ビヨルワ・ロワライナ
王太子曰く──、
ビヨルワ・ロワライナは王補の嫡男として何不自由なく育てられた。
父も母も優しくビヨルワを大事にして甘やかしてくれる。ビヨルワはこの国で一番に幸せな子供であった。
幸せな子供は王補のたった一人の王子であったので、八つの頃に近衛騎士が付けられることになる。とはいえ見習いで、仮のものだそうな。何せ相手はビヨルワの二つ上、正規の騎士にはまだまだ足りない。
(気に入らなければ、すてればいいや)
子供ならではというより甘やかされた残酷さでビヨルワはそう思った。実際そうして幾人もの家庭教師を首にしてきたからだ。
果たして、やってきた騎士見習いは大変美しい男児でビヨルワはすっかり驚いてしまう。
「シャイアン・ライジャリー。男にしてはきれいな顔でもったいないな! そんな顔で本当にだいじょうぶなのか?」
これは護衛ではない、ビヨルワはそう思い揶揄したのだ。それほどまでにシャイアンは美しかった。王子の側に置く調度品として選ばれたのであろうと確信するほどに美しかった。
ところが。
「私の得手は槍ですが、小刀も扱えますので」
そう言ってシャイアンは袖からシャッと隠していた小刀を見せてきたのである。その素早さにビヨルワはワッとたたらを踏んでしまう。
「……」
武器の携帯を許されるのはシャイアンが王子の守りとして適当だと判断されたからに他ならない。にっこりと綺麗な笑顔を見せたシャイアンに、ビヨルワはおずおず「わかった……」と頷いた。
それからずっとシャイアンはビヨルワの傍にいる。シャイアンはいつ如何なる時も王子の傍に置いていて相応しい見目をしていたし、実際腕も立った。ビヨルワが命じて騎士同士を競わせた際、シャイアンは中堅どころの近衛騎士を医務室送りにしてしまったのだ。
(シャイアンが一番だ!)
そうしてビヨルワ王子が十歳で立太子することになると同時、シャイアンも見習いの肩書きを外し、王太子付き近衛騎士として着任することとなる。勿論ビヨルワが望んだからだ。ビヨルワはこの二年でシャイアンの存在にすっかり固執していた。
(シャイアンはずっと一緒にいるんだ。王補になっても、ずっときっと守ってくれる!)
ビヨルワが信じたそれが揺らぎかけたのは奇しくも同年、妹が誕生したことによる。
「大丈夫だ、お前の弟か妹が生まれてもお前が王太子であることに変わりはないぞ」
「そうですよビヨルワ。貴方が王太子なのよ」
王補たる両親はそう言ってビヨルワを甘やかした。ビヨルワの誕生後すっかり子供に恵まれなかったからビヨルワを王太子に据えたというのに、途端妊娠が発覚するのだから運命とは悪戯なものである。
とはいえ、両親揃っての言葉にビヨルワは首を縦に振った。両親はビヨルワに嘘を告げたことはない。両親がそう言うのだからそうなるのだ。
ビヨルワは王補になる。
落ち着いたビヨルワは穏やかに弟か妹の誕生を待った。
「姫様の御誕生です!」
「妹か」
その時までビヨルワはきょうだいの誕生を心待ちにしていた。確かに楽しみにしていたのだ。
そのきょうだい──妹が産まれて両親は困惑していて、ああ!
