね。昼過ぎまでゆっくりお寝みになってください」

「さすがに寝すぎじゃないかしら」

「きっと、ご自分で思っているよりもお疲れですよ」


 起きたらパンケーキを焼くという話をしながら歯を磨いて、一緒に二階に上がる。

 私が扉を閉めるのを確認した後、少しして、隣の扉が開く気配が届いた。耳を澄ませても、物音は聞こえない。そう、彼はただでさえ挙措が静かなひとだった。


 久し振りに横たわるベッドは、日向の匂いがした。城の客室ほど柔らかく身体は沈まないけれど、意識しないところで身体が安らいでいくのがわかる。だからすぐに眠れるものだと思ったのに、私はうとうとと微睡んでは目覚めるのをくり返していた。


 何度目かの微睡みから醒めたとき。夜のさみしさが忍び寄ってきて、私は少しだけ泣いてしまった。

 そうして、ヒルデガルトであった頃に天蓋の暗がりで同じように泣いたことを思い出す。乳母も女官もいない夜の天蓋の内側でだけ、私はひっそりと自分のために泣くことができた。


 そんな小さな記憶は、とりたてて思い出すようなものではなかったのに。今更のように過去から悲しみが追いかけて来て、通り過ぎてゆく。遠くの方で、ああと納得する自分がいた。テオがヒルデガルトに心を掛けてくれていたと知って、ようやくあの頃の私のことを悲しんでもいいのだと感じた気持ちが思い起こさせたのかもしれなかった。


 遠い過去から滲んだ涙は、そう長くは続かない。自分の弱さに驚きながらも、悪くないという気もした。ヒルデガルトだった頃には知らなかった感情だ。


 でも。起きたら、泣くのはしばらく我慢しないと。

 泣きながら話をしたら、きっとテオは私のために何でも譲ってくれようとするだろうから。


 先に泣いておけば、冷静に話ができるかもしれない。などと考えていると、鳥の声が聞こえ始めた。いっそもう起きようかと思いながらうとうとした私は昼過ぎまでベッドの上で眠っていて、もちろんテオも起こしにくることはなかった。



 今日は、テオと話をする日だ。

 そう覚悟を決めて身支度をして階段を降りたはずが、どうしてというくらいに落ち着いて話ができる時間が訪れなかった。


 最初に玄関の扉を叩いたのは、おじさまの家からの遣いだった。

 顔見知りの従者が両手に携えていたのは、籠いっぱいの果物とおばさま手作りの焼き菓子、そしてぎりぎり片手で持てるくらいの大きさをした花束だった。従者が「ドミニク坊ちゃんからです」と言うのに受け取って良いものか迷っていると、よろめいた従者を見かねて、テオがいかにも重たそうな花束を受け取った。従者はあからさまにほっとした顔をして、「落ち着いた頃に遊びに来てほしいと旦那様から言付かっています」と言って帰っていった。


「これほどの花に足るには、家にある花瓶は少ないですね」

「そうね。ご近所にお裾分けしましょう。……これでも、心配していたのよ。ひと月も城で過ごしたものだから、生活の感覚がずれてしまっているかもしれないって。でも、そうではなかったみたい」


 貴族の感覚では見事な贈り物なのだろうけれど。と思ったところで、私は言いすぎてしまったかもしれないと気づいた。そっとテオを窺うと、丁寧な手つきで花を選り分けている。目が合うと、テオはいたずらっぽく笑った。


「俺たちは、なかなかうまく移民として暮らせているということですね?」

「ええ。坊ちゃんには悪いけれど」


 リボンを畳んでいると、テオが何でもないような口ぶりでこんなことを言った。


「坊ちゃんとは、何かお約束がおありなのでしょうか」


 黙っていると、遅れてこちらをみた瞳が一度、大きく揺れた。私が傷ついた顔をしてしまっていたせいだろう。


「セシル? 何か、いやなことがありましたか?」


 唇を噛むと、手を拭いたテオが近づいてくる。

 首を振った私の顔を覗き込もうと身を屈めたテオは、ゆっくりと囁いた。


「もしセシルにとっていやなことがあったのなら、教えてください」


 そんなの。勢いのまま言葉を話してしまいそうになって、私はため息する。

 

