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6時間目終了のチャイムが鳴った。
莉那はロッカーに駆け寄ると、赤いランドセルを手早く取り出し、これまた手早く教科書やノートを詰め込んでいく。春の陽気が包む教室の中で、彼女だけがまるで早送りされたかのように動いていた。今日は待ちに待った一大イベントだ。推しのお笑い芸人が出演するコント番組の3時間スペシャルが7時から始まる。それまでにやるべき事を終わらせなければ。両親はそこまで口うるさいわけではないが、宿題やお風呂などの面倒ごとは先に片付けてからテレビの前に座った方が、より一層番組を楽しめるというものだ。6年間の小学校生活で、それを莉那はよくわかっていた。だから、今日は一分一秒を無駄にはできない、急いで帰って・・・。そんなことを考えていた莉那に、後ろから声がかかる。
「りな~、ちょっと待って~、一緒に帰ろ~。」
莉那の焦燥感とは対照的な、なんとものんびりとした声の方を振り返ると、クラスメイトで幼馴染の安藤夢芽が水色のランドセルをロッカーから取り出しながらこちらを見ていた。莉那は小さく頷いたが、心の中でそっと溜息をつく。夢芽とは幼稚園の頃から仲が良く、家も近い。彼女と一緒に帰るということは、家の近くまで彼女と同じペースで下校するということだ。今日ばかりは早く帰りたかった莉那にとって、彼女と帰路につくことは、足枷以外の何物でもなかった。
「ごめーん。お待たせ~」
「ううん」
「じゃあ、帰ろっか」
友人数人と挨拶を交わしながら、二人は教室を出た。六年生の教室は二階にあり、莉那達の三組は階段から一番近い所に位置していた。去年の教室が三階の中心にあったことを考えると、楽になって非常に助かっている。下駄箱で靴を履き替え、今日の授業の事や、最近他の子と話したことなど、他愛もない会話を交わしながら、二人は帰路についていた。夢芽には申し訳ないが、今夜の事で頭がいっぱいの莉那は、彼女との会話にあまり集中できなかった。そんな莉那を察してか、夢芽が怪訝そうな顔をする。
「りな、どーしたの?」
「え、何が?」
「今日のりな、なんかボーッとしてない?。」
「あー、うん、ちょっとね。」
本当は、楽しみにしているテレビの事を話しても良かったが、莉那は言葉を飲み込んだ。反応は目に見えている。話題を変えようと考えているうちに、夢芽が先に口を開いた。
「…もしかして、またテレビ?」
「え…。あー、うん、まぁ…。」
「やっぱり!もう、りな!いい加減テレビなんか見るのやめなよ!」
やっぱりこうなってしまった。莉那は思わず唇を噛んだ。
「で、でも・・・。」
「でもじゃない!テレビなんか、今時誰も見てないってば。そんなの見たってしょうがないでしょ。」
「そうなんだけど。おもしろい番組もあったりするよ。」
「おもしろい番組?例えば?」
「えーっと、お笑い番組、とか…。」
「お笑いなんて、ユーチューブで見れるじゃん!」
「いや、そうなんだけど…。」
夢芽の言っていることもわかる。今時、テレビを見る子なんてほとんどいない。みんな、YoutubeやTikTokで、自分の好きなものを好きな時に見るのが当たり前だ。実際、クラスの子達もテレビをほとんど見ていない。以前、前日に見たテレビドラマの内容を学校で話したことがある。しかし、みんなの“こんな人まだいるんだ”という視線を感じ、それからはその手の話をすることはなくなった。私の方が圧倒的少数派と言えるだろう。夢芽の発言に明確な反論が出せないでいると、今まで怒りの色を映していた夢芽の大きく丸い瞳が心配の様相に変わる。
「りなさ、今何が流行ってるとか知ってる?」
「え、まぁ、芸能人とか俳優さんならわかるけど。」
「そーじゃなくてさ。ミームとか、ネットで流行ってる言葉とか!」
「あー、そういのか…。」
「どうなのよぉ。」
自分より少し背の低い夢芽が覗き込んでくる。私は、思わず目をそらした。確かに、私はそっち方面の流行には詳しくない。そしてどうやら、今、同世代の子供の間では、そういったネットの話の方がウケがいいようだ。日頃クラスメイト達はインターネットミームを口にすることが多く、周りもそれに合わせて話を広げている。正直良くわからない私は、周りの空気を読んで愛想笑いをして身を隠していた。この間も、夢芽が大きな声で「宿題忘れて今こんな感じ!」とか言って、良くわからないダンスを披露していた。周りの子達に合わせて莉那も笑っていたが、正直、どんな感じなのか意味不明だった。
「うーん、良くわからないかなぁ」
嘘をついてもしょうがない。莉那は正直に答える。
「そーだろうと思った。りな、そういう話になるといつもノリ悪いんだもん。」
「ばれてたんだ。」
「当たり前じゃん。私、りなのことならなんでもわかるんだから!」
夢芽の言葉は嬉しい反面、少し引っかかった。そこまで言うのなら、私が何を見ようがとやかく言わないでほしい。しかし、大事な幼馴染をこんな口喧嘩で失いたくはないので黙っていることにした。そんな私の気持ちを他所に夢芽は続ける。
「だから私、心配してるんだよ、りなのこと」
「え、なんで。」
「なんでって、いじめられたりしたらどうすんのよ。」
「えー、そんなことでいじめられるかな。」
「バカね、あんた。いじめなんてどこから始まるか分かんないんだよ。みんなが分かること分からないだけで、目つけられることだってあるかもしれないじゃん。」
まさか。そんな大げさな。とも思ったが、夢芽のあまりにも真剣な眼差しに出かけた言葉は引っ込んだ。それに、夢芽の言う通り、いじめはどこから始まるか分からない。皆の話についていけないことで、イジメとまではいかなくても、ハブられることはあるかもしれないと思った。
「ね。だから、りなもテレビなんかじゃなくて、もっとユーチューブとか見よ!流行ってる物とか教えてあげるからさ!」
「う、うん」
気が付くと家の近くの公園まで来ていた莉那達は、そのままその公園に入り、ベンチに腰を下ろした。夢芽が自分のスマホを取り出し、私にお勧めの動画を見せてきた。彼女の黒くて長い髪が嬉々として揺れる。あーあ、これで今日の私の計画は崩れ去ったなあ。そんなことを考えていると、夢芽がまた、ちゃんと動画を見なさいと怒るのでそちらに目を戻した。画面の中ではよく知らない人たちがよくわからないことを言って派手な字幕と共にケラケラ笑っていた。
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