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私の騎士、最後にひとつだけ約束してください。 【全年齢版】  作者: ななな


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21.懐かしい家

 クラウディアと、いつだって彼女にまとわりついているディートフリートに見送られて馬車に乗り込むと、私はひとつ息をこぼした。


 馬車が動き出して城門を抜け、ゆるりと流れてゆく窓の外の景色を眺めていると、ようやくのことでもとの暮らしに戻れるのだという実感が湧いてくる。


「結局、七日どころではないご滞在でしたね」


 近衛隊長の丁重な話し方は、この騎士が変わらず私を姫として扱おうとしていることを教えた。

 私は小さく笑んで、本当にと頷く。


「延びたとしても、十日程度だと思っていました」


 私が移民の娘として口を利いたのに、近衛隊長は苦笑する。


「欲のない方だ。王太子殿下のご提案通り、クラウディア様の側付きになったほうが給与も高くなるでしょうに」

「私は世話を焼かれることに慣れていますから、お仕えするにふさわしい立ち回りができる自信がありません」

「王族にとって、心を許せる友人の存在がいかに大切なのかご存じでいらっしゃるはずだ。王太子妃の友人には、女官とは別の役割があります。お気持ちが変わられたら、そのときはぜひお知らせください」


 ディートフリートからクラウディアの側付きになってほしいと言われたとき、惹かれなかったと言えば嘘になる。

 欠勤による退職は免れたものの、ひと月も留守にした商家に戻れば多少なりとも軋轢が生じるだろうし、しばらくは何があったのかと質問攻めに遭うだろう。ヘルヴェス王の触れが出されたことで拘束されていた理由を説明しやすくなったものの、好奇の目が寄せられるのは想像に難くない。


 それに……。

 私は女官が編み込みにしてくれた髪に触れて、窓を見る。鏡のようにはっきりとは映らないそこに淡い影のように滲んだ自分と目を合わせて、そっと逸らした。



 ふたたび近衛隊長が話を振ってきたのは、もうすぐ家が見えてきそうなところまで来たときのことだった。


「貴女の騎士は、本日半休を取ったそうですよ。一緒に帰ってはどうかと勧めたのですが、やんわり断られてしまいました」


 肩を竦める近衛隊長の表情は、口にしないまでもテオの判断を気に入っていると告げていた。

 テオには、ディートフリートから近衛騎士に移ればいいと熱心に口説かれてもやんわりといなせる柔軟さと、王太子に気に入られているというのに驕りも浮かれもしない弁えの良さがある。騎士の資質として求められるそれは、テオと私の間にある隔たりの証でもあった。


「ただしく騎士として在ろうとしている人です」


 私は何気なく窓の向こうを見遣って――意識のほかで、は、と自分の身体が息を呑んだのを遠くの方で知覚する。


 無意識に、はめ込まれた硝子にぎゅ、と頭を擦りつける。

 窓の外に小さく見える、もうひと月も帰っていない私たちの家。その前に佇む人影は、他ならぬ私の帰りを待つ人のものだ。


(――テオ)


 目の奥が熱く揺れて、手をきつく握っていなければ心が溢れ出してしまいそうだった。


 一瞬ののち、私は自分がひとりきりではないことを思い出す。

 もっと息を潜めて生きることに慣れていた私だったなら、近衛隊長の存在を忘れることはなかっただろう。ゆっくりと息を吸い込んで、心をしまい込もうと胸に手を押し当てたとき、近衛隊長と目が合った。