ビヨルワはその日のことを、後年いつまでも思い起こすことが出来た。ほやほやとした赤ん坊の産毛の黒いこと、瞳の黒いこと。そして何より自分たち親子に似ていないこと。
両親が不貞を働いていないことは、王補と妃という立場ゆえにすぐ様立証された。そうでなくても両親ともにお互いを信頼していて、つまり何故このように似ない子供が生まれたのかわからないでいたのだ。
そこに一石を投じたのは宰相だった。
「もしや、『リシルファーノ』様ではございませぬか」
ギョッとしたのは三人共だった。もし『リシルファーノ』であるとすれば、この国の真なる王である。王補とは本来王がいない間の繋ぎでしかない。
つまりこの赤ん坊は王補たる父の座を不安定なものとし、王太子となった筈のビヨルワの肩書きを全て消失させる存在なのだ。
「違います! 次の王補はビヨルワです!」
産後で疲労困憊の筈の王補妃はそのように叫んで厳しい顔を見せた。今までビヨルワを甘やかす穏やかな顔しか見せていなかった母の恐ろしい激情を、ビヨルワはその時初めて見たのである。
「しかし王補妃殿下……」
「慎め宰相。妃の言うとおりだ」
王補もそれに倣い、宰相の言を退けた。そして宰相を退出させた部屋で、王補はビヨルワの肩を抱く。
「お前が王補だ。今の今までお前が王補たるよう教育してきた。今更『リシルファーノ』がなんだというのだ。それが今のお前を越えられると? 馬鹿馬鹿しい。お前こそが王太子で王補だ」
(どうして)
ビヨルワの中に芽生えた疑問に、しかし両親は答えてはくれない。当然だ、ビヨルワは何も問うていないし、そもそもどう言葉にすればいいのかすらわかっていないのだから。
その後は雲の上を歩むような、よくわからない数日を過ごすことになる。そんなビヨルワを不審に思ったのだろう、いつも静かなシャイアンが「殿下、私も姫様にご挨拶差し上げたく思いますが」と許可を求めてきた。
「……許可が出たら」
(シャイアンなら、わかるだろうか)
この胸に凝る何かが。
ビヨルワはシャイアンの願いを両親に届けた。両親が何を考えたのか、ビヨルワは知らない。ただ、さほどせず許可が出、ビヨルワはシャイアンを連れて子供部屋へと向かうことになった。
妹に与えられた子供部屋は閑散としている。両親の意向を受けた結果最大限に縮小された人事は王家の子供として最低のものだろう。それに対してシャイアンは何を言うでもなく、ただ寝台に乗せられた子供を見ていた。
シャイアンはどうするだろうか。どう思うだろうか。
心臓が口から出そうになるほど動揺しながら長く短い時間を過ごしたビヨルワに、シャイアンはいつもと変わらぬ穏やかさで言った。
「姫君は健やかでいらっしゃる」
「は?」
それだけ?
王家に生まれた色違いだ、宰相のように『リシルファーノ』ではないかと口を突いて出ていい筈だ。けれどシャイアンはまったく見当違いのことを言う。
「だって、それは黒で、それだけが黒で、父上や母上とも違って、それで」
まるで繋がらない単語をぼろぼろと零すビヨルワは惨めだ。羞恥で赤くなった瞬間、シャイアンが言った。
「殿下は殿下です。他の誰とも違います」
(ああ)
そうだ、その言葉が欲しかった。
ビヨルワは唐突に悟った。全てにおいて優秀なシャイアンに、ビヨルワだけが認められたかったのだ。
シャイアンはビヨルワを認めてくれる。そしてビヨルワの元にいてくれるのだ。
「うん……、うん」
シャイアンが認めてくれるなら、ビヨルワは王になれるだろう。王補ならず、王に。
王になるのだ。この妹を差し置いて、ビヨルワが王になり、シャイアンを従える。
「うん」
ビヨルワは、王になる。
妹はパライカと名付けられた。名付け親は宰相だ。放置されすぎた王女を哀れんだ宰相が名乗り上げ、きちんと訴状を上げて許可を得たのである。
王補としては如何に娘を放置していたとて流石に罪を犯すことは出来ないのだろう。娘を殺す王家など論外だし、そもそもこの国は平和で、そんな火種は先日までありもしなかったのだから。
