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私の騎士、最後にひとつだけ約束してください。 【全年齢版】  作者: ななな


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25/29

25.あなたには言わないと決めていたこと

 夕食にはシチューを作ることになった。

 プディングを食べながら、城でじゃがいもの皮剥きを練習したと話をしたからだ。


 するりと剥かれた皮がとん、と流しに落ちる。相変わらず手の力はないけれど、刃先の当て方や動かし方が馴染んで、ゆっくりとならきれいに皮を剥けるようになった。

 ほら、と私はほとんど削れていないじゃがいもをテオの方にむける。傷跡がないか確かめるように私の指先を見つめていたテオは、ふむと頷いた。


「たくさん練習なさったのですね。すごくお上手です」

「でしょう? もっと早く練習を始められたら、もっと上手になっていたはずよ。でも、近衛隊長が随分渋って許してくれなかったものだから」

「それはそれは。近衛隊長としてはかなり譲歩したつもりですよ。厳格な方ですから」

「じゃがいもの芽が嫌いと言ったら、そもそも皮剥きなんてしなくていいと呆れられたわ。おまけに、さんざん下手だへただと言ってくるの。自分でもわかってはいるけれど、腹立たしかったものよ」


 渋い顔をした近衛隊長を思い浮かべでもしたのか、テオが笑った。

 ゆっくりとじゃがいもの皮を一つ剥き終えた私の隣で、テオもまた包丁を手にとる。じゃがいもは私に任せてくれるらしく、するするとなめらかに剥けていくにんじんの皮が軽い音を立てて流しに落ちた。


「そういえば、騎士団で林檎を分けてもらったときに料理の話になったんです。俺が料理をすると言うと大変驚かれてしまって。皆、果物の皮剥き程度しかしないのだそうです」

「ヘルヴェスは緩やかなようでいて、男女や身分の隔てがはっきりしていところがあるものね」


 近衛隊長と私を見比べながら付き合ってくれた女官たちもはいいお家のお嬢さんだから、皮剥きをしたことのない人のほうが多かった。私がじゃがいもを取り落とす度に女官たちは大騒ぎをしたものだけれど、根気強く付き合ってくれたと思う。おかげで、左手から力が抜けることはあっても、あまり怪我を怖がらずにいられるようになった。


「はい。セシルと一緒に練習してきたのだと説明しても、あまり理解を得られませんでした。でも、俺にとっては大事な時間ですし、一緒に作った料理を食べるのは素敵なことだと思います」


 小気味よい音を立てながらどんどん切られていくにんじんを見ながら、ふと。私は、おじさまから林檎の皮剥きを教えようかと言われたときのことを思い出した。

 おじさまの言い方とテオのことばでは、受ける印象がまったく違う。もしかすると、あのときおじさまは敢えて嫌な言い方を選んだのかもしれなかった。


「あなたの縁談のお話が出たときね、おじさまから私たちは依存していると言われたのよ」


 にんじんを切る包丁の音が止まった。眉を顰めたテオがこちらを見たのに、私は首を振る。


「いいのよ、間違ってはいないもの。私はあなたがいなければ、こうして平穏に暮らせてはいなかった」

「いいえ。セシルは前を向いて、一緒に歩いてくださいました。国を出るのだって、あの頃のセシルと同じ年頃の子供の大半が泣き出して立ち止まるだろう距離です」

「一緒に歩いてくれる人がいたもの」


 みっつめのじゃがいもの皮を剥き終えた私は、懐かしさにこそばゆさをおぼえる。

 あのときは後ろを向いてはいけないと思っていたし、手を引いてくれる人に迷惑をかけたくなくて足を止めるなんて考えつきもしなかった。それに、ときどき負ぶって貰っていたのだ。


