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私の騎士、最後にひとつだけ約束してください。 【全年齢版】  作者: ななな


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14/18

14.砕かれた鏡

 王宮に連れて来られて三日が過ぎても、私は誰とも面会することはなかった。


 品良く調えられた一室で、私は従順(おとな)しくとろとろとたゆたう時間の流れに身を置いていた。

 絨毯の上に据えられた長椅子に腰掛けていると、大きく取られた居間の窓から差し込む日差しが生んだ影がうつろいゆくのがよく見えた。


 よく躾けられた女官たちは、時にお茶を供し、時に無聊を慰める本や遊戯盤を携えては、客人の関心を惹くものはないかとあれこれ提案してくれる。私は抗うことなく差し出されたお茶を飲み、お茶請けに口を付け、女官たちと盤上の陣地を取り合う遊戯をして遊ぶ。

 そのくり返しの中で、私は時折手鏡をいじった。はじめ、女官たちは不思議そうな顔をしていたけれど、綺麗にしてもらったことがうれしいのだと説明すると、何も疑問に思わなかったようだった。


 いつものように手鏡の蓋を閉じては開けることをくり返して、女官たちが熱心にほどこした化粧を眺めるふりをしていると、扉の向こうが騒がしくなった。


 茶器を下げるために辞そうとしていた女官の一人が、勢いよく開いた扉に驚いてあっと叫ぶ。

 女官が手にしていたトレイから茶器がすべり落ち、大きな音を立てて割れた。よろめいた女官を乱暴に扉の外へと押し出したのは、私を王宮へ連れてきた近衛隊長その人だった。


 黒い外套の裾が鋭い軌跡を描いて翻り、数歩進み出た近衛隊長が女官たちを一瞥する。

 顔を見合わせながらも女官たちが速やかに外へ出ると、近衛隊長は隈に彩られた目をうっそりと細めた。


「お嬢様、おいたはいけませんね。申し上げたはずです、ここを出てはなりませんと」


 私をここへ連れてきた騎士は足音を立てずに歩み寄ってくると手鏡を奪い取り、床にたたきつける。音もなく抜き取られた剣先が鏡面を強かに突いて、砕けた破片が飛び散った。


「健気なことだ。ご自分の騎士に助けを求めるおつもりで、鏡で合図をなさっていたとは。もっと早く気づくべきでした。大人しくしておいでだとばかり思っていましたよ」


 近衛隊長は私の顔を見ると、ふっと眉を寄せる。

 なぜそんな顔をされるのかわからず、私は首を傾げた。そうして、天然石で造られた小机の天板を軽く叩いた。二度、一度、二度。


「ヘルヴェス語ではないから、わかりづらかったかしら。助けを求めていたわけではありません」


 思い当たる符丁にたどり着いたのか、近衛隊長は唇を引き結ぶ。問うような視線を受けて、私は小さく嘆息する。


「こちらへ連れてこられて、もう三日ですもの。私が飽いてしまうのももっともではないかしら」

「……申し訳ございません。確かに、その件についてはこちらの手落ちです」


 女官たちも時折室内を確認しに来る近衛騎士たちも何も言わなかったけれど、きっと王太子と婚約していた国との交渉が長引いていたのだろう。

 女官たちは何の呼び出しもなく籠もりきりの私に気を遣って、短い時間であれば露台に出てはどうかと勧めてくれた。もちろん、この部屋は直接使節団の面々が目に入るような位置ではなかったけれど、忙しなく行き交う女官や役人たちを見ていれば、自ずと推し量れることだった。


「もし一週間以上過ぎるようなら、一度勤め先に顔を出させてもらえないかしら」

「検討いたします。……その、何かお持ちしましょうか?」

「いったい何を? 何もいらないわ。手遊びもやめます。下がって」


 騎士が辞すと、私は無残にも砕かれた手鏡の側に膝を突いた。

 大きな破片をつまみ上げると、可哀想に、鳥と花の彫刻はどうしようもないほどにひび割れている。ここまで壊れてしまっては、直すことは難しいだろう。


 この手鏡は、テオが初めての給与で買ってくれたものだった。

 王立騎士団で働き始めたばかりの頃、テオは私の側にいられなくなったことを随分気にしていて、毎日飛ぶように帰って来ていたものだった。幼い私はテオに心配されるのがうれしくて、ときどき髪の色が落ちていないか心配だと甘えては、大丈夫ですよと微笑まれるのを待っていた。