宮殿の隅に追いやられたパライカはそれでもすくすくと成長した。当然だ、人間である。そんなパライカの身辺は王補一家がまるで無視する為、全て宰相が整えたという。パライカの受けている仕打ちは公然の秘密と化していた。
立場上、殺せない。幽閉も出来ない。だから、目に入ってしまう。日々成長するパライカは、やはりどうしたって『リシルファーノ』である。王補家族とはまるで似通わない見た目で、言ってしまえば陰気だ。
打って変わってビヨルワといえば快活、王補夫妻の望んだとおりの王太子に成長していた。
──いつの間にかビヨルワは他人を窺うことに慣れ切っていた。明るく気っ風のいい王太子を王補夫妻が望んでいるからと、まるで安い鏡のような性質を得てしまっていた。だが、自覚してそうしているのだから問題はない。自覚してそう在るのだから、これは既にビヨルワの正しい顔だ。
そんなビヨルワの周りには側近候補が三人揃えられていた。それぞれ家柄がよく、ビヨルワが王補になる時にはそれぞれ大臣や将軍候補に並べられることになる。それに見合う人材かと言えば……そうでもないが。
三人が三人とも軽薄でビヨルワを持ち上げるしか能がなく、結局は家柄で政治の中枢に入るだけの者達なのだ。
(シャイアンのような人間は二人といるもんじゃあない)
今日も今日とてシャイアンは部屋の隅に立っている。いつ何時でも壁の花のように佇むシャイアンはビヨルワの元を離れたことがない。稽古だ所用だと抜けることは勿論あるが、ビヨルワ付きの近衛騎士であることに変わりはなかった。
鍛えた体躯を誇り、男らしい美しさを得たシャイアンは、それでも職務に忠実で壁に控えた途端存在感を失くす。しかしビヨルワはシャイアンの存在を疑ったことはない。シャイアンは必ずビヨルワの傍に控える者であるからだ。
能なしでしかない三人の側近がビヨルワを裏切ったとて構わない。その途端にシャイアンが三人を殺すだろうし、三人の代わりは幾らでもいる。
ビヨルワにはなんの不足もなかった。シャイアンさえいれば絶対に大丈夫なのだから。
とはいえ──。
「ビヨルワ様ぁ」
「ん?」
「お城から馬車が出ていきましたけどぉ、あれ王補様じゃないですよねぇ?」
ビヨルワが座る横に無遠慮に座り込んできたのは今気に入りの子爵令嬢である。婚約者として公爵令嬢が別にあるけれど、ビヨルワはあのすかした顔が気に食わない。両親と宰相の目があるから放置しているが、あれを王補妃にするのは面倒だなというのが正直なところだ。ビヨルワとしては横にいる子爵令嬢くらいふわふわとした馬鹿な女の方が可愛げがあると思っている。
「あれはパライカだ」
「じゃあお仕事ですぅ?」
「ああ……」
それが昨今、ビヨルワの腹立たしいところであった。パライカは宰相の元、すくすくと成長しすぎてしまったのだ。気が付けば頭の出来のいい王女となり、試しに宰相が仕事を振ったのを皮切りにして王族の行う外遊やなんやらを一手に引き受けてしまっている。
両親の気持ちはわかるつもりだ。外に出してしまえば顔を見なくて済む。だが、その為に政治の一部を持っていかれている事実が気に食わない。
その仕事はビヨルワがするしないに関わらず王補のものだ。否、ビヨルワのものだ。──パライカが当然の顔をして行うべきものではない。
「王補様にはビヨルワ様がなられるんでしょぉ? お仕事、妹君に取られちゃって大丈夫ぅ?」
「あいつの手垢の付いた仕事をいつか回されるなんて反吐が出る」
「やっだぁ」
きゃらきゃらと笑った子爵令嬢はビヨルワに抱き付いてくる。ふわふわとして柔らかくて出るところが出ていて……そして何より激情を持たず、ひたすらに愚か。女はこうであるべきだ。
「妹君が王だなんて聞きましたけどぉ、ぜーったいビヨルワ様が王様ですもん」
「王補ではなく?」
「王様ですぅ!」
「ははは、そうだ、そうだとも」
