真夜中のタクシー
早朝の生放送の立ち会いや深夜放送を終えての帰宅時
には放送局が送迎のタクシーを手配してくれていたの
ですが、タクシーの運転手さんも十人十色で、すごく
丁寧で礼儀正しく運転も上手い人もいれば、まあそう
でない人もいました。タクシーの怪談というと乗客が
幽霊というパターンがほとんどですが、星新一さんの
ショートショートのようにその逆パターンだったり、
もっとひねって複雑な展開のものもたくさんあります。
私も頑張って新しいパターンを考えたつもりでしたが
意余って力足りず、こんなものになってしまいました。
まあそれ以前にこの話は致命的な欠陥があるのですが
それは後書きに書きます。読んでたもー♪
“ You talkin' to me? ”
その夜、編集者のY君は急いでいました。
締切り間際にようやく受け取った原稿を夜明けまでに
編集部に持ち帰らなければならなかったのです。
Y君は人気のない道路端でタクシーを待っていました。
底冷えする夜の空気に震えていると、ようやく空車が
一台通り掛かりました。大きく手を振って呼び止め、
のっそりと開いたドアから車内に転がり込みました。
「Z町まで!大至急お願いします!」
「はいはい、承知しましたぁ」
運転手は前を向いたまま穏やかな声でY君に答えると、
滑らかにタクシーを発進させました。
「こんな遅い時間までお仕事、ご苦労様ですぅ」
「いやいや、それは運転手さんも同じでしょう」
「私らはもう職業柄、体がそういうリズムですから。
逆に夜中の方が調子いいですわ。がはは!」
どうやら話し好きのようです。正直な話、目的地に
着くまでのあいだ少しでも眠りたかったY君ですが、
ここは運転手との会話を楽しむことにしました。
「あれ…料金メーター、まだこのタイプなんだ?」
「はい、買い換えようにもなかなか先立つ物がなくて……
個人タクシーは本当にもう、全然儲からんのですよぉ」
言われてみればメーターだけでなく内装も古びていて、
車自体も二昔ほど前の古い仕様でした。
「いや、お恥ずかしい。こんなボロ車ですが安全運転で
なるたけ早く参りますんでねえ、ご勘弁の程を……」
そのとき、ヘッドライトに照らされて、道路を横切る
子供の姿が浮かび上がりました。子供は立ち尽くし、
振り返りますが、急ブレーキも間に合いません。
小さな体が消えて、車体が大きくバウンドします。
タイヤが柔らかい何かをゴリゴリと蹂躙する感触が
容赦なく、生々しく伝わってきました。
Y君は突然の事態に言葉もありません。
しかし、運転手は振り返りもせず、
「失礼しましたぁ。スピード上げますんで」
そして何事もなかったかのように急発進しました。
「運転手さん!まずいよ、轢き逃げは!」
「気にせんで下さい。いつものことですぅ」
「いや、いつものことって……あなた、何を……?」
気配を感じてY君はリアウインドウを振り返りました。
そして信じられないものを目撃したのです。
ついさっき轢かれたはずの子供が、激しく上下に体を
揺らしながら、信じられない猛スピードでタクシーを
追い掛けてきます。首は妙な方向に捻じれ、折れた腕は
ダラリと垂れ下がったまま、片足を引き摺りながら、
しかしものすごい形相で、確実に距離を詰めてきて……
「う、運転手さん!追いかけてくるよっ!」
「はいい、追いかけてきますねえ」
アクセルが踏み込まれ、子供と車の間に距離ができます。
と、その途端に今度は左右の窓に、無数の手がぬっと現れ、
タクシーの車体をバラバラバラと激しく叩き始めました。
泥や脂、血糊で窓ガラスはどんどん曇り、汚れていきます。
「運転手さぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁん!」
「大丈夫でぇす。任せといてくださぁい」
子供はタクシーを追い越し向きを変えると、ボンネットに
ひょいと飛び乗りました。運転手は巧みにハンドルを切り、
車体を左右にドリフトさせ何とか振り落とそうとしますが、
子供は吸い付いているかのように密着して、離れません。
やがて子供はルーフに這い上がり、フロントガラスの上から
車内を覗き込みます。子供とは思えぬ禍々しい形相……
「運転手さん! 何なのこれ!? やばい! やばいって!」
「うーん、やはり客を乗せた夜は、しつこいですなあ」
やれやれといった感じでそうつぶやくと、運転手はY君に
事情を話し始めました。
「昔、この道であの子を轢いてしまいましてな。
気が動転して、悪いことをしたとは思いながら、
そのまんまほったらかしにして逃げたんですわ」
子供はガラスに顔をくっつけ運転手とY君を睨みつけます。
「いつ捕まるかとビクビクしとったんですが、これがなぜか
全然捕まらん。ところがどうしたことか、以来この車から
一歩も降りられんようになりましてな。もう何年も何十年も
年中無休の二十四時間営業で走り続けておりますわい」
タクシーは更にスピードを上げました。
「あの子はあれから毎晩のように仲間をいっぱい引き連れて、
この私を責め苛みに現れます。いわば無間地獄ですなぁ。
しかし今から思えば、なんであんな時間に子供が一人で?
ひょっとしたらあれは、子供ではなく、何か別の……?」
窓の外には凄まじい形相の亡者の群れ。逆様になった子供の
顔は歯を剥き出し、涎を垂らし、禍々しい笑みを浮かべ……
Y君の恐怖は限界に達しました。
「後生だ! 降りる、降ろしてくれ! 降ろしてください!
こいつら振り切って、安全なところに降ろしてください!」
運転手は初めてゆっくりとY君を振り返りました。
「いやあ…お客さん…」
無精髭の生えた青白い顔、こけた頬、血走った眼差し……
外にいる亡者の群れと同じ形相の運転手は、口の端に
皮肉な笑みを浮かべ、尖った犬歯を剥き出しにしながら、
のっそりとした口調で、こう言いました。
「……あんた、まだ降りられると思ってたんですか?」
【註:多分にネタバレを含むので本編を読んでから閲覧推奨】
ハイ、いかがでしたか? 怖いと言えばまあ怖いかもだ。
ビジュアルも想像しやすいし。しかしこの話には本当に
もう、どうしようもない、致命的な欠陥がありますね。
何でしょう? …… そもそもこの企画は某オカルト雑誌
の読者が投稿した体験談を基に構成されたラジオドラマ
というのが大前提でした。しかしこのタクシーの話だと、
結末で投稿者が全く無事で済んでませんよね。お化けに
追われるお化けタクシーから降りられないという絶望的
なバッドエンド。では投稿者はどうやってこの話を雑誌
編集部に送ってきたのか? 書いといて何ですが私にも
分かりませんえん知らないでよそんなの。リスナーから
問い詰められたらどうしよう。筒井康隆先生のあの名作
短編のパクリじゃんと突っ込まれたらどうしよう速水奨。
不安になってディレクターに相談しました。今みたいに
間抜けなポリコレやコンプラがさほど横行はしていない
時代だったけど、このあからさまな矛盾というか破綻は
どう説明すべきか? ディレクターの答えはこうでした。
「いいよいいよそんなの気にしなくて。面白いからOK!」
私はこの人に一生ついていくと決めました。酒癖はあれ
ですが本当にいい人です。今も割とお世話になってます。
多謝。