 手鏡は薄くて、蓋の裏は等倍の、底面は拡大鏡になっていたから、商家の娘たちから何度も羨ましがられた。商家の主からも、質の良い鏡だと褒められたことがある。そこまで薄い鏡は珍しく、蓋面の彫りが繊細なものはなかなかない、と。


 今ならば、当時彼が少なくないお金を費やして、できうる範囲で私に良いものを贈ってくれたのだとわかる。これでいつでも髪の色を確認できますねとテオは笑って、一緒に鏡を使った合図を考えましょうと提案した。私たちの間にある、もしものときに備えた約束の一つ。


(テオに会いたい……)


 彼を手放そうと決めたはずなのに、私の心はどうしようもなくテオを恋しがっていた。

 同時に、いま彼に会いたいと思ってはいけないこともわかっている。


 扉が叩かれて、女官たちが顔を出す。

 申し訳なさそうな顔をした彼女たちは、私が泣いていないのを知って安堵し、次に小さく息を呑む。破片から手を離すように言いながら駆け寄ってきた女官たちは、私の手を取って怪我がないことを確かめると、ああよかったと息をついた。


 それで、私は静かに心を胸の奥底に押しやった。そうするべきだろうと思ったから。



 お三時をいただいた後、定時の確認にやってきた近衛騎士は、いつもなら簡単に室内を見回して辞していたけれど、この日は違った。

 散歩に出てはどうですかと勧められた私は、そういたしましょうと頷く女官たちの声に促されるようにして、散歩に出ることになった。


 ということは、もう使節団はいないのだろう。もしかすると、近衛隊長が散歩にでも連れ出すよう言いつけたのかもしれない。

 そんなことを考えながら案内された中庭は、近衛騎士によって念入りに人払いされていて、しんとした静けさで満ちている。久し振りにきちんと歩いたような気がして、私は自分の脚がどことなく重たいことに気づいた。


 ヘルヴェスの貴族が好むのは、馨しい薔薇だ。とりわけ色の深い花が好まれるため、春の日差しが射す中庭はとりどりの薔薇で華やかに彩られている。

 ざ、と吹きつけた風は思いのほか強く緑を揺らし、風に乗って甘い花の香りが頬をくすぐったかと思えば遠ざかってゆく。


 瞬いたとき、少し離れたところにぽつりと滲んだ人影がある。

 舞い散る木の葉の中をゆったりとした足取りで進んでくるのは、杖を突いた男性だった。豪奢な装飾の施された外衣と頭に戴いた王冠よりも先に、細い目に湛えられた鈍い光が目を惹いた。


 ややあって立ち止まったその人――ヘルヴェス王は近衛騎士たちを一瞥して、会話の聞こえない距離まで下げさせる。唯一王の側に残ったのは、近衛隊長だった。

 ヘルヴェス王は、人を威圧することに慣れた視線で私の頭から爪先までをつと撫でる。


「なるほど、聞きしに勝るな。愚かな父親に似なかったのは喜ばしいことだ。

 ……八年前、ベーレンドルフから王女と思しき娘を保護したと報告があったときに確認しておくべきだったな。確かにそなたはヒルデガルト王女であるようだ。亡き王妃とあまりに似ている。あれほどの美貌はそうないからな。そうだ、父親の消息は気にならないのか?」


 思いも寄らぬ質問に、私は素の表情を見せてしまったのだろう。

 ヘルヴェス王は豊かな髭の下で唇を歪ませると、くつくつと喉を鳴らした。


「そなたの父は、南の島で捕虜生活を満喫しているよ。もう何人侍女が孕まされたかわからんがね。正直なところ、彼奴は結構な金食い虫で手を焼いている。娘はこうして堅実に生きているというのに」