「……城で皮剥きの練習をしたのは、おじさまの言葉が悔しかったからよ」

「セシルは苦手なことでも頑張り続けようとしますよね。ときどき心配してしまいますが」


 八年も一緒にいたから、私はテオが何を思いだしているのかわかるような気がした。

 おじさまが働き口として商家を紹介してくださったのは、貴族の娘には仕事が向いていないと教えるためだったと聞いている。商家の主は、あえて難しい仕事を与えてほしいと頼まれていたそうだ。たぶん、おじさまは私が音を上げることを期待していたのだろう。たしかに、お金の管理について教わっていなかった私にとって、経理の仕事は思っていた以上に大変なものだった。


 私がすべてのじゃがいもの皮を剥いて切り終えたときには、ほかの下ごしらえは既に済んでいた。それどころか、テオは細々とした計量まで終えている。やっぱり、まだまだ彼には追いつけない。


 手早く鶏肉を焼くテオの隣で、鍋に野菜と水を入れて火に掛ける。煮立ってきたところで、テオが牛乳と鶏肉を入れた。くつくつと煮る間に、テオが柔らかくなったバターと小麦粉を練り混ぜる。

 私がまたダマにならないかしらと心配したのがわかったのか、テオが大丈夫ですよと笑う。その言葉通り、鍋を覗き込んでもダマの気配はない。どんな食材もテオの手にかかるとすんなり言うことを聞くのだから不思議だ。煮汁でバターを溶かし入れるテオの手つきはすべらかで、どこか優美でさえある。


「ねえ、テオにも苦手なことがある?」

「もちろんありますよ」


 よほど疑わしげな顔をしていたのか、テオが小さく声を立てて笑った。


「自覚はなかったのですが、俺には貴族の感覚が抜けきらない部分があるようで、最初のうちは騎士団でも揉めごとを起こしてしまいました。今でも、移民なのに態度が大きいと指摘されることがあります」

「そうなの? あなたの態度が大きいのだったら、大半の人は粗野ということになってしまうわ」

「俺としても否定はしませんが、生まれの名残はどうしても捨てきれないものがあるようでして……」


 シチューをかき混ぜるテオの横顔を見ていて、私はひっそりと気づいた。

 私たちはその日あったできごとも給与も見せ合う仲だけど、たぶん、テオも私も互いを心配させるようなことは言わないと決めていたのだろう。こういう話ができるようになったのは、城での一件があったからだ。


「……たぶん、私も商家で少し浮いてるわ。移民にしては大きな仕事をしているし、所作が気取って見えるみたいで。どう直したらいいかよくわからないのよ。一緒ね」


 私とテオは顔を見合わせて、それから肩をすくめて笑った。


 野菜が柔らかく煮えるまでの間、テオは彼の目を通した話をしてくれた。ディートフリートに乞われて近衛騎士の立ち会いの下で剣を交わしたこと、その褒美という名目で良いワインを貰ったこと。近衛騎士たちの間でもクラウディアとディートフリートの仲の良さは評判で、微笑ましく見守られていること。そういう、何でもない話を。


 テオが周囲の人と良好な関係を築けているのか心配したことはなかったけれど、改めて彼の口から私のいない場の話を聞くとひどく安心する。ディートフリートだってそうなのだ、余程へそ曲がりでない限りみんなテオに好感を持つ。それは私にとって何より当然のことで、同時にそうとわかる瞬間泣きそうにうれしい気持ちを覚えることでもあった。


 ふわりとただよう湯気の向こうで味見をしているテオは、ふと私を見た。小皿から口を離して、夢から目覚めたすぐ後のようにゆっくりと瞬く。


「セシル?」

「なに?」


 私もと手をさしだすと、テオはシチューをほんの少し新しい小皿によそって、熱いですよと言う。私がシチューの味見ができたのは、それから少し経ってテオのお許しが出てからのことだった。ちゃんととろみのついたシチューは、ほっとする味に仕上がっていておいしい。いつもより少し多めに盛り付けてしまうことにした。


