1:ラインボックスに来て半年たちました!②
彼の名前は、森田幹宏。莉那の上司であり、この日の夜勤メンバーのリーダーを務めている男だった。
「この後転送。」
森田は投げ捨てるようにそう告げると、すぐにイスを回転させ正面を向いた。森田が身に着けていた黒のジャンパーのフードが彼の回転方向に余韻を残すように揺れる。
ラインボックスでは様々な機械が置かれており、それらが熱暴走しないよう、室内温度がやや低めに設定されている。森田のように、室内でジャンパーを着ている者も珍しくない。かく言う莉那も厚手のパーカーを羽織り、膝にはブランケットをかけていた。
莉那は、揺れるフードに向かって「はい」と返事をし、自分も正面のモニターに向き直ってマウスに指を置いた。
正直、莉那は森田の事があまり得意ではなかった。ぶっきらぼうな言動に、強面の顔。そして180cmを超える大柄な体格は圧迫感を助長させる。街のチンピラもこの人との喧嘩は避けるだろう。そのぐらい怖い。加えて森田は、仕事に厳しく、ミスにも敏感で、ベテランから新人まで関係なく間違いを犯したスタッフを逐一呼びつけては、持ち前の低い声で説教をしていた。若手全員にアンケートを実施すれば、間違いなく“恐ろしい先輩第一位”の称号を獲得するだろう。そんな彼を、莉那もまた苦手としていた。
この時の指示も、いつものように冷たい物言いではあったが、半年この環境に身を置いていた莉那は、気を取り直してマウスを滑らせる。
モニター上には映像のダウンロード画面が開かれており、莉那が操作するマウスカーソルは、新しく転送されてきたことを示す赤枠で囲まれた映像データ上に移動する。莉那がそこでマウスをダブルクリックすると、映像のプレビュー画面と、メタデータを入力するウインドウが表示された。
プレビュー画面は、一般の人が普段見ている動画サイトとさほど変わらず、再生ボタンと停止ボタン、そして画面下部には時間を指定して飛ばすことができるバーが付いている。
莉那は素早くバーを移動させ、一枚の紙が接写された画面を探し出した。これは「キャプション」と呼ばれるもので、映像を撮影したカメラマンが、その映像の内容を紙にメモして映したものである。ラインボックスのスタッフは、このキャプションを頼りにメタデータを記録しており、撮影者もそれを理解しているため、こういった紙を残してくれているのだ。
莉那は、キャプションを頼りに手早くメタデータを入力すると、映像を頭に戻して再生させた。映像が正しく受信できているか、映像に乱れはないか。などといたことを確認するためだ。とはいえ、問題があることはほとんどなく、皆が形式的に行っている作業だった。
普段は飛ばし飛ばしで映像を確認するのだが、他にやる作業もないので、莉那は通常はほとんどやらない全再生を行った。5分ほどの映像は埼玉県で発生した交通事故を映したもので、キャプションによると運転手は酒気帯びだったらしい。「こんな朝っぱらからなにやってるんだよ」と呆れる莉那だったが、折れ曲がったガードレールと潰れた車のボンネットが事故の大きさを物語っており、思わず息を呑んだ。
映像を見終わった莉那は、再びイスの背もたれに体を預けた。
その勢いのまま天井を仰ぎ、モニターの斜め上に設置されたテレビに目を向ける。すでに朝のニュース番組が始まっており、画面の中では明星テレビのアナウンサーが昨日起こった事件を伝えていた。
山梨県の殺人事件。
近頃物騒なニュースが多い。毎日、日本のどこかしこで凄惨な事件が起こっている。報道の仕事に携わるようになってから、莉那はその現実を実感していた。
テレビではアナウンサーを映した映像が切り替わり、事件現場が映し出される。この映像こそが今まさにOA室でライボのスタッフが流している映像だ。
現場は古びた県営住宅で、事件があったであろう一室にはブルーシートが貼られている。どうやら犯人はまだ捕まっていないらしい。このニュースに充てられた時間は長く、思ったよりも大きな事件の様だった。
莉那は目線を再び白い天井に戻し、背もたれの固い部分を後頭部と首の間に押し当てる。莉那は目を閉じ、じんわりとした痛みを感じた。
暇だ。暇すぎる。
忙しすぎるのも嫌だが、これはあまりにも暇すぎる。さっきのように、時々仕事は舞い込むものの、それもほんの数分で終わってしまうし、かといって業務中ではあるので居眠りするわけにもいかない。
中には夜勤中に舟をこいでいる先輩もいるが、森田リーダーの前ではご法度だ。近くに他のスタッフもいないので雑談で暇を潰すこともできず、時間の進みが遅く感じられる。休憩から戻ってきて、もうそこそこの時間が経った気がしていたが、時計を確認するとまだ30分ほどしか経っていなかった。
大きく息を吸い、ゆっくりと吐き出す莉那。肺の中の空気を入れ替えながら、莉那はふと、自分の入社面接を思い出した。
今から約一年半前、莉那はまだ就活生だった。映像業界に進みたいと考えていた莉那は専門学校に進学し、もちろん就職活動もその分野の企業に絞っていた。
そんな中で出会ったのが今働いている会社――“アカシ映像”だった。
学歴的に、誰もが知るような大手制作会社への入社を諦めていた莉那にとっては、“業界内”ではそこそこの知名度と歴史がありつつ、自分でも受けやすい会社だ。おまけに、かつてアカシ映像が制作に関わっていたバラエティ番組を莉那も見ていたこともあり、親近感が湧いた。
気合を入れて臨んだ面接では、自分が如何にテレビ番組が好きだったか。また、アカシ映像に入社した際にやりたい事などを熱弁した。我ながら、あの時の自分は、控えめな性格にもかかわらず頑張っていたと思う。その中で、莉那は、将来はバラエティ番組の仕事に携わりたいと面接官に伝えた。過去に莉那がアカシ映像の番組を見ていたエピソードも添えて。
面接官は莉那の話を聞き終ると、「ありがとうございます。飯島さんのお気持ち、良く伝わりました。」と穏やかに微笑んだ。良い人そうだなと、莉那は素直に思った。
「ただ…。」
「…はい?」
「もし、飯島さんが弊社とご縁があった際、飯島さんの配属先が希望する部署になるかどうかはお約束できません。それでも、よろしいですか。」
面接官は笑顔の雰囲気を残しつつ、少し困ったような表情でそう尋ねた。
正直、良くはなかった。しかし、莉那は早くこの就活地獄を終わらせたかったし、万が一希望の部署に行けなかったとしても、自分ならテレビの仕事に携われるならどこでだってやっていけるという根拠のない自信もあった。そして返事に間が空いてはならないと考えた莉那は、とっさに答えた。
「大丈夫です!私、どこに配属されても、楽しんでお仕事させて頂きます!」
つづく
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