 あのお父様らしい近況に、私はつい笑ってしまった。まさか、知らないうちにきょうだいができているとは思わなかった。


「なぜ私をお召しになったのでしょう? 私は(つま)しく暮らす移民の娘です」

「笑わせるな。普通の娘はな、王を前にこうして堂々と振る舞えないものなのだ。

 いくら顔が母親に似ているとは言え、確認もせずに召し上げることはせぬよ。そなたの忠実な騎士が、あの国の騎士団長の息子だということも裏が取れている」


 とん、と杖を突いて。ヘルヴェス王は静かに囁いた。


「我が息子の縁談が破談になってな。あちらは代わりに幼い姫君を差し出すと宣うたが、倅の年とはあまりに釣り合いが取れぬ。儂は遅くに出来た一人息子の子どもを見たい。だが、頑固な宰相は娘を差し出そうとはしない。はてさてどうしたものかと思ったときに、書記官が古い記録を掘り起こしてベーレンドルフの奏上を見つけた。当時は何の利にもならないと放っておいたが、かつて結ばれなかった婚約を取り戻しても良いかと思ってな」


 穏やかな春風が吹き抜けて、どこかで小鳥が鳴き交わしている。

 長閑な日差しが降り注ぐ中庭で、私は今更のように自分が跪こうともしなかったことに気づいた。


「倅は美しい婚約者を手に入れる、ヘルヴェスは失われた国の血を取り入れる。そなたは父の面倒を見る必要がなくなり、日々の暮らしのために働かなくともよくなる。おおそうだ、そなたの忠実な騎士のことも忘れてはならないな。出世させよう。何、倅の子を産んだ後なら姦通も許そう」


 まるで、知らない国のおとぎ話を聞かされているかのようだった。

 自分がそう感じたことに内心驚きながらも、いったいどんな言葉選びをすれば話が通じるのだろうかと考えを巡らせる。


「恐れながら申し上げます。父の面倒は戦勝国の判断に依る処遇であり、その子女が負うべき責ではありません。私は今の生活に満足していますし、何の権利も主張するつもりはございません」


 ヘルヴェス王はおやおやと目を見開いて、短く哄笑する。


「良いな! 儂は賢く口の立つ娘が好きだ。俯いて何を言いたいのかわからん自我の薄い娘より百倍な。だがな、こう言えば伝わるか? ――お前の忠実な騎士を、目の前でなぶり殺してやろうか?」


 その瞬間。私は否応なしに、求められる人形になり損ねてしまっていたことに気づかざるを得なかった。ひと息に血の気が引いて、頭の奥が警鐘を鳴らすように鈍く痛む。


 胸の奥底に、一際重たい錘が落ちたように感じたとき。ヘルヴェス王はにこやかに笑んだ。


「何、倅がそなたを気に入らなければ家に帰そう。そなたの騎士にも手を出さないでおいてやる。

 倅は我が強くてな。父親でさえ乗りこなせない駿馬だが、我が子ながらなかなかに出来が良い。良い王になるだろう。案外、そなたもその気になるやもしれぬぞ。

 ――明後日、見合いの席を整える。大人しくしていれば、何も恐いことは起こらないと約束しよう」


 ヘルヴェス王は言いたいだけ言うと、返事を聞く必要はないとばかりに踵を返した。

 主の背に気を留めながら、近衛隊長の目が私を捕らえてくる。

 そのまなざしが意味するところを考えようとして、やめた。お人形なら、きっとそんなことは考えないから。


(ほら笑って、ヒルデガルト。あなたは綺麗で従順なお人形)

 

 はやく、はやく心を手放さないと。

 私は祈るように唱え続ければ、やがて真実に近いところまでいけると知っていた。

 笑うのは得意だ。嘘をつくのも。心を奥底に隠すのも。


(ヒルデガルトは傷つかない。だって、傷つくに足る心なんて持っていないから)


 そうだ、ずっとそうだった。だから平気。耐えられる。

 この場に鏡はないけれど、私は自分が綺麗なドレスを着せ付けられたお人形に見えていることを知っていた。


 近衛隊長は何かを言いさして、けれども何も言うことはなく顔を背けた。

 主の後を追うその背が遠ざかって女官が声をかけてくるまで、私は静かにその場に佇んでいた。

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