「テオは、坊ちゃんが私に気持ちを伝えると直接聞かされていたのでしょう? 坊ちゃん、あなたが何も言わなかったと教えてくれたの。それが一番いやだったわ」


 テオの顔をうまく見ることができない。今日は大切な話をする日なのに、いやなことを言ってしまう。

 家事をするのにかけていたエプロンの裾を握ると、テオの手が迷ったように近づいて、そっと落ちるのが見えた。


「それは……申し訳ございません。坊ちゃんがあなたに告白すると言ってきたとき、俺がセシルの気持ちに意見を申し上げるのも、セシルのためだからと勝手にあなたへの想いを退けるのも違うと思っていたんです」

「あなたはきっとそんな風に考えるとわかっていて、でもさみしかったの。……将来の約束なんて、誰ともしていないわ」


 ――私が大切に抱えている約束はたったひとつ、あなたの主でいることだけなのに。


 何を言おうとしても、うまく伝えられそうになくてもどかしい。結局のところ、テオに騎士の誓約を解消しましょうと話さないことには、言いたいことを伝えるのが難しいのだ。……でも、贈り物の花束を分けながらしたい話でもない。


 テオが何かを言おうとしたとき、再び扉が叩かれた。近所の人の声が届いたのに、逃げるように玄関の扉に飛びついた私は、あっと大きな声が聞こえてから自分の髪の色が変わっていることを思い出す。

 テオがテーブルを修理した御礼にと野菜を持ってきたという近所のおばさまに簡単に事情を話していると、入れ替わり立ち替わり近所の人が顔を出して、次々と挨拶がてら話を聞きにやってくる。


 同じ説明をくり返すついでに花を分けるうちに、自ずと私の説明はどんどん簡略的なものになっていく。近所の人たちはへえと驚いた顔をしたけれど、それ以上に深く事情を問いただしてくるようなことはなかった。恐れていたほどのことは何もなく、私は「お城に行ったけれど、目立つから髪を染めていただけとわかると帰されたの」という話をするだけでよかった。なあんだ、というくらいに。


 それで、私は自分が勝手に近所の人たちとの間に線を引いていたことに気づかされた。確かに皆話を聞きたがってはいたけれど、それは好奇心を埋めるためというよりは、しばらく姿を見せなかった顔見知りを気に掛けてくれていたからだと感じたから。


 テオは黙って私の隣に立ち、時折同じところを巡りだした会話に短く口を挟んで終わらせたり、一歩進み出てにこりと微笑んだりした。そうすると、不思議なくらい自然と会話が終わったり、私の顔を近い距離で覗き込もうとした人が一様に気まずそうな表情をしたりする。気圧された人たちが一歩下がると、テオはにこやかに花を手渡して見送るのだった。


 そうしたやりとりを幾度もくり返して、ようやくご近所の好奇心がひとしきり満たされると、私たちは扉を閉めることに成功した。生まれや故国への詮索はなかったとはいえ、思わず長いため息が漏れてしまうのもしかたない。


「……ありがとう。あの調子だと、私がいない間は説明に苦労したでしょう」

「いえ、それほどでは。しかし、さすがに少々慌ただしかったですね」


 ふとテーブルに目をやったテオは、気まずそうな顔をした。

 テオの視線をたどって、私はあれだけあったはずの花がすっかり姿を消しているのに気づく。ドミニクには申し訳ないけれど、少しだけ笑ってしまった。


「たくさん話をしたから、喉が渇いたわ」

「セシルには敵いませんが、お茶を淹れましょう」

「うん。……さっきは、ごめんなさい。一方的にあなたを責めるようなことを言ったわ」

「そんなふうには聞こえませんでしたよ。むしろ、俺のほうこそうまく言葉を選べませんでした」


 ううんと首を振ると、テオは私がいまどんな顔をしているのか確かめるように視線を重ねてきた。

 テオの目を見つめ返すと、安堵したように優しい視線が顔を撫でる。

 轍の音が聞こえてきたのは、私たちがどちらともなく微笑んだときだった。ふたりで黙って扉の向こうを見、それから耳を澄ませて。そっとカーテンをかきやって窓の外を見た私たちは、どうやら今日はなかなか落ち着けないようだと悟らざるを得なかった。