「どうしてそう何でもない振りをなさるんです? あなたの騎士に、素のままの心を見せてやりなさい。それが一番ですよ。あなたたちは少々じれったすぎる」


 静かな忠告に、考えるよりも先に心がうろたえた。


「なぜって……私は、騎士のまなざしに足る存在でなければいけません。主ですもの」


 いまはまだ。喉の奥に呑み込んだことばがあると知っているみたいに、近衛隊長は鋭い瞳を細めてみせた。

 まあいいですがねと呟いて、近衛隊長は馬車の外を一瞥する。


「クラウディア様なら、きっとすぐにでも馬車を降りようとしたことでしょう。でも、貴女はそうしない。できないのではありませんね?」


 黙っているうちに、馬車がゆるやかに速度を落として停まった。扉が叩かれて、同行していた近衛騎士が到着を告げる。


 反対側の扉から降りて回った近衛隊長が、さあと手を差し出した。

 商家から連れ出されるときには恐ろしかったその手が、今はまったく違って見える。手を重ねると、いつだって鋭さを忘れない瞳が私を捉えた。


「セシル様。人は誰しも、自分の人生という舞台の上でだけは主役を張れるのです。

 我が王を交渉の席に着かせたのですから、ご自分の舞台に上がるくらい何ともないはずでしょう。もっと胸を張って生きてください」


 丁重に地面の上へと導かれた私は、降り立った場所で近衛隊長を見上げた。


「はじめてあなたに名前を呼ばれました」

「貴女はもうお姫様ではありませんからね。……見送りは結構です。早くお行きなさい」


 御者に足置きを片付けさせた近衛隊長は、ほらと目配せする。


「……ありがとう。鏡を割られたことは許せないままですが、感謝してもいます」


 近衛隊長は、つと唇を歪め。

 ふつうの娘はそんな口を利きませんよと苦笑して、従騎士が引いた馬に飛び乗った。


 馬車と騎士たちに背を向けると、思いのほか近くまでテオが近づいていた。

 遠のいていく轍の音を耳にしながら、私はゆっくりと歩み寄ってくるテオを迎える。


 ごく自然に、私たちの手は重なり合った。

 手を柔らかく握られた瞬間、懐かしさが忍び寄ってくる。手を引かれるままに歩き出しながら、私ははじめてテオと手をつないだ日のことを思い出した。


 あの頃、私はうんと幼くて。私の手は今よりも小さくて、何も知らなかった。

 同じように、テオの手も今ほど硬さはなく、大きくもなかった。ただ、あたたかさだけは変わらない。


 家の扉を開けて数歩足を踏み入れると、テオがこちらを振り向いた。

 その静かな表情は、光を背にしていたから影の中に半ば溶けている。けれど。


「セシル、おかえりなさい。長いひと月でしたね」


 泣きそうに優しい声は、彼もまた――彼こそが、この日を誰よりも待ち遠しく思ってくれていたことを私に教える。


「うん。……ずっと、ずっとここに帰って来たかった」


 なつかしいと呟くと、震える指先を包む手のひらに力が込められる。大丈夫ですよと言うかのように。


 日差しの向きが変わって、影が滲むように溶け出してテオの表情を露わにする。

 柔らかい黒髪の下に覗く清潔な肌、穏やかな眉の線。整った骨格が生む影と、かすかに震える目の下の膨らみ。光を吸い込んだ瞳の青さ。――私を、優しく写し取るまなざし。


 いつだって、この瞳の中に映っていたならば安心できた。

 この瞳を見つめ返していさえしたならば、私は私を取り戻すことができる。

 

(私の、好きなひと。私の、帰りたかった場所)


 よろめくように一歩踏み出した私は、気力をふりしぼってテオの肩口に頭を預ける。

 きっと、テオなら拒まない。そうとわかっていても抱きつく勇気は持てなくて、つないだままの手を縋るように両手で引き寄せる。

 すぐ側で、ちいさく息を呑む気配が届いた。それから、あたたかい手のひらに肩を包まれる。

 どうか離れていかないでと、祈るように思う。そうして、願うように囁いた。


「ただいま、テオ。随分待たせてしまったわ」


 ごめんなさいということばを呑み込んで、私は伏せた目の先にあるテオの上衣を指でつかんだ。そのささやかな行動が、いまの私にできるせめてもの勇気の使い道だった。


「お戻りを待ちわびていました。今日という日を迎えることができて、良かったです」


 囁いて、テオが微かに息をつく。肩に触れていた手のひらが離れたのに釣られて、私は顔を上げた。

 瞬間。ぱっと仰け反るように頭を跳ね上げたテオに、私は首を傾げる。テオは上げかけた左手を下ろして、騎士らしく静かな挙措で一歩後ろに下がって距離を空けた。


「テオ?」


 私の知るどんな表情とも違う顔をしたテオは、なんと言い表していいのかわからない表情で、呆然と私を見下ろした。昼の日差しを受けたその頬に、うっすらと滲んだ汗が光る。


「いえ、あの。これは、その……」


 テオが何かを言いさして――私の顔に目を留めると、ゆるりと口を閉じる。

 焦りが溶けたその顔に滲み出たのは、どこかに大切なものを置いてきたときのような、さみしそうな表情だった。


 思わず手をさしのべかけたとき、テオがため息がちに笑む。その笑みには、いつもの優しさだけが湛えられていて、私の口を静かに塞がせた。


「お昼にしましょう。キッシュを焼いておいたんです」

「いい匂いがするわね。何のキッシュ?」


 私たちは、家の中にふわりと漂うおいしそうな匂いをたどるようにして台所へ向かう。

 テオがふきんを取ると、しっかりと焼き色のついたキッシュが現れる。


「ほうれん草とベーコンです。お好きでしょう?」

「だいすき。ああ、スープもあるのね。久し振りのうちのごはんだわ」

「城の料理人には及びませんが、おいしいですよ」


 小鍋の蓋を開けて野菜たっぷりのスープを覗き込んでいた私は、まあと眉を顰める。


「うちのごはんが一番に決まっているでしょう」


 キッシュを切り分けていたテオはおやと瞬いて、静かに破顔した。


「味見しますか?」


 もちろん、返事は決まっている。

 テオが味見用にキッシュを細く切り分けてくれるのを見ながら、私はスープを温め直す。

 これから食事をするのに味見をしようと彼が誘ってくれたのは、きっとこれまでの生活に――いつもの生活に戻ろうという気持ちからくるものだろう。


「俺も有給を取りました。一緒にのんびり過ごしましょう」

「そうね。話したいことがたくさんあるのよ」


 はいと微笑んだテオがさしだした小皿を受け取って、私はひと口ぶんのキッシュを食べる。

 もぐもぐと口を動かしている様子だけで、テオは私が何を言いたいのかわかったらしい。くすくすと笑って、どれだけ食べますか? とキッシュを示した。


 このくらい、と指で示した分だけ切り分けてもらいながら、私は、なんだか瞳の奥が熱くなってきて。瞼を下ろして、しばしそのままでいた。


 ゆっくりと幸いを噛みしめてから瞼を上げると、目の前にハンカチが差し出されていた。

 城に行く前の私だったなら、きっと涙を隠しただろう。でも、もうテオにはひどい泣き顔を見せてしまった。それに……今ならわかる。テオは、私が隠れて泣いたと知れば悲しむひとなのだと。


 そっと頬に押し当てられたハンカチを受け取って、私は静かに涙をこぼした。

 テオは私が泣き止むまでの短い間、何も言わずに側にいてくれていた。


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