ビヨルワは機嫌よく子爵令嬢を押し倒す。女はこうして男の機嫌を立てるようでなければ。
「王補じゃあない。この私が王だ」
強引に割った白い足が椅子の背から突き出ていたが、シャイアンは何も言わない。シャイアンは壁であるからして。
「触れを出そう。あれを追い出す。私が王だ!」
「ビヨルワ様ぁ!」
高い声が耳障りでその口を押さえ込む。さて、この女の名前はなんだったか──。
即日ビヨルワは布令を出した。いつかそうなることを知っていたものか、両親は何も言わない。当然だ、あんなものが家族であったことなど一度もない。
「ビヨルワ・ロワライナこそが王補ならぬ王である。私こそが唯一の王だ! パライカなる女を王家は認めない! 王都に一歩たりとも入れるな!」
──シャイアンはいつもと変わらず、ビヨルワの傍に控えている。
ビヨルワの布令により王都に戻れなくなったパライカは、現在宰相翼下の辺境伯別邸に留まっているという。というのも、布令に反発した宰相が辞表を叩き付けて王城を去り、その辺境伯別邸に向かったことが判明したからだ。
「ふん、後釜など幾らでもいる」
両親は慌てふためいているが、ビヨルワはといえば平静なものであった。むしろ一番に喧しかった敵対勢力が城から消えたのだからこれ幸いと、嬉々として新たな宰相を任命したほどだ。
……悔しいのはそうして任命した宰相府の文官達がことごとく拝命拒否して蟄居したことである。仕方なく宰相府と無関係の手駒を着任させたものの、当然の如く仕事は回っていない。
だが、それを何故自分が心配することがあろうか。文官は王家の下、政治を回すことが仕事である。だからいつかは無事回ることになるのだ。
「流石はビヨルワ様であらせられます!」
「どのような愚か者でもすぐにビヨルワ様の威光に気付くでしょう!」
馬鹿ではあるが気は利く側近の一人が酒を用意していた。ビヨルワは気をよくし、杯を手に取る。
「気付かんでも気付かせればいい。どうせ長くは保たん」
「長くは……? もしや」
「ずっといられては害になる。あれも宰相だった爺もな。ならば王として片付け、新たな時代を開かなければ」
既にビヨルワとパライカ、否宰相との内戦の状態なのだ、何を迷うことがあるだろう。くるくると杯を回すビヨルワに、子爵令嬢は大仰に抱き付いて「ビヨルワ様かっこいぃ〜!」とはしゃぐ。
「その時はお前が先陣を切れよ。終わったらそのまま将軍に据えてやる」
「は、はい! 光栄です!」
脳筋な騎士家系の側近に言って、ビヨルワは外を見た。小雨が降り出して窓を叩き始めていたが、この季節大雨になるのはよくあることだ。
「……晴れたら一気に攻めるでもいいかもしれんな」
「すぐですか!?」
「あちらとてすぐ様とは思っていないだろう。隙を突くにはいいかもしれん」
うんと頷いてビヨルワは酒を含む。喉を焼く酒精が愉快で、ビヨルワは高らかに笑い声を上げた。途端、稲光が窓から刺さり、壁際のシャイアンを強く照らす。
シャイアンはいつなりともビヨルワの元にいる。だからその未来に不足などない。他の誰がおらずともシャイアンさえいれば、ビヨルワの未来は安泰なのだ。
ビヨルワは王。ビヨルワだけが王。
「ははは! パライカを殺すぞ!」
──雨は強さを増している……。……。
「……」
ひどい雨音がしている。ビヨルワは起きかけて力が入らないことに気が付いた。
(昨日はずっと酒盛りをしていたな……)
一昨日雨の入りに飲み始めてから調子に乗って、そのまま翌日もだらだらと飲み続けていたことを思い起こす。これから血縁上の妹を殺すと決めたら昂ってしまい、酒がよく進んだのだ。ついでに子爵令嬢と縺れ合って寝台に転がったまでは思い出せたが、その後はすっかり記憶にない。
(あれだけ飲んでは勃たんだろうが……)
くそがと内心毒突きながらふと気配を探ると、どうやら傍に子爵令嬢はいないようだった。というか、雨の音がひどすぎる。ざあざあごんごんと、……ごんごん?