「せっかくですし、殿下からいただいたワインをあけましょうか」

「いいわね。……あら、本当にいいワインだわ」


 テオが取り出したワインは、商家でも結構高値で取引している銘柄だった。

 小さく乾杯して一口飲むと、ふんわりと酒精が身体に沁みていく。城でもお酒を楽しむことはあったけれど、やっぱり家で飲むのとは違う。城では酔いすぎないよう気をつけていたから。


 良いワインはするすると飲めてしまうもので、厚みのある味わいがシチューと合うものだから食事も進む。バゲットも追加で切って、お腹がいっぱいになるまで食べてしまった。


 食事を終えてひと息ついたところで、私はテオがまだほんの少ししかワインに口を付けていないことに気づいた。空になった私のグラスに、テオがお代わりを注いでくれる。


「テオはいいの? 今日はあまりお酒を飲む気分ではなかった?」

「ああ、いえ。なんとなく、酔うのがもったいない気がしたんです。ここのところ酒付き合いが多かったせいもありますが」


 確かに、私が城に滞在している間、テオはしばしばディートフリートに連れ出されて近衛騎士たちと飲んでいたと聞いている。そういう日はきまってクラウディアが私と一緒に寝たがるときだったから、ディートフリートは本当にわかりやすい。


「クラウディアも結構飲むのよ。どんどん瓶をあけるの」

「こちらの人はお酒に強いですよね。兄弟で俺だけが父に似ず酒に弱いほうで、兄たちから随分心配されたものでした。これでは部下から舐められてしまうだろうと」

「でも、お酒を過ごしたことはないじゃない。ほどほどに飲む方がいいわ、浴びるほどだと身体に来るでしょうし」


 私たちは、新年やお祝いのときに口をつけるくらいで、あまりお酒をたしなむ習慣がなかった。テオも私もそこそこ飲める方だけど、テオのほうが少し顔に出やすい。


「クラウディアがね、殿下と飲むときにはどちらかがへべれけになるまでお酒を空ける勝負をするのですって。それで、クラウディアは酔った殿下に日頃はできないお願いをしたり、日頃は訊けないことを言ってみるらしいの」

「殿下なら、お酒に頼らずとも何でもクラウディア様におっしゃると思いますが」

「私もそう思うわ」


 でも、そうですね。テオはぽつりと呟いて、一向に減らないグラスのお酒を小さく揺らした。


「酒精が回る前に、お話をしてもいいでしょうか」

「もちろん。何かあった?」


 テオは、しばらく黙っていた。静かにグラスから手を離し、何度か躊躇ったのち、ゆっくりと囁く。


「ずっと、セシルに言えないでいた話があります。本当は、このまま言わないままでいるつもりでした」

「私にかかわること? べつに、言えない話があっても不思議ではないでしょう」

「はい。でも、いつかはお伝えするべきだと……いえ、違いますね。自分のために、あなたに聞いてほしかったのだと思います」

「聞くわ。もしいまのあなたが嫌でないのなら」


 テオは小さく微笑んだ。私の好きな、優しく目を細めて一度瞬きする仕種とともに。柔らかく揺れる睫毛の下に覗いた瞳が、まっすぐに私を見る。目の下にある膨らみのかすかな震えと薄い唇が引く線は、いつものように優しい。


「ありがとうございます。今回のことで、父が支度したセシルの身元を証明するものを手放されましたよね。最初に荷物をあらためたとき、セシルは不思議そうにしていらっしゃいました。でも、父はずっとセシルのことを気に掛けていたんです」


 もしかして、好きな人がいるという話かしら。そんな不安を抱いていた私は、思わぬ話の内容に瞬いた。


「そうなの? 母との噂は知っていたけれど……ほとんどお話したことさえないのよ」

「はい、努めてそうしていたのだと思います。でも、セシルは俺の顔はご存じでしたでしょう」

「ええ。顔はみかけていたから」


 青い瞳が伏せられて、過去をたぐり寄せるように揺れた。


「俺は父に連れられて、よく城に行っていました。従騎士としての訓練を積むためでもありますが、父の指示であなたの身辺をそれとなくうろつくよう言いつけられていたんです。絶対に直接声をおかけするな、表立ってあなたの前に出るな、危険が迫ったとき以外はけっして手を出すなときつく言いつけられていましたから、セシルはご存じなかったと思います」