 町馬車から降りてきたのは、お忍びでやって来たディートフリートとクラウディアだった。

 足りない椅子をご近所から借りて慌ただしくお茶の支度をするうちに、どうやら近衛騎士を撒いてやって来たようだとわかって、私は唖然としてしまった。それで近衛に報せをしに出かけたテオが戻るまで、私は大変ひやひやしながら過ごさなければならなかった。


 当然のことではあるけれど、近衛隊長が少数の部下を率いてやって来るまでにさほど時間はかからなかった。どうやらよくあることらしく、近衛隊長の小言を聞き流すディートフリートの横顔はあまりにも平然としていたものだから、なんだかおかしかった。


 それでも、近衛隊長はディートフリートのご機嫌をとることを忘れなかった。お三時になるまでは自分が護衛をすることで王太子の希望を尊重し、手配していたのだろう目立たない馬車が到着すると婚約者たちに帰りますよと告げた。あまり邪魔をするものではありませんよ、という近衛隊長の小言などディートフリートはどこ吹く風で、テオに近衛に来るようにと何度目かわからない勧誘をしていた。

 そればかりは殿下に同意ですねと頷く近衛隊長と、出世欲がないわけではないと控えめに伝えるテオを横目に、クラウディアがそっと囁いた。


「セシル、今日は突然ごめんなさい。でも、わたくしもセシルに会いたかったものだから」


 ただの移民に戻った私が、自分からクラウディアに予定を訊ねるのはおかしい。次に会えるとすれば、クラウディアのほうから連絡してくれてからのことになる。

 でも、クラウディアはこれから婚約とその先の成婚に向けて忙しい身だ。既に城の奥向きを預かりはじめている彼女の忙しさを思うと、会えたとしても先のことだと思っていた。だから、今度は私が一歩踏み出す番だという気がした。


「びっくりしたけれど、思いのほか早く再会できてうれしかったわ。……またね、と言ってもいい?」

「もちろん! 休日ならお誘いしてもいいのよね? 必ず手紙を送るわ」


 破顔したクラウディアは大輪の花のようで、とても眩しかった。ぎゅっと抱きしめられたとき、ディートフリートのやきもち顔が見えたけれど……気にせず、薔薇の香りのする身体を抱きしめ返す。


 静かに身体を離したクラウディアは、私をまじまじと見つめたかと思うと、真珠のドレスはあまり役に立たなかったようねと笑った。あっ……と声をあげた私に、クラウディアはくすんと肩を竦める。


「ねえ、勇気を出して。貴女が応援してくれたときのわたくしのようにね。

 もし、本当にもし……全くそうはならないと思うのだけれど、もしこの家に居づらくなったら、わたくしのもとにおいでなさいよ。匿ってあげるわ」


 私にしか聞こえないだろうささやかさでそう言ったクラウディアは、しびれを切らしたディートフリートが呼ぶ声にはいはいと応える。馬車に乗り込みざま、私に向けて大きく手を振るクラウディアの仕種には彼女の素なのだろう溌剌とした魅力に満ちていて、可愛らしかった。


 急な客人を見送り、近所から借りた椅子を返し終えてひと息つく頃には、日も随分傾きだしていた。


「もう今日は、何があっても客人を出迎えないことにしましょう」

「本当に。なんだか嵐のようだったわ。ちょっとゆっくりしたいわね」


 慌ただしくてならなかったけれど、ずっとふたりでいたらいつどのように話を切り出そうかという迷いで頭がいっぱいになってしまっていただろうから、却って良かったのかもしれない。


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