目を開けたそこは……寝台ではなかった。真っ暗な部屋の中、ビヨルワは床に転がっていたのだ。寝惚けたのかなんなのか、まったく最低な目覚めである。
「お、……おあ……あいあん……!」
侍女を呼び付けようとして口が利かないことに気が付き、一瞬で脂汗をかいたビヨルワはシャイアンの名を呼んだ。何がどうなっているかわからないが、シャイアンならビヨルワを救ってくれるだろう。
だって、ビヨルワのシャイアンなのだから!
刹那、雷鳴が轟いて部屋の中を照らした。
ビヨルワの真向かい、床の上、シャイアンがしゃがみ込んで小刀のような物を振るっている。だん、と音が響いた途端、ごんと塊が飛んだ。
人間の首だった。
「ッ! ッ!!」
実際声が出たとて発声出来たかわからない。喉の奥をぎゅうぎゅうに締めながらビヨルワは目を見開く。
(今のはシャイアンだったシャイアンだったから敵を倒していたのかもしれないそうだそうに違いない!)
そうだ、だって近衛騎士のシャイアンだ。ビヨルワを守るべきシャイアンだ。
そう思うと少しだけ落ち着いた。敵に襲われたのは業腹であるが、シャイアンがいるなら問題はない。きっと宰相の手の者だ、完膚なきまでに贖わせてみせようではないか。
ビヨルワが瞬きして視線を弛めると、また雷が鳴った。雷光に晒されたシャイアンは膝をついたまま、ビヨルワに向かって穏やかに笑んでいる。
(やっぱり)
安堵したビヨルワがわかったのか、暗闇の中シャイアンが口を開いた。
「安心してください、きちんと殺しますからね」
(え?)
どういう意味か問う前にシャイアンが動き出し、横から大荷物を引いてくる。またしても雷光が刺して照らし出されたそれは──側近の一人だった。
「失敗してしまいました。殺してから首を落とすのでは面倒で面倒で。殺す時に首を狙った方がよほど楽でしたね。次からの課題に致します」
だん、だん! 機敏な動きで肉を断ち、首を落とす。まるで現実とは思えないままのビヨルワをよそに、ようやくひと仕事終えたとばかり立ち上がって息を吐いたシャイアンは転がった首を追いかけて綺麗に並べていた。
並べられた首の数は四つ。雷に晒されて暗闇の中浮かんだそれは、側近達と子爵令嬢の首だった。
「あ、あ……」
もはや何を言うことも出来ない。口も利けないビヨルワの喉は無意味に震えるばかりだ。そんなビヨルワの近くまでやってきたシャイアンは、当然といえば当然ながら返り血まみれだった。
「ひとつ。この離宮の使用人と騎士は全て殺しました。助けは来ません」
「ふたつ。今日が命日です」
「みっつ。何故死ぬのかといえば、私の殿下を愚弄し続けあまつさえ殺すと愚かなことを言ったからです」
お前の殿下は自分ではないか、そう脳裏を過ぎったところでもう一人そう呼ばれるに足る人間がいることに気が付いた。
まさか。
(シャイアン、お前、まさか)
今までもしや、ビヨルワを守っていたのではないのか。ビヨルワを監視していたのか。
ビヨルワを、いつ殺すべきか見定めていたというのか。
「わあか」
涙も鼻水も涎も、全ての水分が流れ続けるビヨルワの上、雨音に紛れて衣擦れがした。
轟く雷鳴、白く光る刹那、剣を振り上げる血まみれのシャイアン。
そのかんばせは常と変わらず美しくて──。
「──たかが同じ胎から生まれただけの分際で無礼にもほどがある。大人しく控えていれば生かしてやったものを」
──シャイアンが傍にさえいれば大丈夫だと思っていた。シャイアンが在ってこそ確実に王になれると高を括っていた。シャイアンの言う〈殿下〉が自分のことだと疑いもしないで──。