 初めて知る話に、私は驚いて。柔らかに眉を下げて笑うテオの顔を、じっと見つめた。


「あなたのお父様は、どうしてそんな言いつけを?」

「俺も、何度も父に聞きました。どうして直接お守りしてはいけないのかと。父は何も教えてくれませんでしたが、あの夜にわかりました。父は、俺に支度をさせていたのだと思います。あなたと一緒に国を出る準備を、何年もかけて」


 テオはため息を噛み殺すように口を閉ざすと、ゆっくりと頭を垂れた。


「申し訳ございません。あなたが城でつらい思いをしていらっしゃるのを知っていて、俺は何もしませんでした」

「そんな……いいのよ。ヒルデガルトは不幸だったかもしれないけど、じゅうぶん恵まれていたわ」


 向かい合って座っている距離が随分遠いことに思われて、私は伸ばしかけた手を膝の上に置いた。

 顔を上げてほしいと言っても、なかなかテオの頭は動かない。ややあって、テオは首を振る。いいえ。


「……いいえ。あなたと国境に向かいはじめた俺にはわかりました。父の言いつけなど放り捨てて、心のままに振る舞っておくべきだったのだと。俺は……姫。あなたを、放っておきたくなんてなかった」


 堅く唇を閉ざしたテオは、ゆっくりと手を握り込む。血が出てしまいそうなまでに強く。

 それで、私は城でテオがしてくれたことを思い出した。椅子をテオの隣まで持っていき、少し離したところに置く。腰を下ろして、微かに震えている拳に手を添えた。けれども、そこに込められた力はなかなか緩もうとはしない。


「言わないでおこうと思っていたのは、どうして?」

「セシルが構わないと言ってくださることを知っていて、それでも自分を許さないでいるためです」


 どこまでも優しい人だわと思って、私は苦笑する。許しを乞うほうがずっと容易いのに、けれどもテオはそうしない。許しを求めることは、許しを強いることでもあると知っているのだろう。


「あなたが一緒にいてくれたのは、罪悪感からではないと知ってるわ。だってあなたが教えてくれたのよ。この八年、セシルとテオは幸せだったと」

「はい。はじまりのきっかけとは関係なく、俺は自分の意志であなたの隣にいたかったんです」


 ようやくのことでこちらを向いてくれたテオは、謝罪を口にしてしまわないようにだろう。きゅっと唇を引き結んだ。頑なな拳を見つめて、私は囁いた。


「たとえあなた自身が自らに刃を向けたとしても、私は己が騎士が傷つくことを望みません」


 ただしい騎士であるテオは、私が主としてかけた言葉に抗わない。

 ずっと強ばっていた腕から力が抜かれたのに、私はほっと息を吐く。


 テオは黙って私の手を取り、甲に唇を押し当てた。騎士の誠意であり、謝罪でもあるその仕種は、私と彼の中から生まれと同じくらい誓いが拭い去れないものであると教えてくれるようだった。


「お酒、飲みましょ。今日くらいお酒を過ごしたっていいはずよ」


 はいと笑ったテオが、すいと自分のグラスを傾けた。そのままひと息にグラスを空にするものだから、私は驚いてしまう。これくらいは飲めますよ、と言ったテオの頬がじわじわと赤らんでいくのはそれからすぐのことだったけれど、私もいつもよりたくさん飲んでしまったから、だんだん酔ってきて。


 すぐ隣にある肩に頭を預けてちびちびとワインを飲むうちに、眠気が押し寄せてくる。手の中にあるグラスがそっと抜き取られた記憶を最後に、私は抗えず瞼を下ろした。



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