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第5話

 わたしも晴夏も、無事、東京の美大へ合格できた。同じ大学の油彩科と作曲科。

 受験当日まで大騒ぎしたわたしと対照的に、晴夏は実技試験も筆記試験も淡々と突破して合格した。わたしの合格のときあれほど喜んだ晴夏は、自分の合格発表のときは、なんだか落ち着いていた。美穂が泣きすぎたから冷静になった、と微笑んでいた。その穏やかな顔を見て、またわたしは泣きそうになった。


 東京は、わたしたちの地方都市からは遠い。

 一緒に住みたい。そう言おうと逡巡したが、なかなか言えなかった。普通のルームシェアとはわけが違う。共々感覚によって、彼女の耳に入るプライベートな音のありようが、わたしも感知できてしまうからだ。それは彼女にとっても、センシティブなことのはずだった。

 にもかかわらず、晴夏の方から、話を持ちかけてくれた。

「一緒の家で、一緒につくろう」

 言いたかった言葉を代わりに言ってくれた彼女を、カフェという場所も忘れ、抱きしめてしまった。


 同居するアパートは、大学まで三十分、直通の駅にある2LDKに決めた。わたしたちは何軒も下見を重ねて、共々感覚の伝わり方を慎重に調べながら、部屋を選んだ。


 一緒に暮らし始めるると、晴夏が完璧な女の子ではないことを知った。朝は必ず二度寝をするし、食器もすぐ洗わない。せっかくの白磁のような肌を、ろくにケアしないで寝ることだってある。けれど、そんなところも含めていっそう晴夏が愛おしかった。

 生活をともにする中で、彼女の聞く音をたくさん見ることができた。それは、彼女の美しい顔を見続けることと同じくらい、豊かなことだった。

 リビングの窓からは、あの音楽室のように、きれいな夕日が見えた。


          ◇


「そうそう、この曲はこんな夕焼け!」

 晴夏が、ペンと楽譜を握りしめながら、わたしの肩越しにタブレットをのぞき込む。


 わたしはデジタルとアナログどちらの手法も使うけれど、晴夏はアナログ派だった。手で音符を書くことや、生のピアノを使うことを好んだ。DTMソフトに打ち込むぎりぎりまで、紙の譜面に鉛筆で何度も書いては消し、試行錯誤をしていた。「書くと整理できるんだよね」とあるとき語っていた。創作と格闘する彼女の後ろ姿では、いつも長い髪が揺れていた。

「ビルの向こうに日が沈んで、最後に太陽が膨らんで——」

 たおやかな曲の風景を口でも描写しながら、わたしはタブレット上でタンゴ・レッドを塗り重ねる。今回の曲から感じたのは、郷愁の色。わたしの役割は、その繊細なクオリアを絵で再現すること。


 仕上がった原画——背景と人物をレイヤーに分けたもの—を、わたしはアニメーションスタジオへ送付した。協力してくれるのは、地上波のアニメも手がけるスタジオ「プリポスト」。彼らは、わたしの原画をもとに映像を制作する。

 それは、二人にしか作れないミュージックビデオ。


 わたしたちは、現役女子大生アーティストとして商業的な仕事を始めていた。レコード会社と契約した晴夏は、デビュー曲のミュージックビデオに、わたしの絵を起用することを希望した。一足先にわたしの名前が売れていたおかげで、その希望は通った。


 慣れない映像制作の現場へ、何度も二人で足を運んだ。モニターの中で動くわたしの絵は、二人が創作途中で共有していたイメージに近いものだった。感動しながら、わたしはプリポストのスタジオのソファで晴夏と何度も目を合わせた。気になるポイントは、わたしが口を開くより先に、晴夏がわたしの思いも汲み取って指摘してくれた。


 完成したミュージックビデオが公開されると、珍しいインストゥルメンタル曲にも関わらず、瞬く間に再生回数を伸ばしていった。

 「神MV」「めちゃ好き」「1:42鳥肌」「曲と映像が完璧に調和」「出会えたアルゴリズムに感謝」「顔面強すぎるコンビ」——コメント欄は、おおむねポジティブといえる声であふれた。再生数は、十万を超えていた。


「こんなに見てもらえるなんて。うれしいね、晴夏」

 わたしはYouTubeのコメント欄をスクロールしながら晴夏に見せる。二人でつくったものが届いていることに、胸がいっぱいになる。

「美穂の絵を、じゃましなくてよかった」そう言って、彼女は微笑んだ。


          ◇


 晴夏は、開け放した扉の向こうの自分の部屋で、真剣な眼差しをグランドピアノに向けていた。時折ハミングのような歌声がこぼれてくる。うつむく首筋から、彼女の没頭が伝わる。


 彼女の手が、わたしの貸したモネの画集をめくる。共々感覚を使い、色彩構成を音に再構成するようなやり方で作曲を進めているようだ。鍵盤と画集と楽譜を、彼女の視線が何度も行き来する。生み出されていく曲は、たしかにモネの絵画のように、きらめきが積み重なった美しさがある。


 わたしは、話しかけるのをためらった。晴夏は、いま内省の世界で戦っている。

 そういえば、晴夏は最近、歌詞も書いているのだと言っていた。まずはボーカロイドに歌わせてみるのだという。わたしは、彼女がどんな言葉を書くのかとても気になった。それとなく聞いてみても、まだ見せられないよ、と照れくさそうに晴夏は笑っていた。


 晴夏は再び譜面に目を落とし、ペンを走らせた。わたしは、彼女のうちで結晶化していく美しさが創作物にあらわれるのを、待ち遠しく思った。そして、晴夏が創作するきっかけをつくれた嬉しさを、あらためて噛み締めた。


 少し彼女を遠く感じながら見つめていると、唐突に晴夏は顔を上げ、わたしに話しかけた。まるで、わたしの人恋しさを見透かしたようなタイミングで。

「ね、今から弾くメロディどっちがいいと思う?」

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